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当て馬騎士の逆転劇〜こいねがえば叶うはず〜  作者: 橘中の楽
第二章 捨てられた騎士
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第四十三話 別れ

今日のエリザベータは少しおかしかった。

いつもはもっと上手く隠してるのにーーー彼女の狂気が今日は顔を出してしまってる。


愚かで愛しいらしい俺の方へ向けられたオレンジ色の瞳をじっと見据えーーー「何かあった?」と聞いてみる。

エリザベータは「いいえ、いつも通りですよ」と目を細めた。

「いつも通りですが、お伝えすることはございます」ーーーそう続けた彼女の瞳が一瞬だけ光った気がしたのは気のせいだろうか?


「こちらが頼まれていた件の報告書です。黄色竜の潜伏候補地。保守派の主要メンバーのリスト、騎士団に働きかけていた者はそこまで大物でもなかったので、少し脅しておきました。もう兄君と接触することはないと思いますわ」


エリザベータの言う少しの脅しはきっと全然少しってレベルじゃないんだろうなと考えつつ、差し出された紙を受け取りパラパラとめくっていく。

一枚目は世界地図だ、星印がついている場所が潜伏候補地なのだろうか。

二枚目からは各地の調査結果が書いてあった。怪しいのは東極の島国らしい。「魔素の反応から始祖竜の痕跡あり」なんて報告を一般の騎士にできると思えないから、エリザベータ本人が確認に行ったのかもしれない。

五枚にわたって黄色竜の報告が続き、次に書かれていたのは「極秘文書」の文字。ご丁寧に魔力でロックまでかけられている。注意書きには…「設定者以上の魔力純度」が解除条件、無理に開封すれば中身は抹消と書かれている。この国では俺とシリルくんくらいしかみれないんじゃねえかな。

魔法陣に魔力を注ぎ、赤い文字列が白い紙に吸い込まれていった後でいかにもなそれをめくってみれば、エリザベータの几帳面な字で綴られていたのは大量の人名。

…保守派のリストなんて簡単に言ったけど、びっくりだ。これ、末端の末端まで入ってないか?よくこんなのよく調べ切れたな?


「お前、黄色竜の居場所も保守派のリストも…一ヶ月くらいでよくこんなに調べられたな?」


「よくやった」と言った時、久々に笑みが浮かんでたと思う。

エリザベータは俺のことを眩しそうに見て「時間がないものでーーーお役に立てたなら何よりです」と笑った。


…やっぱり、今日のこいつはちょっとおかしい。

「時間がない」そんな意味深なことを軽々しく口にする奴だったか?


胸に渦巻く違和感を口にする前に、エリザベータが「全員の顔と名前は一致しますか?」と尋ねてきた。


俺はもう一度リストに目を通す。

七割くらいはわかるけど全員は知らねえや。魔法士団の奴らばっかだけど、最近入ったやつとか知らないしな。


俺が「わかんない奴もいる」と正直に言ったら、エリザベータは探るような声色で「見覚えのない名前はないですか?」と再度尋ねてくるではないか。

俺は戸惑いつつも、エリザベータが何かに気づいて欲しそうに見てくるのでもう一度名前を上から見ていく。


…リストの途中、おかしな名前があることに気づいた。

思わず、口からこぼれ落ちる。


「ーーーキュウバンってなんだ?これ、名前か?」


俺がそう口にした時、エリザベータは花が綻ぶように笑った。

その笑みは一瞬で消えた。

それでも、俺は初めて素の彼女を垣間見た気がした。


違和感がどんどん大きくなる。

キュウバン、はエリザベータの知り合いなのか?

なんでそんな嬉しそうな顔をする?何回も名簿を確認させたのはキュウバンを俺に見つけて欲しかったのか?


エリザベータはきっと俺の聞きたいことは大体わかってるんだと思う。

でも、いつもみたいに先回りして答えをくれたりしなかった。

代わりに、「いい思い出をもらえました」と目を伏せた。


「ローゼシエーーーしばらく、本業が忙しそうなので、連絡がつかなくなると思います。ちゃんとご飯を食べて、服も自分で着替えて、いくら眠くても鉄のコップを握り潰しちゃダメですよ?」


エリザベータは笑っていたが、俺は全く笑えなかった。

だって、彼女の本業って「暗殺者」だぞ?

