第九話 エスコート頼まれました
デニスは深呼吸してぐっと腹に力を入れた。
仮にも騎士団長として、パーティーが嫌いだなんて駄々をこねるわけにもいかなかった。
皇族である紬に恥を欠かせないように、騎士団長の礼服に加えて持ち物の中で一番価値がありそうなサークルストーンを手に取った。
カナリーイエローの200カラット近い魔石で、40面のカットが入ってるせいか、太陽の光を具現化したみたいに光る。
騎士団長になったお祝いだと言ってミシェーラが贈ってくれた品だ。値段なんか聞けなかったけど…この色を選んでくれるあたり、親友だよなぁって思った。
いつも無造作に手ぐしで整える髪もポマードできっちりと後ろへ流して、最後に黒薔薇のコロンを身にまとえば…完璧なはず。少なくとも見てくれで誰にも文句はつけられないだろう。
プレートで離宮へ迎えに行けば、いつもの三倍増しに華やいでいる紬がいた。
彼女の雀色の髪に燕脂の着物がよく映える。
少しくすんだ赤色が見慣れたものだったので、冗談のつもりでーーー
「その着物、俺の髪色に合わせてくれました?」
即座に否定されるかと思いきや、まさかだったらしい。
長いまつ毛を伏せたまま口をすぼめ、パートナーに合わせるのは礼装の基本でしょうと返された。
…ほんとにいい子だ。いつも女の影をちらつかせて、偉そうに説教かましてくるやつなんて俺だったら絶対嫌いになるぞ。
着物だけじゃなくて装飾品も見て欲しいと紬が背中を向けた。
結い上げられた黒漆の髪に扇形の髪飾りが刺さっている。独特の質感で月のように控えめな輝きを放っていた。
着飾った自分を見せたがるなんてちょっと意外だった。普段は俯きがちな印象の紬だが、ずいぶん気分が上がっているようだ。花を飛ばすようなはしゃぎようが服を買い漁るときのミシェーラの姿と重なる。
ワカサヌリのカンザシは今日のためにフィアンセが贈ってくれたらしい。
「綺麗な簪でしょう?これほど素敵な螺鈿細工なんて中々手に入らないのよ」
紬が自慢するだけあって、貝殻や卵の殻を貼って色漆を何色も塗り重ねた髪飾りは見事な品だった。
「キラキラしてて海の底を閉じ込めたみたいですね」
「綺麗ですよ」と褒めてやれば、怯んだように着物の裾で口元を隠す。
照れ隠しに必死で、彼女の一挙一動が周りのマスキラの視線を集めていることに気づいてないのが紬らしい。
ーーーカランカラン
時計台の鐘の音がデニスの耳を揺らす。1、2、3、4回…思っていたより時間がない。
キモノという民族衣装は大層動きづらそうだったので、許可も取らずに横抱きにしてしまった。
身体が浮く感覚に驚いたらしく、腕を首に回される。
非難の言葉が飛び出す前にプレートに向けて走り出すデニス。
小さな悲鳴をあげる彼女には悪いが早いところ会場入りしたかった。
「こ、こわいんですけど…!?」
耳元で叫ばれてもデニスは何も気にしないが、マスキラの肩に顔を埋めるような真似はやめた方がいい。
十三歳くらいから一人しか目に入らないようにプログラミングされているデニスじゃなければ恋にも発展しそうな密着度合いだ。
芝無の上を走って、プレート目掛けて軽く跳躍。ーーー三十秒にも満たない移動時間。
降ろしてやろうと視線を下げ…しわくちゃな顔で瞳を閉じて震えている紬が可笑しくてデニスが黙って肩を震わせてたら、追いついてきた護衛長にどやされた。
「姫を早く降ろさんか!」
「…!?ちょっと、着いたんなら声をかけなさいよ」
文句を言いつつも紬の腕はデニスをがっしりとホールドしていて…。
涙目で睨まれるとからかいたくなるのって本能だよな?
耳元で「しがみついちゃって離れたくないんじゃないの?」って囁いたら、めちゃくちゃ動揺して手を離して身体をそらせたりするから、普通に落としそうになった。
「あぶな!ーーーおしとやかにしててくださいよ」
期待通りの反応に内心舌を出す。
呆れたふりをしながらデニスはそっと紬を降ろした。
…先ほどから思っていたのだが、視線が合わない。
デニスは内心首を傾げたが、プレートを動かすのが先だ。
追いついてきた側近たちを急かしながら動力魔石に魔力を注いでいれば、今度は横に座った紬が痛いほどの視線を送ってきている。
咆哮のようなエンジン音をたてながら発進した赤いプレート。
運転に集中するふりを続けていたデニスだがーーーやがて、耐えきれなくなったように吹き出した。
「ーーー姫様?穴が開くほど見つめないでください」
こっそりと見ていたつもりだつたらしい紬が慌てていたが、流石に騎士を舐めすぎだ。気配には人一倍敏感だからね?
