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学園編・第七章

目を開けると、最初に見えたのは白い天井だった。薬草と薬の匂いが漂い、体はひどく重い。まるで馬車にはねられた後に何時間も眠っていたかのような感覚だった。


――ここは…?


ゆっくりと頭を動かし、ようやく理解した。……医務室か。きっと、あの一撃で気を失ったんだろう。


体を動かそうとした瞬間、鋭い痛みが全身を駆け巡った。切り傷や打撲の痛みではない。まるで筋肉を限界まで酷使し、その上で無理やり叩きつけられたような感覚。……いや、実際にそうだったのかもしれない。


間違いなく、俺は完全に気を失っていた。


ため息をつき、周囲を見渡す。白いカーテンがいくつも並び、医務室をいくつかの小さな区画に分けていた。静かで落ち着いた空間。


ゆっくりと身を起こそうとするが、肋骨に鋭い痛みが走り、思わず息を呑む。


「チッ……」


動くべきか、このまま諦めるべきか考えていたその時――聞き覚えのある声が響いた。


「……ああ、やっと起きたか。」


顔を向けると、そこにいたのはレインだった。


腕を組み、ベッドの横に座っている。表情は無表情で、微塵の感情も浮かべていない。もちろん、申し訳なさそうな様子など、これっぽっちもない。


――まあ、分かってたけどな。


俺は軽くため息をつき、痛みを堪えながら微笑んだ。


「……悪かったな。」


視線を白い天井へと戻しながら、疲れ切った声で続ける。


「また退屈な試合だっただろ?」


別に皮肉のつもりはない。ただの事実だった。俺は、レインにとってまともな相手ですらない。彼女にとっては、ただの形式的な訓練に過ぎない。始まる前から、結末は決まっている。


レインは沈黙したまま、鋭い目で俺を見つめていた。そして――


「……バカ。」


鼻で息をつきながら、そう呟いた。


その言葉は冷たくもなく、優しくもなかった。ただ、呆れたような響きだった。まるで、「こいつ、何を言ってるんだ?」とでも言いたげに。


「お前、まだ気づいてないのか?」


レインは軽く息を吐き、少し苛立ったような声で言った。


「私は、強い相手を求めてるわけじゃない。お前を鍛えてるんだよ。」


……は?


一瞬、言葉の意味を理解できず、俺は思わず瞬きをした。


「……鍛えてる? いつから?」


レインはまっすぐ俺を見つめた。その表情は、「そんなことも分からないのか?」とでも言いたげで、説明するのが面倒くさいと言わんばかりだった。


「初めて、剣を手放さなかった。」


――あ。


思考が一瞬止まる。離さなかった……? 試合を思い出す。痛み、圧力、一撃ごとの衝撃。けれど、それでも俺は剣を手放さなかった。最後まで――ずっと。


無意識に、指がわずかに動いた。「……そういうことか。」俺がそう呟くと、レインは小さく頷いた。「それが進歩ってこと。」


ああ――なるほどな。俺は深く息を吐いた。疲労が全身に重くのしかかる。「……レイン、俺に嘘はつかなくていい。看護師を呼んでくれ。」


レインは沈黙したまま俺を見つめた。何も言わず、馬鹿にすることもなく、反論もしない。ただ数秒の沈黙の後、彼女は無言で立ち上がり、静かに医務室を後にした。


……今の俺の姿は、彼女には見せたくない。これ以上、惨めな姿を見られたくなかった。俺は天井を見つめ、ゆっくりと深呼吸する。そして――気づけば、笑っていた。


頬を伝う涙の感触。だが、それはもう痛みの涙じゃなかった。俺は――嬉しかった。たまらなく、嬉しかった。痛みに倒れ、疲れ果て、惨めに転がっているというのに。


俺は、何かを成し遂げた。


小さなことかもしれない。他の人にとっては取るに足らないことかもしれない。だが、俺にとっては確かな前進の証だった。


初めて――剣を手放さなかった。


握り方はぎこちなく、姿勢は最悪で、技術なんてものは存在しなかった。それでも、最後まで剣を離さなかった。それはつまり、まだ成長できるということだ。


どれほど小さくても、それは確かに俺自身の進歩だった。


目を閉じ、疲労に身を委ねる。


その時、扉が滑る音がして、俺は目を開けた。


レインが戻ってきていた。その後ろには、白い制服を着た女性――医務室の看護師が、呆れたようなため息をつきながら入ってきた。


「またお前か。」


冷たい口調で言いながら、彼女は足早にベッドへと近づく。


「入院者リストに名前を見つけた瞬間、嫌な予感がしたわよ。……根性を褒めるべきか、それとも、この無謀さを叱るべきかしらね。」


レインは腕を組み、無言のまま俺を見つめていた。


看護師は俺の手首を取り、脈を確認する。そのまま腕を動かしながら、胴のあちこちを慎重に押していった。

――痛い。かなり痛い。


平然を装おうとしたが、肋骨のあたりを押された瞬間、思わず息が詰まる。


「ちっ……骨には異常ないけど、これはしばらく痛むわね。立派な痣になるわよ。」


彼女は指を俺の胸に向けて突きつける。


「このまま無茶な戦い方を続けたら、そのうち痣どころじゃ済まなくなるわよ。分かってるの?」


俺はゆっくりと頷いた。


「……でも……剣は手放さなかった。」


その言葉に、看護師はまるで意味が分からないと言わんばかりの顔をした。


「は? それが何? 気絶寸前まで追い込まれたことでも祝うつもり?」


「……違う。」


それでも……俺は笑うのをやめられなかった。


ずっと黙っていたレインが、視線をそらしながらため息をつく。


「……バカ。」


「はいはい、分かってるよ。」


だが、今回だけは怒っているようには聞こえなかった。


看護師が手をかざすと、指先から淡い青い光がゆっくりと広がる。温かな感覚が体を包み込み、じわじわと筋肉の痛みが和らいでいく。


挿絵(By みてみん)


「回復を早める魔法よ。」


声の調子は淡々としている。まるで、俺みたいな頑固な患者にはもう慣れっこだと言わんばかりだった。


魔法の温かさは心地よかったが、それでも疲労そのものは消えない。


「休みなさい。」看護師は腕を組み、少し険しい顔をする。「明日またここに来るようなことがあったら、許さないわよ?」


「……約束はできないな。」


看護師は舌打ちし、呆れたように眉をひそめた。


「本当に……バカばっかりね。まあ、好きにしなさい。でも次また倒れたら、そんなくだらない理由で私を呼ばないでよね。」


そう言い捨てると、彼女は手早く片付けをして、さっさと部屋を出て行った。


レインは――まだそこにいた。


動かない。何も言わない。ただ、じっと俺を見つめている。


「……何?」


彼女は少し目を細める。「……別に。」


それでも立ち去らない。腕を組み、そのままベッドの横に立ち続ける。


「さっさと寝ろ。」


「なんだよ、お前いつから俺の母親になった?」


「もしあんたが息子だったら、バカすぎてもうぶん殴ってるわよ。」


俺は吹き出した。


「はいはい、分かったよ。寝るよ。」


ゆっくりと目を閉じる。


かすかに、椅子が動く音が聞こえた。


目を開けなくても分かる。レインはまだそこにいる。


待っている。見守っている。


そして――俺は、深い眠りへと落ちていった。

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