美術館
冷房の乾いた音が耳をかすめる。
ガラス張りの天井はまっさらな青空が照明の代わりとなり、シンプルで明瞭な雰囲気を感じた。
白と黒のモダンな制服を着たウェイターが注文した品を運び、私達の前に置かれる。
彼は呑気にケータイを取り出し、他の客には失礼極まる愉快なシャッター音を響かせた。ケータイを仕舞いマグカップを手に取り、私はレモンソーダを飲む。
「なぁ、あの絵を見てどう思った?」
彼はコーヒーを一口飲んだあと、気取った口調で私に問いかけた。
「どうって……どれ?」
さっきまで観ていた展示品の数々を思い起こしてみるが、どれも特徴があり上手く特定は出来なかった。
「最後の出口にあったあの絵だよ。赤と白のでっかい作品!」
ナイフを私の方に向け、振るごとに光がチカチカと反射する。
「ああ、あの絵の具を浸したみたいなあれか」
私はアップルパイのリンゴだけをフォークで刺し、口に運んだ。シナモンの強い香りが食欲を進める。
「お前本当にそれ見て思ったわけ?あれは油彩で、ニスもワックスも使ってんだぞ」
「そういう君は絵について知識を持ってたか?」
彼が絵を描いてる姿を想像出来ない私は呆れて尋ねる。いちいち発言が嘘くさいのが彼の特徴だ。
「いや全然!!でもあの赤は裏黒くていいな。月経のドロっとした卑しくかつエロティックな魅力がある」
そして独特の感性と変態性を兼ね備えている。
堂々と下品な言葉を使うあたり周りを気にしてほしい。だが当の客は自分以外の存在はどうでもいいらしく、店内の様子や料理の彩りに目が眩んでいた。
「君はどこで生理の血の色を知ったんだ?」
「彼女のナプキンに興味持ってついつい。いい匂いだった」
「……最低だな」
私は彼の行動に関心を持ちながらも、見下すような目で彼を睨んだ。
「全くだ」
彼はベストのシワを整えながら他人事のように呻いた。
「白い方は、なんていうか透明なウエディングドレスみたいだったな」
ガナッシュを細く鋭利なフォークで突き刺し、ナイフでゆっくりと切り離す姿はどこか優雅である。少し私の癪に触った。
「君の感性がさっぱり分からない。どこをどう見たらそうなるんだ。灰色のキャンバスに白い絵の具を垂らしただけだろ」
「お前の感性にはほとほと呆れたな。いいか、俺はあの白く薄い空間に精密に編まれたレースがひらひらと動くのが見えたんだ」
「それで?」
「それを身につけた垢抜けた女性がこっちを振り返って、射るような冷たい眼差しで俺を見てるんだ。その感情のこもってなさといったら辛かったな」
一体どんな想像力を持っているのか、それともジョークなのだろうか。どちらにしても今は頭がお花畑のこれが私の友人だと思いたくなかった。
「おいおい引くなよ。さて、俺の感想を言ったから今度こそお前な」
無茶振りを振られ、私はフォークを置いて暫く思考を巡らせた。
「えぇ?……ただの絵の具の塊」
「それ以外になんかなかったのかよ」
脳汁いっぱい絞り込んでも立派な感想を思いつくはずもなく、首を振るしかなかった。
「……そうかい」
彼はため息をついたが、切り替えは速い。すぐに違う話題を繰り出し始めた。私は水滴まみれのコップを持って心地の良い空間の中、彼の熱心な話に耳を傾けた。
絵画について本当は1つだけ感じた事がある。
乾いてヒビが入っているキャンバスをみて、「これは自分がつけた傷ではないか」と心臓の隅にいるホラ吹きが呟く声が聞こえたのだ。
もちろん本当に聞こえたわけではない。偽物の罪悪感が体のすべてを駆け回り、飛び出して行った気がしただけである。
夏の暑さを躱しながら私達は日が沈むまでたわいもない話をした。