バツが悪そうに「今日も御令嬢たちに大人気なんじゃない?」と褒め言葉らしきものをくれた。
友達に送るとかで写真も頼まれたので、「彼氏とドライブデート中で使っていいよ」と流し目を向けてあげたら、すごい不服そうに連写していた。
なぜむくれているのか…行動と表情が一致していない。
王宮中心部に近づくにつれ、パーティーの参加者がちらほらと見えてきた。
中でもクラゲみたいにふわふわとした衣装の魔法使いを目に留め、宝物を見つけたみたいに瞳を輝かせる紬。ブリテンの衣装が物珍しいのかもしれない。
デニスは運転しながらライラのドレス姿を思い返していた。
激辛チュロスを渡した時にチラリと見ただけだが、優艶な濃紺のグラデーションはジョシュアの瞳を模したものだろう。初めて見た型のものだったから贈り物かもしれない。
自分が贈るなら赤のドレスか?ーーーと思ってデニスは首を振る。ドレスを贈れるのはパートナーくらいだ。脱がせるために贈るなんていう古風な考え方が意外と残るのがこの国である。
また装飾品でも贈るかなんて不毛なことを考えていると、停車場の誘導の騎士がこちらに向けて馴れ馴れしく手を振っているのに気づく。
「こらこら、俺は上官だからな?」
紬の前だ。部下の行動を嗜めるものの…
「わたしだって出席者がよかった!!団長ばっかりいい思いして!」
恨めしげな視線を向けて通せんぼしてくる同僚のフィメル。
子供じみた行動をする彼女を見たデニスも煽るように、
「人気者でごめんな?次は相手が見つかるといいな」
と鼻で笑ってすり抜けた。
イケメン滅びろー!と叫んでいるが彼女は有名なデニス信者なので雑に扱って問題ないのだ。じゃれ付いてくる犬っころくらいにデニスは思っている。
プレート置き場には長蛇の列ができていた。
鈍臭いのは何番隊のやつだと首を伸ばせばーーー先頭では、城の文官が手にした書類をしかめっ面でめくっていた。騎士団の管轄外だったらしい。
…どうやら参加許可証のチェックに戸惑っているようだ。
来年は魔道具認証化したほうがいいな、とデニスは脳内メモをつける。
プレートを操り、駐車列の最後尾につけたところで…会場の大広間の方から、人の流れに逆らうようにして青服を着た騎士団員が数名走り出てきた。
周囲の参加者よりも頭ひとつ抜き出たマスキラが三番隊を率いる兄のジュリアンであることに気づき、デニスは少し気を引き締める。
部下を待機させ、デニスたちのプレートにひらりと飛び乗ったジュリアンは、少し暗い顔をしていた。
目に入る三番隊の隊員もそわそわと落ち着きがない。
「どうかした?」
デニスの穏やかな声を聞いて、ジュリアンは少し安心したのだろうか。目元を緩め、苦笑い。
「休みの日に押しかけてきて申し訳ありません…ただ、団長の耳に入れておきたいことが」
ジュリアンによるとプロイセンの留学生が護衛だと言って登録のない私兵を三十名ほど連れてきたらしい。
報告を聞きながら、それくらいなら代理を任せている父親がどうにかしてしまいそうだとデニスは思った。
案の定、話には続きがあった。
「警備の陣形を変えましょうか?…魔法士団の方からプロイセンの私兵に対抗するには騎士団の警備が甘いんじゃないかという指摘が出ておりまして」
デニスは思わず苦い顔になった。
騎士団と魔法士団が犬猿の仲なのは有名だが…デニスが非番である日にいちゃもんをつけてくるとは。
腕を組んで考え込むように瞳を閉じたデニス。
喧騒の中、そこだけが切り取られたかのように沈黙が落ちる。
ジュリアンや紬が見守る中でーーーデニスが下した決断。
「このままで行こう。俺もよく見ておくし、開始あたりで例の留学生と私兵に俺から釘刺しておくわ」
ジュリアンが兄の顔になって「何する気だよ」とささやくと、デニスはすうっと目を細めた。
「誰に喧嘩を売ってるのか教えてあげるだけだよ。ーーーいつまでも自分たちだけが魔法大国だと思い込んでる馬鹿どもにね」
魔法士団には「特殊部隊」が動くと伝えてもらうことにした。…特殊部隊は、デニスが力技で面倒ごとをどうにかするときの隠語である。
