封筒③
「橋詰さん、だいぶ仕事慣れてきたんじゃない?」
外回りから戻って来た柳瀬 幸仁が社内の冷蔵庫からお弁当を取り出そうとしている私に声を掛けてきた。
「はい、失敗も色々あるんですけど、安西さんに丁寧に教えてもらっているので頑張れてます」
付き合っていることを知っていて柳瀬さんの前で安西さんの名前を出すのはなんだか妙な気分だ。
「安西さんね。橋詰さん入社して今で何か月だっけ?」
「4月入社だったんで、3か月です」
「そっかー、俺が入社してすぐの頃なんて今の橋詰さんみたいにしっかりしてなかったなー」
柳瀬さんは冷蔵庫から量の減った炭酸飲料を取り出し一気に飲み干した。
「すごいですね、炭酸一気飲みなんて。私、炭酸が苦手なんです」
「夏はキンキンに冷えた炭酸やビールを一気に飲み干すのが堪らないんだよね~。サオリには体に悪いって怒られるけど」
そう言ってから柳瀬さんは思い出したように小さく息を呑み私を見た。”サオリ”は安西さんのことだなと気が付いた。
「早く安西さんに安心して退職してもらえるように頑張ります」
2人の関係は知ってますよといった具合に小声で伝えた。
「ああ、ありがとう。橋詰さんも知ってたんだね」
柳瀬さんは参ったという顔で笑いながら自分の席へ戻っていった。
社内恋愛は規則として禁じられていることを安西さんは前に話していた。付き合って3年、結婚することを柳瀬さんから上司に報告したところ、規則に従ってどちらかが退職するように言い渡されたそうだ。実際安西さんがすぐに抜けるというのは会社として都合が悪いらしく新人が育つまでは会社に残るという流れとなった。安西さんの退職理由は結婚だと社員には伝えているものの、相手が柳瀬さんという事は退職するまで隠しておくようにと言われているらしい。それでも何人かは2人が交際していることに気付いているはずだと安西さんは言っていた。
「安西さん、これ」
いつも愛想のない横山 亜由美が伝票の束を持って後ろに立っている。安西さんは振り向き伝票を受け取った。
「途中から数字がおかしくなってるわよ」
横山さんが伝票の上を指で示すと安西さんは驚いた顔をした。余程の間違いをしているのか。
「すみません、すぐに訂正します」
「もうすぐ退職するからって気を抜いてるんじゃないの?」
横山さんは歪んだ笑みを浮かべて安西さんを見た。
「そんなつもりはないです。間違ったのは事実なので今後気を付けます」
悔しい気持ちを隠すようにしながら安西さんは言った。横山さんは嫌にゆっくりと目を逸らせて部長の席へ向かった。事務所内にコピー機やパソコンのキーを叩く音が響いているなかで部長にもさっきの会話は聞こえていたに違いない。
「部長、頼まれていた資料の準備はもう出来てますので今度会議の前にお渡ししますね」
安西さんに話し掛ける時とは違い声に華やかさがある。
「おお、横山君助かるよ。本当に君の仕事ぶりには目を見張るものがあるね」
「ありがとうございます。ほんの少しでもお忙しい部長のお力になれればと思ってやってるだけの事です」
「いやー、社員の鏡だね。素晴らしい」
部長の目は爛々としている。
「社員の鏡だなんてとんでもないです。安西さんだって時々ミスはするものの丁寧な仕事をしてくれています」
さっきミスを人前で堂々と指摘しておいてそれを言うかと内心ぞっとした。計算高い人だなと思った。部長は安西さんの事をあまり良く思っていないのか、頷くこともなくただ横山さんを褒めることに専念していた。横山さんのあからさまに上辺だけの口調に傍から聞いているこっちはむず痒くなるけど、部長は心底嬉しそうにしている。柳瀬さんの方を見ると周りの会話がまるで入ってきていないという様子だ。午後から回る交渉先を確認しているのかもしれない。
「橋詰さん、先にお昼食べに行って。私この伝票の修正してから行くから」
安西さんは周りを見てから囁くように言った。
「わかりました。お先に戴きます」
ドアに向かう途中、横山さんとすれ違いざまに目が合った。ひとつにまとめた髪は全体にウェーブがかかっていて、口紅の艶やかさと微笑みには色気がある。それでもどことなく気を許せない雰囲気は女にしかわからないものなのかもしれない。直接自分が何かをされたわけではないけどこの人にはあまり関わらない方がいいと警戒心を抱いた。




