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エッセイ「おせいさんのだんなさんのいもうと」

 平坦な日常を送っているつもりでも、奇妙な出来事に遭遇しがちな人というのはいるもので以下は夫の話しである。


 夫はその日、帰宅が0時近くなり駅周辺の居酒屋なども店じまいしようとしているところだった。


 別段どこに寄り道するでもなく帰路に着こうと歩き出すと不意に呼び止める人があった。


 振り返ると相当年配の老婦人が夫に向って尋ねた。


「おにいさん、この辺でまだ開いている店ない?」


 夫はやや足元のおぼつかない老婦人を支えるように手を貸し、記憶を巡らせて近くの深夜営業の店のあてを探った。


 そういえばあそこに深夜まで営業している居酒屋があったな。夫は場所を説明して立ち去ることも考えたが、老婦人の様子から店まで付き添って案内することにした。


 老婦人は大層感謝し、道すがら夫に「今晩はちょっと飲みたい気分であったこと」や「住まいは芦屋であること」などを語り、それから、


「おにいさん、田辺聖子って知ってる?」


 と尋ねた。


 夫が知っていると答えると、老婦人は「おにいさん、学あるなあ」と感心し、驚くべきことを述べた。


「私なあ、田辺聖子(注1)の旦那さんの妹やねん」

(注1:田辺聖子1928ー2019没。女流作家。NHK朝ドラ「芋たこなんきん」の主人公モデル。「ジョゼと虎と魚たち」の作者。大阪出身)


 夫はぎょっとした。田辺聖子といえば大阪弁で書く恋愛小説やユーモラスなエッセイ、源氏物語の現代語訳まで書かれた大作家。朝ドラのモデルにまでなった人である。その田辺先生の旦那さんの妹?


 夫はこの時ひどく困惑したと後に語った。


 本人を語るならそれは嘘だと分かるし、酔っぱらいの戯言とやり過ごすところだが、身なりも別段あやしいわけではないごく普通の老婦人がわざわざ「旦那さんの妹」などと微妙に真実味というか、信じられそうなことを言うのがまた一層に返答に困らせた。


 夫は居酒屋まで老婦人を送り届けると「おにいさん、一杯奢るからよかったら一緒に飲まへん?」と誘われたが、丁重にお断りし帰宅した。


 果たして、その老婦人が本当に「おせいさんのだんなさんのいもうと」だったかというと、真相は無論知る由もない。


 しかし、その日が実は田辺先生がお亡くなりになってちょうど一年ぐらいにあたり、そうすると老婦人が「飲みたい気分」であったと言うのも何となく辻褄があうような、せつないような気持ちがする。


 帰宅後、興奮して事の顛末を話す夫に私は言った。


「なんで一杯付き合ってあげんかったん?」


 もしもあの時老婦人と一緒にビールの一杯でも飲んでいたら。


 思い出すだに、なんだか惜しいことをしたような気がしている。

文中にある「田辺先生の旦那さんの妹」というのは、「夫の妹」にあたる人で、

NHK朝ドラ「芋たこなんきん」に依れば女医。

田辺先生が晩年は神戸在住であったらしいので(また、神戸市内病院で死去)、「もしや本当に」と思わせる点があった。

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