第34話 いつかきっと
ふと俊華や蒼蘭は私が実は女だと知って驚いているかなと見てみると、蒼蘭はいつも通りの無表情で全く感情が読めず、俊華はあんぐりと大きく口を開き、目を真ん丸にしたまま固まっていた。
かと思いきや、次の瞬間、突然俊華が地面に這いつくばってひれ伏してしまった。
「え! ちょっと俊華!? どうしたの」
「ゴメン翠!! 本当にゴメン。まさか女性相手に、俺は顔をあれほど傷つけていたなんて……なんていうことをしてしまったんだ」
「いや、同じ生徒に男も女も関係ないでしょ。もう謝ってもらったから、いいって」
「全然違う。気分が違う。俺は最低最悪な野郎だ。もう大学にいる資格なんてない……」
グリグリと額を土に押し付けながら謝る俊華。
青海先生に大学をやめろと言われても、他の生徒たちがさっさと出て行けといっても、どこ吹く風で堪えた様子のなかった俊華が、まさかこんなことを言いだすなんて……。
私が焦っている前で、その俊華の首根っこの部分の服を、一緒に帰って来ていた青海先生が、ガシリと掴んで、ヒョイとばかりに軽々と持ち上げる。
「阿呆。お前は父親の仇をとるんだろーが。大学を辞めるんじゃなくて、性根を一から鍛え直せ。翠に怪我させた罰は、俺との特別地獄特訓だ」
「青海先生……それは、俺にとっては逆に嬉しいので、罰にはならないです……」
猫の子のように俊華を持ち上げたまま、青海先生は道場の方へと歩いていった。
俊華の憧れの青海先生との特別特訓……。
「よかったねー俊華」
「翠玲。あの生徒に顔を怪我させられたのですか? 話を聞く限り、どうも故意のようですが」
「あ、はい削氷様。でも故意にぶつかりはしてきましたが、怪我をさせようとしたわけではなかったと思います。逆にぶつかられたと言って騒ごうとしたようだけれど、私が弱すぎて吹っ飛んでしまって、結果的に怪我をしただけで……」
「ほーう。うちのムラの子に手を出すとは……。青海に、あの生徒に本物の地獄を見せるように言ってきます」
――前言撤回。俊華、逃げろー。
騒がしく去って行く俊華たちに心の中で忠告するけど、もちろん彼にこの言葉が届くことは無い。
「翠玲。部屋に荷物をとりにいくか?」
「そうだね、蒼蘭」
「ああ、女子寮に移るんだったか。俺も運ぶの手伝うわ」
「ありがとう、梓翔」
一年近くの間、寮で一緒に暮らした蒼蘭と、ずっと力になってくれていた梓翔。
まだこれからも何年も同じ大学に通うというのに、今日から寮を移ると思うと、少し寂しい気がする。
「蒼蘭、驚いたでしょう? まさか同室の私が女性だったなんて」
「……だから言っただろう。虎の嗅覚は人間の一万倍以上だって」
「ん? それは知ってるけど……あ!」
言われて改めて考えてみると、つまり蒼蘭は、最初から匂いで私が女だということが分かっていたっていうことだったのか!?
蒼蘭が以前嗅覚のことを言った時、夜中だったのでとても眠くて、聞き流してしまっていた。
「蒼蘭……まさか知っていて、一年間協力してくれていたの?」
そう考えると、朝早く部屋を出たり、授業が終わってからゆっくり時間が経ってから帰ってきていたのは、もしかしたら私を一人にする時間を作ってくれていたのだろうか。
「協力? なんのことだ。俺はただ知らないフリをしていただけだ」
「あ! そうだ。俺は翠玲が女なことは知ってたけど。お前のほうが驚きだよ。よくこれまで隠してきたな」
「俺が人虎だってことをか」
「おい、大きな声で話していいのか?」
寮の部屋に三人で向かいながら、話す。
周りの生徒たちが、私たちの会話に聞き耳を立てているのが分かる。一年近く一緒に学んできた生徒の一人が、実は女だったとなれば、それも当然のことだろう。
「ああ。もう誰に人虎だと知られても、どうでもいいという気分になってきた。逆に隠しているのが面倒になってきたな。あれほどなんとしてでも隠したかったというのに、不思議だ」
蒼蘭が清々しい顔で答えた。
――え、どういうことだ? 蒼蘭が人虎だって!?
――やっぱりなー、ただの人間じゃないとは思ってた。
そんな声にも、全く動じた様子がない。いつの間にか完全に、何かを乗り越えていたようだ。
「桃鈴さん、来年入学してきてくれたらいいね」
「あの調子なら、入学するんじゃないか?」
三人で、他愛もない話をしながら、荷物を運ぶ。
大した荷物はないので、三人で一回で運べてしまう量だ。
「それじゃあ、これまで本当にありがとう。これからもよろしくね」
新しい女子寮についたので、今日のところはお別れだ。
どうやら女性用の職員が使う宿舎の一角を、空けてもらったらしい。
来年度の生徒たちが入学するころには、新しい女子寮が建てられるそうだ。
「ああ、じゃあな翠玲。行こうぜ、そうら……」
梓翔の言葉が不自然に途切れる。そして私はというとなぜか、身動きが取れなくなった。
何が起こったのだろう。視界が何かに覆われて、状況が分からない。
しばらくして目の前にあるのが蒼蘭の胸だと気づいた時、私は蒼蘭に抱きしめられているのだとようやく理解した。
「な、そ、蒼蘭!?」
「蒼蘭!? テメーなにしてやがる!! 翠玲から離れろコラ」
大騒ぎをする私と梓翔をよそに、蒼蘭はゆっくりと私を抱きしめてから離した。
突然のことに驚きすぎて、心臓が早鐘のように鳴って痛かった。
「よく夜中に、お前にやられていることの、お返しだ、翠玲」
「気づいていたの!?」
珍しく蒼蘭が、ニコリと楽しそうに微笑む。
夜中に起きた時、虎姿の蒼蘭が寝ていることをしっかりと確認してから抱き着いていたのに、まさかバレていたとは。
「はあー!? 夜中にって、なに考えてんだ翠玲! お前の危機意識どうなってんだ」
「だって虎の毛皮フワフワであったかくて! 可愛いし! よく寝てると思ってたから!」
「むしろ俺は、これまで本当によく耐えたほうだと思う」
「ホントそうだな蒼蘭!! でももう抱き着くんじゃねーぞ!? お前もなんだか人との距離感おかしいぞ!」
もうすぐ今年度が終わりそうだけど、もらえた免状はまだ十に満たない。
大学は聞きしに勝る厳しいところだ。
蒼蘭はこの調子だとすぐに卒業できてしまうかもしれない。
俊華も優秀だけど、いつ卒業できるかは青海先生の武術の免状がとれるかどうかにかかっている気がする。
梓翔と私はそこまでできるほうじゃないけれど。これまで通り頑張っていくだけだ。
けれどきっといつかは皆卒業して、立派な仙人になることができるだろう。
これまで通り、協力しながら一歩一歩前に向かって進んでいけば。いつかきっと。




