学園編・第十三章
階段を下りるたびに、空気が重くなっていく。
乾いた血と腐った肉の臭いが、石壁の冷たさと混ざり合って鼻を刺す。
歩を進めるごとに、この場所が想像以上に広いことを思い知らされる。
通路は長い。異常なほどに長い。
そして――
"最悪なのは"、声だった。
囁き声。
笑い声。
両脇に並ぶ、錆びついた牢屋。
そこにうごめく、"人の影"。
犯罪者。
暗殺者。
盗賊。
……もしくは、それ以上の存在。
俺には分からない。
この場所を知らなかった。
ここに来たのは初めてだ。
だが、包帯の男は何も気にする様子もなく、"慣れた足取り"で歩き続ける。
俺も遅れないように歩を進めながら、牢の中を見回した。
静かな牢もあった。壁にもたれ、虚ろな目で沈黙する者たち。
しかし――
"そうでない牢もあった"。
突然、金属の衝撃音が響く。
「ハハハハハッ!」
丸坊主の男が、顔中に刻まれた傷跡を歪めながら、"醜悪な笑み"で俺を見つめる。
"腐臭を放つ息"が鼻を突いた。
「おいおい、新入りだぜ、新入りだ!見ろよ、見ろよ!坊やが地獄に降りてきたぞ!」
次の瞬間――
ガンッ!!
金属の音。
俺は反射的に首を向ける。
もう一つの牢の中――
"血走った目"をした男が、"異常な力"で鉄格子を握りしめていた。
爪は割れ、乾いた血がこびりついている。
「可愛らしいな……さて、どれくらい持つかな?」
「持たねぇよ……ハハハハッ!!」
さらにもう一人が近づき、鉄格子に顔を押しつけて囁く――
「俺にやらせろ……俺にやらせろ……」
狂っている。
――元からこうだったのか?
それとも、この場所が彼らをこうしたのか?
考えても無駄だ。答えなどない。
包帯の男はまったく動じなかった。
まるで"騒がしい虫"を無視するかのように、彼らを完全に無視する。
"こいつらは何をした?"
殺人か?
強盗か?
誘拐か?
――どんな罪を犯して、この場所に堕ちた?
俺には分からない。
たぶん、これからも分かることはない。
だが、一つだけ確かなことがある。
"こいつらは――俺が探している相手じゃない。"
違う。
俺の目的は、もっと"奥"にいる。
—
通路の突き当たり。
黒く煤けた"巨大な鉄扉"が、壁のようにそびえ立っていた。
紋章も刻印もない。ただ、"厚い鋼鉄の板で強化されている"という事実だけで、この扉が何を意味するのかが分かる。
――囚人たちが静まり返った。
狂人ですら。
笑っていた者たちも、叫んでいた者たちも。
この扉の前では、誰もが口を閉ざした。
"ここには、嘲笑もない。"
"ここには、遊びもない。"
"ここでは――"犯罪者ですら"恐怖する。"
包帯の男が扉の前で立ち止まる。
ゆっくりと取っ手に手をかけたが、すぐには開けなかった。
そして、俺を見つめ――
「準備はいいか?」
「……ああ。」
――ギィィィ……
錆びついた、重い音が響く。
扉が開かれた。
その先の空気は、さらに"重かった"。
中では、"傷跡の男"がすでに待っていた。
その横には、"ガラス瓶"がずらりと並ぶ"鉄製のテーブル"。
中には、"暗い液体"。"粘り気のある液体"。"泡立つ液体"。
――捕らえられた者たちは、顔を上げようともしない。
震えている者もいる。
息をするのもやっとの者もいる。
そして――
傷跡の男が口を開く。
「全部、お前のものだ――アラシ。」
背後で――
"鉄扉が重く閉ざされた音"が、静かに響き渡った。
—
金属音が重く響き渡り、その場の空気をさらに沈める。
この音が意味するものはただ一つ――
彼らの運命は、今ここで確定した。
誰も口を開こうとしない。
誰も言い訳をしようとしない。
分かっているからだ。
今日、この場にいる男たちは――昨日までの処刑人。
だが今夜は――裁かれる側。
