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不滅の黄金比  作者: 慈架太子


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壱:魔獣狩(ハンティング)


鬱蒼と茂る木々が陽光を遮り、湿った土の匂いが立ち込める森の奥。静寂を破るのは、荒い呼吸音と金属がぶつかり合う鈍い音だった。


マルクス、二十歳。

身長170センチ、体重60キロ。戦士としては細身なその体躯で、彼は身の丈に近い両手剣を必死に振り回していた。対峙するのは三体のコボルト。狡猾な瞳を光らせ、小柄ながらも鋭い爪と短剣でマルクスの隙を狙っている。


「はぁ、はぁ……っ、くそっ!」


マルクスは決して強くない。剣筋は素人同然で、重い剣の遠心力に振り回されることもしばしばだ。何度も爪が頬を掠め、服が裂ける。だが、生きるための本能が彼を突き動かしていた。


死に物狂いで放った横薙ぎの一撃。それが、飛び掛かろうとした一体の胴体をクリーンヒットで捉えた。


「ギャウンッ!」


短い悲鳴と共にコボルトが吹き飛び、動かなくなる。

一体が沈んだことで、包囲網にわずかな綻びが生じた。それまで防戦一方だったマルクスの視界が開け、敵が二体になったことで攻撃がスムーズに通るようになる。数の暴力に屈しかけていた彼の動きに、初めてリズムが生まれた。


一歩踏み込み、地面を蹴る。重い剣を上段から叩きつける。力任せながらも、遮るもののない一撃は残る二体の防御を崩した。泥臭く、無様に、それでも必死に剣を振り続け、マルクスは二体をようやく倒した。


コボルトの骸を前に、彼はその場に膝をついた。両手は激しく震え、剣を握る感覚も麻痺している。絶望的な疲労感が全身を支配していた。


(魔法が使えれば……)


もし、自分に魔法の才能があれば、こんなに死に物狂いで剣を振るう必要もなかったのではないか。指先一つで敵を退け、優雅に戦う魔法使いへの憧れ。それが、限界に達した心の中で強烈な乾きとなって溢れ出した。


魔法が使いたい。

心から、心底心から願った。


その瞬間だった。

「……っ!?」

全身の血が逆流するような熱い感覚が走り、手のひらから魔力を感じた。それは微かな痺れから、次第に力強い脈動へと変わっていく。


マルクスは、夢遊病者のように右手をゆっくりと上げた。手のひらの先には、古い大木がある。彼はその「熱」を、どうすればいいかも分からぬまま、ただ漠然と操作してみる。


溜まった熱を、一気に外へと押し出すイメージ。


「行け……!」


刹那、手のひらから不可視の衝撃が解き放たれた。空気が爆ぜるような音と共に、魔力の塊が大木へ直撃する。激しい衝撃音。直後、頑強な木に命中して、その幹が深く抉れた。


砕けた木片が周囲に飛び散り、再び森に静寂が戻る。

マルクスは自分の震える掌を呆然と見つめていた。それは、無力な青年が初めて「世界の理」に触れた瞬間だった。





目の前の巨木が抉れた光景は、マルクスの胸に恐怖を上回る高揚感を刻みつけた。

「……できた。俺にも、魔法が……」

震える手を見つめ、彼は何度も拳を握り締める。だが、先ほどの一撃で全身の倦怠感はピークに達していた。魔法を使うということは、命の源を削り出すようなものなのだと、本能が理解していた。


翌朝から、マルクスの練習が始まった。

拠点を置く森の空き地。彼は愛用の両手剣を傍らに置き、まずは己の内に宿る「魔力」の正体を探ることから始めた。


「昨日の感覚を忘れるな。心臓の奥にある熱を、指先まで引きずり出すんだ」


目を閉じ、意識を集中させる。

最初は何も感じなかった。しかし、一時間、二時間と粘り強く内観を続けるうちに、昨日の熱い拍動が再び顔を出した。それは血管を流れる血よりも熱く、制御を失えば暴発しそうなほど荒々しい。


