第四十二話 とんでもない誤解だよ!
「シリル王が俺の隣にいない時だったらあいつを疑ったんだけどなあ…デニス、お兄ちゃんに言ってごらん?大丈夫、相手の命は取らないから」
暴走し始めたブラコンに俺は慌ててストップをかける。
え?話が飲み込めないんだけど?
「俺襲われてないよ?」
「嘘だ、あんな足ガクガクで顔真っ赤にして…嘘つくならもうちょっとマシなのにしなよ」
足、ガクガクで…顔が真っ赤…。
はい、全て理解しました。
全て理解した上で、叫ばせてください。
「ほっといてくれよ!見ないふりでいいじゃん?大人じゃん、俺たち?」
ブランドンは「嫌だ俺は知りたい!」とすごく正直に訴えてきた。
いや、なんで?
「気になるじゃねえか。だって、どんなセレブリティに言い寄られたって、未亡人の美人音楽家に家に招かれたって首に噛み跡ついていようが涼しい顔で騎士団に来てたデニスだよ?後輩たちに『昨晩どうでした?』って聞かれたら困った顔で『そう言うことは人に聞いちゃダメだ…知りたいなら自分で確かめろ』って色気を振り撒いてたデニスがだよ?あんな反応をする相手…」
ブランドンが何かに気づいてしまった。
…さすが兄貴だ、俺のことをとてもよく理解してらっしゃる。
俺が、あんなふうになる相手、一人しかいないんだよ!!!
「ま、まさか、お前ついに黒竜様をーーー「それ以上は言わせねえぞ?」」
ブランドンの頭の中で大変な誤解が生まれた気がする。
「そんな、俺はこれからどういう顔して陛下に会えば…」じゃねえんだよ!何考えてんだよ!言ってみろや!
ーーー結論として、俺は今日会ったことを洗いざらいぶちまけた。
「ーーーで、我慢できなくて一個丸ごと食べちゃったんだ」
めっちゃ恥ずかったのにさ、ブランドンったら聞けば聞くほどどんどん冷めた顔になってくんだぜ?
「何かと思ったら…魔石にベール状に広がる魔力?上位魔獣倒した時に討伐者の魔力混じることあるじゃん。絶対それだよ」
いや、そうだろうけどさ!俺だってわかってるけどさ!彼女の魔力を取り込むってなるとたとえ微量でも落ち着いてられないんだって!
腹をさすりながら「まだ腹ん中を魔力が回ってて、魔力が熱い気が済んだよな」と言ったら「それわざと?」と目を細められた。なんのことだ?
ブランドンはいつの間にかこっちに来てて、俺の頭を持ち上げて太ももの上に乗せやがった。膝枕しながら嬉しそうに髪をすくな、このブラコンが。
「デニスは幾つになっても可愛いなあ。抱かれたい騎士ランキング殿堂入りしてるくせに好きな子のことになると初等部男子みたいなこと言い出すんだもんなあ」
「親友なら魔力貸すことくらいあんだろ?」と言われたがとんでもない。彼女の魔力なんて借りようものなら授業どころじゃなくなってしまう。
「…紬姫には魔力かしてなかったか?」
「紬姫は彼女じゃないじゃん?」
ブランドンは俺の答えを聞いて「そういうとこだよな。うん、いいと思う俺は」とほおを突かれた。…いつもにまして、スキンシップが激しいなあ!
起き上がって振り払おうとしたら後ろから歯がいじめにされて「嫌だあ!デニスを補充してるんだあ!」とまじ泣きされた。
いや、信じられるか?
人間だったら絶対肋骨折れてんだろって力で押さえつけられながら鼻水垂らして大泣きされるんだぜ?ドン引きだよ?
「わかったから、逃げないから泣かないでくれ。ちょっと…いや、だいぶ気持ち悪い」
頭をぐいぐい後ろに押す。
力加減?必要ない。こいつは頑丈だって思い出したんだ。実際俺に巻きつけた腕の力も野生のゴリラかよってくらい解けないしな!
そしてブランドン兄さんよ「デニスの辛辣さも久々だ」って朗らかに笑わないでくれ。もう末期だぞ、医者に行け医者に。
ブラコンを重度にこじらせた兄と喧嘩していたらすっかり夜もふけていた。
「黒竜様の魔力…今度はもっともらえるといいな」ってニマニマすんじゃねえ!はったおずぞ!
