第30話 殺し屋の愛
「そろそろ、夜が明けるか」
俺は娘たちの部屋にいる。
扉の内側に寄りかかりながら床に座り、一日中気配を探っていた。
薬屋の店主を殺したことで当局の捜査や、いつものように追跡者の襲撃に備えていたが、特に問題は起こらなかった。
「ヴァン、おはよう」
エルザが廊下に姿を見せた。
「眠れたか?」
「ええ、おかげさまで」
昨日は部屋に戻り、エルザとフェルリッサに睡眠を促進する薬草を煎じて飲ませた。
ベッドに入り、すぐに眠りについた二人。
エルザはフェルリッサから片時も離れず、小さな手を握り続けていた。
「あなたは寝てないでしょう?」
「いつものことだ。気にするな」
エルザの隣で、手を握るフェルリッサも立っていた。
「二人とも風呂に入ってこい。汚いぞ」
「き、汚いですって! あ、あなたね! まったく! 本当に気遣いってものができなんだから!」
フェルリッサがエルザの手を離す。
そしてゆっくりと廊下を歩き、俺の正面で正座した。
「ヴァン様。申し訳ございませんでした」
頭を下げるフェルリッサ。
床に頭がついている。
「やめろと言っただろう? まずは風呂に入ってこい」
「はい」
エルザが俺を睨みつけている。
「フェルリッサ! 行くわよ。そんな奴は無視しなさい」
風呂に入った二人。
俺はその間、見様見真似で紅茶を淹れてみた。
――
「ふう、さっぱりしたわね。それにしても、フェルリッサの髪は本当に綺麗ね」
「あ、あの、エルザ様。洗ってくださってありがとうございます」
「ふふふ、いいのよ。フェルリッサ覚えておきなさい。魔力と美しい髪はとても大切な繋がりがあるのよ?」
「え? は、はい」
「私の髪も綺麗でしょう?」
「はい。エルザ様の御髪はとても美しいです」
「ふふふ、そうでしょう。聖女はね、髪の手入れがとても大切なの。だから、あそこの野蛮な中年みたいに、何日もお風呂に入らないとかダメなのよ」
「は、はい」
「聖女のお付きになるためには、清潔で美しい長髪が必要なのよ」
「え? は、はい」
「この櫛は聖女の物よ」
三面鏡の前にフェルリッサを座らせ、黒髪に櫛を入れるエルザ。
「そ、そんな高貴なものを!」
「ふふふ、いいのよ」
「さあ、綺麗になったわ」
「エルザ様のお手を煩わしせてしまい、申し訳ありませんでした」
その言葉を聞き、エルザは眉間にしわを寄せた。
そして、背中からフェルリッサを無言で抱きかかえる。
「二人ともこっちへ来い」
俺はリビングの丸テーブルに、紅茶を三つ用意した。
「これ、あなたが淹れたの?」
「そうだ」
「の、飲んでも平気?」
「知らん」
エルザはティーカップを手に取り、恐る恐る口をつける。
「ま、不味っ! 紅茶をこんなに不味く淹れるって才能よ!」
「初めて淹れたんだ。仕方ないだろう」
だが、フェルリッサは紅茶を何度も口にしていた。
そして、カップをテーブルに置く。
「ヴァン様、エルザ様。昨日はご迷惑をおかけしてしまい、本当に申し訳ございませんでした」
「フェルリッサ! もうそれはいいのよ!」
姿勢を正し、俺に視線を向けたフェルリッサ。
「ヴァン様。あの……。お願いがあるのですが……」
「なんだ?」
「お、お金をお貸しいただけないでしょうか?」
「金? なぜだ?」
「今日から泊まる宿のお金がなくて……。で、でも! いつか絶対にお返しします! お願いします!」
「宿だと?」
「はい。昨日は失敗してしまいましたが、今日はもう大丈夫です。また仕事を探します。薬屋じゃなくても何でもします」
「何でもだと?」
「はい」
「お前の夢はどうした? 薬師になりたいのだろう? 聖女の元で修行したいのだろう?」
「いいえ。この街で仕事を探すことが私の夢でした。ここまで連れてきてくださって、本当にありがとうございます。私の夢が叶いました」
無理やり笑顔を浮かべ、深く頭を下げたフェルリッサ。
エルザに視線を向けると、大粒の涙を流している。
「夢か……」
俺は小さく息を吐いた。
どうして嘘をつくのか。
これほどまでに分かりやすい嘘を。
「フェルリッサ」
「はい」
「昨日仕事を見つけた。お前に紹介しよう」
「え! 本当ですか?」
「そうだ。だが辛いぞ」
「は、はい! 何でもします!」
「うるさい女と不味い紅茶を淹れる男の元で、美味い紅茶を淹れ、美味い料理を作る。朝早くに起きて、一日中歩き、夜は宿に泊まる。野営もある。虫を食べることもある。そういう仕事だ」
「え? あ、あの、それって」
エルザがテーブルを叩いた。
「ちょっと! うるさいって何よ!」
「ほら、うるさいだろう?」
フェルリッサが戸惑っている。
「え? あ、あの? ヴァン様……」
「美味い紅茶が飲みたいんだ」
突然立ち上がったエルザ。
「フェルリッサ! こんな気遣いできない中年は無視していいからね! 一緒に美味しいものを食べましょう! 虫なんか出したら殺してやるわ!」
「あの……」
丸い大きな瞳を、さらに見開いているフェルリッサ。
状況が飲み込めないようだ。
「一緒に来いと言っているんだ」
「え? 一緒に? よ、よろしいのですか?」
「一つ条件がある」
「条件ですか?」
「敬語をやめろ。普通に話せ。子供らしくしろ。できるか?」
「は、はい」
「できてないぞ?」
「あ、はい。あ、……う、うん」
「そうだ」
フェルリッサの瞳から、涙がこぼれる。
「ありがとうございます……。ありがとうございます……」
エルザが椅子から立ち上がり、フェルリッサに抱きつく。
「フェルリッサ、ごめんね。本当にごめんね。もうずっと一緒よ。絶対に離さない」
「エ、エルザ様。ヴァン様もありがとうございます。うう、うう、ううう。ありがとうございます。ううう」
エルザにしがみつフェルリッサ。
これまで溜まったものが全て出ているようだ。
無理もない、まだ十五歳だ。
「うわあああん。うわあああん。ありがとうございます。ありがとうございます。うわあああん」
「違うと言っただろう」
「エ、エルザ。ヴァ、ヴァン。ありがとう。うわあああん」
「そうだ。それでいい」
俺は自分が淹れた紅茶に口をつけた。
味は分からないが、きっと不味いのだろう。
しかし、これから美味い紅茶が飲める。
フェルリッサが淹れた紅茶だ。
俺は時間をかけて、不味いと言われた紅茶を飲む。
「さて、朝食へ行くぞ。返事は?」
「うん!」
フェルリッサを連れて行くことで、エルザ護衛任務の足枷になる。
これまでの俺なら、どんな状況だろうがフェルリッサを置いていっただろう。
俺は詮索しないし、他人に興味はない。
だが……。
やはりエルザの影響だろうか。
悪い気はしない。
俺が守ればいいだけだ。