マルクスはその熱を、糸を紡ぐように慎重に手のひらへと移動させていく。

170cmの痩せた体が、じわりと汗ばむ。魔力を操作するだけで、激しい運動をした後のように体力が奪われていった。


「よし、まずは当てる練習だ」


彼は十歩ほど先に、手頃な大きさの石を置いた。

右手を突き出し、魔力を一点に集める。

「放て……っ!」

気合と共に放たれた衝撃は、しかし石をかすめることもなく、遥か頭上の枝を折るに留まった。


「……くそ、剣を振るより難しい」


強くない自分を自覚しているからこそ、彼は腐らなかった。

剣の才能が並み以下であっても、この「魔法」という未知の力だけは、誰にも渡したくない一筋の希望だった。

彼はひたすらに、魔力を放ち続けた。


何度も失敗した。魔力が暴発して手のひらが火傷のように赤くなることもあれば、放つ瞬間に魔力が霧散して膝をつくこともあった。

だが、練習を繰り返すうちに、彼は一つのコツを掴んでいく。

それは「力む」のではなく、「流す」こと。

川の水を堰き止めるのではなく、水路を整えて導くイメージだ。


練習を始めて数日が過ぎた頃。

マルクスは再び十歩先の石を見据えた。

深呼吸をし、淀みなく魔力を練り上げる。

「……そこだ」

鋭い呼気と共に放たれた魔弾は、空気を切り裂く最短距離を突き進み、標的の石を粉々に粉砕した。


「当たった……」


石の破片が地面に転がる音を聞きながら、マルクスは確かな手応えを感じていた。

まだ威力は安定せず、一度放てば息が切れるほど未熟だ。

だが、ただの無力な青年だったマルクスはもういない。

彼は剣を拾い上げ、背負い直した。


剣と魔法。

その両輪を回すための、過酷な修行の日々が幕を開けた。





石を砕くことに成功してから、マルクスの練習はさらに熱を帯びていった。

彼は自身の限界を知るため、そして魔法を文字通り体に叩き込むために、食事と睡眠以外のほとんどの時間を魔力の操作に費やした。


「もっと早く、もっと正確に……!」


放たれる衝撃波は次第に鋭さを増し、標的とする木々の幹には幾つもの抉れた跡が刻まれていく。しかし、魔法は使えば使うほど、マルクスの体から何かを容赦なく奪っていった。


その日の昼下がり、限界は突然訪れた。

十数回目となる魔弾を放とうと、手のひらに意識を集中させた瞬間、視界がぐにゃりと歪んだ。心臓の奥にあるはずの「熱」が、一滴も残らず吸い尽くされたような感覚。


「あ……が、は……っ」


喉の奥が焼け付くように乾き、激しい眩暈が襲う。指先が震え、立っていることすらままならない。魔力切れ――それは、魔法使いが最も恐れる、精神と肉体の枯渇状態だった。マルクスは膝から崩れ落ち、泥の浮いた地面に這いつくばった。


意識が遠のく中、死の恐怖に似た「渇き」が彼を支配する。

(足りない……何かが、決定的に足りない……!)

砂漠で水を求める旅人のように、彼は本能的に周囲の「力」を求めた。必死に地面を掻き毟るその指先が、偶然にも、かつて自分が魔法で抉り、生命力を失いかけた大木の根に触れた。


その瞬間、奇跡が起きた。

マルクスの指先を通じて、冷たい、けれど力強い奔流が体内に流れ込んできたのだ。


「……っ!? これ、は……」


それは木々が地中から吸い上げている大地の息吹、あるいは大気に漂う微細な生命エネルギーだった。枯れ果てた井戸に濁流が流れ込むように、マルクスの空っぽの器が満たされていく。

それは意識的に行う魔法とは逆の現象――外部の魔力を己の内に引き込む技術、**「魔力吸収」**の萌芽だった。


数分後、マルクスは荒い息を吐きながら、ゆっくりと上体を起こした。

先ほどまでの死にそうな倦怠感は消え、代わりに奇妙な充実感が全身を巡っている。触れていた大木の葉が、わずかに黄色く変色して散っていった。


(俺は今……木から力を奪ったのか?)