◯
朝起きたらブランドン兄さんの具合が明らかに悪そうで、慌てて王宮の主治医を呼び出そうと思ったらーーー
気まずそうに「いや医者はいい、寝てれば治る」と口をもごつかせる。
「…兄さん、俺に何か隠してない?」
俺とそっくりの真っ赤な瞳を泳がせている。
わかりやすいなおい。
「口を割らなきゃブリテンに送り返すぞ」と脅せば、ようやく兄さんは白状した。
「ちょっと魔力に当てられたかな」
何かと思ったら…魔力酔いらしい。
ーーーキレてもいいよな!?
「あれだけ離れろって言ったのに調子乗るからだよ!というか絶対途中で気づいてただろ!?なんで言わないんだよ!」
叫びながら後退していく俺を見てーーーブランドン兄さんは「デニス、こっちにおいで」と笑いながら言うのだ。
「いや、何言ってんの?俺のせいでそうなってんのに近づくわけないじゃん」
ブランドンは「いいから来いって」と譲らない。
…俺は渋々傘を取り出して、頭上に刺した。「薔薇じゃん!似合うな!」とバカにされて舌打ちが出る。キャラじゃないよな!知ってんだよ俺だって!
俺は兄さんのベットの足元の方へ横に椅子を寄せて座った。
「もっとこっち」と手招きされる。
はあ。
結局兄さんの枕元の横に落ち着いた俺を見上げた兄さんが「知ってるんだからな」と可笑しそうに笑う。
「デニスは末っ子だからいっつも誰かがそばにいただろ?学園に入る前は俺に引っ付いてたし、入ってからは「あの方」、騎士団に入ってからは…俺とエリザベータの他にいろんな綺麗なお姉さんも加わったけど。ーーーお前、誰かがそばにいないと寂しいだろ?」
は?
え、何言い出したの?
「いや、とんでもない誤解でーーーそもそも、フィメルたちと遊んでたのは任務みたいなもんだし」
いつもより早口で言った俺にーーーこんな時ばかり年上っぽい顔でブランドンは「素直じゃないなあ」と微笑んだ。
「フィメルやニュートたちだってバカじゃないんだぞ?お前の気持ちがあの子たちにないことなんてわかってたけど、『抱きしめてあげるとデニス様が嬉しそうに笑ってくださるから』って。…お前以外には有名な話だ」
何それ!!
本人に言ってよ!恥ずいじゃん!誤解だよしかも!
俺は全力で否定したのに、ブランドンはちっとも聞いちゃいなかった。
「だからーーー赤竜になって誰も近づけなくなったって知って、俺たちは本気で心配してるんだ。寂しかったよな?俺は比較的平気っぽいし、これからも顔見せにくるから」
寂しかったよな?じゃねえんだわ!
うさぎか俺は!寂しくて死んだりしないわ!
懲りずに手を伸ばしてくるブランドンを布団の中に押し込み、俺は踵を返した。
そして、足元に座っていた小さな動物に気付き、驚きすぎてつんのめった。
…今日も、気配を消すのだけはうまいんだよなあ!!
今日も現れてくれやがった黒猫は「にゃー!」と元気よくひと鳴きし、口に咥えていた光るものをぽいっと床に投げ捨てた。
ぞんざいに放られたリング状のそれはコロコロとベットの下へと行ってしまう。
慌てて手を伸ばした。冷たい感触。ーーー金属か?
「にゃーお」
猫はといえば今日も綺麗な月のような瞳を俺に向けたまま、泡のように消えた。
…昨日俺に返されたから今日は自分で消えますってか?そのズレた気遣いも間違えなくあいつだよ!
舌打ちしていれば、一部始終を見ていたブランドンも猫の正体に気付いたらしい。
「あれは黒竜様の使役魔獣か何かか?」
「しもべ魔獣だよ」と教えてやれば「え、猫なのにしもべ魔獣?ヘビじゃなくて?」と驚いたように言われる。
うん、みんな同じこと思うんだよな。なんで猫なのかはあいつにしかわからないから本人に聞いてほしいかな!
