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「か、香さんの、お、お母さんは、い、いい、お、お母さんだった?」
「私の母親? そりゃ、最低でしょ? あんな父親に引っ掛って私を生んだけど、そのせいで身内から追い出されてまともな職にも着けなかったから、飲み屋のバイトとスリで私を育てたんだよ? 何度もサツにパクられながら、私、男の酒代と、盗みの金で育ったんだから」
香の口からは自虐的な言葉が飛び出してくる。
「そ、そんな、い、いい方、し、しなくったって」
「でも、母さんの事、私大好きだったんだ。いつだって必死で、私を大事にしてくれて」
一転して、香は口調を変えた。ハルオに気にするなとでも言うように。
「母さん、勉強しない私に高校行かせようとして、私の偏差値でも入れる私立見つけて、その金を用立てようと財布をスリまくってたんだ。短期間でそんなことしてたら、いくら母さんの腕でもいい加減バレる。とうとうホテルにまで連れ込まれそうになって、土壇場で逃げ出して私に見つかったの。私、思いっきりなじったのに、夢も生きがいも無くしたから、私しか生きる望みがないんだって。私に学校も行かせないなんて、耐えられないって」
「で、でも、こ、公立に、か、通ったって」
「そこまでされたら勉強するしかないじゃない? トコトン、ガリ勉して公立に入ったのよ。友人も作らなかったから、徹底してバイトできたしね。その学校、辞めかけたんだから、母さん半狂乱よ。その時懲りずにナイフ使いの男に引っ掛って、私が学校に戻っても縁がきれなくて、そいつが喧嘩騒ぎを起こすたび、ストレスためて倒れちゃった。せっかく私、卒業したのに死んじゃうしさあ」
香は足を止め、草むらに膝を抱えて座り込んだ。ハルオも隣に座る。
「刃物使う奴なんて、大っきらいよ」
「す、すいません」ハルオが思わず謝ってしまう。
香は真底あきれたような顔をした。
「あんた、バカ? 今までの話、全部本気にした? 私、作り話なんていくらでも作れるよ?」
「い、今のは、う、嘘じゃない」ハルオは断言した。
「お、俺に、う、嘘ついても、な、なんの、と、得も、ない」
香は意地の悪い笑顔をする。
「得なんかなくても、同情は買えるわよ。騙すのに一番便利なのが同情と下心。あんたも憶えといた方がいいわ」
ハルオは真面目な顔になり、さらに、悲しげな表情をした。香に向かってそっと手を伸ばしてくる。香は反射的に身を引いて、その手を払いのけた。
「何すんのよ」香の声に怒りが混じる。
「や、やっぱり、嘘じゃない」ハルオも怒っていた。何に怒りを感じるのかは分からないが。
香さんがどうやって生きてきたかなんて、本当のところは分からない。でも、俺に対しては、同情も下心も、常にはねつけてきた。その心に嘘は無い。それだけは分かる。
「忘れてた。あんた、意外と一枚上手だったわね。でも、私に気安く触んないで。今のあんたは優しくないわ」
「お、俺、や、優しくなんか、ないよ」
ハルオは自分の言葉に苦みを感じる。今日は由佳ちゃんに会ったからだ。高校時代、あの娘は由佳ちゃんの友達だったから。
その娘は美人で、身仕舞いが綺麗で、しぐさが優雅な娘だった。俺には不釣り合いだけど、何故だかいつも気があった。一緒にいると心が浮き立つ半面、どこか落ち着いた気分にもなれた。
その娘とはよく話をした。俺はどもるから、話を続けにくいのに、気を使って俺の先回りをしていつも話を繋げてくれる。だから俺も落ちつけたんだろう。そんな気使いの出来る娘だった。
ある日不良達に絡まれたその娘を、俺は助けようとした。俺一人ではちょっとキツかったけど、その娘を助ける間くらいは何とかなると思った。逃げ脚にも自信はあった。
彼女は逃げてくれると思った。だが、彼女は近くにいた彼女も知っている真柴の連中を連れてきてしまった。街中の目立つ場所だったが、俺なら、これは学生同士のただの喧嘩で済む。しかし、高校生に組員が手を出したら事件扱いだろう。
俺は絶対大丈夫だから手を出すなと言ったし、組員達も自重しようとした。だが彼女は叫んだ。
「お願い! ハルオ君を助けて!」
組員達は手を出した。結果、彼らは書類送検された。
絶対大丈夫だと言ったのに。信頼してほしかったのに。俺は彼女を責めてしまった。
「こんなに心配しているのに、ひどい。ハルオ君はもっと優しいと思った」彼女に言い返された。
「お、俺、や、優しくなんか、ない」
それをきっかけに、何となく彼女とは以前のようには気が合わなくなった。仲が悪くなった訳ではないが、何かが違う。彼女もそれは感じたはずだ。
やがて彼女は隣のクラスの男と付き合いだした。そしてそのまま疎遠になるうちに卒業した。
俺は優しくなんかない。どもって、気が小さいから、勘違いされるだけだ。
そして、こんなだから軽く見られてしまう。信頼するに値する、強さを感じてもらえないんだ。