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第2のゲーム

 それから二人はしばらくの間沈黙した。神様は佑梨のコーヒーを少しずつ飲み、佑梨は神様の話を頭の中で反芻していた。夕暮れの柔らかな光が窓から射し込んでいる。傍から見れば、部屋で午後のひとときを楽しんでいる男女のように見えるかもしれない。でも佑梨の胸中はそれほど穏やかではなかった。


 この世界の人間や春香の人生は、マクロ的に見ればただ死紙を遺すためにあったものなのだろうか。そんなのはあまりにも悲しい。いや、()()()()()()()()()()()なのか? 私の世界では、何も残らず全てが無に帰ってしまう人だっているのだから――。


 やがて神様はコーヒーを飲み干し、再び話し始めた。


「とまあ、今言ったような話がクイズの答えだったというわけだ」


 佑梨は神様を睨み付ける。


「んなもん分かるか」


 思わず漫才師のようなツッコミを入れるが、神様は反応しない。佑梨は咳払いをして、気を取り直した。


「で、これでクイズの第二問に進めるってことなの?」


「そうだな。そろそろ本題に入るか」


 今までの話はただの前置きだったようだ。一体これ以上何を話すというのだろう。


「俺は人間を創り出したときに創造の力を使い切ったと、さきほど言った。だがそれから五千年が経ち、長い休息によって力がほんの少しだけ回復した……人一人分くらい実在化できる程度にはな」


 鼓動が速くなっていくのを感じる。神様がとんでもないことを言おうとしているのが分かってしまった。


 言葉しかない世界だったのが、神様の「言葉を実在化させる力」によって具現化したのがこの世界の成り立ちだ。そして人間は死んだら死紙になり、言葉という存在に戻る。死紙とは、その人の魂の言葉だ。


 神様は佑梨の様子に気付き、話を続けた。


「もう察しがついているようだな。言葉から創造する力を死紙に使えば、元の人間に戻すことができる。要は生き返らせることができるんだ。それで宮代佳代の死紙を蘇らせ、死紙に封じられたお前の世界を解放すればそこへ帰ることができる」


 朗報であるはずなのに喜びは湧いてこない。むしろ息が苦しくなりそうだ。


「でも待てよ、それってもしかして……」


 佑梨はローテーブルの上に目をやった。()()はまるで静かな観客のようにじっと佇んでいる。堪えきれずに大声を上げた。


「春香も生き返らせることができるのか!?」


「そうだ。だがさっきも言った通り、生き返らせられるのは一人だけだ。だからお前が選べ。宮代佳代を復活させ、終わってしまったお前の世界を元に戻すのか。それとも春香というたった一人の人間だけを生き返らせ、一生この世界に留まるのか。その選択を神のゲームの第二問目とする」


 佑梨は一瞬頭が真っ白になった。だがすぐにその頭を抱えて叫び出した。


「くそおおおっ!」


 このまま何もできないよりはずっといいということは分かっている。神様に感謝はしなくてはならない。だがこの二択は佑梨にとってあまりにも酷だ。


「私、春香が死ぬ前に言っちゃったよ? 元の世界に帰れなくてもいいって。ずっと一緒に暮らすって。だから死なないでって……」


 そして、本当にそれを選択できるときが来てしまった。元の世界を丸ごと見捨てるという条件付きで。


「どうして私に選ばせるんだ? 春香に言ったことを守るために一つの世界を終わらせろと言うのか、この私に!?」


 気が動転し声を荒らげる佑梨。だが神様は追い詰めるように、続けざまに言った。


「ちなみにお前は一つ、見落としている要素がある」


 佑梨は顔を上げ、恨めしそうに神様の方を向いた。


「今度は何だよ?」


「仮に春香ではなく世界の方を救うことを選ぶ場合だが、宮代佳代を生き返らせてもいいのかという問題だ」


「私の世界も元に戻るし、死んだ子は生き返るし、それ自体は何もまずいことなんてないのでは?」


 と、佑梨は首を捻った。


「いや、春香と違って宮代佳代は自殺だ。お前はちゃんと考えなければならない。一度自殺した人間を蘇らせることが、本当に正しいことなのかどうかということを」


「……何が言いたいんだ?」


「仮に宮代佳代がもう一度自殺しても、お前がまたこの世界に戻されるようなことはないだろう。あれは別の世界で神となっている彼女と同時に自殺したことによって起こった神的奇跡。まず二度とは起こらないはずだ。だがそれならいいのか? 人生に、あるいはこの世界に絶望して腹を裂くという苦痛を、もう一度彼女が味わうことになる可能性があるのにもかかわらず、お前は生き返らせると言うのか?」