腕輪は金属に竜にはわかる古代文字がいくつか刻んであった。
多分「で、に、す」だな。きったなくて「多分」って言っちゃうけどな…。
微妙な顔で腕輪を見ていたらブランドンが、
「俺にも見せて」
と手を伸ばしてきた。
俺は浮遊魔法を使ってブランドンの方へ腕輪を送る。
「…なんの文様?これ?花?いや、めっちゃ歪んでるからイソギンチャクか?」
…ブランドンよ、どこの誰が腕輪にあえてイソギンチャクを掘るんだよ!花で正解だよ!
「ーーー黒竜は、ちょっとばかし不器用なんだ」
ブランドン兄さんは「ちょっと…」と言ったっきり黙り込んでしまった。
無言で腕輪を投げかえされた。慌てて浮遊魔法で受け取る。あぶねえ落とすとこじゃん。
ーーーやめてやれよその顔!嘘つくの下手かよ!「ちょっとじゃなくてだいぶ不器用だろ」って顔に書いてあんだよ!俺もそう思うけど!
「金属な上に覚えたばっかの古代文字だ。うまく彫れなかったんだろうな」
ブランドンは神妙な顔で「でもお前をそれだけ喜ばせられるんだから贈り物の選択肢としては正解だな」と頷いた。
…っ、誰の顔が赤いだって?わかってんだよ、自分だって!
「そりゃあ、嬉しいよな。手作りってことだろ?にしてもデニスは肌が白いせいかすぐ顔赤くなるなあ」
俺は勝手に何か言い続けているブランドンには答えず、もらった腕輪を右手に通した。金属のひんやりとした感触が心地よい。
「デニスが国王陛下夫妻を裏切ったって言ってる奴らに、見せてやりたいよ今の顔を…」
ーーーうるさいなあ!
「兄さんだってわかるだろ!俺は、ブライヤーズなの!赤竜になろうが、敵国に渡ろうがブライヤーズなんだよ!」
「悪いか!」って逆ギレしたら「悪くない」って目元を細くする。
「お前は何も悪くないんだーーー悪いことしたら俺は叱るけど、今回の件お前は何も悪くない。…デニスって呼ばせてないって?あの方の名前を決して口にしなくなったそうだな。ーーー自分を責めるな。ブライヤーズ家は頑固で一途で、一度決めれば心に嘘をつけない家なんだ」
俺は叱るなんていう兄さんだけど。訓練の日に首元に噛み跡がついていても、任務中に俺のファンを名乗るニュートが乱入してきて騒ぎを起こしてもーーー周りの誰もが俺を非難した時だって、一度も俺は兄さんから叱られたことがない。
兄さんはいつだって俺を否定しない。
…だから、どんなに憎まれ口を叩いても俺に激甘なこの兄が大好きだ。
ーーーなんて感慨に耽ってたのに、思わぬ名前が出て俺は白目を剥いた。
「デニスは綺麗で色気もあるから老若男女問わず好かれまくるだろ?シリル王もエリザベータも出て行った騎士団員も怖いくらいお前に執着してるから、周りが見えなくなってお前自身を責めることもあるだろうけどーーー」
執着って言い方やめろよ!なんか背筋寒くなる系の表現じゃん!
ほのぼのブランドンから見てもそうなんだっていう絶望的な事実突きつけてくるのやめろよ!
「全員手玉にとってやればいいと思うぞ!」
…もう嫌だこの兄。
知ってんだからな、騎士団入って今の相手に出会うまでエグいくらい遊んでたの!俺もたまに「やっぱ兄弟だねえ」とか言われるんだからな!