彼は自身の掌を見つめ、今度は「放つ」のではなく「手繰り寄せる」イメージを強く抱いてみた。周囲の草花がかすかに揺れ、目に見えない輝きが彼の肌に吸い込まれていく。


魔法は、自分の中にあるものを使うだけではない。

世界そのものが魔力の源であり、自分はその循環の一部になれる。

そのことわりに触れた瞬間、マルクスの魔法に対する認識は根本から覆された。


「……これなら、もっと戦える」


泥を払い、彼は再び立ち上がった。

魔力切れという絶望の淵で掴み取った「吸収」の力。それは、強くないはずの彼を、異端の魔法戦士へと変貌させる確かな一歩となった。




魔力切れという死の淵で掴み取った「魔力吸収」の手応えは、マルクスの修行を新たな段階へと押し上げた。自分一人の器に溜められる魔力には限界がある。だが、周囲から力を引き込み、それをそのまま攻撃に転換することができれば――その可能性を確かめるため、彼は森のさらに奥、巨大な岩が転がる荒地へと足を踏み入れた。


「……始めるか」


マルクスは精神を研ぎ澄ませ、両足をしっかりと大地に踏みしめた。まずは自身の内側を空っぽにするイメージで、微かな魔力を指先から霧散させる。すると、枯渇した器を埋めようとする本能が働き、周囲の環境から魔力を手繰り寄せ始めた。


大気に漂う精霊の残滓、大地の底を流れる脈動、そして周囲の木々が蓄えた生命力。それらが目に見えない光の糸となって、マルクスの全身の毛穴から吸い込まれていく。


「くっ……あ、ああああ!」


急激に流れ込む膨大なエネルギーに、170cmの細身な体躯が悲鳴を上げる。血管が浮き上がり、肌を焼くような熱痛が走る。自分自身が、いつ破裂してもおかしくない高圧のボイラーになったかのような感覚だ。


マルクスはその荒れ狂う力を制御し、右手のひらへと一点に凝縮させていった。これまでの「魔弾」が小石を投げるようなものだったとすれば、今練り上げているのは巨大な鉄槌だ。手のひらの前で空気が歪み、バチバチと青白い放電現象さえ起き始める。


「まだだ……まだ、耐えられる……!」


冷汗が顎を伝い、視界が赤く染まる。限界を超えた魔力は、制御を失えば自分自身を消し飛ばしかねない。だが、マルクスは心底から願ったあの日の渇望を思い出し、暴れ馬のような力を無理やりねじ伏せた。


標的は、五メートルはあろうかという巨大な黒岩。

マルクスは一点を見据え、溜め込んだ全エネルギーを解放した。


「いけぇぇぇぇッ!!」


ドォォォォォン!!


大気を震わせる轟音と共に、白銀の閃光が放たれた。それはもはや弾丸などではなく、光の奔流、咆哮だった。閃光が黒岩に衝突した瞬間、視界を焼き尽くすほどの爆発が起こり、激しい衝撃波が周囲の草木をなぎ倒した。


爆煙が晴れた後、そこには驚くべき光景が広がっていた。

あんなに堅牢だった巨岩は跡形もなく砕け散り、地面には焦げ付いたクレーターが深く刻まれている。


「……はぁ、はぁ、はぁ……」


マルクスはその場に倒れ込みそうになる体を、辛うじて両手剣を杖にして支えた。一撃の威力は劇的に向上したが、反動も凄まじい。全身の筋肉が強張り、指一本動かすのも億劫なほどの疲労が襲う。


しかし、彼の唇には確かな笑みが浮かんでいた。

強くない、魔法も使えない。そんな過去の自分を、今の一撃で粉砕したような気がしたのだ。


「これなら……戦える。どんな敵が来ても……」


彼はゆっくりと立ち上がり、砕けた岩の破片を拾い上げた。

吸収し、変換し、放つ。この「循環」を極めることこそが、マルクスが進むべき道であることを、彼は確信していた。



巨岩を砕いたあの日から、マルクスの修行は「出力」から「洗練」へとその形を変えた。ただ闇雲に魔力を吸い上げ、爆発させるだけでは、実戦では隙が大きすぎる。彼は森の静寂の中で、呼吸をするように魔力を操る術を体に叩き込んでいった。


