17 ノボルの不安
今日の牧場はよく晴れている。涼しい風も吹いていて、牧草を採るのにちょうどよかった。
ノボルが刈った牧草をヨシとラクが運んでいき、カエデとメイサが干していた。
向こうの丘では黒い点々に見える牛たちが優雅に放牧を楽しんでいる。
「メイサ、もうこれで終わりだって!」
「カエデ、もうこれで終わりだって!」
ヨシとラクが走ってきた。
「わかった。よくがんばったね、休憩しよう」
ヨシとラクは元気に走って行った。
「ノボル、子ヤギが産まれたから、エサをやってもいい?」
「さあ、どうかなあ、まだママヤギのミルクを飲んでいるのかもよ」
「聞いてくる!」
ヨシとラクはヤギの世話をしている人のところに走っていった。
「元気だねえ、子どもは」
「何言ってるの、カエデ。まだ若いのに」
「この体でも今日の疲れはたっぷりたまるね」
カエデとメイサが笑っていると、ヨシとラクが帰ってきた。
「やってもいいって!」
「そうか、もうそんなに大きくなったんだね。じゃあ、このせんべいをやるといいよ」
ノボルが棚からせんべいを取りだした。
「もうこれで、最後の一袋だな。仲良くやるんだよ」
「わかった!」
ヨシとラクが一斉に手を伸ばす。
「おれが、やる!」
「おれ、おれ!」
「こら、こら、仲良く」
ヨシとラクは相手の背中のシャツを引っ張って、前にいけないようにしあっている。
「しょうがないなあ」
ノボルはせんべいの袋をあけ、二人に同じ数だけせんべいを渡した。ヨシとラクは、やっと納得したような顔をして、ヤギ小屋に走って行った。
「ははは、いいねえ、子どもは。私の子どもも、小さいときはあんなだったな」
そう言ったノボルの表情は暗くなった。
「ノボル?」
カエデが声をかけると、ノボルは額を手のひらで覆った。
「ノボル、大丈夫?座りましょう」
近くの椅子にノボルを座らせた。
「ああ、ごめん、つい、子どものことを思い出してしまったよ」
ノボルは、ふう、と重いため息をついた。ポケットをさぐり、小さな瓶を取りだし、中の液をクッと飲んだ。
「それは?」
カエデが聞くと、ノボルはうなずいた。
「ショウジキニン」
カエデとメイサは「え、」と目を合わせた。ショウジキニンを飲んで、伝えたいことって、なんだ。
「実はね、私にはユキナという娘と、ユウトという息子がいる。ユキナは医師をしている。ユウトは保育士をしていて、子どももいるんだ。ユキナとユウトは、ずっと仲の良いきょうだいだった」
カエデとメイサはただ、うなずくだけ。
ノボルはふう、と息を吐き出すと、再び話はじめた。
「ユウトが結婚したくらいから、ユキナとユウトは急に仲が悪くなってね。なぜ、けんかをしているのか、わからないんだ。
私はそれが気がかりでね。私は年寄だから、いつ死んでもいいのだが、あの子たちの仲が治ってくれないなら気になってしょうがない」
「そうですね」
「ユキナとユウトに、もう一度会いたい。どうしてけんかしているのか、どうやったら仲直りしてくれるのか」
ノボルは苦しそうに顔をゆがめた。
カエデは胸が痛んだ。
「ダイヤに相談してきます!僕にまかせてください!」
カエデはダイヤに、ノボルと子どもを会わせてあげたいと伝えた。ダイヤは目をキラキラさせた。
「おもしろそう!でも、現世とつながるってことでしょ?」
「そうです……」
「ノボルはそれでいい、って言ってるの?」
「いえ、そういう話はしていません」
「そう。じゃ、ノボルを呼んできて」
カエデはノボルを呼んだ。ノボルはダイヤと長い間話しをしていた。
やっとダイヤの部屋から出てきたノボルは、疲れ切った表情をしていた。
「大丈夫ですか、疲れているみたいですよ」
ノボルは力なくうなずいた。
「キングと会った」
カエデとメイサは一瞬、ぽかんとした。
「……ええ!」
「キングと?本当にいるんだ」
「キングは私に言ったよ。現世に行って、生きるか死ぬか、決めてきなさい、と」
カエデとメイサは再びぽかん、とする。
