「君を、忘れることにした」
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これは、救いのある恋だと思いますか?
「——君を、忘れることにした」
彼はそう言って、私のことを選んで捨てた。
世界を救うために。
それでも私は、彼を好きでい続けた。
——魔法を使うたび、大切な記憶を失う人だったから。
その人は、最初から嘘みたいに静かな顔をしていた。
市場の喧騒の中、まるで音だけが彼を避けているみたいに。
立っているだけなのに、どこか“ここにいない人”みたいだった。
「……ここ、通ってもいい?」
声をかけると、彼は一瞬だけ目を細めた。
まるで、私を“思い出そうとした”みたいに。
でも、すぐに諦めた顔になる。
「いいよ」
それが、私と彼の最初の会話だった。
彼の名前は、アルト。
旅の魔法使いだと言った。
でも、普通の魔法使いとは少し違う。
「魔法を使うたびに、記憶が消えるんだ」
あまりにも軽く言うから、最初は冗談だと思った。
だけど彼は、まるで天気の話でもするみたいに続ける。
「何が消えるかは選べない。でも、大体は……大事なものからだ」
笑っていた。
その笑い方が、どうしようもなく寂しかった。
私はその日から、なぜか彼と行動を共にするようになった。
理由なんて、特になかったと思う。
ただ、放っておけなかった。
それだけだ。
彼は料理が壊滅的に下手だった。
塩と砂糖を間違えるとか、そういうレベルじゃない。
そもそも味見をしない。
「なんで味見しないの?」
「どうせ、次には忘れてるから」
悪びれもせず、そう言った。
私は言葉を失う。
「……じゃあ、覚えておくよ。私が」
「助かる」
そのときの笑顔は、少しだけ安心した顔だった。
地図も読めなかった。
というより、読めても覚えていられなかった。
「さっき説明したでしょ」
「聞いた気はする」
「じゃあなんで迷うの」
「覚えてないから」
あっさり言われて、怒る気もなくなる。
最初に気づいたのは、小さな違和感だった。
「昨日のこと、覚えてる?」
「昨日?」
「一緒にご飯食べたでしょ」
「ああ……いや、ごめん。覚えてない」
そのときの謝り方が、やけに慣れていた。
きっと何度も繰り返してきたんだ。
忘れて、謝って、また忘れて。
それから私は、彼の日記係になった。
彼が忘れてもいいように。
いいや——忘れても、思い出せるように。
「はい、これ今日の記録」
「……助かる」
「ちゃんと読むのよ?」
「読むよ」
そう言いながら、彼は時々読まなかった。
読むのが怖い日もあるらしい。
“自分が何を失ったのか”を知るのが。
ある日、彼が珍しく真面目な顔をしていた。
「最後の魔法がある」
「最後?」
「これを使えば、戦争は終わる」
その言葉は、あまりにも重かった。
「でも?」
私が聞くと、彼は少しだけ目を逸らした。
「たぶん……全部なくなる」
「全部って?」
「今まで積み上げてきた記憶。人も、場所も……」
一瞬、言葉が止まる。
「……君も」
胸の奥が、ぎゅっと締めつけられた。
「使わなきゃいいじゃない」
「そうすると、多分もっとたくさん死ぬ」
即答だった。
迷いが、なかった。
その夜、彼の寝ている間に日記を開いた。
普段は読まないページまで、めくる。
最後のページに、一文だけ書いてあった。
——これを読んでいる未来の俺へ。
たぶん、お前は彼女を忘れている。
でも、それでも——もう一度好きになれ。
ページを閉じる。
視界が滲む。
(本当は、忘れられたくない)
それでも私は、次の日も笑っていた。
それからの日々は、やけに穏やかだった。
まるで、終わりが近いことを知っているみたいに。
彼は、よく笑うようになった。
「なんでそんな楽しそうなの?」
「今が一番新しいから」
その言葉の意味が、少しだけわかるようになってしまった。
私は、わがままを言うようになった。
「手、繋いで」
「いいよ」
「離さないで」
「努力する」
「努力じゃなくて、約束して」
少し困った顔をしてから、
「……約束する」
そう言ってくれた。
でも知ってる。
その約束が、どれだけ脆いものか。
「ねえ、ちゃんと選んで」
ある夜、私は言った。
「私を忘れるか、後悔し続けるか」
彼は、黙った。
長い沈黙のあと、静かに答える。
「……後悔するのは、嫌いだ」
胸が、少しだけ痛む。
戦場は、静かだった。
嵐の前みたいに。
彼は、私に背を向けて立っている。
「ここで待ってて」
「行くの?」
「すぐ終わる」
振り返らないまま、そう言った。
「ねえ」
「なに?」
「……終わったら、また一緒にご飯食べようね」
ほんの少しだけ、間があった。
「……ああ」
その返事が、嘘だとわかっていた。
彼は振り返らないまま、小さく呟いた。
「忘れるのは怖くない。思い出せないことが、怖い」
その言葉だけが、やけに鮮明に残った。
光が、空を裂いた。
音が遅れてやってくる。
世界が、一度だけ、止まったみたいに静かになって——
全部、終わった。
彼は、倒れていた。
「アルト!」
目を開ける。
「……誰だ?」
わかっていたのに、
思ったよりも、ずっと痛かった。
(本当は、思い出してほしかった)
「通りすがりよ」
私は笑った。
「倒れてたから助けただけ」
「……そうか」
「ありがとう」
その言葉は、初めて聞くみたいだった。
彼は歩き出す。
もう振り返らない。
でも、その足が少しだけ止まった。
「……なあ」
「なに?」
「どこかで会ったこと、あるか?」
心臓が跳ねる。
「ないわよ」
「……そうか」
完全に見えなくなってから、私はその場に座り込んだ。
涙が出るのは、少し遅れてからだった。
数日後。
市場で、見覚えのある背中を見つけた。
「……ここ、通ってもいい?」
あの日と同じ言葉。
「どうぞ」
私は、少しだけ笑って答えた。
「ねえ」
「なに?」
「旅、してるんでしょ?」
「ああ」
「……一緒に行ってもいい?」
彼は少しだけ考えて、
「いいよ」
その答えを聞いたとき、
なぜか涙が出そうになった。
「次は、ちゃんと私を好きになってね」
彼は、少しだけ首を傾げた。
「——今度は、忘れさせないから」
たぶんこれは、初めての恋じゃない。
でも、
きっと、何度でも初めてになる恋だ。
それでもいいと、思えた。
だって私は、
“忘れられること”よりも、
“出会えないこと”のほうが、
ずっと怖いから。
完
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