「ーーと、おふざけはここまでにして、いいかデニス。ブライヤーズ家は一度決めた相手を想い続ける。『諦める』のは死ぬ時だけだ。…頼むから、早まるなよ?」
ーーーああ、と思った。
この兄には全てお見通しなのだ。
色が褪せ始めた世界で生きてることの方が辛いんじゃないかって気づき始めてるることに。
俺は笑った。
「大丈夫だよ」って。死ぬつもりはないしな。今のところは少なくとも。
「やることがいっぱいあるんだ。ジョシュア様を助けて、黄色竜を見つけて、プロイセンを魔力で満たす」
ブランドンは怒ったように「全部人のためじゃん」と口を尖らせた。
…はは、馬鹿だな。当たり前じゃん。
「ーーー追い出された俺が生きる原動力なんて、彼女のためになってるって自分に信じ込ませることくらいだよ?」
泣き出しそうな顔で黙り込んだ兄の顔を見てハッとする。
しまったーーー何を口走ってんだ。
腕輪に触れる。
ーーーアルミ製だろうか。軽い腕輪だ。防御魔法がかかってなきゃすぐに傷だらけになりそうだ。
…色々文句はつけたが、防御魔法に関しては一部の隙もない。俺の魔力に晒されてもびくともしないだろう。さすが「守りの黒竜」である。
魔力を使って彫ったであろう図柄の出来は、いただけないけどな、うん。
「少なくても、こんな不器用な魔力の扱いを見せられてるうちはちょっと先立つ気にはなれないかな」
◯
ブランドンが帰って、俺はまた十日間眠りこけた。
どんな夢かは覚えていなかったけど、目覚める瞬間に「ああ、夢じゃなければ良かったのに」って思った。
水から上がるみたいに意識を浮上させ、ゴロンと寝返りを打つ。
俺の寝台を包み込むように伸びていた薔薇の蔓が床に消えていく。
もう一回寝たいなと思って布団をかぶり直そうとしたら…何者かに押し止められた。
近くに人間がいる気配がしてなかったからちょっとびっくりする。視線を向ける。三人が俺のことをじっと見てた。
…いよいよ魔力の補充方法を考えないとダメかもしれない、と起きた俺を見て泣き出しそうなエリザベータ、シリル君、ハインリヒ王子を見て思った。
なんでハインリヒ王子までいるんだろうね?
「ローゼシエ…七日目も目覚めなかった時今度こそもうお目覚めにならないのかと思いましたよお。せめてもう少し不細工な顔で寝てくださいよぉ。寝顔まで整いすぎてて生きてる気がしないんですよ〜」
鼻を鳴らして擦り寄ってくようとするエリザベータに慌ててシールドを貼った。
おい、魔力に当たるだろうが。不用意に近寄るんじゃねえよ。
念には念をということで、傘を取り出して広げ、しもべ魔獣に持たせる。
エリザベータはなおも俺の手を握ろうとしてくる。
エリザベータにシールドを貼って指先を握ってやる。
小さな手は冷たかった。伝わってくる魔力は澱んでいた。いつもうまいこと自分の魔力を隠している彼女らしくない濁った色の魔力が滲み出ていた。
俺は思わず体を起こした。エリザベータの顎に手を当てて顔を上げさせる。
…空っぽな目がこちらを見つめてきた。
「どうした?そんなに俺がいなくて寂しかった?」
俺の言葉にエリザベータは答えなかった。
無視かよ。ますます珍しい。
俺がもう一度口を開く前に、エリザベータはガラス玉のような目を俺に向けたままこぼした。
「寝言を言っていました。…ライラ、って何度も何度も。ーーーあなたを捨てたあの女がそんなに大事ですか?そばにいる私たちよりも大事ですか?現実で会えないなら夢の世界で恋焦がれるほどに好きですか?」
ーーー夢の中身は思い出せないけど、なるほどな。
「だからよく寝ちゃうんだなあ」
我ながら呑気すぎたかもしれない。
エリザベータの瞳から光が消えた。本当にどうしたんだろう。俺が「彼女」のことしか考えてないのなんて今更なのに。
魔力のコントロールに気をつけながらオレンジ色の頭を撫でてやっていれば、こちらは泣いていないが不機嫌そうなマスキラ二人が視界に入る。
ーーーいつも以上に険悪に見えるのだが何かあったか?
「ローゼシエ、ずっとお目覚めをお持ちしていました!姉様を殺したこいつと肩を並べて魔素を吸うなんて反吐が出るーーーいけない、話がそれました」
シリル君が強く目を閉じた。
ハインリヒ王子はシリル君に憎悪の視線を向けた。
いのちが奪われた場合、謝罪は意味をなさなくなる。
だって、シリル君が何を言おうが彼の姉は帰ってこない。
シリル君はよく言ってる。
俺は王の器じゃないって。
それでも逃げずに玉座に座る。
民のためだと思えば自分の手を血で染める。
臣下の罵倒を正面で受け止める。
シリル君は亡き女王陛下のためになら悪魔にだってなるって言ってたけど。
…今の顔を見れば、ぜんぜん悪魔になれてないってバレバレだ。
王子の怒りもわかるし。シリル君の苦しみも痛いほどわかる。
大切なものは消えてくばっかでやるせないことばかりが、生きていると起きるんだ。
ハインリヒ王子がシリル君から視線を外した。
ーーー完璧な笑みを浮かべ直し、俺の枕元に跪く。
芝居が勝った仕草で手を取られかけ、慌てて背中の後ろへ引っ込めた。
…お前弱そうなんだから触るんじゃない!魔力で爆発したらどうすんだ!