「吸うのではない。世界の一部として、魔力の流れを導くんだ」


マルクスは目を閉じ、周囲の風景を魔力の密度として捉える。木々が放つ緑の温もり、地面を流れる土の冷たさ、そして風に乗って揺らめく光の粒。かつてはただの風景だったものが、今では彼を満たすための巨大な貯蔵庫に見えていた。


彼は歩きながら、あるいは走りながら魔力吸収を試みた。立ち止まって集中する必要はもうない。一歩踏み出すごとに大地から力を汲み上げ、腕を振るごとに大気からエネルギーを回収する。枯渇と充填を同時に行うその姿は、周囲のエネルギーを常に循環させる一つの「渦」のようだった。


「次は……操作だ」


彼は手のひらを上に向けた。すると、吸い上げられた魔力が瞬時に収束し、小さな光の球となって浮かび上がる。以前のような暴発しそうな荒々しさはない。マルクスは自在な魔力操作によって、その光球を針のように細く伸ばしたり、薄い膜のように広げたりと、粘土をこねるように形を変えていく。


これまではただ放つだけだった衝撃を、彼は今、掌の内で完全に制御していた。

狙った一点のみを撃ち抜く不可視の弾丸。

全身を薄く覆い、防御力を高める魔力の衣。

そして、両手剣の刃に魔力を纏わせる「付与」の基礎。


「……今なら、わかる」


マルクスは静かに目を見開くと、近くを飛んでいた素早い森の羽虫に指先を向けた。

弾き飛ばすのではない。魔力を糸のように細く放ち、羽虫の進路を優しく、かつ正確に阻む。

狙った通り。魔力は彼の神経の延長となり、意図した通りの軌道を描いた。


二十歳の青年、マルクス。

身長170センチ、体重60キロ。そのスペック自体に変化はない。相変わらず重い両手剣に振り回されるような、ひょろりとした体躯のままだ。しかし、その内側に秘められた「密度」は、数週間前とは比較にならないほど高まっていた。


「強くない」と言われた自分は、もう過去のものだ。

剣技の未熟さを魔法で補い、魔法の限界を周囲からの吸収で突破する。

魔力操作と魔力吸収。この二つの歯車が完全に噛み合った時、マルクスは森の生態系における「例外」となった。


彼はふと、自分の両手を見つめた。

泥に汚れ、剣のタコができた無骨な手。だが、そこからは絶え間なく世界と繋がる魔力の脈動が伝わってくる。


「さて……そろそろ、この森を出るか」


マルクスは愛用の両手剣を背負い直すと、一度も振り返ることなく歩き出した。

森の出口から差し込む眩しい光の向こう側には、まだ見ぬ強敵と、彼を待つ広大な世界が広がっていた。




森を抜ける道すがら、マルクスはふと、背筋に冷たい悪寒が走るのを感じた。

「……来る」

本能的な第六感。それは、魔力操作を極めた彼だからこそ感じ取れる、明確な敵意の波動だった。


ガサガサと茂みが揺れ、低いうなり声が響く。

現れたのはフォレストウルフが5体。一般的な狼よりも一回り大きく、毛並みは森の色に溶け込むような深緑色をしている。瞳には知性を感じさせる獰猛な光が宿り、マルクスを獲物と見定めていた。


「いきなり五体か……手応えがありそうだ」


マルクスは冷静に両手剣を構える。かつてコボルト三体に苦戦した自分はもういない。だが、フォレストウルフは動きが素早く、連携も巧みだ。真正面から剣だけで渡り合うのは賢い選択ではない。


