学園編・第十二章
子供たちを治療している間、ここにいるのは"五人だけ"だと思っていた。だが――俺は間違っていた。
一人の子供が、ゆっくりと立ち上がる。擦り切れた服には、泥なのか乾いた血なのか、それとも"もっと別のもの"なのか、わからない汚れが染みついていた。
小さな手が震えながらも、俺のマントを掴む。そして、ほんのわずかな力で引っ張った。"ついてこい"とでも言うように。
何も言わず、ただ見上げる瞳。そこには、"光"がなかった。"恐怖"もない。"絶望"すらない。ただ、何も映していない目だった。
彼はマントを掴んだまま、俺を細く暗い通路へと導いた。あの二人の男たちが案内した場所とは、まったく違う空間。
床には埃と汚れが溜まり、湿った空気が重く、息苦しい。そして――
俺は"扉"を見た。
古びた木の扉。無数の引っかき傷が刻まれ、長年の使用で擦り切れている。しかし――俺を本当に"止めた"のは、それではなかった。
床に広がる血痕。そして……"肉片"。
俺は、完全に動けなくなった。
信じたくなかった。考えたくなかった。だが、目の前の光景が、それを許さなかった。
じっと凝視すると……その肉は、ただ"引き裂かれた"ものではなかった。
"揚げられていた"。
まるで熱した油で焼かれたように、黄金色に焦げついた肉片。
……クソ。
喉が渇き、無意識に唾を飲み込む。
だが、子供は歩き続ける。床に転がる残骸を踏みしめても、何の反応も示さない。"慣れている"のか?"気にも留めていない"のか?
――いや。
"すでに、どうでもよくなっている"のか。
……俺は、入りたくなかった。
全身が"やめろ"と叫んでいた。だが、それでも彼は俺のマントを引っ張り続ける。
そして、迷うことなく――もう片方の手で、扉の取っ手を掴み、開いた。
焦げた肉の臭いが、一気に鼻を突く。
床にこびりついた"乾いた血"が、靴に張り付く。
かつて白かったはずの壁は、今や暗い染みに覆われ、汚れ、湿気、"何かの皮膚"がこびりついていた。
……見たくなかった。
だが、俺は――見た。
そこには、**"引き裂かれた身体"**が転がっていた。
焦げ付いた肉、剥き出しの骨、裂けた皮膚、露わになった筋肉――まるで、誰かが"麻酔なしで解体した"かのように。
それでも……彼らはまだ、生きていた。
何人かの大人が、ゆっくりと俺の方へ顔を向ける。
その瞳に"生"はなかった。だが、彼らの身体はまだ"呼吸"を続けていた。
――「死ぬことを許されなかった身体」
何人かが手を動かし、俺に向かって伸ばそうとしたのかもしれない。だが、その動きには"力"がなかった。"意志"もなかった。ただ、そこにあるのは"死にかけの抜け殻"。
俺は喉を鳴らし、唾を無理やり飲み込む。乾いた喉が痛む。
――そして、もうそれ以上、考えたくなくて、視線を逸らした。
そして俺は――"子供たちの死体の山"を見た。
子供たち。
腹を裂かれ、肋骨が不自然な方向へ折れたまま転がる者。無言の悲鳴を上げたまま、恐怖の表情で目を見開いたままの者。
そして、その隣には……まだ"息をしている者たち"がいた。
泣く力さえ残っていない子供たち。見知らぬ俺が目の前にいても、何の反応も示さない子供たち。"地獄"を幾度も見て、もはや"恐怖すら残っていない"子供たち。
俺をここまで連れてきた少年が、静かに俺を見上げる。
小さな手が震えていた。それでも、俺のマントをしっかりと掴んでいた。口がわずかに開く。だが、その声は、"かすれた囁き"だった。
「……たすけて」
彼の身体が小さく震える。
「……友達を……助けて、お願い……」
言葉が出なかった。
なぜなら――
"俺には、彼らを救うことができない"。
俺はゆっくりと膝をつき、少年の手を静かに握った。
俺は深く息を吸い込んだ――だが、空気が足りなかった。嘘はつけなかった。だから、"現実の重み"をそのまま抱えながら、静かに囁いた。
「……俺には無理だ。」
少年が瞬きをする。最初は"理解できなかった"のかもしれない。"理解したくなかった"のかもしれない。
口が、わずかに開く。「……え?」
俺は歯を食いしばる。まるで、この世界で最も"最低な存在"になった気分だった。
「俺には……彼らを治せない。」
少年の瞳が大きく見開かれる。今まで無表情だった顔が、"崩れた"。
最初に震えたのは、"唇"だった。次に、"押し殺した嗚咽"。そして――涙が溢れた。
小さな拳が、俺の胸を叩く。"弱々しくも、精一杯の怒りと絶望"を込めて。
「……なんで来たの!?」もう一度、拳が俺の胸に当たる。
「なんで来たの!?」少年の声が"掠れ"、"壊れた"。涙が俺の服を濡らす。それでも――彼は叩くのをやめなかった。
「なんで……希望なんて与えたのに、友達を助けてくれないの……!?」小さな手が、俺の服を"強く"握る。
「……なんで……なんでそのままにしてくれなかったの……?」
少年は泣いた。"喉が裂けるほど"の声で――"絶望の音"を響かせながら。