俺はゆっくりと歩み寄る。
揺れる松明の灯りが、張り詰めた表情を照らし出した。
虚勢。
それが彼らの顔に浮かんでいたもの。
だが、俺は見抜いていた。
呼吸は乱れ、握りしめた拳は血が滲むほど。
足を震わせている者もいた。
これは勇敢さではない。
自分の結末を悟った者の姿。
俺は一歩前に出る。
そして――静寂を切り裂くように口を開いた。
「上だ。」
短く、鋭く、言い放つ。
「見た。」
誰も動かない。
「死体を。子どもたちを。大人たちを。まだ息をしていた者を――そして、もう息をしていなかった者を。」
その言葉を聞いた瞬間、男の一人が目を閉じた。
……聞きたくない。
そう思ったのかもしれない。
だが、俺は止まらない。
「一人の子どもが俺を奥の扉まで案内した。」
「焼かれた肉の上を歩いてな。」
誰かが生唾を飲み込む音が聞こえた。
「扉を開いた瞬間、焼け焦げた肉の臭いに吐きそうになった。」
俺は一瞬、言葉を切る。
俺が必要とした間ではない。
こいつらが理解するための間だ。
想像させるための間だ。
目を背けさせないための間だ。
そして、続ける。
「そこには死体が山のように転がっていた。」
「骨が露出し、皮膚が裂け、筋肉が焼け爛れた者たちが。」
「もはや人間にすら見えない。そんな死体が。」
「最悪だったのは何だと思う?」
静寂。
俺は待った。
こいつらに答える機会を与えた。
だが――誰も答えなかった。
俺は無感情に笑った。
「――まだ生きていた。」
「息をしていた。動こうとしていた。話そうとしていた。」
捕らえられた男の一人が震える息を吐く。もう一人は椅子の上で身じろぎし、不自然に視線をそらした。
だが、俺は止まらない。まだ終わっていない。
「死んだ子どもたちは、隅に積み重ねられていた。」
「小さな体。四肢を失った者。顔すら残っていない者。」
「そして――そのすぐ隣には……」
俺は、最も怯えている男にゆっくりと顔を近づけた。
「まだ息をしている者がいた。」
それ以上、何も言わなかった。ただ、沈黙のままにした。その空間に浸透させた。彼らの思考の中で腐らせた。
やがて俺は背筋を伸ばし、捕らえられた男たちを見渡した。
「――それで、聞かせてもらおうか。」
「お前たちは、何を考えながらそれをやった?」
沈黙が支配する。
「悲鳴を聞いて、楽しんだのか?」
一人が奥歯を噛み締める。
「気持ちよかったか?」
もう一人が強く目を閉じる。
「後悔しているか?」
誰かが深く息を吸う。そして――何かを呟いた。
聞き取れなかった。……いや、聞くつもりはなかった。
何を言われても、これから起こることは変わらない。
お前たちは、他人の命で遊んだ。今度は――俺がお前たちの命で遊ぶ番だ。
俺はゆっくりと振り返る。
テーブルの上。
ガラス瓶の中に収められた毒と劇薬が、松明の炎を映して不気味に光っていた。
俺は一つの瓶を手に取る。黒く濁った液体がガラスの中で揺れ、ねっとりとした光を放つ。
まずは軽いものから。すぐには死なないもの。恐怖を植え付けるためのもの。
「――始めよう。」
俺の声が静かに、だが確実に部屋を支配した。
誰も命乞いをしない。取引も交渉もない。なぜなら、容赦は存在しない。
俺は最初の男に歩み寄る。痩せこけた体、異様に浮かび上がった血管、恐怖に見開かれた瞳。額には脂汗が滲み、血と汚れが混じった皮膚を滑り落ちる。
俺は顎を掴み、無理やり口を開かせようとした。男は必死に抵抗する。最後の、惨めな意思表示。
だが――俺はさらに力を込めた。
ミシッ――
骨が軋む音がした。
男の口が、抑えきれない嗚咽とともに開かれる。
俺は、黒い液体を数滴――その舌の上に垂らした。そして、手を放し、一歩後退する。
沈黙。
数秒間、何も起こらなかった。
そして――
