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あの頃に帰れることができるのだろうか?
ふと、いままでの人生を孤独に振り返るときがある。
それは自転車に乗っているときだったり、朝焼けを浴びながら友人と生産性の無い話をしている最中だったり。何気無い日常を繰り返すたびに切っても切れない鎖のような記憶が引きずり出される。
その記憶は私にとって嫌な出来事では無かった。ある幼少期の思い出である。
足がしびれて身体がふらつき、目がくらむほどに重苦しいスポットライトの光をあびる私は、喉の痛みを無視して歌い続けた。
皆は一様に心の底から楽しんで歌うが、団体行動が苦手な私には理解できなかった。美しいピアノの旋律も、柔らかく艶やかに指揮棒を振る先生も、私からしたら壊れたおもちゃとつまらないテレビのように見えた。
客席から感じる羨望も私にとっては煩わしい。赤チェックのプリーツスカートをつかみ、手の震えをごまかす。ぐらつく木の船に乗ってしまい、身体に耐えきれず船酔いを起こしてしまったような吐き気を感じる。
それでも私は声を張り上げる。一人で歌わずにいると目立つ。歌っていないことを誰かに気づかれて先生の耳に入れば、母からのひどい仕打ちが待っている。
私は小さな恐怖を叫んだ。
叫んでも叫んでも誰にも私の真意は伝わらない。皆心ここにあらずだ。そのときはただ時間だけが助けてくれた。プログラムは少しずつ進んでいき、やがて最後の曲目に突入する。
子供が歌うにしてはやけに大人びた旋律が、くすんだホールに液体となって空間を沈めていく。指揮は先ほどの過剰な自己主張が威力とスピードを落とし、闇に飲まれて影となる。
団員だけが地底から湧き出る赤黒い光を放つ。
光から紡ぎ出すのはなんとも純粋な子供達の歌声。一人一人が細い糸を紡ぎ出し、張りのある弦を紡ぎ出す。
先生はそれに触れるだけ。ピアノはそれを整えるだけ。
幾重にも弦がかけ合わさり、隙間一つも残さない。誰にも見えない透明なベールは闇が均等に切り分け、波に乗って一枚一枚観客に覆い被さる。
羽より軽く薄い布は錆び付いて開かなくなった感情をこじ開ける。皆それを処理しきれず、寝る者、泣く者、恍惚とした顔で呆ける者がちらほらとみえる。
私の本心は誰も受けとってくれないのに……。
観客は曲を聴く前から自ら別のべールを頭にかけていた。不必要な音を排除するための汚れにまみれた黒い布。男も女も、老人も子供も関係ない。粘り気のある蜘蛛の巣や薄暗い光に触れる蛾の鱗粉。歌に邪魔なかすれた声も、すべて取り除かれていく。
そして感動だけが観客達に届くのだ。
それがとても嫌だった。作った布も、汚れた布も、一緒に洗濯機にかき回されて消えてしまえばいいと思った。
長い地獄もそろそろ終わる。複雑なコーラスが旋律に色をつける。人間一人一人の個性は混ざり合わさず、確固とした意思を抱いた。最後の力を振り絞り、一滴残らず声に乗せる。歌を感じる者達は瞳を染める。
私の瞳は透明のガラス玉に変わる。透明な染色液は頬を伝う。
この気持ちは誰にも分からないだろう。地底の奥底にいた自分だって分からないのだから。どうして涙が出るのか、息ができないのか、世界が熱でゆがんで見えるのに『美しい』と感じたのか。
その後のことはよく覚えていない。無事に演奏会が終わり、家路につけたのは不思議だと今でも思う。
今日もまた、カラシのきいたサンドイッチを食べながらあの頃を振り返る。昔より髪を短く切り、年相応の格好をして大人に擬態する。
静かな店内、甘いコーヒー、いろんな人生が重なる独特な人の声がコーラスのように耳に響き渡る。そのなかで私は今日も一人、いつまでも謎の解明に没頭した。一生かけても溶けることの無い岩石を見つめ続けた。