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『給食の牛乳を、飲み残すと』

 おれは、小学六年生の平田たくみ。

 ふつうの男子。運動も勉強もそこそこ、給食はだいたい好きだけど、牛乳だけはニガテ。


 でも、うちの学校では、牛乳をぜったいに残しちゃいけないルールがある。

 飲めなかったら、せんせいに言って、友だちと“交換”しなきゃいけない。


 それがいやで、いつもむりやり飲みほしてた。


 


 でも、先月くらいから、へんなウワサが流れてた。


 「ねぇ、知ってる? 牛乳のびのびすると、取り替えにくるんだよ」


 「え、それって交換ってこと?」


 「ちがうちがう。ちゃんと“飲み終わった”ってことにされちゃうの。自分が飲んでないのに!」


 「……だれが?」


 「“配膳係の女の子”。でも、名簿にいないらしいよ?」


 


 最初にそれを言ってたのは、隣のクラスの宮内ってやつだった。

 おもしろ半分で話してる感じだったけど、なんか知ってる人の話みたいだった。


 「ほんとに、飲んだことになってるんだよ。自分が飲んでないのにさ。

 気づいたら、空になってるの。ちゃんと、あと味だけは残ってるんだって。すっごく、すっぱい味」


 「牛乳って、すっぱいときって腐ってるじゃん」


 「ちがうよ、そういうんじゃなくて、すっぱいレモンヨーグルト味みたいな、でも口に残るときはなんか変な味なんだって」


 正直、こわくはなかったけど、気持ち悪かった。

 でも、その話を聞いてから、給食の牛乳が飲みづらくなったのはたしかだ。


 


 ある日のこと。

 その日は、カレーライスとフルーツポンチ、そしていつもの牛乳だった。

 クラスの男子はみんな「やったー!」ってさわいでたけど、おれは牛乳を見て、ちょっとだけため息が出た。


 そのときだった。


 「たくみくん、これ、飲める?」


 斜め前の席に座ってた女の子が、そっと牛乳を差し出してきた。

 だれだっけ……名前、思い出せない。でも、見たことある気がした。髪はボブで、白いエプロンをつけてた。


 配膳係だっけ? いや、きょうの当番は別の子のはず。

 でも、自然すぎて、だれも気にしてなかった。


 「いいよ」と言って、うけとった。


 でもそのとき――ふれた指が、ひやっとしてた。


 氷みたいに冷たくて、でもぬるかった。

 なんとも言えないさわり心地。


 女の子はニコッと笑って、牛乳のほうを指さした。


 「飲み残しちゃ、ダメだよ。……きらわれるから」


 その言葉が、すごく自然だったのに、ぞっとした。

 おれはうなずいて、いつもより早く全部飲んだ。あと味が、やけにあまずっぱかった。


 


 次の日、宮内が学校を休んだ。


 理由は聞いてないけど、保健室に呼ばれて、それきりだった。

 席のまわりには、なぜか牛乳の空きビンが3つ置いてあった。だれが置いたのかも、なんでなのかも、だれも知らなかった。


 


 おれは給食の時間が、すこしこわくなった。


 また、あの女の子が来るかもしれないって思って。


 でも、それよりもっとこわいのは――

 あのとき、ほんとうに牛乳を飲んだのが“おれ”だったのかどうか、わからないことだった。


 宮内くんが学校に来なくなったあとも、だれもくわしいことは教えてくれなかった。

 先生たちは「風邪だよ」と言ってたけど、それにしては長かった。

 一週間たっても、彼の机には連絡プリントの束と、配られたままの宿題が残っていた。


 そして、その机の上に――毎朝、空の牛乳ビンが置かれていた。


 毎日、1本ずつ。

 気づいた子は「いたずらだよ」と言ってたけど、給食係の子たちは「自分たちは置いてない」と言っていた。

 そのことがだんだん教室中に広まっていって、だれも牛乳を残さなくなった。


 あの女の子を見た子が、ほかにも出てきた。


 


 「昨日さ、配膳係の子、ふたりいなかった?」

 「え、いなかったでしょ?」

 「ううん、いたよ。ひとりは高山さんで、もうひとり、知らない子。白いエプロンで……ずっと笑ってた」

 「髪、短かった?」

 「そうそう。目が合ったらさ、“飲みなよ”って言われた気がしたんだよね」


 