彼はまず、自身の身を守ることを優先した。

意識を集中させ、周囲から魔力を吸い上げる。汲み上げた魔力は、全身の皮膚の直下に流し込まれた。

「っ……!」

半透明の薄い膜が、マルクスの体を覆うように展開される。それは空気の衣であり、目には見えない鎧。魔力を体に纏い防御量を底上げすることで、彼は俊敏な狼たちの爪や牙から身を守る算段だった。


唸り声を上げ、先頭の一体が飛びかかってくる。マルクスは最小限の動きでそれを躱し、同時に愛用の両手剣へと意識を集中させた。

「次はお前だ」

汲み上げられた魔力が、柄から刃へと伝播していく。まるで刀身そのものが呼吸をしているかのように、青白いオーラが剣の表面に揺らめき始めた。


剣に魔力を纏わせる事を取得する――それはマルクスが修行の中で編み出した、攻防一体の魔法剣術だった。


ヒュンッ!

狼の鋭い爪が、マルクスの腕に叩きつけられる。しかし、防御量を底上げされた魔力の衣がその攻撃を弾き、表面には微かな傷跡さえ残らない。

「遅い!」

魔力を纏った両手剣は、その重量に見合わぬ速度で振り抜かれた。通常の金属剣であれば受け止められかねない衝撃も、魔力によって強化された刃は難なく受け流す。


グォォ!

剣から放たれた衝撃波が、狙ったフォレストウルフの体を深々と切り裂いた。悲鳴を上げ、その一体が地面に倒れ伏す。


だが、残る四体は怯むことなくマルクスを取り囲んだ。二体が同時に左右から襲いかかり、残りの二体が背後を狙う。

マルクスは剣を地面に突き刺し、体を軸に高速で回転した。魔力を纏った剣が円を描き、周囲の狼たちを一瞬だけ牽制する。

その隙に、彼は再び魔力を吸収し、剣に集中させた。


「一気に仕留める!」


全身の魔力を剣へと集約させる。剣身はまばゆい光を放ち、その刃は空気そのものを切り裂くような鋭さを増していく。

マルクスは跳躍し、空中で一閃。

魔力を纏った両手剣が、獲物を狙う狼たちの群れへと突き刺さる。


ギィィン!という甲高い音と共に、光の軌跡が森を駆け抜けた。

残る四体のフォレストウルフは、瞬く間に光の剣に切り裂かれ、その命の光を失った。


息を切らし、マルクスは剣の魔力を解放する。

汗だくの体。しかし、その瞳には充実した光が宿っていた。

剣に魔力を纏い、身に魔力を纏う。それは、彼が「強くない」自分を乗り越え、真の魔法剣士へと歩み始めた証だった。




五体のフォレストウルフが地に伏し、森に静寂が戻った。マルクスは体に纏わせていた魔力の衣を解き、深く長い息を吐き出す。極度の緊張から解放された筋肉がわずかに震えたが、その足取りは以前よりも力強かった。


「さて……まずは戦利品だな」


彼は腰に下げた解体用のナイフを抜き身にし、一番近くに横たわる狼の死骸の前に屈み込んだ。冒険者にとって、魔物の死体は資源の塊だ。特にこの森の深部に棲むフォレストウルフともなれば、その毛皮は防寒具として高く売れ、牙は工芸品の素材になる。だが、マルクスが求めているのはそれらではなかった。


彼は慣れた手つきで狼の胸元にナイフを入れ、肋骨の隙間を慎重に探っていく。魔力操作に習熟した今のマルクスには、死体の中に残る微かな「魔力の残滓」が、どこに集積しているのかが手に取るように分かった。


「……ここか」


ナイフの先端が、硬い無機物のような感触に当たった。慎重に周囲の組織を切り離し、指先でそれを引き抜く。

現れたのは、親指の先ほどの大きさをした、不規則な多面体の結晶体。それは魔石と呼ばれ、魔物の生命力と魔力が凝縮された心臓部ともいえる代物だった。


手の中にある魔石は、深い森の闇を閉じ込めたような鈍い深紅の色を放っている。マルクスはそれを太陽の光に透かしてみた。

「小さいが、純度は悪くないな」


彼は流れるような動作で、残る四体の解体も進めていった。かつての彼なら、一体の解体だけでも手間取り、血の匂いに誘われた他の魔物を恐れて途中で逃げ出していたかもしれない。しかし今の彼には、魔力を用いた効率的なナイフ捌きと、周囲の気配を察知する確かな感覚があった。


一時間もかからず、手元には五つの深紅の魔石が揃った。

マルクスはふと思いつき、そのうちの一つを掌に乗せ、覚えたての魔力吸収を試してみることにした。


(大気や大地から吸うのとは、どう違う……?)


