番外編・好みのブローチ
シルヴィオが店の扉を押すと、カランカランとドアベルがなった。
その音に気づいた若い男性店員が、驚きの表情で駆け寄って来る。
「ポテンテ様! お呼びくださればすぐに公爵邸へ伺いますのに。なにかございましたか」
「いや、たまには店舗で品物を見るのもいいかと思ってね。今日は妻とのデートなんだ」
愛想よく返答したシルヴィオは私に顔を向けると、「な?」と微笑む。
私も負けじと、柔らかな微笑を浮かべる。
シルヴィオの手は私の腰に回されて、私は彼に寄り添うように立っている。誰がどう見ても仲睦まじい夫婦のはず。
店員も笑顔になって、「お幸せそうで羨ましいです」などとお世辞を言う。
私たちが契約婚で、振る舞いすべてが演技だとは微塵も思っていないみたい。
「友人の誕生日に贈るプレゼントがほしいんだ」
シルヴィオの言葉にうなずく店員。
「男性用小物でございますね」
「ああ。その次に、女性ものも。せっかく来たのだから愛する妻にもなにか贈りたい」
「え!」
思わず声をあげると、シルヴィオが偽りの笑顔を私に向けた。
「どうかしたかい、イレーネ」
「私の物は、結構よ。たくさんいただいているもの」
「あれぐらいでは俺の想いは伝えきれていない。それに君の好みも知りたいんだ」
「……わかったわ」
「よかった」
シルヴィオは機嫌良さそうに、店員に見たいものを説明し始めた。
まさか彼も私と同じことを考えていたなんて。
結婚して早半年。彼は私に山のようにプレゼントをくれる。当然私も贈り返してはいるのだけど、すべて適当に選んだ品。だってシルヴィオの好きなものを知らないから。
でも、最近私は彼に喜んでもらえるものを贈りたいと思うようになった。けれど契約婚の間柄なのに、そんなことを言い出すのは気が引ける。だから今回、友人への贈り物を選びながら、シルヴィオの好きなものを探ろうと思ったのよね。
うまくいくかしら……。
◇◇
「これにするわ」
私が選んだのは蝶のブローチ。とても美しい青色をしている。
「図鑑で見たことがあるの。異国の蝶なんですって」
店員が笑顔でうなずく。
「モルフォ蝶ですね。神秘的な色がちょうどご主人様の瞳と同じ色で」
「……!」
となりに寄り添うシルヴィオの顔を見上げる。確かに手の中の蝶と、シルヴィオの瞳の色はよく似ている。
まったくそんなつもりはなかったのに。
素で彼の色を選んでしまったからか、羞恥心がわいてくる。
そんな私の心中を知らないシルヴィオは、極上の笑みを浮かべた。
「嬉しいな。そんなに俺を愛してくれているのか」
「も……もちろんよ」
懸命に平静を装って、『仲良し夫婦ごっこ』の演技をする。
けれどそこにダメ押しのように、シルヴィオが頬にキスをしてきた。もう何度も回数を重ねていることなのに、いまだに慣れることのできない行為。顔に熱が集まってしまう。
「イレーネは可愛いな」
シルヴィオはそう言ってもう一度キスをする。
彼は本当に演技が上手だ。羞恥も戸惑いもなにもなく、いつだってスムーズに『妻を溺愛する夫』を演じている。
胸の奥になんとも言い難い感情が湧き上がる。
手の中の青い蝶のブローチをそっと握りしめた。
◇◇
今夜はカーライル夫妻の晩餐会に招待されている。私たちが契約婚を卒業してから、初めてのお呼ばれだ。
支度の最後にモルフォ蝶のブローチをつける。
姿見で装いをチェックしていると、シルヴィオがやって来た。
「今日もイレーネは美しい」
歯の浮くようなセリフをさらりと言って、彼は私の頬にキスをした。
以前は『演技だから』と悲しくなったものだけど、今は胸いっぱいに喜びが広がる。
「ん? この蝶のブローチは――」
彼の目が、私の胸に向けられる。
「カーライルの誕生日プレゼントを選んだときに、シルヴィオが買ってくれたものよ。覚えている?」
「もちろん。俺の瞳の色を選んでくれて、有頂天になったんだ。忘れるはずがない」
「あれは偶然だったのよ」
「ということは、無意識のうちに俺の瞳の色を好きになっていたということか」
シルヴィオが相好を崩す。
「最高だな!」
そんな彼の胸には、あの日彼の好みをリサーチして後日贈った、ブローチがついていた。琥珀を使い、デザインはミツバチだ。
私の視線を追ったシルヴィオが、さらににんまりとする。
「あのときどうして俺が琥珀が好きと言ったか、わかっているか? 演技ではないぞ?」
「もしかして、私の瞳の色だから?」
「そのとおり」
彼は私を抱き寄せると、目をのぞきこんだ。
「俺は必死に、『イレーネが大好きだ』と、アピールをしていたつもりだったんだ」
思わず笑ってしまった。
「すべて演技だと思っていたわ」
「今にして思えば、契約婚なんて悪手だった。でもどうしてもイレーネを逃したくなくて、必死だったんだ」
「私ね、何度か考えてみたの」
もしも、シルヴィオが契約婚なんて言い出さずに、普通に求婚をしてきていたら。
「きっと裏があると考えて、断っていたわ。だからアレでよかったのよ」
だってシルヴィオが私を好きだなんて、絶対に信じられなかったもの。
「そうか。腰抜けでよかった」
嬉しそうなシルヴィオが、チュッとキスをする。
それがなんだかすごく可愛く見えて、私もチュッと軽いキスを返す。
そうしたらシルヴィオがまた、キスをして。
……最終的にリップを塗り直すことになり、侍女に「そうなると思っていましたよ!」と、微笑まれたのだった。
《おしまい》
この作品がタイトルを『大嫌いなあなたと溺愛ごっこ始めます~こじらせ公爵令息の甘い執着』と変えて、全3話のコミカライズになりました!
作画は白ムナコ先生。
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