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「ここは……どこ?」
闇の中を、ただただ落ちていく感覚。
重力のようなものがない世界。
風も音も、何一つ感じられない。
けれど、確かに“意識”だけが存在していた。
肉体という枷を離れた“思念”が、どこか別の場所へと導かれている。
次の瞬間。
——目の前に、光の粒があらわれた。
ひとつ、またひとつと光が増えていく。やがて渦を巻くように光が集まり、一本の線になっていく。
やがてその線は交差し、いくつもの分岐を見せはじめた。
それは、“人生の選択”だった。
あの時、言い返していれば。
あの時、手紙を届けていれば。
あの時、婚約を断っていれば——。
エレノアの人生における分岐点は数え切れないほど存在し、それぞれに異なる未来が広がっている。
しかし、そのどれもが、それぞれの悲劇に辿り着いていた。
毒。裏切り。孤独死。忘却。
どの道を選んでも、“あの未来”を避けられなかったというのか?
——違う。
ひとつだけ。
ほんの一筋の、かすかな光が差し込む分岐があった。
それは、十五歳のエレノアが、初めて“自分の意志”である選択をしようとした時。
皇后陛下から婚約を命じられたとき——心の奥で“おかしい”と感じた、あの瞬間。
あのとき、ほんのわずかでも抗う力があれば……相手を見極めることができていれば……。
あの瞬間こそが、すべての始まりだったのだ。
(あのときからやり直せるなら……)
エレノアの記憶が、焦点を結ぶ。
まるで望みを汲んだように、世界が“巻き戻り”はじめた。
時を遡るように景色が変わり、意識が体へと戻る。
その感覚はまるで、夢の中に沈んでいた意識が、現実の自分に吸い込まれていくようだった。
光と闇の渦が一瞬混ざり合う。
——次の瞬間、エレノアは“目覚めた”。
* * *
「……はっ……」
激しい息づかいとともに、身体が跳ね起きる。
肌に触れるリネンの感触、閉め切られた空気の重さ。
そして窓から差し込む、やわらかな朝日。
「ここは……?」
喉はからからで、心臓が凄まじい速さで打っている。
じんわりとした冷たい汗を全身に感じた。
吐き気がこみ上げ、手足は震えていた。
何が起きたのか理解できず、視線をさまよわせる。
目に映るのは、見慣れた景色。
天蓋つきの寝台と、厚手の絹のカーテン。
重厚な木製の化粧台に、大きな鏡もある。
その鏡に、ふと目を向ける。
「……っ!」
そこには、幼いエレノアの姿があった。
「……信じられないっ!」
肌はツヤツヤ、頬もふっくらしていて、瞳の奥にはまだ、すべてを知らない少女の光が宿っている。
それは、たしかに“今の”エレノアだった。
時間が——。
「……夢じゃない。私は、本当に……」
エレノアは小さく息を呑んだ。
あの地獄のような最期は、たしかに現実だった。
ジノの言葉も、毒の苦しみも、忘却の恐怖も。
全部、幻ではなかった。
けれど。
だからこそ、エレノアは胸の奥で確信する。
これは“やり直し”なのだ。
この世界はもう一度、彼女に機会を与えたのだ。
——ならば、もう二度と同じ過ちは繰り返さない。
「本当に戻ってこれるなんて……もうあんな目に遭うのはこりごりよ」
拳をゆっくりと握る。
小さな指先に力がこもり、指の節が白くなる。
「今度こそ、私は負けない……絶対に」
エレノアの決意とともに、新しい人生が幕を開ける。