小さな体は嗚咽のたびに震え、まるで現実に押し潰されまいとするかのように、必死に俺にしがみついていた。
「……バカ、バカ……きらい……!」
俺は止めなかった。慰めようともしなかった。ただ抱きしめたまま、殴らせ、泣かせ、俺を責めさせた。
その方がいい。
何も感じなくなった子供を見るより、涙すら流せない目を見るより、憎しみを持つことさえ諦めた顔を見るより――"よっぽど"マシだった。
俺が悪い。俺を責めろ。
希望なんて与えなければよかった。変えられるなんて思わせるべきじゃなかった。
俺が悪い。俺が悪い。
そして結局――
俺には、"何もできなかった"。
「……ごめん……。」
それ以上、言えることは何もなかった。
それ以上、できることも何もなかった。
少年はまだ震えていた。俺の胸に顔を押し付け、泣きじゃくる。もう拳を振るう力すら残っていない。それでも、小さな手は俺の服を掴んだまま、決して離さなかった。"憎しみすら手放したくない"とでもいうように。
だが――もう"力"がなかった。
俺にも。
だから……ゆっくりと、手を掲げる。
「……スランバーズ・マーシー。」
微かな囁きが、俺の体から漏れたわずかなマナの流れに乗って広がる。
空気が一瞬、重くなる。まるで、"見えない何か"が俺の呼びかけに応えたかのように。
そして――
少年は深い眠りに落ちた。
完全に意識を手放し、静かに寝息を立てる。
そのか細い体は、まだ俺に寄りかかっていた。飢えと疲れで弱り切った小さな温もり。
俺は何もできず、ただ、汚れた髪を優しく撫でるしかなかった。
「……ごめん。」
それしか言えなかった。
他の子供たちを救うことはできない。だが――"せめて、この子だけでも"。
俺は慎重に少年を抱き上げる。
軽い。あまりにも、軽すぎる。まるで"影"のように、儚く、指の間からすり抜けて消えてしまいそうなほどに。
俺は振り返らなかった。
あの部屋から出て、最初に彼と出会った場所へ戻る。
簡易ベッドが並ぶその一角に、そっと彼を寝かせた。
小さい。
無防備すぎる。
あまりにも――脆すぎる。
俺は一歩後ずさり、頭を押さえる。思考を整理しようとするが、"何もまとまらない"。
混乱している。許せない。認めたくない。
「……何があったんだ、クソが。」
言葉が、思わず口をついて出た。
誰かに向けた問いではない。ただの"独り言"。
虚空に向かって。世界に向かって。
――これは、"普通"じゃない。
この地下区画に"悲惨"や"暴力"や"死"が溢れていることは知っていた。
だが、これは……"違う"。
ただの"残虐行為"じゃない。ただの"悪意"でもない。
――これは、"何かの目的のため"に行われている。
まさか……?
いや、そんなはずは――
「……ありえない……」
……それとも――"ありえる"のか?
「――お前が考えている通りだよ、アラシ。」
背筋に冷たい感覚が走る。
足が、一歩後ずさる。
声の主は――俺の背後。
冷たい声。感情のない、"事実をただ伝える"だけの声。
包帯を巻いた男。
壁に寄りかかり、腕を組み、鋭い目で俺を見つめていた。
――笑っていなかった。
皮肉も、軽口もない。ただ、"現実を告げる声"。
言おうとした。
だが――俺は沈黙した。
なぜなら、"答えはすでに分かっていた"からだ。
理性は拒絶していた。だが、"本能"はすでに理解していた。
歯を食いしばり、無理やり言葉を吐き出す。
「……だから、彼女はここにいないんだな?」
包帯の男はすぐには答えなかった。ただ、じっと俺を見ていた。俺が"その現実"に耐えられるかどうか、確かめるように。
そして――無言のまま、頷いた。
「調査に向かった。何人か捕らえたが、何も知らなかった。」
彼の声は淡々としていた。ただの"事実"を告げるだけの音。
「今、下にいる。お前が毒を試す予定だった連中だ。」
指が、教会の地下へと向けられる。
……そうか。"実験台"とは、つまり"彼ら"のことだったか。
拳を握りしめる。思考は混乱していたが、"迷い"はなかった。
「……案内しろ。」
男は一切動じずに返す。「……いいだろう。」
そう言い、横の扉へと歩き出す。その背中を追う前に、俺は最後にひとつだけ問いを投げた。
「……"最も苦痛と死をもたらす毒"は、持ってきたのか?」
男の足が一瞬、止まる。そして、"喜びの欠片もない笑み"を浮かべて答えた。
「クラウスなら、もう地下で準備してる。」
俺は何も言わず、そのまま歩き出した。
頭は冷静で、迷いはない。……だが、"身体は嘘をつけなかった"。
気づけば――"歪んだ笑み"が俺の顔に浮かんでいた。
"喜び"ではない。"満足"でもない。もっと……"深い何か"。言葉にできない"何か"。
そして――俺は、"沈黙のまま"、闇の底へと降りていった。
追伸:
また作者です。 これからは毎回の章で「作品が完結した」と書くことになりました。
理由は、両親が勉強に厳しく、もし見つかったら更新できなくなる可能性があるからです。
なので、今後投稿するすべての章は「完結」と表示されます。