「どういうことですか」
「うん、私も理解できたとは言い難い。でも、そう言われたんだ」
「……了解。とにかく、現世に行くんだね。僕も行くよ」
「私も。いいんでしょ?」
「……行ってくれるの?力強いよ、ありがとう」
「さっそく、いろんな薬を持って行こう。犬もつれていこう」
「みなさん、ありがとう。そこまでしてもいいのかな?」
ノボルが不安そうに首をかしげる。
「すきま区なんだから、なんでもありでしょ」
メイサは疑わない。
「でも、現世に行くんでしょ?」
カエデも不安になった。
「じゃあ、聞きに行けばいいじゃない」
メイサがダイヤの所へ行こうとした。
「いいわよ、おもしろそうだから」
いつの間にか、ダイヤとスペードが来ていて、にこにこしながら答えた。
「よし、じゃあ、出発の用意だ!」
あっというまに準備が整うと、ダイヤとスペードが言った。
「では、行きましょう」
三人と小さいビーグルのオニオンは、いつもの公園のような診察室へ通された。
見慣れた森に囲まれた診察室の壁にスペードが手を伸ばした。
スペードは、いつのまにかカーテンを持っていて、それを引き上げた。
この部屋の壁のどこかが、カーテンになっているんだな。いつ見ても、壁か、カーテンか、森なのか、わからない不思議な部屋だ。
カエデはあらためて部屋の周りを見回した。どうみても、違いはわからなかった。
カーテンの向こう側に鉄の門が現れた。ダイヤが手を動かすと、手を触れることなく門を開けた。門は音もなく開き、向こう側は真っ暗だ。
不気味な冷たい風がすう、と吹いてきたような気がした。
「行きましょう」
ダイヤが先頭に立ち、門を通ると、パッと門の中が明るくなった。
門の中は、石壁の廊下になっていた。向こう側は見えないほど長い。
「すごい」
「なんだか怖いな」
ノボルは緊張して立ち尽くしている。唇がわずかに震えている。
「大丈夫?」
メイサがノボルに手を差し出した。ノボルは一度、ぶるっと体を震わせた。
「ありがとう、大丈夫。行こう」
ダイヤとスペードに続いて、三人と一匹は恐る恐る門をくぐった。
まっすぐ行ったり、曲がったり、くねくね蛇行しながら進んでいく。
やがて、不気味に低くうなるような音が聞こえてきて、水のにおいがした。
何だろう、と思いながら進んでいくと、滝が行く手をふさいでいた。
ダイヤが両手を差し出すと、落ちてくる水がだんだん少なくなっていった。
やがて、水は完全に止まり、滝の裏側が見えた。滝の裏側には新たな青銅の門が現れた。
ダイヤは迷いなく進む。ダイヤが手をあげると青銅の門も音もなく開いた。やはり、門の向こう側は真っ暗だ。
「ここから先は、あなたたちだけが行けます」
ダイヤがにっこり笑った。三人は緊張の面持ちでお互いの顔を見合わせる。
「行こう」
ノボルが先頭に立った。カエデとメイサもあとに続いた。
オニオンはメイサが抱いている。ノボルが門をくぐると、門の向こう側が明るくなった。奥まで廊下が続いている。
「行ってきます」
カエデがダイヤに言うために後ろを振り向くと、門が音もなくしまっていくところだった。
「閉まっちゃった」
「行こう」
三人は歩き出した。緊張のため、三人は無言だ。靴の音だけが石のトンネルに響いて不気味さが増した。
長い廊下を歩いていると急に、足もとの床がなくなった。
一瞬、無重力となったかと思うと、速度を上げてぐんぐん落ちていく。
三人は悲鳴をあげながら落ちていく。穴は深く、いつまでも底に到着しない。
「どうなっているの!いつまで落ちるの!」
メイサが叫ぶ。
「待って、落ちていない、登っているよ!」
カエデが叫んだ。落ちているはずなのに、空気に吸い上げられているようだ。強い力で背中を押されている。
「本当だ、どうなっているんだ」
ノボルも風を切って登っている。
三人は、すごい勢いで風に吸い込まれている。
上下左右、どこをどうやって進んでいるのか全くわからない。ただ、三人はまとまって風にほんろうされていた。