…何をするつもりだ?


「おい、待て、ちゃんと説明しろ。どれくらいの期間いなくなるんだ?行き先は?」


「言えませんーーー制約魔法で言えば心臓が止まるようになってます」


…相変わらず、エリザベータの主人はクズ野郎である。

ーーー今日の彼女はおかしいし、やたらと肩甲骨のあたりをさするんだ。

…まるで、治ってない傷跡があるみたいに、そうっと指先で叩いてる。


エリザベータは「私の話聞いてますか?」とわざとらしく唇を尖らせた。

いや、お前こそ俺の質問に何も答えてないだろうが。


俺の魔力が苛立ってさざ波だったのくらいわかってるだろうに、エリザベータは繰り返す。


「ちゃんとご飯を食べてください。魔石だけじゃ足りてないと思うんです。騎士団長時代はほっぺももう少し肉付きが良かったのに。寝起きも心配です、私もブランドンもいなくてコップだけじゃなくて色々と壊さないといいんですけど」


なんでそんなどうでもいいことをーーー喉元まで上がってきていた言葉を俺は自然と飲み込んだ。

エリザベータの水の膜の張った瞳は雄弁だった。

ああ、言えないのだ。彼女は自分を縛る制約魔法のせいで、言いたいことをきっと半分も言葉にできないんだろう。


だから、俺は代わりに「わかった」と一つ頷いた。


エリザベータはいつも通りを装って「はい、団長」と胸を叩いた。

そのまま踵を返し、背中を向けて扉へ歩いていく。

一流の武人にとって背中を見せるのは信頼の証。

…彼女の歩みが、異常なくらいにゆっくりで、鈍い俺にもわかってしまう。


ーーーエリザベータは多分もう戻ってこない。

彼女はさよならさえも口に出せない。


名残惜しそうに小さくなっていく背中に、気の利いた一言もかけられない俺は上司失格だと思う。でも、こんな時でも俺の頭の一部は冷静で警告を発してたりもする。

だってエリザベータが向かう先がブリテン王宮である気がして、それはつまり彼女は敵でしかないということなわけで。

ーーー彼女が俺を団長、と呼ぶうちは彼女に王族を傷つけさせるわけにはいかない。

ここで俺の手で殺しておこうかという考えがチラリと浮かぶ。

こいつを預かると決めた時にいざというときは俺の手で始末しようと決めたんだよな。

でもまだエリザベータのことを信じたい俺がいる。

魔力を練りかけてやめる。剣の柄に手をかけて離す。

どんどん遠のいていく背中で揺れるポニーテールを見つめながら、迷いに迷った挙句ーーー俺には無理だと悟った。

だって、こんな不器用にさよならを言うやつを俺には殺せない。

自分の甘さを後悔するかなあ?…結局、剣の柄から手を離し、思いっきり髪の毛をぐしゃぐしゃにする。

エリザベータはそろそろ扉まで着きそうだった。

せめて何か言いたかった。最後なら、お別れの言葉?

いや、NGワードだとエリザベータが罰せられるか?じゃあなんて言えばいい?

俺の口からはびっくりするくらいつまらないセリフが飛び出てきた。


「…お前は意味不明なことばっかするけど、俺の副官はお前にしか務まらないよ」


だから戻ってこいよ、というつもりで言った。言った後でちょっと恥ずかしかった。

言葉にするのは得意じゃないって自覚はあんだけどーーー伝わったかな?

