赤④
洋介は私を裏切った。
父親の上得意先の令嬢と婚約する事になったと私に言ってきた。あの電話以降2か月ほど洋介と連絡が取れなくなっている。悲しいという感情は何故か湧いてこない、日々空虚な時間が流れていった。
やっと洋介が連絡してきた時、私は僅かに期待をした。やっぱり戻ってきたのだと思った。車で迎えに来た洋介は吹っ切れたかのような涼しい顔をしていた。どこに向かっているのかわからず黙り込んだ。洋介が話を切り出すのを待った、沈黙は続いた。辺りが暗くなり住宅地の離れにある大きな公園の前で車は止まった。
「飲み物買ってくる。あゆみは何がいい?」
「何でもいい」
洋介は車を降りて少し先にある自動販売機へと歩いて行った。手に缶飲料を2つ持ち公園内を眺めながら戻って来るとそのうちの1つを差し出した。
「最近、どうしてた?」
洋介は缶を開けると一口含みドリンクホルダーに置いた。
「いつも通り。変わった事なんてない」
「そうか、俺は色々大変だったよ」
「どういうふうに?」
「前に話した件だけど…」
次の言葉を聞くのが怖くなり、私はコーヒーの缶を軽く振った。
「やっぱり縁談は断れないんだ」
断れない、と聞いて胃のあたりに鈍い重みを感じた。
「令嬢と結婚するってわけ?」
「うん。そうしないと親父の会社がまずい事になる」
「この間から何言ってるの?私と結婚するって決めたのは洋介でしょ、どうしてそんな他人との縁談を断れないのよ」
「お前が言ってる事はよくわかってる。でもこの縁談を断ったら親父の会社が潰されるかもしれない。いや、確実に潰されるんだよ」
「何回聞いても納得できない、会社の事情なんて私には関係ない」
「あゆみが怒るのは当然だし、俺だっておかしいのはわかってる」
「じゃあどうして!」
「もう聞かないでくれ。ただ本当に、親父の会社を存続させるためには縁談を受け入れるしかない」
「私はどうなるのよ」
「それなんだけどさ…」
洋介は真剣な顔で馬鹿げた提案をしてきた。結婚しても私と関係を続けるというものだ。私は頭に血が上るのを押さえられず気が付くと洋介の頬を思い切り叩いていた。
「どうして私が不倫みたいな事しなきゃいけないのよ!」
洋介は私の両肩を掴み力を込めた。
「わかってる、わかってるんだよ…」
洋介の目は潤んでいる。
「どうにもできない事があるっていうのを理解してほしい。縁談を断るのは現状的に絶対無理だ。けど、俺はあゆみと離れるなんて考えられない」
「調子いいこと言わないで… さっきまで涼しい顔してたくせに、今更演技しても無駄よ。うまくなだめて私を捨てるんでしょ」
「捨てるんだったらわざわざ呼び出してまでこんな話するか?」
顔を背けた拍子に零れた涙が頬を伝った。涙を拭おうとした右手を洋介が奪い力強く握り締めた。すすり泣く自分の声が陰気臭くて嫌になる。二度と会わないと言えば潔く終わらせられるのに、どうしても別れを選べない。暗闇の中、ぽつりと前を照らす外灯の光を見ながらどの道を選べば良いのか考え続けた。




