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学園編・第十一章

夜の空気は重く、湿気を帯びていた。


帝国の首都は繁栄し、美しい街だ。しかし、その奥深くを覗けば、そこには悲劇が広がっている。貧困にあえぐ者たち、そして闇に潜む傭兵や暗殺者。暗い路地と忘れ去られた地区は、誰も認めたがらない現実を語っている。


帝国の法律が意味を持たない場所。正義はただのおとぎ話で、唯一の真実は"生き延びること"だけ。


――そして俺は、ここで生まれた。


そう、俺は"浮浪者"だ。


学院で贅沢な環境を見た後、再びここへ戻るのは違和感しかない。清潔な廊下、温かい食事、柔らかいベッド……それらは、まるで別世界の出来事のようだった。


だが、この首都の影では――汚れがすべてを覆い尽くし、湿気とゴミの臭いが空気に漂う。人々の視線は疑念と絶望に満ち、誰もが誰もを信用していない。


――なぜなら、この場所で生き残るということは、"誰を信じてはいけないか"を知ることだからだ。


「……そろそろ、戻るか。」


そう考えながら、角を曲がり、行き止まりの路地へ足を踏み入れる。一見すると、そこにいるのはただの酔っ払った浮浪者の二人。安酒にでも溺れた哀れな男たち……普通の人間なら、そう思うだろう。


だが、本能が働く者なら気づく。


――こんな場所で、無傷のままここにいること自体が不自然だと。


死が日常のこの場所で、奴らはなぜ無事なのか?こいつらはただの酔っ払いじゃない。


だから俺は迷わず、静かに言葉を口にした。


挿絵(By みてみん)


「太陽の下の真珠は、月の影へと辿り着いた。」


その瞬間――二人の男が動きを止めた。その体から怠惰な雰囲気が完全に消え去る。鋭い眼光が宿り、酔っ払いの演技は跡形もなく消えた。静かに立ち上がる彼らの動きには、一点の無駄もない。


改めて目を凝らすと――一人目は、傷跡が戦の記憶のように刻まれた、屈強な大男だった。


二人目の男は、細身ながらも不気味な存在感を放っていた。片目を黒い包帯で覆い、口元には薄い笑みを浮かべている。彼らは無言のまま俺を数秒見つめ――そして、傷だらけの大男が口を開いた。


「……俺たちのことなんか、もう忘れたかと思ってたぜ、ガキ。」


俺は微かに笑った。「俺をそんな簡単に片付けられると思うなよ。」


包帯の男が喉の奥でくつくつと笑う。「ハッ……で? ガキがまた影に戻ってきた理由は?」


俺は深く息を吸い、二人を正面から見据える。「助けが必要なんだ。」


言い終わると同時に、傷だらけの男が迷いなく答えた。


「いねぇよ。お前の姉貴は、もうここにはいねぇ。」


……チッ。このバカが。


反応する前に、包帯の男が舌打ちし、大男の腕を強く叩いた。「バカ野郎! そんなこと、外で口にするな。」


その声色は鋭さを増し、周囲を警戒する視線が路地の隅々を走る。――ここには誰もいないように見えるかもしれないが。この世界では、"何があり得るか"を考えなければならない。


壁には耳がある。影は目を持つ。そして、空気ですら秘密を裏切ることがある。


傷だらけの男は不機嫌そうに唸ったが、反論はしなかった。自分がやらかしたことは理解しているのだろう。


だが、今は彼女のことを聞きに来たわけじゃない。ここへ来た理由は、別にある。


「違う。俺はその話をしに来たんじゃない。」


「――別の助けが必要なんだ。」


二人の男は互いに視線を交わし、再び俺へと注意を向けた。包帯の男が興味深そうに首を傾げる。


「……どんな助けがいる?」


俺は唾を飲み込む。なぜなら、これから頼もうとしていることは普通のことではない。少なくとも、俺のような人間にとっては。


二人の目を真っ直ぐに見つめ、ためらうことなく口を開いた。


「負傷者を見せてほしい。治療を必要とする人間を。」


一拍置いて、同じく揺るぎない声で続ける。


「犯罪者でもいい。暗殺者でもいい。毒やあらゆる種類の毒物を試したい。」


――沈黙。


傷だらけの男は俺をじっと見つめ、冗談を言っているのか探るような表情を浮かべる。包帯の男は無表情のまま片眉を上げる。そして――彼は笑い出した。


「ハッ……子供が毒で遊びたいってか?」


その声には嘲りが混じっていたが、同時に好奇心も感じられた。


「遊びじゃない。」


傷だらけの男が腕を組む。「……なぜだ? いつからそんなことに興味を持った?」


俺は深く息を吸う。全てを話すことはできない。だが、少なくとも真剣だと理解させるだけの理由は示さなければならない。


「……ちょっとした魔法の勉強だと思ってくれ。」


包帯の男の笑みが消えた。「――回復魔法か。」


それは問いではなく、"確信"だった。


鋭い目で俺を見つめていた。俺は待った。嘲笑されるのか、笑われるのか、それとも単に無視されるのか。だが――彼らは何もしなかった。


傷だらけの男が鼻を鳴らし、頭を振る。「……お前は昔から変わった奴だったが、これはさすがにぶっ飛んでるな。」


包帯の男は顎に手を当て、考え込むように目を細める。「負傷者を見たい、ね。毒に侵された人間、死の淵に立たされた体……で、お前は何をするつもりだ? 治して様子を見るのか?」