エリザベータからの返事はなかった。

エリザベータの扉にかけられていた手が体の脇に降ろされた。

彼女は振り返らなかった。

でも、肩が小さく揺れているのは後ろからでもわかった。


エリザベータは深呼吸を繰り返した後で、再度扉に手をかけた。

今度は迷いなく階段へと消えていった青と白の隊服。


なんとなく、もう会わないんだろうなと直感で思った。



まず黒竜にいらんことを吹き込んだらしい青竜をあと百回くらいぶん殴らないと気が済まなかったので、俺は全身全霊をかけて青竜の魔素を探った。騎士団長時代に暗殺者に周りを取り囲まれた時だってここまで集中してなかったと思うってくらい神経を研ぎ澄ましたのに、青竜は見つけられなかった。ーーーこの世界にいないんじゃねえか?あいつ死んだのか?

残念なことにまだ青竜は世代交代のタイミングじゃない。つまりどこかに身を隠しているだけなはずなのだが、魔素に聞いても見つからない。

ただ、気になったのが青竜のお膝元のフランク王国の魔素たちが、


「また邪竜さまのとこじゃない?」


と言ってたそうなのだ。…青竜くらい長生きすると、邪竜さまのとこに遊びにいったりもするらしい。俺にはまだ無理だ、緊張っていうか畏れみたいなのが先に来る。創造神に会うようなもんだぜ?よく遊びにいってるとしたら、おかしいのはあいつだと思う。


イライラが全く解決されなくて腹立たしかったが、見つからないのであれば仕方がない。諦めよう、また蘇ったら呼び出せばいい。

俺は改めてエリザベータの渡してきた報告書の詳細を読み込むことにした。


「なになに?プロイセンがここでフランク王国を抜けて海の先の東の果ての国ーーーん?」


黄色竜の潜伏地ってこれ、もしかして和国か?


そこまで考え、俺は小さな違和感を感じた。

俺、何か忘れているような。


「和国、和国ーーーあ。紬さま」


すっかり、忘れてた。あの二重人格な電話を受け取ったのいつだっけ?

ちょくちょく寝すぎるせいで時間感覚がかなり曖昧だ。

しかも俺は今文明の利器を何も持っていない。魔力通話はおろか時計さえこの城にはないのだ。


「雪が降ってるから冬だとは思うんだよなあ」


雨が降り出しそうな曇り空。窓辺から見下ろすと湖には氷が浮かんでおり、湖を取り囲む草原も、森の木々も全て雪で覆われている。

…二月くらいだろうか?後でシリル君に確認しよう。


「紬さまが和国に帰るのって三月じゃなかったっけ?」


こめかみをトントンしながら考える。


「ーーー流石に、あの状態で放置して返すのもなあ」


一応皇族だし、護衛騎士として縁があった仲だし…めっちゃ俺のこと呼んでたしなあ。


しんとした部屋に、俺の呟きが消えていく。

…エリザベータもシリル君もいないと、俺はひとりぼっちだ。

ーーーまあ、そのうち慣れるんだろうけど。


とりあえず指を鳴らしてしもべ魔獣を三体出した。

行き先はシリル君、紬様、「彼女」のところだ。


…いなくなったエリザベータの暗殺対象が王族だった可能性を伝えなければいけない。自分の副官だったんだから赤竜として黒竜に連絡するのは当たり前だと誰にもわからず言い訳する。


Los(いけ)!」


三体のしもべ魔獣がそれぞれの目的地へ消えていく。

俺はまたエリザベータの残した報告書に目を落とす。


数ページにわたってわたって書かれた名前をもう一度確認する。

騎士団員の名前もちらほらあった。

古株ばっかだ。しかも俺につっかかってきた奴が多い。…俺がいなくなってこれ幸いと保守派に靡いたのかもしれないな。


しかし、エリザベータがあんなに嬉しそうに笑うから「キュウバン」が気になってしょうがない。何者なんだろう。


ーーーリン。


一番初めに戻ってきたしもべ魔獣はシリル君を連れてきた。

シリル君は三日位寝ていなさそうな顔色でのそのそ近寄ってくる。

俺はすぐに傘を取り出して頭上に咲かせる。


シリル君はちょうどお互いに手を伸ばせば触れ合えるくらいの距離で止まった。

青白い顔をあげた。やや長めの黒い前髪に半分隠された赤い瞳が不安そうに揺れている。どうしたんだろうか。


「ーーーさっきはごめん。取り乱したし、八つ当たりみたいに色々言った」


シリル君はごめんと言いながら腰のあたりから体を折り曲げた。

不思議な姿勢に内心戸惑いつつも、向けられたつむじに向かって「王らしく堂々としなよ」と茶化すように言ってみる。


というか、何がごめんなんだろう?シリル君何か悪いことしたっけ?