痙攣が始まった。
指先が小刻みに震え、椅子の木材を爪が叩く。
リズムのない、不規則な音。
皮膚が赤く染まる。血が煮えたぎるように。
「高熱、第一段階。」
俺は呟きながら観察を続けた。
「体温が急上昇し、内臓が必死に冷却しようとする…だが、追いつかない。」
男は低く呻き、頭を前に垂らす。
「肝機能の低下が始まる。」
呼吸が重くなった。
顎から落ちた汗が、床に触れる前に蒸発する。
――体の内側から燃えているようだった。
だが、まだ足りない。まだ痛みが浅い。
俺は次の男へと向き直った。
新たな瓶を手に取る。
今度の液体は――赤い。
粘性のある、重たそうな液体。
毒ではない。
これは「毒」ではなく「毒素」。
殺さない。
――ただ、死にたくなるだけだ。
「お前だ。」
俺が指を向けると、男は椅子の上で後ずさろうとした。
だが、行き場はない。
肩で息をし、眼球が狂ったように動く。出口を探しているのだろう。
――無駄だ。
俺は顎を掴み、無理やり口を開かせ、液体を流し込んだ。
数秒後――
喉がひくつく。
体が弓なりに跳ね上がる。
そして――
血を吐いた。
赤い飛沫が石の床を染める。
目には涙が溜まり、全身が痙攣する。
指の皮膚が裂け始める。
まるで、内側から何かが押し破ろうとしているかのように。
髪の毛が、束ごと抜け落ちる。
根元から剥がれるようにして、地肌が剥き出しになる。
――叫ばない。
叫べない。
「末梢神経系の崩壊。」
俺は冷静に観察を続けた。
「脳が痛みを制御できなくなった結果――全身が、同時に、あらゆる苦痛を感じる。」
男の体が、止まらぬ震えを見せる。
――温かい液体が、太ももを伝い、椅子の下に滴った。
尿。
失禁したのだ。
だが、それすらも意識にない。
なぜなら――
男の口は、叫びの形に開かれていた。
だが、声は出ない。
肉体が、崩壊の苦痛に忙しすぎて。
俺は無言で、次の瓶を手に取る。
今度のは特別なものだ。
――ゆっくりと腐敗させる毒。
――内臓を狙うものではない。
ただの皮膚だ。
「次。」
男は抵抗しようとした。
体を動かそうとする。
だが、縄が手首に食い込み、木製の椅子が軋む。
「…やめ…」
かすれた声が漏れる。
だが俺はすでに彼の方へ身を乗り出していた。
腕に数滴の液体を垂らす。
――反応は即座だった。
皮膚が黒く染まる。
血管が異様に膨れ上がり、闇色に変色する。
そして――
肉が骨から剥がれ落ちた。
まるで、水に濡れた紙のように。
「細胞の再生が抑制されている。」
荒い呼吸が聞こえた。
「組織が自己修復する速度よりも、壊れる方が早い。」
爪が自然に剥がれ落ちる。
乾いた音を立てながら、床に散らばる。
ひとつ。
ふたつ。
みっつ。
すべての爪が。
ひとつ残らず、次々と。
指の皮膚が裂け、赤黒い肉が露わになる。
そして――
絶叫が響き渡った。
石壁に反響し、部屋全体を震わせる。
他の囚人たちが、さらに激しく震え始める。
この叫びが彼らの運命を決定づけた。
――ここから生きては出られない。
誰一人として。
俺は振り向き、次の瓶を手に取ろうとする。
その時――
傷痕の男が口を開いた。
彼の声には、かすかに迷いがあった。
「…何をしてる、アラシ?」
なぜ、とは聞かなかった。
どうしてこうなったのか、とは聞かなかった。
ただ、そう問いかけた。
まるで目の前にいる俺が、知っているアラシではないかのように。
別の誰かを見ているかのように。
指先が瓶の上で止まる。
一瞬だけ、ほんの一秒だけ――胸の奥で何かが揺らいだ。
だが――
何も感じなかった。
俺は振り向かない。
答えもしない。
ただ、無言で瓶を掴む。
瓶の中の毒は漆黒。
粘り気のある液体が、瓶の内側にじわじわと絡みつく。
まるで、意志を持っているかのように。
