封筒④
近頃、安西さんの様子がおかしい。今日は出社して自分の席に着いた途端に恐い顔をしている。安西さんのデスクの上には雑誌が一冊開いた状態で置いてあった。昨日帰る時にデスクの上は整理されていたはずなのに何故雑誌が置いてあるのかはわからなかった、安西さんが置いたのではない事は表情からして確かだ。雑誌を畳むとデスクの引き出しへ入れ込んだ。
「どうかしたんですか」
「…なんでもない」
「顔色が悪いですけど、どこか具合悪いんですか?」
安西さんは一瞬何か言いかけた、でも向かい側に座っている経理の山下 明海が眼鏡越しにこっちを見たため口を瞑った。社内の人に聞かれたくない事なのか。
「ちょっと貧血気味で」
目元にうっすらと隈がある。
「え、大丈夫ですか?」
「うん。動けるから問題ない」
そう言っているがその目には明らかに不安の色が滲んでいた。結婚間際で新居の部屋探しや準備が山程あって忙しいと聞いている。昼食を一緒に食べる時にはそれ以外の悩みなど聞いた事がなかった。柳瀬さんの朗らかなイメージからして2人は順調なんだと思い込んでいたけど、他人が知らないだけで実際はいろいろと悩みがあるのかもしれない。そんな事を考えながら郵送物のチェックをしていると横山さんが席を立った。部長の元へ歩いていくのを見て安西さんの事をまた悪く言われないか気に掛かった。
「部長、そこに置いてある観葉植物が枯れ始めてて、日の光が当たる場所に移動させてもいいですか」
その観葉植物とはコピー機の隣に置いてある私の背丈ほどの木だ。
「ああ、あの木か。枯れたら枯れたで捨てればいいから放っといて構わんけどな」
部長は興味がなさそうに言うとパソコンのキーを打ち始めた。
横山さんは少し声を低くした。
「移動させていいですか」
「邪魔にならない所で頼むよ」
秋の繁忙期に向けて部長もやることが多いらしい。相手が横山さんであってもいつもの煽てるような口ぶりではなかった。
事務の制服はスカートで、横山さんはたくましくも自分で観葉植物の鉢を持ちあげようとした。そんな面倒な事をわざわざするなんていい所もあるんだなと不思議に思った。
「僕が運びましょうか」
柳瀬さんと同じ営業担当の村上さんが横山さんに後ろから声を掛けた。村上さんはさっきまでコピー機の前で印刷物が出てくるのを待っていた。背が低めで二重顎が目立つ冴えない感じ、だけど何か困っているとすぐに声を掛けてくれる優しい人だ。いつも遠慮気味な笑顔を見せるけど、もう少し自然に笑えばいいのにと私は思う。
「大丈夫、これぐらい自分で運べるから」
横山さんは意地を張って村上さんの助けを断った。
昼食を摂って事務所に戻った時、経理の山下さんが既に仕事を始めていた。
「お疲れ様です。山下さんもうお昼食べられたんですか?」
「食べたわよ。仕事量が多いから早めに戻って来たの」
「そうなんですか。私にも手伝える事があったら言って下さい」
返事はなく山下さんの指はひっきりなしに電卓を叩いている。黒色のバレッタを留め整えられた髪型は模倣回答とも言える身嗜みだ。フレームのない眼鏡は知的な印象だけど他のデザインに変えた方がもう少し若く見えると思う。
「何?」
自分の席に座って、山下さんは何歳なんだろうと考えながら前ぼーっと見ていると鋭い視線を向けられた。心の中を読まれた気がして慌てて話題を探した。
「あのっ……今朝の横山さん意外でしたね」
「何の事?」
「観葉植物を日光に当ててあげたいなんて、可愛いところがあるんだなーなんて」
「あなた、年上に可愛いなんて言うのは失礼よ」
「はい、すみません」
気まずくてしょうがない。
「横山さん、実家が花屋さんで植物に結構詳しいのよ。あの木の手入れは時々あの子がしてるの。今朝も早くに来てたわよ」
「へえー、更に意外ですね」
山下さんの鋭い視線はまたしても私に向けられた。もう何も言わないでおこうと決めた。それにしてもあんなに不愛想な人が花屋の店員だったら夢もないと想像してしまった。安西さんがトイレから戻って来たのでさっき話していた駅前のジェラート専門店のチラシを引き出しから取り出して渡した。喋るとまた山下さんに注意されると思い私はメモ用紙にこう書いた。
”明日までオープン記念の割引してるみたいです。絶対に今日行きましょう”
最近疲れた様子だった安西さんを元気付けようとジェラート専門店に誘った。
安西さんはメモを見て力なく微笑んだ。そしてメモはありがとうの一言が書かれて返って来た。




