18 ユキナとユウト
暴風は、急に止まった。
ノボル、カエデ、メイサは木の葉が地面に舞い落ちるように固い床に到着し、転がった。
「痛たた……」
カエデはざらざらした床に手をついて立ち上がる。
眼下に広がる無数の建物。高いビルの間にたくさんの小さな木造建築。見慣れた日本の風景だった。
「ここは、どこ?」
メイサも立ち上がり、きょろきょろした。
「日本?どこだろう?」
平らに広がる足もとはコンクリートらしい。雨風に打たれて黒く汚れている。どこかのビルの屋上のようだ。
ノボルも殺風景なビルの屋上で困惑している。
薄暗かった空に、太陽が昇ってきてだんだん明るくなってきた。三人は、ビルの上からあたりを見回す。
「あ」
ノボルが頭をぽんと叩いた。
「ユキナのマンションだ」
「なぜ気づかない!」
カエデとメイサは思わず突っ込みを入れた。いつものノボルだ。
「どうやって下におりるの」
三人はウロウロしたが、出入り口は見当たらない。
「困ったなあ、この下の方に部屋があるんだが」
ノボルが屋上の床に手をあてて、下をさぐるようなポーズをとった。すると、ノボルの足元の床がふっと消えたかのように、ノボルは下に落ちて行った。
「ノボル!」
カエデとメイサはノボルの落ちたあたりの床を触る。
すると、硬いコンクリートの床が急にやわらかく感じた。次の瞬間、カエデとメイサの体は床を突き抜け、下に落ちていく。
「わああああ!」
カエデとメイサは床を突き抜け、どんどん下へ落ちていく。
「部屋?」
落ちている途中、カエデは目の前をいくつもの部屋を通り過ぎていることに気が付いた。
「わ!」
カエデは急に強く床に押し付けられた。到着したようだとやっと気づく。
カエデは、重力に逆らうような恰好で重々しく起き上がる。
「ここはどこ」
カエデとメイサは部屋を見回した。飾りはないが、整理整頓されているリビングだ。
「ユキナの部屋だ」
ノボルは懐かしそうに部屋を見回している。メイサはオニオンを床にはなした。オニオンは部屋のあちこちの臭いをかいでいる。
「ユキナさんは、今どうしているの?」
「うーん、仕事に行っているのかな、家にいるのかな」
ノボルは落ち着いてソファに座った。カエデとメイサは他所の家でくつろげない。
ノボルはリビングを出て別の部屋の扉の前に立つ。
「懐かしいなあ」
ノボルが扉を開けた。
扉の向こう側には、寝起き顔の女性が立っていた。
「!!!」
三人は呼吸が止まる。
「ご、ごめんなさい、怪しい者では……」
カエデが慌てる。
「ユ、ユキナ、久しぶりだね」
ノボルも声がうわずって無理やりほほえんでいる。
三人とユキナは、目の前で立ち尽くしている。
ところが、不思議なことが起こった。
ユキナは、まるで三人が見えないかのように、ゆっくりと扉を通り、リビングに入ってきた。大きなあくびをしながら小さなやかんに火をかけた。
カエデたちは凍りついたように入口に立ったまま、ユキナを見ていた。
ユキナは寝起きでも聡明そうな顔つきの女性だと、カエデは思った。
医者で忙しいはずなのに、きれいな肌をしている。髪は起きたばかりで乱れているが、ちょっとした立ち居振る舞いにも、どこか洗練されたものがあった。
メイサが緊張した表情で、二人に手招きをした。そっと三人はリビングから出て、廊下に出る。そのまま、洗面所までいった。
「ちょっと、どういうこと!」
「ユキナさん、ねぼけていて助かったわよ!」
「いやあ、どうしたんだろうな」
「小さい声で!」
「ご、ごめん」
三人は、声をひそめて困惑した。
「ちょっと、見て」
ノボルが大きな声を出す。
「静かに!」
カエデが言いながら、ぎょっとした。
洗面台の鏡に、三人の姿が映っていない。
「どういうこと?」
「待って、落ち着いて。私たち、透明人間の薬って飲んでいたっけ?」
「透明人間の薬なんて、あったっけ?」
「ダイヤは持っているかもしれないけど、僕は見たことがない」
「つまり、僕たちは、この世界では見えない存在なんだってこと?」
メイサが開いたままの扉からリビングを見て驚いた表情をする。カエデとノボルもリビングに視線を送る。
ユキナがコーヒーを入れてゆっくり飲んでいる。その足もとにオニオンがいて、尻尾を振りながらユキナの足に鼻をつけている。
犬の冷たい鼻が足についたら、絶対気づかれる!