これはただの毒ではない。
――致死毒だ。
普通の治癒魔法では浄化できない。
基礎魔法でも、中級魔法でも、決して解毒できない毒。
――だからこそ、試す価値がある。
俺は次の囚人へと歩み寄った。
彼の顔には無数の傷跡が残り、治りきっていない古い傷が歪んでいた。
唇がわずかに震えている。
強がろうとしていたのだろう。
だが、もう無理だった。
瞳は他の囚人たちを見つめ、次々と投与される毒の効果に恐怖を映していた。
自分の番が来ることを理解している。
俺は彼の顎をつかみ、無理やり視線を合わせた。
「お前の番だ。」
彼の全身が強張る。
言葉を発することはなかった。
命乞いもしなかった。
それが無意味だと分かっていたからだ。
俺はゆっくりと瓶を傾け、漆黒の液体を口内へ流し込む。
強引に喉を塞ぎ、飲み込ませる。
そして、静かに手を上げ、呟いた。
「クレンズ。」
淡い光が彼の全身を包む。
空気が揺れ、わずかに歪む。
俺は待った。
一秒。
二秒。
三秒。
その瞬間――
血管が漆黒に染まった。
まるで何かが体内を食い荒らしているかのように、血流そのものが黒い毒に侵されていく。
舌が不自然に腫れ上がり、気道を塞ぎかける。
皮膚がひび割れ、首筋と腕全体に深い火傷のような溝が刻まれる。
クレンズは機能した。
だが、完全ではなかった。
毒はまだ体内に残っていた。
浄化されたわけではない。
ただ、進行が遅くなっただけ。
男の痙攣が激しくなり、鼻と耳から鮮血が噴き出した。
喉を詰まらせ、激しく咳き込む。
口を開いた瞬間――
歯が次々と崩れ落ちた。
一本、また一本。
まるで枯れ木から葉が散るように、次々と床に落ちていく。
コトッ
コトッ
乾いた音が石床に響く。
彼は叫ぼうとした。
だが、もう喉が機能していなかった。
頬を涙が伝う。
彼は膝の上に尿を垂れ流した。
しかし、それに気づくことすらできなかった。
彼の意識はすでに、足元に広がる血溜まりに向いていた。
自分自身を見ている。
自分が崩れ落ちていくのを、ただ見つめることしかできなかった。
だが、これは始まりにすぎない。
俺は無言で次の瓶を手に取る。
そして、隣の囚人へと目を向けた。
次の男は若かった。
呼吸が乱れ、胸が激しく上下している。
汗まみれのシャツが体に張り付き、震えていた。
俺が近づくと、椅子ごと逃げようとする。
だが、逃げ道はない。
俺は無色透明で粘り気のある液体を口に流し込んだ。
これまでの毒とは異なり、この毒は肉体を蝕まない。
――存在を蝕む毒だ。
液体が舌に落ちた瞬間、彼の影が微かに揺らいだ。
最初は些細な違和感だった。
だが――
影が、体から剥がれた。
男は困惑しながら瞬きをする。
だが、視線を落とし、自分の影がまるで生きている墨のように地面を這い始めた瞬間――
表情が歪んだ。
「な、なんだこれは…?」
しかし、考える暇などなかった。
影が縮み――そして裂けた。
まるでこの世界そのものから引き剥がされるかのように。
叫び声が部屋中に響き渡る。
彼の体が激しくのけ反る。
これは肉体的な痛みではない。
それ以上の何かだ。
目に見えず、触れることもできない――それでも、常にそこにあったものを失う苦しみ。
腕の皮膚に細かい亀裂が入り、ひび割れていく。
そして――
影が完全に消えた。
男の目が大きく見開かれる。
だが、その瞳は何も映していなかった。
なぜなら、肉体はそこに残っていても――魂はもう、そこにないからだ。
俺は次の囚人へと向き直る。
白く光る液体の入った瓶を手に取った。
囚人の一人が俺の動きを見て、息を呑む。
後ずさる。
気配を消そうとする。
だが、逃げ道はない。
俺は無理やり口をこじ開け、液体を喉へと流し込んだ。
そして――観察する。
最初は、何も起こらなかった。