ジュリアンたちが慌ただしく引き返していくのを見送り、デニスたちがようやく先頭に立ったときにはパーティー開始まで十分を切っていた。
参加許可証を取り出したデニス。
「デニス=ブライヤーズと紬姫だ」
無愛想な文官がデニスの顔と紬の顔を一瞬だけ確認した。
文官は苛立たしそうにリストをめくっていく。
真ん中らへんまでめくったあたりで何か書き込む文官。
長机に積み上げてあった番号札を受け取ると、後ろに向けて「持っていけ」と短くつげた。デニスたちのプレートにも番号札と鎖がつけられ持ち去られる。
エスコートに慣れていない紬と一悶着あったが、ようやく会場内へと踏み入れたデニスたち。
「開会に間に合うかしら」
紬は落ち着かないのか手にした扇をパチンパチンと鳴らす。
デニスはよそ行きの笑みを浮かべたまま、紬を守るようにして人の波を泳いでいく。来たのが遅かったせいか、空いているテーブルはもう少し行かないとなさそうだ。
着飾ったフィメルの子たちが熱帯魚みたいに泳いで行ったり、一丁前にタキシードを着たマスキラたちがいつもよりちょっと胸を逸らしていたり。
気を抜くと人にぶつかってしまう。紬の話に相槌を打ちながらも、視線を絶えず動かしてデニスは例の留学生の一団を探した。
…中央でやや遠巻きにされている真っ赤な服のマスキラのグループがあった。おそらくシャンパン片手に肩を震わせているのが「勝手に私兵を連れてきた留学生」だ。釣り上げられた狐目が出席者を品定めするように動く。
性格が悪そうだと思った。先入観かもしれないが。
彼らの全員足してもデニスに敵わなそうな魔力量を見ただけで、デニスの興味は失われた。
弱そうでつまらなそうだった。
この後わざわざ出向くと部下には言ったが、必要なかったかもしれない…。
「ここの場所はちょっと嫌だわ」
そわそわと落ち着かない紬が腕を叩いたことでーーーデニスは赤色の集団から意識を戻した。
ここまで大規模な洋式のパーティーは初めてらしく、紬はできるだけ端っこに行きたいらしい。
あっちに行くわよと命令を受けたデニスは、口調は偉そうだが態度がついてきていない彼女の右手を緩く引いてやる。
「こっちきた…デニス様ー!」
白いクロスの丸テーブルを取り囲むようにして顔を寄せ合っている歳下のフィメルやニュートたち。華やいだ声でデニスに手を振ってくれる。
騎士団長くらい偉くなると、広告塔の役目も果たすべきであってーーー初めは恥じらいもあった気がするが、今ではファンサービスにも慣れてきた。
手を振り返すついでにハートマークで魔力を飛ばす。
紬は「キザすぎる」とため息をついているがーーー歳下の子達が頬を染めてくれると気分もいい。
「紬様にもあげるから拗ねないで?」
掴んでいた手の甲を持ち上げて、指でハートを描いてやればげんなりとした顔をされた。
ーーーこの反応が面白くって、わざと怒らせるみたいなことをしている自覚はある。
壁際の位置についたことでようやく落ち着いたらしい紬。
ぼけっと立っている…ように見えて周囲を警戒しているデニスをチラリと見て。
少し離れたところで「デニス様のテーブル近いね!お話ししに行ってみる?」と内緒になっていない内緒話をしているフィメルたちを複雑そうな顔で見ている。
「相変わらずの人気ね…」
「俺の見た目が好きなんだよ」
小さな声だったが、傍らに立つ紬には聞こえたらしい。
バツが悪そうに口を曲げた。
紬だって俺の顔は結構好きでしょ?たまに見惚れてるの気づいてるよーーーなんて流石にこの場で口にはしないけど。
熱視線を送ってくる子たちは俺の何が好きなんだろう。
顔かな。子供に受け継がれる魔力かな。騎士団長のステータスかな。
ちゃんと見てれば、デニスが自分の想いに溺れかけているのくらいわかりそうなものなのに。
自分に向けられる好意がつらくて、受け止められない自分が嫌で、気がつけば身につけていた軽薄さの仮面。
きっと誰も気づいていない。
着飾って姫君をエスコートしているデニスが今すぐ金の飾りボタンをむしり取って。
魔法剣片手にジーンズで竜が出るような岩山を駆け回りたいと思ってることなんて。