謝罪されてもよくわからない、と正直に言えばシリル君は何故かげんなりしていた。「インキャだから余計なこと色々考えるんだよ!」って小声で呟いてる。

うーん、シリル君はたまによくわからないことを言ったりするんだよな。


「それよりさ!」


気を取り直して俺が呼び掛ければシリル君は前髪を払いのけて、俺の横に座った。カウチが少しシリル君の方へと沈む。


「今って何月何日?あとエリザベータがいなくなった」


シリル君は俺の質問に半分答えてくれた。


「今日は二月三日だけど…え?エリザベータがいなくなったって?」


二月三日か…魔法学園のスケジュールでいけば、そろそろ試験期間でその後長期休みか。


「おい、赤竜、エリザベータがなんだって?」


考え込んでたら目に前で手を振られた。


「ああ、悪い、ちょっと飛んでたわ。ーーー俺が頼んでた仕事全部片付けて、泣きそうになりながら『しばらく本業で戻りません』って」


俺は紬様のことをどうするか悩んでいたので、シリル君が「いよいよか」って言っても気にも留めなかった。

シリル君が何か言いかけようとしてやめる。

それを三回ほど繰り返していたらーーー今度は違うしもべ魔獣がかえってきた。


俺の手のひらに消えていくしもべ魔獣を一瞥した後で、シリル君は「出し入れできるんだ」と言ったきり口をつぐんだ。


「何か言いかけてなかった?」


「ううん、別に」と首を振られる。

俺はならいいか、と彼の煮え切らない態度を流した。

…しもべ魔獣が持ち帰った報告の方が気になったんだからしょうがない。


しもべ魔獣は俺の中に戻ることで見聞きしてきたことを俺に教えてくれる。

…プロイセンから出ることができない俺にとって、しもべ魔獣が唯一の外部との連絡手段だ。


しもべ魔獣は紬様に会ってきたようだ。

予想に反し、紬様は学園で以前と変わらぬ様子で真面目に学問に取り組んでいたらしい。

ただ、紬様の側近が俺のしもべ魔獣だと気が付いたのか「紬様のご様子がおかしいので一度会えないか」と言っていたようだ。しもべ魔獣はその伝言を俺の元へ持ち帰った。

…様子を探れればよかったけど、向こうは俺に面会したいのか。


「ーーーどうした?」


シリル君が怪訝な顔で覗き込んできたので軽く事情を説明する。

シリル君は顎に手を当てて「確かに変なんだよな」と何かを思い返すように視線を上へ向けている。


「たまに連絡取るんだけど、ごくたまにおかしい日があるんだ。『デニス様に会わせて』しか言ってこない日が…そういうタイプのフィメルに見えなかったからちょっと不気味だったな」


シリル君は紬様と親しいんだろうに、「恋って人をおかしくさせるってまじなんだな」などとのたまい、なかなかに辛辣だった。


こい、か。

俺のことを冷たい目で見ていた紬様から恋されている…?


「ーーー紬様は、俺のこと嫌いそうだったんだけどなあ」


何かがしっくりこない。ストーカーっぽいことは数え切れないほどされてきたけど、シリル君の言葉を借りれば、あの子はそういうタイプに見えなかった。

…やっぱり一回会っておこうか。このまま帰国されてもなんだか気味が悪いし。


「え、何その顔?ローゼシエ、当然断るよな?」


うーん。


「いや、会っとく」


「は?!え、お前ももしかして紬様のこと…?いや、ローゼシエに限ってそれはない、落ち着け俺」


「どうしても気になるなら俺が代わりに会うから」とシリル君は猛反対したけど、俺はもう一度しもべ魔獣を飛ばして紬様との面会の日程を取り付けた。

…シリル君が不安そうな顔で「紬様と一緒に行っちゃったりしないよな?」なんて聞いてくる。

うん、何言ってんの?俺赤竜だぞ?