だが――
指が勝手に動き出した。
筋肉が痙攣し、背骨が弓なりに反る。
まるで、何かが見えない糸で体を操っているかのように。
そして、彼は自分自身を攻撃し始めた。
爪が顔の皮膚を引き裂き、肉片が剥がれる。
指が首筋に食い込み、自らの喉を抉る。
彼の目に宿るのは、純粋な恐怖。
なぜなら――これは自分の意思ではないからだ。
体が勝手に壊れていく。
俺は静かに手をかざし、呟く。
「クレンズ。」
光が男を包み込む。
だが、毒は完全に消えない。
ただ、動きを封じただけだった。
もう体を動かすことはできない。
だが――痛みは残っている。
傷口の痛み。
破れた皮膚の感覚。
すべてを感じながら、動くことすらできない。
生きた屍。
そして――俺はまだ終わっていなかった。
囚人一人ごとに、より強力な毒や劇薬を試すたびに、「クレンズ」の効果は薄れていった。
そして、ついに――
何もできなくなった。
囚人の瞳が虚ろになった。
生気が消えたわけではない。
ただ、人としての何かが剥ぎ取られた。
肉体はまだ生きている。
だが、そこに「誰か」はいなかった。
「……興味深い。」
――これが限界か。
「クレンズ」では、すべてを救うことはできない。
結局のところ――
魔法ですら、覆せないものがある。
俺は次の瓶を握りしめた。
まだ終わりではない。
まだ、感じさせるべき奴ら が残っている。
だから――
俺はまた、新たな瓶を取った。
そして、続けた。
—
最後の瓶が、俺の手の中で微かに震えた。
俺の指が弱っていたからではない。
もう、何も感じなかったからだ。
一人。
また一人。
そして、また一人。
全員、落ちた。
それぞれが、前の者よりも残酷な結末を迎えた。
声すら出せなくなった者。
まだ呼吸しているのに、すでに何も残っていない者。
瞳が抜け殻のように虚ろになり、意識が地獄の奥底へ沈んでいった者。
焦げた肉の臭い、体液、純粋な恐怖が染みついた空気。
石床に滴る血の音だけが、沈黙を破る唯一の響きだった。
そして――
俺は瓶を手放した。
ガラスが床に落ち、粉々に砕けた。
手を滑らせたわけではない。
意図的に、離したのだ。
ゆっくりと体を起こし、己の所業を見つめる。
転がる死体。
影のように歪んだ人の形。
まだ息をしているのに、ここには「存在」していない者たち。
満足感はなかった。
怒りもなかった。
何もなかった。
頭の中を支配していたのは、ただ重苦しく、圧縮されたような虚無感。
息苦しさを覚えるほどに、何かが胸を押し潰していた。
俺は後ずさった。
一歩。
また、一歩。
靴が、床に広がる血を踏む感触を伝えてくる。
誰も何も言わなかった。
俺を見ていた者たちも。
ここに連れてきた者たちも。
まだ生きている囚人たちさえも。
何も――
何も言わなかった。
音すらなかった。
ただ、血に染まった部屋の中に、俺の呼吸だけが響いていた。
ゆっくりと振り返り、扉へ向かう。
かすかに揺れる松明の光が、俺の影を揺らした。
足が重い。
それでも、俺は扉の前に立つ。
扉の取っ手に手をかけた。
金属の冷たさが指先に染み込む。
扉を開ける。
そして――
出る直前。
ふと、一つの問いが脳裏をよぎった。
誰かに聞かれたわけではない。
周囲の者たちが求めた答えでもない。
囚人たちの運命を決めるものでもない。
ただ――
俺だけのための、俺自身に向けた問い。
意味のない疑問。
それでいて、すべてを物語る疑問。
――「俺は、一体何をした?」
追伸:
また作者です。 これからは毎回の章で「作品が完結した」と書くことになりました。
理由は、両親が勉強に厳しく、もし見つかったら更新できなくなる可能性があるからです。
なので、今後投稿するすべての章は「完結」と表示されます。