喉が渇いたという紬のために、通りすがりのウェイターにノンアルコールカクテルを頼んでいると、真横からちょっと上擦った声がした。
「デニス君!俺、今度騎士採用試験受けようと思うんです!」
見知らぬ青年だった。向こうはデニスのことをよく知っていそうだが。
ざっと見た感じ、体格も魔力量も平凡だった。
冷静な自分が「試験に受かるかギリギリなレベル」と判定を下しているが、憧れの騎士団長はそんなことを言わない。
「筋肉のバランスがいい。よく鍛えてるね、得意なのは青魔法?」
わかったような顔で頷いて、最後に少しだけ先輩らしさのスパイス。
魔力の澱みがありそうな右腕周りの改善点を指摘してやれば、恋でもしたような顔で見られた。
ちゃんと憧れの騎士団長を演じられていることにホッとする。
「開始時間なのに始まらないわね…」
一刻も早く帰って布団に潜りたいデニスの心情とは対照的に、そわそわと時計を気にする紬は異国のパーティーが楽しみで仕方ない様子。
夏を祝うパーティーはちょうど学園が長期休みに入る八月に開催されている。
魔法学園の留学生にとっては唯一国王陛下夫妻と直接話す機会が与えられる場だ。
「こんな規模のパーティーに呼ばれるのは初めて」
斜め前にいた学友たちに恥ずかしそうに手を振っている紬。
デニスは純朴そうな彼女の表情が最後まで曇らなければいいと思った。
…十中八九無理だろうが。
パーシヴァルが選んだオーケストラの演奏にうっとりしている紬の顔がデニスはまともに見れない。
最近ずいぶんと明るくなったこの子にーーー自分を取り巻く汚い大人の世界を見せるのが嫌だった。
「パートナーは護衛騎士のデニス様で」と指名されていることは承知の上でデニスは必死に自分ではないパートナーを探した。
でも、紬は皇族なのであまり家格の低い相手と公式の場に出ることはできない。同時期に来ていた留学生は婚約者がわざわざ入国していたし。
学園の友人でいい相手はいないのかさりげなく探ったが、結果は芳しくなかった。紬は自国に婚約者がいるのだから当然なのかもしれないが。
「パートナーが俺でごめんなさい」
もう自分しかいないと腹をくくったときに、デニスはこれから起こるであろう不快な出来事への予告を打ってはいた。
デニスの謝罪に和国の面々は不思議そうな顔をしていた。
事情が聞きたそうな彼らにデニスはわざわざ説明はしなかった。見ればわかるしね。
開会までの少しの間。デニスは無意識で黒髪の少女を探す。
あ、いた。
デニスたちから見て右斜め前に位置する壇上の端に並べられた長椅子。王族はあそこに固まって座っているようだ。
ライラとパーシヴァルは今のように寄り添っていると兄弟のように見える。
色味が似ているのだ。パーシヴァルの髪とライラの翼は仲良く濃紫色なので、パーシヴァルが大好きで仕方ないライラ本人がよく自慢している。
デニスはしばし二人を眺めていた。
パーシヴァルにのしかかられる彼女の頭の高さにふとした違和感を覚えた後で…呆れたように息をつく。
ライラは先ほど顔を合わせた数時間前より年齢が上がっていた。
さすがは始祖竜。なんでもありだーーー15歳くらいの彼女の横には夫のジョシュアはいなかったが、この後のパーティーで彫刻のように隙のない男の横に立つため、少しでも背伸びしたかったのだろう。
魔力の無駄遣いだとジョシュアには叱られるのだろうが…デニスは悔しいようなホッとしたような気持ちになった。
悔しさはもちろんジョシュアに向けたもの。
安堵はパーティー嫌いな彼女が笑っていること。
じっと見ていたら、ライラがデニスたちに気が付いた。
カナリーイエローと視線が交わる。
「(がんばろうね)」
口パクで伝えられーーーデニスは前髪を治すふりをして顔を隠した。
ジョシュアのために着飾ったとわかっているのに綺麗だった。
それと会場で話せると思っていなかったので嬉しい。
口元を隠したままそろりと顔を上げるとまだライラはデニスを見ていた。
仕返しのつもりで、できるだけカッコつけつつ以前もらったピアスにわざと触れてみせるとーーー嬉しそうに細められた金色の瞳に魔素が流れるのが見えた。
デニスは自分の視力に感謝した。ちょっと頑張れる気がしてきたぞ。