「赤竜なんだからプロイセンにいるに決まってんだろ?というか俺がこの国から出られないの知ってんだろ」


馬鹿だな、って笑った俺を見てシリル君は心底安堵したように頷いた。

紬様たちが指定してきたのは試験が終わる一週間後だ。…寝すごさないようにしないとな。


「よし、紬様に案内してもらって和国に行こう。それで黄色竜を見つけ出すんだ」


気合を入れて頷いた俺に…シリル君が「いや、お前この国出れないって自分で言ったばっかじゃん」などと水を差すようなことを言ってくれる。


「少しの間でも、ダメかな?一時間くらいで行って帰ってくるとか」


シリル君は冷たく「ダメに決まってんだろ」と言い捨てる。

…ちょっと言ってみただけなのにひどくない?


「…じゃあ、しもベ魔獣かあ。しもべ魔獣で黄色竜説得できるかなあ」


イタリア王国から和国まで逃亡してる時点で素直に説得されてくれない気しかしないのだが。


シリル君はしばらく俺が唸っているのを眺めていたが、無言で立ち上がった。


「ーーーひと月くれ。一時間くらい稼げるようにしてみせる」


シリル君はそれだけ言って、転移魔法で消えていった。

はじめは意味がわからなかったがーーー


「ひと月後までに守りの魔法陣と俺のコネクションを少しでも減らしてくれるのか!」


シリル君はたまーにすごく頼もしい。

たまにだけどな、基本挙動不審で自信なさすぎなんだけどな。



エリザベータがいなくなって、一週間が経った。

紬様との約束の日、俺は朝から城の屋根の上にいた。久方ぶりに晴れ上がった空の元、俺は凍った湖に映る城を何の気なしに眺めていた。

視界の端に赤いプレートが映った。今日も来たらしい。


人が一人いなくなれば、その穴を埋めるように動くのが人間社会というものだ。

エリザベータは騎士団の引き継ぎも済ませていたようで、新しい団長が俺の元に挨拶に来た。紫色の髪の騎士はプロイセン出身らしいのに、ブリテン騎士団の挨拶風に首元を晒して「何なりとご命令ください」と拝礼してきた。

俺は、なんとも言えない気持ちになった。

わかるよ、騎士団の中で成り上がりたいのはみんな一緒だ。

エリザベータがいなくなればすぐさま違う奴が長になる。


俺も騎士団にいたから当然の感覚だって頭では理解するんだけど…心はまだ追い付けてないみたいで、毎朝訓練している騎士団の制服の中にオレンジ色の頭を探してしまう。


夜に物思いに耽ると朝になろうがずっと屋根から降りてこない俺を呼び戻す当番か騎士たちの中で設けられた。今日の当番の騎士がプレートで上昇してくるのが見えたので、俺は手で合図して浮遊魔法で地面に向けて舞い降りた。

