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4・明かされる真実

 シルヴィオと私の結婚生活は、問題なく進んでいる。彼の演技はますます磨きがかかり誰も疑いを持たず、私たちはおしどり夫婦と言われるようになった。


 傍から見れば私は、素晴らしい夫に溺愛されている幸せな妻なのだろう。私の部屋は彼からの贈り物であふれている。普段から特段の理由もなくアクセサリーや花、時にはスイーツを買ってくる。贈られるのは、もちろん人目がある場所で。私は大仰に、喜ぶフリをする。

 誕生日のときなんて私室が花いっぱいで飾られて、山ほどの贈り物でタワーができた。『愛しいイレーネへ』なんて自筆のメッセージまであったほど。


 シルヴィオはどこまで完璧に『片思いが成就した幸福な夫』を演じるつもりなのかしら。私は契約期間の半分も過ぎないうちに、辛くなってしまった。


 シルヴィオの友人の言葉を借りれば、私は『ほだされた』のだ。


 だってこれまでの人生で、私は異性から愛を囁かれたり、宝物のように扱われたりすることはなかったのだもの。たとえすべてが演技だとわかっていたって、心は動いてしまう。シルヴィオの言葉には本心が、視線には焦がれるような熱があるように錯覚してしまっても、仕方ないわよね。


 不思議なことに、あれほど嫌っていたはずなのに共に暮らすと欠点はみつからず、長所ばかりが目につく。


 でもこれは契約結婚。


 他人の目が無くなればシルヴィオからは笑みが消え、視線は合わなくなり会話も途絶える。

 辛くて叫びたくなるけれど、これは私のわがままでしかない。

 だから期間終了の日まで、私は『契約結婚をしたイレーネ』の演技を完璧に続けるしかないのだわ。



 ◇◇



 あっという間に月日は流れ、結婚してから十ヶ月が過ぎた。あと半月もすれば、残りは一ヶ月。だというのにシルヴィオは私を溺愛する夫の演技をやめようとしない。それどころか愛情表情がより深まっているような気がする。もちろん、そばに誰かがいるときだけだけど。


 私たちは誰もが羨む仲睦まじさで、今や夫婦関係に悩む人から相談を受けるほど。このままで、どうやってシルヴィオに非がある離婚をするのか、皆目見当がつかない。



 従者が出ていき寝室にふたりきりになると、シルヴィオは『おやすみ』と一言、いそいそとベッドに向かった。

「お話があるの」

 声を掛けると彼は動きを止めてゆっくりと、椅子に座る私に向き直った。もちろんその顔に笑顔はない。


「契約が終わるまで、あまり日にちがないわ。離婚はどのような理由をつけてするつもりなの?」


 十ヶ月の夫婦関係の中で、シルヴィオと私はたくさんの会話をしてきた。お互いのことをなんでも知っていると言っても過言ではないと思う。けれどその会話のほとんどが演技をしているときのものだ。私は彼がなにを考えているのか、ちっともわからない。


「……任せろ。ちゃんと考えてある」

 シルヴィオは私から視線を外している。

「教えてくれないの?」

「イレーネはなにもしなくていい」

「でも大切なことよ。私、お祖父様とお祖母様を悲しませたくないから、お別れはきちんとしたいの」

「……心配ない」

「仲睦まじいフリはまだ続けるの?」

「ああ」

「わからないわ」


 シルヴィオが背を向ける。

「疲れている。寝させてくれ」

「そう。ごめんなさいね」

 シルヴィオはもぞもぞと寝具に潜り込む。


 胸が痛い。ほんの少し前までは私に柔らかな笑顔を向け腰を抱き、額にキスを落としてくれていたのに。演技をやめたら、契約に関することすら説明をしてくれない。なにもかもが面倒そう。


 元々はそういう関係性だったけれど。

 私はもうあの頃の気持ちには戻れないわ。


 泣きたい気持ちを心の奥底に閉じ込めて、シルヴィオとは反対側の寝台に横になる。いくら端っこに寄っていたって、相手の気配は感じる。

 ふと結婚以来、彼にとって就寝の時間は安らげないものだったかもしれないと考えて悲しくなった。


 私を契約結婚の相手に選んだのはシルヴィオだけど。背に腹は代えられなかったのだろうけれど。十ヶ月も一緒にいたのだから、少しは態度を和らげてくれても良かったのではないかしら。

 そう考えると、逆になんの変化もないということは、私を相当に嫌いということかもしれない。


 ……だめだわ。思考がマイナスになっている。期限が迫ってきているから、少しばかり情緒不安定になっているのかもしれない。日を置いて、シルヴィオの仕事が休みの日にまた尋ねてみよう。私にだって心の準備というものが必要と伝えたら、わかってくれるかもしれないものね。



 ◇◇



 ふと目が覚めた。燭台の火は消えていて部屋は月明かりに照らされている。

 なにか、変な音がーー

 はっとして跳ね起きる。

 シルヴィオがうなされている。


 振り返ると彼はシーツを掴み、低いうなり声をあげていた。

「シルヴィオ! 大丈夫!」

 手を伸ばし、肩を揺する。眉間には深いシワが刻まれ苦悶の表情だ。

「シルヴィオ!」

「……あ……ま……」

 シルヴィオはイヤイヤするかのように頭を横に振る。

「どうしたの! シルヴィオ!」


 そういえば先週、彼の両親のお墓参りをした。そのせいだろうか。どことなく沈んでいるように思えた。


 なおも彼を揺する。

「しっかりして、シルヴィオ!」

 ぱっ、と目が開いた。視線が交わる。

「ああ、良かった、あなたひどくうなされて……」


 腕を掴まれる。次の瞬間強く引き寄せられ、シルヴィオの上に倒れ込んだ。

「シル……!」

 強く抱きしめられる。ギュウギュウと、痛いほどに。

 まだちゃんと目覚めていないのだわ!

