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短編小説「朔風払葉~きたかぜこのはをはらう~」

 涼風すずかぜの君と仇名されるほど見目麗しい美男子で知られる少将(注1)は、まだ身分こそ高くはないものの出世の約束された生まれであることは間違いなく、その若さも相まって宮仕えの(注2)女御にょうごたちから大層もてているのは誰もが知る事実であった。

(注1:平安時代の官職)

(注2:宮仕えは宮中を意味し、女御は後宮の高位の妃)


 その涼風の君から金蒔絵の文箱に入った一通の文が届いた時、驚きのあまり巴草ともえぐさの|女房(注3)は普段の冷静さを失い、たまたま手にしていた香炉を手から滑らせ、屋敷の渡殿わたどのを灰まみれにしてしまった。が、それも無理からぬことだった。文使いの従者は確かにこう言ったのだ。

(注3:宮中で事務・実務その他を執り行う働く女性の呼称)


「こちらの御方様に」


 こちらの御方おんかた様……というと、今はお一人しかいない。木葉の御方。巴草の女房の主、その人だった。


 家柄も立派で父君も朝廷の要職につき、普通であれば縁談が降るほどあってもおかしくはないのに、我が主にはなまめいた話しなどひとつもありはしなかった。


 木葉の御方は大層かしこく、女だてらに漢詩などにも通じ、父君の所へ出入りする学者とも几帳きちょう越しではあるが論説を交わすほどの秀才ぶりで、帝から女にしておくには惜しいとのお言葉を頂戴したこともあった。


 しかし、天は二物を与えずというのだろうか、木葉の御方が他の女房達から「濡れ落葉の御方」と揶揄されるように、容色に恵まれていないのは否定できなかった。


 従者がお返事を頂いて来るように言いつかったと居座りそうになるのを巴草の女房は身分を笠に着てなんと無礼な……と思い、御方様は姉君を訪ねてお出でございますからと従者を追い出してしまった。


 巴草の女房は事の次第を主に打ち明けると、黙って聞いていた木葉の御方は文箱を開け、墨の濃淡も美しい手積しゅせきに目を通した。


「……で、小将様はなんと……?」


 巴草の女房は恐る恐る尋ねた。すると、木葉の御方は、


「さあ、困ったわ……。どこで垣間見かいまみなどしたものか、次の満月の夜にお訪ねになりたいとあるわ」


 垣間見! それを聞いて巴草の女房は一層慌てたが、困ったと言いつつもその実ときめきと嬉しさの隠しきれない木葉の御方のはにかんだ様子を見逃しはしなかった。


 仮にも年頃の娘のいる家なのだから誰にでも姿を見られて良いはずはなく、日頃から注意していたというのに。しかし、考えようによってはあの涼風の君が通いたいと申しこむなんて、木葉の御方には二度とない機会。


「なんとお返事すれば……」


 木葉の御方がこちらの様子をそっと見やっている。そのいじらしいような女心を巴草の女房は「垣間見た」ような気がして、答えて言った。


「何か気の利いた和歌でも添えて、次の満月には月見の宴などという事にしてはいかがでしょう……」


 ようするに、どうぞ来て下さい、と。


 巴草の女房は木葉の御方の文を文箱に入れ、従者に少将の元へ届けさせた。


 そうとなればさあ大変だ。巴草の女房は衣装調度に至るまで気を配り、失望させぬように―――有体に言えば「正式な妻に」―――と、支度に大わらわとなって立ち働いた。


 いよいよ木葉の御方にも良い話しが巡ってきたのだ。姉君の若葉の女御はその美しさを見初められてすでに今をときめく宮仕みやづかえ。それと比べられるものだから木葉の御方が縁談もなく出仕しゅっしの話しもなく、ただ容姿に恵まれないというだけで物笑いの種になるのがどうにもやりきれなかった。それが今、通ってくれようという人が現れたのだから、巴草の女房が張りきるのも当然だった。


 そうして諸事万端整えた巴草の女房は夜更けに備えて木葉の御方の部屋へと通じる板戸の錠を外し、手引きをすべく息をつめて端近に控えていた。


 すると、庭の落葉をかさかさと踏みながら慌てた様子で駆けつけてきたのは、いつかの文を届けに来た涼風の君の従者だった。


 何事かと巴草の女房が相対すると、従者はあろうことか主人が来られぬと巴草の女房に言い、文を置いて逃げるように去ろうとした。


 巴草の女房はかっとなって切りつけるように「お待ちなさい」と一喝した。

「御方様に恥をかかせるおつもりですか」


「滅相もない。ただ私は巴草の女房様にお渡しするようにと……」


「私に?」


 見ると確かに巴草の女房宛てになっている。


 巴草の女房はそうっと自分の部屋に戻り、灯りを引き寄せて文を開いた。


 文には涼風の君の相変わらず美しい手蹟で「垣間見をした美しい御方に恋焦がれて文を差し上げ、返事を頂き天にも昇る気持ちであったがそれが木葉の御方であると分かり大変に驚いている。自分が垣間見たのは帝の宴席で女房方の部屋の几帳(きちょう)が風に煽られた際に覗いた美しい女君、若葉の女御である。宿下がり(注4)をされたと聞いて文を差し上げたのだが、どうやら行き違いというか、ようは人違いであって、木葉の御方には申し訳ないのだがどうかこの前送った文は破り捨てて欲しいとお伝え頂きたい」という事が綴られていた。

(注4:休暇等、何らかの理由があり実家に帰ること)


 読み進めるうちに巴草の女房は絶望的な気持ちになると共に、激しい怒りが湧きあがってくるのを止めようもなかった。


 ようは、見た目! 顔! 涼風の君は木葉の御方が醜い女と知り、こうも無情にずけずけと断りを申し入れてきたのだ。確かに姉君が美しく、つい先日まで宿下がりしていたのは間違いないが、すでに宮中へ戻りここにはいないのである。それもこれも次々と発覚したことで涼風の君が慌てて言い訳を寄越したのだろう。


 しかし、こんな非情なことがあるだろうか。木葉の御方の聡明さや優しさなど見向きもせず、容姿でのみ女を選別しようというのか。情けない。しかも仕えている女房に後の始末をよろしく頼むとはどういうことだ。


 巴草の女房は文をぐしゃりと握り潰した。


 木葉の御方はどきどきしながら涼風の君を待っている。そこへ行ってなんと説明すればいいのか。


 本当のことなど言えはすまい。巴草の女房は筆をとり、涼風の君の筆になるべく似せて


「急な参内さんだいでお訪ねすることが叶いません。庭の木葉のすべて落ちる頃には……木葉の御方なればこそ、お目にかかりたく云々……」それから手持ちの中からなるべく綺麗な文箱に入れ、少将様から急ぎのお文でございますと木葉の御方へ持って行った。


 夜半、巴草の女房は木葉の御方のすすり泣くのを聞いたような気がして、一層やるせなく、早く女が顔形でのみ選別されない時代が来ますようにと祈るばかりだった。


朔風払葉きたかぜこのはをはらう」は、北風が木の葉を吹き飛ばす様子を表す言葉で、冬の到来を感じさせる七十二候の一つ。

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