カエデは間違いなくそう思った。
だが、オニオンの鼻が足に何度かくっついたはずなのに、ユキナは何もないかのようにコーヒーを楽しんでいる。
「ねえ、触っても気づかれないの?」
メイサもカエデと同じことを考えていたらしい。
「僕たちは、見えないし、触っても気づかれないのかもしれないね」
カエデは思い切って、リビングに入り、あえてユキナの目の前の椅子に座ってみた。
やはり、ユキナは気づいていない様子。
「ユキナさん」
カエデはユキナに話しかけた。
ユキナは聞こえてない様子。
「やっぱり、僕たちは姿も声も、気づかれないんだよ!」
カエデは大きな声でメイサとノボルに言った。何も反応をしめさないユキナの様子を確認してから、ノボルとメイサがリビングに入ってきた。
「ねえ、私たち、今、おばけになってるの?」
「おばけか!いいねえ!」
ノボルがおもしろそうに笑った。
三人は、ユキナについてみることにした。
ユキナは職場の病院に出勤する。
にこやかな表情でたくさんの患者を診察し、きりりとした表情でカンファレンスをいくつもこなした。昼食を食べる時間も惜しんで仕事にまい進し、あっと言う間に夜になる。
「ユキナはよくがんばっているなあ……。知らなかったよ……」
ノボルは涙をぬぐった。
ユキナが遅い時間に病院を出るとスマホが鳴った。
「もしもし、……わかった」
ユキナは家の近くのレストランに向かった。慣れた様子で店内に入り、店内を見回した。誰かを見つけたように一つの席に向かった。
席には男性が座っていた。
「父さんの容態がよくないらしいんだ」
男性が暗い表情で言った。
「……こんなに早くに父さんが悪くなることなんて、考えてもいなかったわ」
ユキナが苦しそうに額に両手をあてた。
「こちらが息子のユウト」
ユウトの隣に座って、うれしそうにノボルがカエデとメイサに紹介した。
「ノボル、ちょっとこれ、おかしいでしょ」
レストランの広めの席に座っているユキナとユウトをはさむように、カエデ、メイサ、ノボル、そしてオニオンが座っている。五人と一匹が座っても余裕の座席だ。
「これが見えないことの醍醐味」
ノボルはとてもうれしそう。
「久しぶりのお嬢さんと息子さんだものね、いいんじゃない」
カエデはおかしくて笑った。楽しそうな三人と違って、ユキナとユウトは深刻な表情で向かい合っている。
「約束どおり、相続放棄をしてくれたら、全部おれがやるから」
「そんなこと、認められない」
「姉さんが認めなくても、法律が認めているんだ。姉さんは他人なんだ」
「言わないで!」
ユキナは両手を額にあてて突っ伏した。
「ね、そうすればなにもかも納得がいくんだ。父さんが姉さんばかりかわいがっていたのとか、姉さんだけ成績がいいとか」
「そんなこと、あるわけないでしょ!」
突っ伏したまま、ユキナが声を荒げる。
「決まっているんだ……」
ユウトの声も震えていた。
カエデたち三人は、ユキナたちから離れた。ノボルの顔が青い。
広い公園にやってくると、オニオンが楽しそうに走り回っている。
「ねえ、ユキナさんとユウトさんは、何を話していたの」
「相続放棄?」
「なんでそんなことになるの?まだノボルは生きているじゃない」
ノボルは苦しそうに黙っていた。
オニオンがうれしそうにノボル、カエデ、メイサに飛びついてくる。カエデとメイサがオニオンの背中をなでてやっても、ノボルの表情は硬いままだ。
「ノボル、大丈夫?」
「苦しかったら僕たちが調べるから、まかせてよ」
「ありがとう、うれしいよ……」
ノボルの顔は青白い。
「ノボル、話してよ。お願い」
メイサがノボルに言う。ノボルはごしごしと顔を両手でぬぐった。
「当然だ、話そう」
ノボルは大きく深呼吸した。