まるで俺を試すような口調だった。俺は微動だにせず、答える。「――その通りだ。」


短い沈黙が流れる。そして――包帯の男が、わずかに満足げな笑みを浮かべた。「……いいだろう。」


「……いい?」 彼は頷く。「本当にそういうものを見たいなら、連れて行ける場所がある。」


傷だらけの男は舌打ちしたが、反対はしなかった。「……本当にやるのか、ガキ?」


俺の決意は変わらない。二人を真っ直ぐに見据え、迷いなく頷く。「――連れて行け。」


傷だらけの男は最後に俺の顔をじっと見つめ、そこに一片の迷いも見つけられないと悟ると、鼻で笑った。「……ハッ、いいだろう。」


包帯の男は口元に微かな笑みを浮かべる。「なら、ついてこい。ここに長く留まるわけにはいかない。」――当然だ。


この路地は、ただの忘れ去られた街角ではなかった。それは"秘密の通路"。そして――彼らが守る場所。もし誰かが、奴らと一緒に俺がここを出るのを見たら、余計な疑いを招くかもしれない。だから俺は黙って、ただ彼らの後を追った。


彼らの動きは自然で、慌てることも、迷うこともない。隠れる必要はなかった。すでに"影"の中にいるのだから。


路地を進み、やがて行き止まりの壁に辿り着く。普通の壁に見えるそれに、包帯の男が手を上げ、特定のリズムで三回叩いた。数秒後、壁の向こうから金属音が響く。そして――壁がわずかに動き、"隠された入口"が姿を現した。


「入れ。」男が顎で示す。俺は迷わず足を踏み入れ、磨り減った石の階段を降りていく。地下への通路――その先にあるのは、もっと"大きなもの"。石の床を踏みしめる足音だけが響く中、俺たちは進み続けた。


そして数分後――ついに、広大な通路が姿を現す。魔力灯が並ぶ、暗闇を照らす道。奥には、巨大な金属の扉が道を塞いでいた。傷だらけの男が先に進み、扉を二度叩く。鈍い機械音が鳴り響き、扉がゆっくりと重々しく開いていく。


その先に広がっていたのは――まったく"別の都市"だった。地下に隠された、社会の目に触れぬ"もう一つの街"。細く入り組んだ路地、今にも崩れそうな古びた建物、それでもまだ息づいている空気。


ここには――"帝国の衛兵"などいない。


法律も正義も存在しない。ただ"裏社会"があるだけ。傷ついた者、裏切られた者、絶望した者が、生き延びるために集まる場所。


この場所は……俺にとって、見知らぬ場所ではなかった。俺は以前、ここで暮らしていた。この地下街での生き方を知っている。どうやって生き延びるか、どう動けば目立たずに済むか。だが、それでも――今、連れて行かれようとしている場所は、俺にとって未知だった。


包帯の男が俺の表情に気づき、口元に薄く笑みを浮かべる。「心配すんな、ガキ。お前を初日で殺されるような場所には連れて行かねぇよ。」


傷だらけの男が鼻を鳴らす。「……まあ、失敗すりゃ、誰も助けちゃくれねぇがな。」


……最高に"ありがたい"言葉だな。それでも俺は、引き返さなかった。


俺たちは地下街の入り組んだ通路を進み、細い路地を抜け、暗い小道を歩き続ける。そして、やがて――思いがけない建物の前で足を止めた。


教会。


……少なくとも、見た目はそうだった。


高い石壁には古いシンボルが刻まれていたが、長年の風化によってそのほとんどがかすれている。扉は年季の入った木製で、黒ずんだ金属で補強されていた。華やかなステンドグラスもなく、荒れ果てた外観は"祈りの場"とはとても思えない。


だが、この場所には"まだ目的があった"。


一歩踏み出し、建物を注意深く観察しながら問いかける。「……ここにいるのか?」


傷だらけの男は静かに頷く。「ああ。お前が探してるものは、ここにある。」


彼は扉の方へ向き直り、拳で二度、軽く叩いた。数秒後、金属音が響き、その後、軋むような音とともに扉がゆっくりと開いた。


中は薄暗く、ろうそくが本棚や部屋の隅に並べられていた。香の匂いに混じって、血と安っぽい薬の匂いが漂っている。最初の部屋は、古びた長椅子が並ぶ待合室のようだった。だが、その奥から――声が聞こえた。苦しげな呻き、足を引きずる音、かすかな囁き。