 その話を聞いたとき、ぼくの心臓はすごく早くなった。

 だって、ぼくも見たから。あのとき、牛乳を差し出してきた、あの子。


 


 そしてある日、クラスの女子のひとりが、給食中に泣きだした。


 何があったのか、最初は誰もわからなかった。

 でも、あとから聞いた話では――


 「牛乳、確かに半分残ってたのに、飲もうとしたら空っぽになってたの」

 「見たら、底に小さな舌のあとがついてたって」


 舌のあと。

 信じられないような話だけど、その子は泣きながらずっと言っていた。

 「飲んでない、のに、なくなってたの。なくなって、でも、口のなかだけ変な味がしてたの」と。


 


 その日の放課後。

 ぼくは、給食当番の当番表を見た。


 そこには当然、例の女の子の名前はなかった。

 でも、給食室の掲示板のすみに、こんな紙が貼ってあった。


 


 『飲み残しゼロ活動:見守り係 あかりちゃん』


 


 クラスに“あかり”って名前の子は、いない。

 他のクラスにもいない。ぼくは家に帰ってから、黒津東小の全校一覧表をネットで調べた。

 でも、“あかり”のつく生徒はひとりも登録されていなかった。


 


 夜。妹(小学2年)が、ぼくにこんなことを言ってきた。


 「ねえ、たくちゃん。“あかりちゃん”って、なに?」


 「なんで?」


 「給食の時間に、あかりちゃんが飲んでくれたんだよ、わたしの牛乳。

 飲めなかったのに、なくなってて、すごいねーって」


 妹はまったく怖がってなかった。

 “あかりちゃん”が、“そういう子”としてふつうにそこにいた、みたいに話してた。


 


 ぼくは、だんだんわかってきた。

 この学校には、ずっと昔から、飲み残しを“取り替える”子がいる。


 そして、その子が本当に取り替えてるのは――牛乳じゃなくて、“飲んだ”という記憶のほう。


 


 だって最近、思い出せないことが増えてきた。


 昨日の給食のメニュー。

 一昨日の席替え。

 そして――宮内くんの顔。


 毎日見てたのに、思い出そうとすると、なぜか“口のまわり”しか思い浮かばない。

 白くて、すこしぬるっとしてて、冷たい感じ。


 


 ぼくは自分の机の下に、小さな紙が落ちているのに気づいた。


 拾ってみると、そこには鉛筆でこう書かれていた。


 


 『とりかえ、かんりょう』


 


 ぼくは紙をポケットにしまった。

 でも、それを見てから、牛乳のあと味がずっと消えなかった。

 口のなかに、ずっと残ってる。


 のどの奥が、すこしだけ甘酸っぱい。

 それが、自分の記憶なのか、ほかの誰かの記憶なのかも、もうわからない。


 次の週の月曜日、クラスの朝の会で「高山さんが転校しました」と先生が言った。

 高山さんは、給食当番をよくやっていた女の子だった。

 少し無口だけど、まじめな子で、友達も多かった。


 でもその瞬間、ぼくは思った。


 (高山さんって、どんな顔だったっけ)


 席はまだそのままだった。机の上には連絡帳が置いてあって、椅子も引かれたまま。

 なのに、誰もその場所に違和感を覚えていないようだった。


 代わりに、隣の席の男子が言った。


 「ねぇ、知ってる? 高山さんってさ……もともといなかったんだって」


 「え?」


 「だって、当番表に名前がないし、写真にも写ってないよ?」


 


 給食の時間が、いよいよこわくなった。


 それでも、牛乳は配られる。白いビン、ぬるい液体。飲まないと、「かわりに飲まれる」。

 だから、みんなちゃんと飲む。飲んでるはず。


 けれどその日、ぼくは気づいてしまった。


 


 “クラスの人数が、1人多い”。


 


 おかしい。朝の出席で名前を呼ばれたのは30人。

 でも、牛乳のビンは31本あった。

 当番が数え間違えたんじゃない。だって、それは毎日続いていたから。


 しかも、その“余分な1本”を持っていく子が、毎日違う。

 自分の席じゃない、空席の場所へ。誰に言われたわけでもなく、自然に。


 