騎士も降りてくる。プレートから転げ落ちるようにして地面に降り立つと、勢いよく敬礼してきた。


「ローゼシエ、おはようございます!!!」


朝から元気だ。俺は苦笑いしながら「おはよう」と返す。

新人っぽい騎士はそれだけで感極まったように何度も頷いた。

表情とは裏腹に俺の魔力に怯えて全身が小刻みに揺れてるのに…健気な奴だな。


「おはようございます!あ、朝食の魔石ですよ」


距離をとったまま投げ渡された皮の袋の中には特大の魔石が何個も入ってる。

俺は苦笑いのまま飛んできた袋をキャッチした。

巾着状の口を開けば色とりどりの魔石が入っている。

この魔石の譲渡も恒例化しつつあるんだよな。


はじめは受け取らなかった。だってこの袋を売れば騎士たちの月俸くらいにはなるから。

でも、なぜかみんな揃って「赤竜様にきちんと魔素を取らせるようにシリル王とエリザベータから言われていますので」って皮袋を押し付けていくんだ。


騎士たちは、俺のそばに長くいれないから文句を言って困らせるのも可哀想で、結局受け取ってしまっている。

金髪の騎士は俺に皮袋を渡すと、すぐに背中を向けた。

名残惜しそうに何度か振り返りながらも足早に去っていく。


「ありがとな。早く行け」


初めから顔色が悪かったし、俺の魔力に耐えられないんだろう。そのくせ笑みを見せてやればアッフェルみたいに顔を赤くしていた。まあ、これでも世界最強の始祖竜らしいからな。騎士に憧れられてるんだろう。今んところ人間で近寄って来れたのはシリル君、エリザベータ、ブランドンくらいだし、文字通り「近寄り難い」存在だしな。


朝食の魔石を一粒ずつ摘み出して口に運んでいたらーーーしもべ魔獣から連絡が入った。

ちょっとびっくりだ。まだ朝なのに。


「ーーーもう行ってもいいですか!?いち早くお会いしたくて、私もう待ちきれませんの!」


…しもべ魔獣から伝わってくる媚びるような声色にーーー思わず頭を抱えた。やっぱり記憶と違いすぎる。

いやだ面倒くさそうだから会いにくるな、と言いたい気持ちを堪え俺は「いいですよ」と返事をする代わりに転移の魔法陣を起動させた。

巾着は亜空間にしまった。のんびり食ってる場合じゃねえなこれ。

ーーー予め紬様たちにも対の魔法陣を渡してあるので、すぐに転移してくるだろう。

慌ててドレスルームに転移する。壁一面が鏡ばりになっているドレスルームの中にはハンガーポールがずらりと並び、一級品の魔獣の素材をこれでもかと使った衣服と装飾品がかけられている。


「…こんだけあると選ぶのも大変なんだけどなあ」


適当に手近にあったダークグレーの上下スリーピーススーツに手を伸ばす。

素材はワードターガーの毛皮っぽかった。指先に触れる優しげな感触が気に入って今日はこれにしようと決める。

パジャマにしているジャージをぽいぽいと脱ぎ捨て、スラックスを履いたあたりで、風切り音がした。

慌てて手をかざせば金属が跳ね返る感触。

…俺に気づいた魔剣が飛びかかってきたようだ。

最近こいつ勝手に亜空間から出てくるんだよな。


「いい子にしてろよ、今急いでんだから」


俺の声が聞こえてるのか、小刻みに振動していた魔剣がおとなしくなった。

魔剣を腰元の鞘に押し戻しながらシャツのボタンボタンを閉めていれば…。


部屋の隅に放置していた魔法陣が起動する気配がした。

まずい。こんなとこに皇族を転移させるわけにはいかない。


俺は慌てて魔法陣の書かれた大判紙を引っ掴んで、ウェイティングルームへ飛ぶ。

ーーー流石に、こんなにすぐに転移してくるとは思わなかった。

まだ着替え終わってもないんだけど!