 こんなことをされるのは初めてだもの。顔に熱が集まり心臓は口から飛び出しそう。


「シルヴィオ、起きて! シルヴィオ!」

「行くな……」


 抑えられた低い声。

 行くな? シルヴィオは誰に言っているつもりなの?

 ご両親? それともかつての噂にあった、秘密の恋人? 


「寝ぼけないでシルヴィオ! 私、イレーネよ」

「イレーネ……」

「そうよ、イレーネよ。起きて!」

 腕の力が抜けた。

「……イレーネ?」

 声の調子が違う。ようやく意識がしっかりしたみたい。

「ええ。大丈夫? あなた、うなされていたの。私をどなたかと間違えたようよ」


「……すまないっ!」ものすごい勢いで体を離される。「契約違反だ、本当にすまない!」

「不可抗力よ。私もあなたを揺さぶったし。それよりも大丈夫? 悪い夢でも見たの?」

「ああ……そうみたいだ」シルヴィオは起き上がり、寝台から降りた。「本当に悪かった。ちょっと気を静めてくる」

「そう」

「気にせず寝ていてくれ」

 そう言うとシルヴィオはスリッパを突っ掛けて、さっさと部屋を出て行ってしまった。


 辛いときに寄り添うこともできない。


 そう考え、頭を振って不毛な思考を追い出した。

 離婚が成立したら、あなたを好きになってしまったと伝えてもいいかしら。シルヴィオは困ってしまうかもしれない。でも過剰な演技で私を振り回したのだから、少しくらいは……。



 ◇◇



「イレーネさん、聞いたかしら?」

 ヨランダ様の質問に、『なんでしょう』と答える。

 午後のお茶の時間。公爵様とシルヴィオは仕事に行っていて、席についているのは私たちだけ。


「ウズリーの結婚が決まったそうよ」

「まあ」


 王太子の位を失ったウズリーは、当初は荒れまくったらしい。可愛い愛人ターニャにも逃げられてしまった。孤立無援になった彼はようやく、自分がどれだけ愚かだったか理解したという。今はすっかりおとなしくなって王宮の片隅で粛々と公務をこなしている。


「あんな愚か者の妻になる勇気がある令嬢がいるなんて、驚きよね」

「そうですね」

「……イレーネさん。調子でも悪いのかしら。最近少し、上の空よね」

「すみません、そんなつもりはないのですが。体調も問題ありません」

「そう?」

「はい!」


 まずいわ。不安や淋しさが態度に出てしまっているみたい。もう契約結婚の期限まで一ヶ月もない。最後までしっかり演技をしないと。シルヴィオなんて、より溺愛ぶりを徹底しているのに。

 ――いいえ、だからこそ私は辛いのだわ。


「そうそう」ヨランダ様が手を打つ。「懐かしいものが出てきたの。見てくださる?」

 彼女がテーブルの端に置かれた紙束を手に取る。

「お茶の時間にはふさわしくないかもしれないけれど、とても上手いのよ」

 その言葉と共に渡された紙を見る。それにはカエルのスケッチが描かれていた。気持ち悪くなるほどリアルだ。二枚目にはトカゲ。他の紙もすべてカエルかトカゲのスケッチだった。


「上手でしょう?」ヨランダ様はにこにこしている。

「これは?」

「シルヴィオが子供のころに描いたのよ。あの子、ちょっと野生児だったから、こういう生き物が大好きで」

「野生児? 初耳です」

「あら、そうだったかしら」とヨランダ様。「シルヴィオは両親が亡くなるまでは、公爵令息としては型破りすぎるほど野生児だったのよ。木登り、川泳ぎ、なんでもしてしまってね」


 ふふふと笑うヨランダ様。


「ほら、遅くにできたひとりっこだったでしょう? 息子夫婦も私たちも、ついつい甘やかしてしまって。毎日下働きの子供たちと、庭を駆けずり回っていたわ」


 シルヴィオが野生児? 川泳ぎ?

 鼓動が早まる。

 避暑地で彼にされた意地悪の数々。あれはまさか、意地悪ではなく、彼にとっては普通の遊びだったの?


「カエルやトカゲも、ずいぶん飼わされたわ」

「飼う!?」

「ええ。ちゃんと自分でお世話して可愛がって。私にはどこが可愛いのか、さっぱりわからないけれど。シルヴィオにとっては最高の宝物だったのよ。当時はどんな大人になるか心配だったわ。幸い今は野生児ではないわね」

「……ええ」


 手元のスケッチを見る。シルヴィオにとって、この気持ち悪いぐにゃぐにゃは宝物だったの?

 ということは、彼は私に宝物をくれたということ?


 私は――手に乗せられたこれらをどうしたのだったかしら。記憶にない。

 きっと投げ捨てたのだろう。怖かったから。


 宝物をそんな風に扱われたら。


 シルヴィオが私を嫌いになっても当然じゃない。


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