第28話 心配する殺し屋
エルザと宿に戻ってきた。
俺とエルザの部屋は別だ。
自分の部屋の扉に手をかけると、エルザが俺の背中を軽く二回叩く。
「ねえ、ヴァン」
「何だ?」
「お風呂に入りたいの」
「お前、マルヴェスに小汚いって言われたことを気にしてるのか?」
「してないわよ! でもさすがに埃っぽいし汚れたし、この後フェルリッサとレストランへ行くでしょう?」
「確かにそうだな」
「ねえ、お風呂に入るから、その間私の部屋のリビングにいて」
「ちっ、仕方ない」
エルザは風呂に向かった。
俺は壁に身を隠して、リビングの窓の横に立つ。
窓際は危険と分かっているが、外から見えないように注意しながら、フェルリッサが働くことになった薬屋の方向を見つめる。
「あの方角だな」
初夏のため日が長い。
夕焼けはまだ先でも、時刻的には仕事が終わる頃だろう。
「もうそろそろ帰ってくるか」
フェルリッサは気が利く上に真面目だ。
初めての仕事とはいえ、問題なくやっていることだろう。
「今日は最後の夜だ。好きなものを食わしてやるか」
俺はフェルリッサのことを考えていた。
「ん? 俺が人の心配? まさかな。あり得ん」
少し首を振り、改めてフェルリッサが働く薬屋の方向を見つめた。
◇◇◇
ヴァンたちと別れたフェルリッサ。
今日は仕事見学ということで、店主から店や商品について説明を受けていた。
十五歳のフェルリッサにとって、初めての仕事だ。
さらには憧れていた薬師の仕事現場ということで、とても張り切っていた。
「ふう、今日は忙しかったですね。フェルリッサさん、接客が一段落したので少しやってみましょうか。薬研で薬草をすり潰して貰えますか?」
「はい。分かりました」
「今日は売れ行きが良かったから、明日の分が足りなくなりそうです」
「たくさん売れるんですね」
「ええ、うちの薬草はとても人気があるんです」
店にある大きな薬研で、薬草をすり潰すフェルリッサ。
「なかなか上手いですね」
「ありがとうございます!」
笑顔で応えるフェルリッサ。
これまで褒められることなどない環境で生きてきたため、とても喜んでいた。
力を込めて薬草をすり潰す。
「でもね、あなたが使ってた小型の薬研と違って、もっと力を入れないといけないんですよ」
「そ、そうでしたか。もっとなんですね。頑張ります」
「まだちょっと足りないですね。フェルリッサさんは腕が細いから……」
店主はフェルリッサの背後に立つ。
そして背中から手を回し、フェルリッサの両手を掴む。
「これくらい力を入れるんです」
「え? あ、は、はい」
「そうです、そうです。上手いですね」
「はい。ありがとうござます」
体の小さいフェルリッサを包み込むように、背後から密着する店主。
「あ、あの。体が当たって」
「うちの薬草は評判が良いので、しっかり作ってもらわないと困るんです」
「わ、分かりました」
「そうそう、いいですよ」
さらに体を密着させる店主。
「あの、少しやりにくいというか……」
「ああ、そうでしたか。それは失礼」
フェルリッサから離れた店主。
「じゃあ、後は任せますね」
「はい」
しばらくの間、フェルリッサは一人で薬草をすり潰す。
思った以上に力仕事で、額に汗を掻くほどだ。
「先生、終わりました。いかがですか?」
「ご苦労様です。どれどれ」
薬研の薬草を小指ですくう店主。
「薬草はね、舐めて味を確かめるんです」
「はい。分かりました」
フェルリッサが薬草を指でつまもうとすると、店主がフェルリッサの口に小指を近づけた。
「ほら、味を確かめてください」
「じ、自分で……」
「ほら、舐めてください」
「は、はい……」
店主の小指の先についた薬草を舐めるフェルリッサ。
可能な限り指に触れないように、そっと舌を出した。
「覚えましたか? きめ細かいでしょう? ここまですり潰す必要があるんです」
「わ、分かりました」
「どうですか? 疲れたでしょう?」
「はい。思った異常に腕の力がいりますね」
「そうでしょう、そうでしょう」
店主は笑みを浮かべながら、フェルリッサの腕を取り、揉み始めた。
「私はマッサージもやってるんですよ。疲れが取れますよ」
「あ、ありがとうございます」
「どうですか?」
「はい。気持ちいいです」
「それは良かったです。この仕事は重労働ですからね。仕事が終わったら、毎日マッサージをしてあげますね」
「は、はい。ありがとうございます」
店内には、フェルリッサのシャツの袖が擦れる音だけが聞こえていた。
フェルリッサの額に汗が滲む。
だが、それは暑さのせいではない。
緊張と不安だ。
「さて、では今日はこの辺で終わりにしますか」
店主がフェルリッサの腕を離すと、フェルリッサは小さく安堵の息を吐いた。
「フェルリッサさん。店の外の看板を片づけてもらえますか?」
「はい。分かりました」
フェルリッサが外に出ている間に、茶を淹れる店主。
「片づけました」
「ご苦労様です。今日はどうでしたか?」
「はい。とても勉強になりました」
「それは良かった。帰る前にお茶を飲んでいってください。これもうちで人気の商品なので、味を覚えてくださいね」
「はい、いただきます」
フェルリッサが茶を口にする。
「甘いお菓子もありますよ?」
「今日はこの後、皆様とご飯を食べるので我慢します」
「そうでしたか。偉いですね。じゃあ、お茶だけ飲んでください」
「はい」
茶を飲み干したフェルリッサ。
「では先生。そろそろ帰ります」
「ええ、明日からよろしくお願いしますね。真面目なフェルリッサさんですから、少し給与も上げないといけませんな」
「え? あ、ありがとうございます! 明日からよろしくお願いいたします! 今日はありがとうございました!」
深々とお辞儀をして、扉へ歩き出すフェルリッサ。