 そして翌日。

 “宮内くん”が転校したと、また先生が言った。


 えっ、とクラスにざわめきが起きた。

 でも、「誰それ?」という声も混じっていた。


 ぼくの記憶には、ちゃんと宮内くんがいる。けれど、声も顔も、今はもううまく思い出せない。


 


 夜。ぼくはランドセルのポケットに入っていたメモを見つけた。


 それは、前に見た紙と同じ字で、こう書かれていた。


 『つぎは、たくみくんのばん』


 いやな汗が背中を伝った。

 紙の端には、白く小さな指のあとが残っていた。なぞるような、消すような、奇妙な跡。


 


 その晩、夢を見た。


 給食の時間。

 教室の中でみんなが牛乳を飲んでる。けれど、だれも口を動かしてない。顔もない。

 なのに、ビンのなかの牛乳だけが減っていく。


 ぼくだけが立ちつくしてると、うしろから声がした。


 


 「ねぇ、知ってる?」


 


 あの声。忘れられない声。


 振り向くと、白いエプロンの“あの子”が立っていた。

 笑っていた。口はあるのに、声が出ていない。だけど、確かに言葉が聞こえる。


 「飲み残しって、もったいないでしょ?

 だから、かわりに飲んであげるの。記憶も、気持ちも、少しずつ」


 そのとき、ぼくは気づいた。


 ――もう、自分が“なにを飲んできたのか”が、わからない。


 誰かの記憶を、自分のものとして持っている気がする。

 逆に、自分のはずの記憶が、どこかへ流れてしまった気もする。


 


 朝、目を覚ましたとき、枕元に空の牛乳ビンが置かれていた。


 ぬるい。ふたは開いてる。においは、ほとんどなかった。


 でも、それを見て、ぼくは涙が止まらなかった。


  次の日、ぼくは学校を休んだ。

 体調は悪くなかった。熱も咳もない。ただ、行くのがこわかった。


 理由は、自分でもうまく説明できない。

 教室のにおいとか、廊下の足音とか、給食の時間になるチャイムとか――全部が、ぜんぶ、“知らない記憶”みたいに思えた。


 


 午後になって、家のチャイムが鳴った。

 インターホンの画面には、近所の子が写っていた。


 「先生がくれって言ってたよ」


 そう言って渡されたのは、学校で配られた学年通信と、プリントの束。

 それと――給食の献立表。


 それを見た瞬間、ぼくの目が止まった。


 昨日のメニューに、牛乳がなかった。


 確かにあったはずなのに。飲んだはずなのに。夢のなかでも見たのに。

 なのに、書かれていない。クラスメイトの記憶から、記録から、完全に消えていた。


 


 ぼくはふと、自分のランドセルを開けた。

 昨日使った給食袋の中に、牛乳のビンがまだ入っていた。


 ぬるくて、すこし湿っていて、でもにおいはほとんどない。

 それでも、なぜか――ひとの体温みたいなぬくもりを感じた。


 


 その夜、妹がぼくにこう言った。


 「ねぇ、たくちゃん。“あかりちゃん”って、どこにすんでるの?」


 「え?」


 「きょう、給食のときにね、“あかりちゃん”が、今はもういそがしいからって言ってた。

 でも、また来るって。つぎは、“おにいちゃんのところ”だって」


 


 ぼくは、もう何も言えなかった。


 妹の瞳は、あの日の“あの子”と同じ光をしていた。


 濁りも恐れもない、ただ、そこにあるだけの目。


 


 次の日、ぼくは学校に行った。


 そして気づいた。

 教室の席が、ひとつ増えていた。


 その席の名前プレートには、見たことのない名前が書かれていた。

 クラスメイトたちは、その名前を呼んで笑っていた。まるで、ずっと前からそこにいた子のように。


 


 給食の時間。


 白いエプロンの子が、黙ってぼくの牛乳を置いていった。


 見たことのある後ろ姿。

 短く切られた黒髪。笑いもしない、泣きもしない背中。


 


 「ねぇ、知ってる?」


 小さく、どこかで、そう声がした気がした。


 


 いま、ぼくはちゃんと飲んでいる。

 にがくて、冷たくて、すこし甘い味。

 のどの奥に、少しだけ、他人の記憶が残っている気がする。


 けれど、それでも、残さず飲みほす。

 だって、残したら、取り替えにくるから。


 

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