包帯の男がわずかに笑い、俺を横目で見ながら続ける。「ここには二種類の人間がいる。」


「上の階には、お前の魔法で治せそうな負傷者がいる。」彼は少し先の通路を指さした。そこには、ベンチや簡易ベッドに座る者、横たわる者がいた。包帯で巻かれた傷、まだ血が滲んでいる者、青白い顔、震える手、衰弱した体――。


「そして、教会の地下には"実験用の連中"がいる。どんな毒や毒素を試したいのか言え。すぐに手配してやる。」


俺は静かに頷いた。「弱いものから致死レベルのものまで、様々な毒を持ってこい。"クレンズ"がどこまで中和できるか試したい。それと、肉体や精神に影響を及ぼす毒素もだ。」


包帯の男は口元を歪め、ニヤリと笑った。「へぇ……どうやら本気らしいな。」


「本気じゃなきゃ、ここには来てねぇよ。」


傷だらけの男は腕を組み、無表情で俺を見つめる。「……よし。お前の頼んだものを用意する間、上の負傷者の治療でもしてろ。」そう言い残し、彼らは去っていく。俺は静かに息を吸い込み、気持ちを整えた。


負傷者の状態は様々だが、今の俺が"メンド"で治せる者を優先するべきだ。部屋を見渡す。深い切り傷、軽い火傷、皮膚に広がる黒い痣――どれも"メンド"の範囲内だ。


腕に簡易的な包帯を巻かれた男に近づく。乾いた血が布に染みついていた。慎重に包帯を剥がすと、そこには"綺麗な切り傷"があった。まだ塞がっていないが、状態は悪くない。……ちょうどいい。


手をかざし、ゆっくりとマナを流し込む。これが、俺にとっての"初めての実践"だ。目を閉じ、静かに呟く。


「……メンド。」


淡い光が傷口を覆い、少しずつ皮膚が塞がっていく。血の流れが完全に止まり、やがて傷は消えた。


男は眉をひそめ、一瞬驚いたように目を見開く。「……これで終わりか?」


奇跡のような魔法ではない。だが――"ちゃんと機能している"。俺は頷いた。「少しの間、無理な動きはするな。」


次の患者を探すため、再び部屋を見渡した。そして、俺の視線の先にいたのは――**子供たち。**俺は一瞬、足を止めた。


予想していなかった。小さな体に刻まれた無数の傷、光を失った瞳、まだ新しい傷跡が残る皮膚――こんな光景を見るとは思っていなかった。俺が最初に治療を試す相手が、"子供たち"になるなんて、考えもしなかった。


それでも――彼らはそこにいた。即席の簡易ベッドに、五人の子供が座り、あるいは横たわっていた。擦り切れた服、汚れた肌、雑に巻かれた包帯。いや、中には何の手当ても受けていない子供さえいる。


……クソ。喉が渇いた。ここは学園じゃない。訓練でもない。これは――"現実"だ。


俺は深く息を吸い込み、不快感を無理やり押し殺した。"今"は躊躇している場合じゃない。ここで足を止めるなら、俺に"回復魔法"を学ぶ資格なんてない。


一歩前に出る。そして、ゆっくりとしゃがみ込んだ。目の前にいたのは、小さな女の子だった。短く、汚れた髪。年齢は――七歳にも満たないだろうか。


彼女の脚には古びた布が巻かれていた。表情は――"完全な虚無"。まるで、すべてを諦めたような顔だった。


「見せてくれ。」


できるだけ優しく声をかける。しかし、彼女は何も言わなかった。動きもしない。だが――俺がゆっくりと包帯を外すのを、拒むこともなかった。


露わになったのは、脚全体に広がる"大きな打撲痕"。深い紫色に染まった皮膚。おそらく、少し動かすだけでも激痛が走るはずだ。


俺は奥歯を噛み締めた。


"メンド"なら治せる。俺は静かに手をかざし、マナを流し込む。「……メンド。」


淡い光が彼女の脚を包み込み、紫色の痣が少しずつ薄れていく。すぐには完全に消えないが、少なくとも痛みは和らぐはずだ。少女はわずかに眉をひそめた。変化を感じたのだろう。俺は黙って待つ。


光が消えると、彼女はそっと脚を動かした。声も出さずに。ただ――俺を見つめる。大きく、光を失った目で。どう反応すればいいのかわからないように。まるで、"楽になる"という感覚を知らないかのように。


何も言えなかった。ただ、頷くだけだった。「……これで、少しはマシだ。」


返事は期待していなかった。だが――少女は、小さく頷いた。ただ一度、無言で。それがなぜか、どんな"ありがとう"よりも重く感じた。


俺は立ち上がり、他の子供たちに目を向ける。一人の少年がじっと俺を見ていた。もじゃもじゃの髪、汚れた顔――警戒の色が見える。その腕には火傷の跡があった。


……いいだろう。次の実践だ。俺は一歩踏み出す。「見せてくれ。」


――まだ始まったばかりだ。

追伸:


また作者です。 これからは毎回の章で「作品が完結した」と書くことになりました。


理由は、両親が勉強に厳しく、もし見つかったら更新できなくなる可能性があるからです。


なので、今後投稿するすべての章は「完結」と表示されます。

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