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「私、あんな母親だけど、あんたに比べたら、思いっきり真っ直ぐに、ありったけ愛されて育ったの。だから、あんたの事をバカになんかできない。あんたの苦しさは分かんないから。でも、華風組はあんたの幸せを願って、あんたを真柴組に預けたんだよね」
「わ、分かってる。だから、お、俺、も、もっと、強く、なりたい」
そうだ。俺は恵まれすぎだ。だからもっと、強く、優しく、信頼されるようになりたい。そう、思うのに。
「あんたさ、そこまで背負う事、ないんじゃない?」
背負う? 俺が?
「あんた、自分が我がままだって、言ったよね? でも私、あんたはもっと我がままでいいと思う。我がままだから、おかみさんが好きで、真柴が好きで、店や、友人や、出会った人が好き。それだけでいいと思う。誰かのためじゃなくていいと思う」
「だ、誰かの、た、ため?」
「私は無謀なバカだったけど、あんたは誰かのために、自分に期待しすぎるバカなのよ。もっと自分に我がままになったら? あんたを好きな人は、あんたを苦しめる気なんてないんだよ? 生みの親に実感がないなら、それでいいじゃない。そんな事のためにあんたを生んだ訳でもないだろうから。私の親なんて、私がどれだけ反発しても言ってたよ。産んでよかったって」
産んでよかったか。聞きたかったな、その言葉。
「い、いい、お、お母さんですね」
「サイテーだけどね」香はまんざらでもない笑顔を見せた。
事務所の方から電話の音が聞こえた。そわそわした空気が、一変する。誰かがとって、良平からだと伝える。皆が固唾をのんだ。
「生まれた! 元気な女の子だ! 母子ともに健康だ!」
ワッと歓声が上がり、全員が騒ぎ出す。組長は電話をひったくって、方耳を押さえながら良平と話しているようだ。急いで駆け付けるつもりらしい。若いのを一人捕まえて、車を出せと怒鳴っている。他の連中は酒盛りだと騒ぎだした。
まいった。これは急いで用意をしないと、収集がつかなくなる。ハルオが慌ててグラスを用意しようとすると、香が流しの前に立った。
「今日は特別に手伝ってあげる。とりあえずお酒の用意、しちゃって」
香さん! これは助かる! 彼女は本気になれば、かなり手際がいいんだ!
全員にグラスがいきわたり、食べ物と取り皿が並べられると、誰もかれもが手酌で勝手に呑みながら、ドンチャン騒ぎが始まった。こうなったら全員が潰れるまで放っておくより仕方がない。
巻き込まれないように、ハルオと香は自分達のグラスと皿を手に、事務所のソファに退散した。
狭い組の中の事なので、すぐ隣の事務所の環境はたいして変わらないが、振りまかれる酒や、小皿の襲来は避ける事が出来る。おとなしく呑めと言っても、無駄だろう。逃げるに限る。
「お、お疲れ様、でした。ほ、本当に、た、助かりました」ハルオが香のグラスについだ。
「感謝しなよ。特別に手伝ったんだからね。あんたも呑みなよ」
「お、俺、あ、あんまり、つ、強くない。か、香さんは、つ、強いそうですね」
「あんまり自慢にならないんだけどね。飲酒歴だけは長いから。とにかく呑みなよ。私に付き合って」
そういいながら、香はすでに酒が進んでいた。ハルオもゆっくりと付き合いだす。いつの間にか、二人の間にあった気まずさは消えてしまっていた。
「な、なんか、み、みんな、う、嬉しそうだな」ハルオは騒ぎに耳を傾けながら言う。
「うん。子供が生まれるって、いい事なんだね」何だか香さんまで嬉しそうだ。
「お、俺の時も、は、華風組は、こ、こんな風だったのかな?」
「きっとそうだよ。今度土間さんに聞いてみなよ」そういいながら、俺のグラスについでくれる。
「まあ、私の時は母さん、一人で産んだけどね。でも、店の仲間が励まして、喜んでくれたって」
「ひ、一人、で、ですか」
「うん。父親、怪しげな奴だって思われてたみたい。身内もみんな離れていったって」
「ご、ごめん」
「何であんたが謝るのよ」
「な、何となく」
「多分、母さんより土間さん達の方がつらかったよ。母さんは腹くくればよかったけど、華風組はこんな風に喜んで迎えたあんたを手放さなきゃならなかったんだから。私は母さんの元に、ずっといられたしね。あんたより幸せだったかも」
親元で育つことは幸せ。それは多分そうなんだろう。でも、俺は。
「お、俺、は、華風組には悪いけど、ま、真柴で育って、し、幸せだよ」
「そっかあ。なら、それでいいんだよ、土間さんも、あんたの母親も、きっと喜んでるよ」
そうだよな。こんな風に喜ばれながら生まれて、手放されてからも幸せを願ってもらって。真柴も大事だけど、血のつながった親も、いいものなんだな。今夜は素直にそう思える。
あのお守り、やっぱり受取ろう。俺と母親をつなぐ、唯一の絆だろうから。