ウェイティングルームの入り口に俺が魔法陣の紙を設置した瞬間、赤く光った魔法陣から飛び出してきた人影。

間一髪間に合った。マジで危なかったな。

猫のように飛びついてこようとする彼女からすぐさま距離を取る。


慌てて頭上に傘を咲かせる俺に向かって「デニスさま〜お会いできなくて、紬とっても寂しかったです!逃げないで〜」などと追ってくる紬さま。

その間にも魔法陣は何度か光って…紬様の側近三人も転移してくる。和国からのつきそいであろう年配の二人に、ブリテン騎士団の制服に身を包んだ騎士一人。


転移するなり走って俺を追いかける紬様を目にした老女が怒ったように「紬さま!はしたないですよ!」と叫んだ。

後から転移してきた護衛長は紬さまからあえて視線を外しているようだった。そうか、こんな主人の姿は見たくないか。


「…デニス団長、着替え途中だったのでは?」


…ついてきた騎士が何か言ってるが俺は紬様が転ばないか注意しながら距離を取り続ける、という器用なことをしてたので気にしてられなかった。

紬さまは俺のことをしばらくの間追いかけ回していたが、俺が宙に逃げたあたりで体力が尽きたらしい。息を切らしながら座り込もうとした。

絨毯が敷いてあるとはいえ、地面に座るのなんてよろしくない。

慌てて側近三人が駆け寄ったのだがーーー

なんと、紬さまは彼らの手を乱暴に振り払った。

勢いに負けて吹っ飛んでいった老女の方を、俺は慌てて浮遊魔法で捕まえてやる。

浮遊魔法の金色に包まれた老女が驚きのあまり硬直しているが、俺は今しがた見た光景の方がよっぽど驚きだった。

信じられなくて、俺は紬さまを凝視してしまう。

溶けたような笑みを向けられた。

背筋を悪寒が走る。


ーーーこんな子だっただろうか?


側近を突き飛ばして、何事もなかったかのように笑う彼女は以前とまるで別人だった。

固まってしまった俺に駆け寄ってくる紬さまを勢いよくシールドで弾いてしまう。彼女がよろめいて膝をついていたけど助け起こす気にもなれない。

触れたくなかった。

…側近を粗末に扱う人種は好きじゃない。


「ーーーひどい!デニスさま!紬ずっと待ってたのに!」


立ち上がることもせず、無様にドレスを床につけ、ぐずるような声をあげる。

皇族の品はかけらも感じられなかった。

俺がもう一度深いため息をついた時ーーー

ーーーリン。


赤のマントをたなびかせて、シリル君が到着した。

シリル君は降り立った瞬間、俺を見て目をひん剥いた。

そして何故か一目散に俺の方に来た。

自分の背中のマントを乱暴に外し、ばさりと頭からかけられる。

突然覆われた視界に驚いていれば、やや強引に手を引かれた。

訳もわからないまま階段を上がり、ドレスルームに連行される。


シリル君はドレスルームの明かりをつけると、ようやく俺からマントを外してくれた。

ボサボサになった髪を手櫛で整える。

「急に何すんだよ」と文句を言ってしまった俺は悪くないよな?

シリル君は眉間に皺を寄せたまま、俺の方を見なかった。

目線を外したまま「ちゃんと服を着ろよ」と不満げに言われる。


「裸足だし、シャツのボタンもろくに留めてないせいで鎖骨とか丸見えだし、ベルトしてないせいでズボンずり落ちかけてるし…腰ほっそ…じゃなくて!俺に貴族らしくしろって説教すんならそんな格好で人前に出るなよ!」


俺が怒られる筋合いはないだろ!紬様が勝手に時間前に来たんだぞ!

俺の正当な反論に対し、シリル君は「いいから早くちゃんと服を着ろ」と視線も合わせない。

なんなんだまったく。


「大体細かいんだよシリル君はいつもさ。俺なんてマスキラなんだから別に肌の一つや二つ見せてもなんとないし」


…にしても、シャツのボタンって留めるの難しいな?

小さい頃からジャージばっかだったし、こういう正装する時は使用人とか部下が手伝ってくれてたんだよな。

もたもたとボタンを留めていく俺を視線の端で見守ってたらしいシリル君が深い深いため息をついた。


「…ズレてんぞ」


え?

シリル君に言われて見下ろしてみれば…げえ。

マジだった。やり直しだ。


再びボタンを外し出した俺を見て…一つ舌打ちしたシリル君が「やってやる」と近寄ってきた。

俺はありがたく邪魔にならないように腕を広げた。シリル君は意外にも器用にボタンを止め、近くにあったダークレッドのネクタイを締めてくれた。

…ネクタイを渡された時の俺の顔を見て何かを悟ったらしく、奪い返されたのはちょっと癪だった。仕方ないじゃん。いつも誰かがやってくれんだよ。

ベルトの時はもはや無言で装着してくれた。うん、確かに留められる自信ないわ。


「うわああ。ベルトの穴足りない奴初めてみたんだけど。え、お前内臓入ってるよね?」


…一言多いんだけどな!マスキラに腰細いって悪口だよな?喧嘩なら買うぞ?


