桜⑥
「大変残念だが……」
朝礼で部長は柳瀬さんが事故に合ったことを説明をした。私が現場にいたことは伏せているものの、話しながら時々加害者を咎めるような視線を浴びせてきた。
朝礼後は呼び出され、そのおかげで注目されているような気がしてならない。諸悪の根源はすぐそこにいるというのにどうしてこうなるのだろう。
応接室で座って待っていると部長がドアを雑に開けて入ってきた。椅子に腰を下ろすと大きな溜息を底がつくほど吐き切って頭を掻いた。
「こんな事になってお前はどう責任を取るつもりだ?」
「責任って、私が何したって思ってるんですか」
「あーあー、これだから女は怖いな。柳瀬の親御さんから聞いてるんだよ、婚約者と事故に合って入院してるって。安西の事だろう?お前も一緒にいたって事は、ほら、あれだろ。前から俺が指摘してた三角関係の」
「変な想像しないで下さい、そんなんじゃないですから」
部長は自分の考えを疑う様子もなく話を続けた。
「12月に入ったっていうのに会社も痛手だ。外回りの奴らも週明けから柳瀬の仕事分担して滅入ってる事だろう。事情は伏せてあるから安心していられるかもしれんが、お前は全員に謝罪すべきだ」
私に対するこの暴言こそ謝罪ものだ。
「で、どうなんだ?柳瀬の容態は」
「昨日お見舞いに行った時はまだ意識が戻ってませんでした」
部長は気の毒そうに宙を見た。
「俺も金曜までには見舞いに行く。本当にとんでもない事になったな。この先柳瀬が復帰できたとして、お前は安西に訴えられるかもしれないぞ。そうなればお前の処分も考えないといかん。もう大人しく手を引いたらどうだ?」
在らぬ罪に問われ吐き気がする。聞き耳持たないこのオヤジに何を言っても無駄だ。
「事実じゃないことを言われてもなんともお返事できません。席に戻って宜しいでしょうか」
怒ると思った、部長は眉を顰めて口をだらしなく開けると言った。
「… 頑固な奴だな、恋は盲目とはこの事か。まあ、お前にも言い分はあるんだろう」
部長は腕組をして私を観察すると戻れと言った。
17時を過ぎて帰り仕度をすると経理の山下さんから恨めしい声で「お疲れ様」と挨拶された。横山さんは一日何も言って来なかった。目が合う瞬間は何度かあった、責め立てたい気持ちは湧いてくるのにあの人の顔が浮かんできては酷く鎮火する。
帰りはそのまま市内の中央病院へ向かった。柳瀬さんの容態は命に別状ないと診断された。でも、肩から腕にかけて骨折し、頭部を強く打った事で意識が戻らないでいる。今日ICUから一般病棟へ移動となるらしい。安西さんは軽傷で済んだ、念のため3日間の入院で経過観察中となっている。
病室を探してノックすると柳瀬さんのお母さんがドアを開けてくれた。
「橋詰さん、でしたよね。仕事帰りに来てくれたの?」
「はい、気になってしまって」
柳瀬さんのお母さんは頭を下げてからベッドを見た。
「まだ意識は戻ってませんけど、少しだけ寝顔が穏やかになったような」
「そうですか…」
「私は今から帰りますけど、良かったらゆっくり居て下さい」
「ありがとうございます」
ドアがゆっくりと閉まって私はパイプ椅子に座った。持って帰ってしまっていた膝掛けを袋から出してベッドの脇に置いた。あの日、私が店を出てまっすぐ駅に向かっていたらこんな事にならずに済んだのに……
静かな部屋の中で回復を祈った。
ノックの音がして思わず返事をした。ドアが開くとそこには病衣を着た安西さんが立っていた。
「あの… すみません、すぐ出ます。これ届けに来ただけなので」
膝掛けに触れた。急いで立ち上がって部屋を出ようとすると安西さんは擦れ違い様に私の腕を掴んだ。
「待って、話を聞きたいの」
そっと顔を見ると近頃の憂鬱な面影は消えていた。今、その瞳からは冷静さが窺える。
「座って」
安西さんは私を椅子に座らせた。それからもう1つ椅子を出してきて隣に座った。
「体、大丈夫ですか」
「幸仁が庇ってくれたから、打撲で済んだの」
安西さんの頬には赤いかすり傷がある。
「さっき、幸仁のお母さんが来る前に親戚の人が面会に来たの」
「親戚…」
「大学生くらいの女の子とそのお母さん。私が先に居たから会釈して出ようとしたら声掛けられて。よく見たらあの写真に写ってた子だったの」
「それって柳瀬さんと腕を組んでた子のことですか?」
「うん。浮気相手が見舞いに来たんだって思って身構えたんだけど、向こうは私の存在知ってて。幸仁が私のこと話してたみたい。結婚するって事も」
「じゃあ、あれは誤解だってわかってくれたんですか
!?」
「… うん」
予想外の展開に慌てた、安堵と嬉しさがじわじわと込み上げてくる。
「幸仁が飛び込んできてくれなかったら私、轢かれてた。道端に転がって、腕の中で聞こえたの。一緒にいてくれって… 苦しそうに息しながら言ってた」
安西さんは柳瀬さんの寝顔を見ている。
「私が最後に会社へ行ったとき橋詰さんの書類立てに封筒を入れておいたんだけど、あれって…」
安西さんはその先のをなかなか言いだせずにいる。
「柳瀬さんとは何もありませんから安心して下さい。あれは親戚の子だって証拠を携帯で見せてもらってた時に撮られたんです」
「そうだったんだ。私、ほんと情けない」
「安西さんは柳瀬さんを信じて下さい」
そう言った時、柳瀬さんの口元が僅かに動いた。
「柳瀬さん!」
柳瀬さんは目を開けた。少しの間天井を見つめてから安西さんに視線を移した。
「…沙織」
ナースコールを押した。安西さんは俯いたまま柳瀬さんの手を強く握り締めている。