「そんなの、どうなるかなんて分からないよ。今度は思い直して生きようとするかもしれないし」


 この世界の佳代は孤児院でいじめられて自殺した可能性が高いが、いずれにせよ推測の域を出ない。もう一度生きるチャンスを与えると捉えるか、それとも生きるということをただ強要してしまうことになるのか。「人が死んだら手紙になる世界が、私のものになりますように」この死紙の言葉の意味も未だによく分かっていない。


 佑梨の思考は巨大な混迷の渦に呑み込まれた。この神様はなぜ困惑させるようなことばかり言うのか。一体何がしたいのか。どうしてほしいと言うのか。


 俯いて独り言のように漏らす。


「神様が選んでよ、こんなの私一人じゃ背負いきれないよ……」


「どちらかを選ぶことができないのなら、どちらも選ばなくていい」


「それじゃあ、私は生きていけない」


「しばらく俺の使いとなって、死紙を届けてもいい。生活費となる報酬を支払ってやることはできる」


 思いがけない提案。佑梨は神様の顔を見た。


「私が春香の役割を引き継ぐってこと……?」


「ああ、そうだ」


 佑梨は黙り込み、イメージしてみた。決心がつくまで、神様に手紙を届ける仕事をしながらこの世界で生きていく。それも悪くないのかもしれない。だが一つ不思議に思うことがあった。


「どうして私のためにそこまでしてくれるの? それに、この世界には人類なんていくらでもいるのに、なんで私のために貴重な力を使ってくれるの?」


 すると、神様は佑梨の目を真っ直ぐに見て言った。


「この世界の人間は全て、世界そのものである俺の一部分に過ぎない。でもお前は違う。他の世界から来た。お前は俺にとって、()()()()()なんだ。だから俺のことを知ってほしくて、俺について考えてほしくて、ゲームを持ちかけたんだ」


 透き通るような瞳と純真な言葉に、心が貫かれたような気持ちになった。佑梨は思わず神様から目を逸らす。


「春香じゃないけど、惑わされそうになっちゃったよ」


「惑わすとは?」


「何でもない」


 ゆっくりと息を吸い、吐き出す。それを何度か繰り返してから、再び話し始めた。


「ちょっとだけ気持ちが落ち着いた。ちなみに今回も制限時間はあるのか?」


「明日の夜明け前、始まりの海に来い。宮代佳代が死に、お前がこの世界に来て春香と出会ったあの海辺に。そこで答えを聞こう」


「考えられるのは一晩か……」


 神様はソファーから立ち上がった。もう帰るようだ。普通の人間と同じように玄関で靴を履く様がちょっと可愛らしいと思ってしまった。佑梨はその後ろ姿に向かって声をかける。


「念のため確認だけど、仮に宮代佳代を生き返らせた場合、元の世界に帰れるってのは絶対なんだよな? やっぱり帰れませんでしたってなったらぶん殴るよ?」


 神様は振り返る。それから意味深な間を置き、口を開いた。


「それは、()()()()()()()()()


「……分かったよ」


 佑梨が小さく笑いかけると神様は無言で頷き、部屋から出て行った。玄関扉の鍵は、神様が来たときに壊されてしまったので閉めることができない。


 神様がいなくなり部屋でひとりぼっちに戻ると、急に焦燥感が押し寄せてきた。これから究極の選択と向き合わなくてはならない。佑梨は雪崩れるように思案を始めた。


 これはいわゆるトロッコ問題だ。レールが分かれ道のように二つに分岐している。片方のレールには七十八億人の人類と世界の全てが、もう片方にはたった一人の人間が横たわっている。どちらを犠牲にするべきかなんて考えるまでもない。


 だがこのトロッコ問題には一つだけ特殊な条件がある。それは、本来後者のレールに横たわっているのは佑梨の方だったということだ。彼女が佑梨の身代わりとなって横たわり、レバーの操作を佑梨に託してくれただけなのだ。最期に一言、「信じてるから」と言い残して。


 彼女が冷たい鋼のレールの上に倒れながら、こちらを見ているような気がした。佑梨はそれを見下ろして思った。


 春香を救うという選択ができるのにそれをしなかったら、私が春香を殺すのも同然じゃないか――。


 春香は、佑梨には「信じてるから」と伝えたが、本心では自分が殺人者として疑われているという不安を最期まで拭い去ることができなかった。だから死紙にもそれを否定する言葉が綴られてしまった。


 もう一度謝らなくちゃいけない、春香に。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()のだから。

 でも神様の力を使って春香を生き返らせてしまったら、私の世界は本当に終わってしまう。そこには家族や友達だっているのに。

 これは、どちらが私にとってより大切なのかという選択ではない。私は、人としてどうするべきか。そういう問題なんだ――。

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