すったもんだしながらも、ようやくスーツを身につけ終えた俺。

壁の全身鏡を見ながら適当に手近な引き出しを開けた。目についたワックスを少量手につけて髪は全て後ろへ流す。…よし、こんなもんでいいだろ。

シリル君は俺に向けてテッシュを差し出しつつ、疲れたように、


「エリザベータがお前のこと心配してた意味がよおくわかった。『本物のおぼっちゃまですあの人は』なんて言うから過保護だって思ってたけど…着替えもできないって、マジかよ」


失礼なことを言わないで欲しい。着替えくらいできるに決まってる。

スーツはちょっと無理かもだけど。


シリル君が「ゴミよこせ」と言ってきた。丸めたティッシュを差し出したら…なぜかシリル君に舌打ちされた上に手を掴まれ、もう一度手を拭きなおされた。「まだワックスついてるし!」って怒られる。

…そうだった?


「これからどうすっかな。ーーー赤の他人に頼むのも癪だけど毎回これ相手すんのも心臓もたねえ」


…ずっと意味不明なことをぶつぶつ言っているシリル君。

普段の執務の他に魔法陣の改良してくれてるみたいだし疲れが溜まっているのかもしれない。ちょっとかわいそうだ。

早く行かないと紬様たちをまたせているので俺はしゃがみ込んだままのシリル君にも浮遊魔法をかけ、一緒にウェイティングルームへ飛んだ。


ウェイティングルームは混沌としていた。

俺がかけたシールドを錯乱したように拳で殴っている紬さま。

紬様の周りの机やら装飾品やらが壊れないようにか、部屋の隅へと退けて回ってる側近。

紬様が暴れるのを必死に宥めている護衛。

戻ってきた俺たちを見て紬様は瞳をわかりやすく輝かせた。

おとなしくなった彼女を見て安堵と不安の混じった表情を浮かべる側近たちのことは目にも入っていなさそうだ。


シリル君はそんな紬様を見て眉を寄せた。


「ーーーおい、紬、どうしたお前?」


シリル君の呼びかけで、まるで初めて存在に気づいたかのように顔を向けた紬様。

そして「あんた、何?デニスさまと今話してるんだけど」と言ったのだ。


俺とシリル君は思わず顔を見合わせた。

…え、シリル君のこと認識してないの?


ーーーさすがに、おかしいがすぎる。


シリル君と俺が歩き出したのはほぼ同時だった。

シリル君が素早く紬様を羽交い締めにする。暴れる彼女の横から近づきーーー俺は瞳を覗き込んだ。


「あ」


シリル君が「どうだ?」と短く問うてきたので俺は「かかってるね」と頷き返す。

紬様の瞳にはくすんだ紫色の影がチラついていた。

…紫魔法の痕跡だ。紬様は洗脳されているのだ。


ーーーそういうことか!!


俺の中で全ての辻褄が合った。

突然人格が変わったことも紫魔法の洗脳のせいだろう。

しかも腹立たしいことに俺に関係してかけられてやがる。だから俺がいない学園では普通に過ごせていたし、シリル君と会話する時も大体の時は普通だったのだ。


とりあえず原因が分かったので、これ以上洗脳されたまま彼女を放置するわけにも行かない。シリル君が暴れる彼女を抑えつけたまま「どうする?」と聞いてきた。


「ーーーとりあえず離していいよ」


シリル君はすぐさま拘束を解いた。

紬様は一瞬よろめいたが、すぐさま俺の方へと駆け寄ってくる。


「デニス様!ーーーやっと邪魔者がいなくなりましたわ!」


桃色のドレスを蝶のようにひらめかせて駆け寄ってくる彼女に向けて表面だけの笑みを向ける。

…ひとまず眠ってもらおう。


近寄ってきた彼女の裏に移動した俺は(多分紬様は目で追えてなかったな)首裏に突きをして紬様の動きを封じた。

崩れ落ちた彼女を浮遊魔法で受け止める。シリル君が「容赦ねえな」と呟いていたが聞こえないふりだ。

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