意識を集中し、魔石に封じられた力を手繰り寄せる。

瞬間、これまでにないほど「濃い」エネルギーが、掌の皮膚を突き抜けて体内へと流れ込んできた。大気中の魔力が薄く広がる水蒸気だとしたら、魔石の力は高純度の劇薬のような熱量を持っている。


「っ……、これは効率が良すぎるな」


一瞬で枯渇しかけていた魔力が満たされ、全身に活力がみなぎる。だが同時に、魔石の力は野生の魔物の荒々しさを孕んでおり、制御には細心の注意が必要なことも悟った。力を吸い尽くされた魔石は、役目を終えたように灰色に変色し、最後には砂となって指の隙間からこぼれ落ちた。


「贅沢な使い方だが、緊急時にはこれ以上ない燃料になる」


マルクスは残る四つの魔石を、大切に革袋へと収めた。

これだけの魔石があれば、街に行けば当面の生活費には困らないだろう。あるいは、さらに強力な魔法具を買い揃える資金にもなる。


重い両手剣を担ぎ直し、返り血を拭ったマルクスは、再び森の出口を目指して歩き始めた。手の中に残るかすかな熱量と、革袋から聞こえる硬質な音。それは、彼がもはや「弱者」ではないことを証明する、確かな対価だった。




森の中の隠れ家に落ち着いたマルクスは、狂気とも取れる凄まじい執念で修行を続けていた。彼が挑んでいたのは、自らの魔力回路を強引に拡張する禁忌に近い手法――「魔力の完全枯渇と、魔石による急速充填」の反復である。


「……はぁ、はぁ、……まだだ、まだ足りない……!」


マルクスは、空中に向かって全力の魔弾を連射し続けた。一切の加減を捨て、体内の魔力を最後の一滴まで絞り出す。心臓が警鐘を鳴らし、全身の細胞が悲鳴を上げ、目の前が真っ白に染まる。やがて、指先一つ動かせないほどの虚脱感、文字通りの魔力切れが彼を襲う。


意識が遠のき、死の淵を彷徨うような絶望的な渇き。だが、その極限状態こそが彼の狙いだった。


「……今だ」


震える手で革袋からフォレストウルフの魔石を取り出し、手のひらで強く握り締める。そして、枯渇しきった体内に魔石の濃密なエネルギーを力ずくで引き込んだ。


「ぐっ、あああああぁぁッ!!」


凄まじい衝撃がマルクスの内側を駆け抜けた。干上がった大地に濁流が流れ込むように、魔石の荒々しい力が、空っぽになった魔力の「器」へと無理やり流し込まれる。枯渇によって極限まで拡張しようとしていた魔力回路が、強引に流れ込むエネルギーによって内側から押し広げられ、焼き切れるような激痛が走る。


だが、マルクスは歯を食いしばり、その奔流をねじ伏せた。吸収された魔力が全身の隅々まで行き渡り、無理やり回路を再構築していく。


これを、彼は幾度となく繰り返した。

使い果たし、限界まで器を広げ、魔石でそれを満たす。


一回、十回、五十回……。

回数を重ねるごとに、マルクスの変化は顕著になっていった。当初は魔石一つを吸収するだけで精一杯だった器が、今では複数の魔石を同時に受け入れても平然としている。血管を流れる魔力の密度は増し、常人とは比較にならないほど濃密なオーラが、何もしなくても肌の表面から揺らめき立つようになった。


その結果は、まさに爆発的な魔力量の増大となって現れた。


「……これが、今の俺の力か」


マルクスが軽く指先を鳴らすだけで、周囲の大気が震えるほどのプレッシャーが放たれる。以前は全力で放っていた魔弾が、今では呼吸をするのと同じ程度の負担で、しかも数倍の威力をもって放つことが可能になっていた。


170cm、60kgの痩身。その外見こそ変わらないが、内側に秘められたエネルギーは、もはや大型の魔物数体分に匹敵するほどに膨れ上がっている。


「強くない」と自嘲していた青年の面影は、そこにはなかった。魔石を燃料とし、自らを鍛造し直したマルクスの瞳には、底知れない魔力の深淵が宿っている。


「……これだけの量があれば、あの魔法も……」


彼は静かに立ち上がると、空になった魔石の殻を握り潰した。無限とも思える魔力の充足感を感じながら、マルクスはさらなる高み、魔法の真理へと手を伸ばし始めていた。




森のさらに深部。空気が湿り気を帯び、巨大なシダ植物が道を塞ぐエリアへと差し掛かった時、地響きと共にその巨躯は現れた。フォレストボアが5体。鋭い突進角を持ち、全身を硬質の泥と苔で塗り固めたその魔獣は、フォレストウルフとは比較にならない質量と突進力を誇る。


「……っ、一度に5体かよ。やるしかない……!」


マルクスは、爆発的に増大した魔力を全身に巡らせる。170cmの体躯からは、周囲の空気を震わせるほどのプレッシャーが放たれていた。


ブモォォッ!という咆哮と共に、5体のボアが土煙を上げて一斉に突進してくる。その圧力はさながら動く城壁だ。マルクスは魔力を体に纏い防御量を底上げした状態で、正面から迎え撃つ。


「ただの衝撃波じゃ、その厚い皮と泥の鎧は貫きにくいか……なら!」


マルクスは、修行で培った魔力操作の極致を試みる。周囲の湿った空気、そして大地の底を流れる水脈から魔力を通じて水分を強制的に引き寄せた。爆発的な魔力量が可能にする、環境への直接干渉。


(形を変えろ。より鋭く、より重く。水は、あらゆる隙間を穿つ刃となるんだ……!)


彼の掌の前で、集められた水分が超高圧で圧縮され、高速回転を始める。それは単なる水滴ではない。魔力によって極限まで密度を高められた、破壊の奔流。


「ウォーターバレット!」


放たれたのは、青白く輝く一条の閃光。水魔法に覚醒したマルクスが放つその一撃は、先頭のボアの眉間を正確に撃ち抜いた。硬質な泥の鎧など紙細工も同然。水弾はボアの巨体を貫通し、背後の大木までもなぎ倒した。


「ギブモッ!?」


一体が沈む間に、残る四体が四方から牙を剥く。マルクスは一歩も引かない。両手剣を抜き放ち、剣に魔力を纏わせることで、刀身に渦巻く水の刃を形成した。


「当たるかよ!」


突進を横に跳んで回避しながら、すれ違いざまにウォーターバレットを連射する。指先から放たれる高圧の水弾は、ボアの強靭な皮膚を容易く切り裂き、その内部組織を破壊していく。


二体、三体と、巨獣が次々と物言わぬ肉塊へと変わっていく。

最後の一体が、死に物狂いで角を突き出してきたが、マルクスはそれを左手で受け止めた。魔力の衣が火花を散らし、ボアの突進を完全に静止させる。


「……これで、終わりだ!」


至近距離から放たれた最大出力のウォーターバレット。それはボアの頭部を木端微塵に粉砕し、絶命させた。


静寂が戻った森の中で、マルクスは静かに手を下ろした。

5体のフォレストボアを、彼は死力を尽くしながらも、圧倒的な手応えを持って倒した。


「水か……。少しはマシな戦い方ができるようになってきたかな」


手の中に残る、冷たくも力強い水の魔力の残滓。

魔石による強引な拡張を経て、彼はついに属性魔法の領域へと足を踏み入れた。ただの無力な青年だった面影は薄れ、そこには世界の理を掴もうとする一人の魔法戦士の姿があった。

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