「報告があったのですが…そこのフィメルが申すように再びローゼシエが帰天するのではないかと肝を冷やしました…」
いや、たった今肝を冷やしたのは俺だ。
というかお前まで俺をか弱いキャラにするのやめろ?
俺は知ってんだからな、お前が「ローゼシエ」なんて余計な名前をつけて広げまくったの!
嫌な予感を拭い去れないが「何かあったのか?」と話を逸らす。
俺のか弱い話題はもう十分なんだよ!
王子は少し躊躇ったように口をつぐみーーー鋭い視線でシリル君を一瞥した後、「報告します」と首を垂れた。
「シリル王はーーー守りの魔法陣を破壊していました!!」
部屋の空気が凍った。
シリル君が「違う!嘘だ!」と叫ぶ。
エリザベータは表情を消してハインリヒ王子をシリル君を見比べた。「どちらも嘘をついているようには見えませんね」と一言。
…うん、君、嘘も見破れるのね?俺、そのこと知らなかったよ?
ハインリヒ王子が苛立ったように「黙れ、言い逃れなどできるか!」と声を荒げる。
「この目で見ました。守りの陣に何か描き加えていたのです!」
「いや、そうだけど、破壊はしてないんだって何度も言っただろ!ーーー実際に見てもらえばわかる!」
シリル君先導のもと、俺たちは守りの魔法陣が描かれている王宮の地下に転移した。
…ヒートアップしてるハインリヒ王子たちには悪いんだけどさ、この魔法陣を消したところで俺がこの王宮近くにいるうちは関係ないんだよなあ。
だってーーー
「この守りの魔法陣は我が国の守護の要ですがーーー実態は、ローゼシエから魔力をいただいて各魔道具へ分配するためのものですよね?」
シリル君が苛立ったように吐き捨てる。
あ、わかってたのね?俺はさっぱり読めないんだけど、流石に自分の魔力が吸い取られてるからこの魔法陣の役割は知ってたけどさ。
さすがシリル君。天才魔法使いと名高いのも納得の優秀さだ。一割でもその才能を王政に活かしてほしいな?
ハインリヒ王子はシリル君の言葉を疑っていたようだったがーーー俺が頷いたのであっさり主張を変えた。
「シリル王、それならそうとなぜ早く言わない!そもそもローゼシエに関係した魔法陣をなぜ描き換えようとする!」
シリル君は驚いたように「説明しただろ!?守りの魔法陣はローゼシエ自身になっててこの魔法陣は仮初だって。だから古代ルーン記号で描かれたいくつか文字を現代のオゴーライット数列に書き換えてローゼシエへの直列回路以外にも地脈に繋ぎーーー」
ああああ、王子の心が離れて行ってるよシリル君。
その説明、ちょっと一般魔法使いには難しいんじゃないかな??
俺にも難しいよ?既に意味不明だよ?
王子は言った。
端的に。
「何言ってるかさっぱりわからん!!!」
それな!!
シリル君は絶望した顔で王子を見た。
俺の方を次に見た。
俺は咄嗟に目を逸らした。
シリル君の顔が絶望に染まった。
…ごめんて!魔法陣は苦手だったの!だから傷ついた顔しないで!
ーーー何はともあれ、誤解であったことがわかり、ハインリヒ王子は帰っていった。…まっすぐで悪い人じゃなさそうなんだよなあ。
シリル君との相性は最悪みたいだけど。
シリル君はといえば、俺の城に帰ってきてもまだ落ち込んでいた。
「俺はいつもこうだ…」とめちゃくちゃ暗い。
「結局俺が何度説明しても信じないし、そりゃあ俺は魔法陣オタクだから何言ってるかわかんないし、あんなヨウキャの塊みたいな王子からすれば何言ってんだこの根暗、キモってなるんだろうけど。聞けよ、一応王様だっつうの、聞く努力くらい見せろよ」
早口でずっとぶつぶつ言っている。
ちょっとこわい。しかもたまに異世界ワードが入るせいで内容もわからない。
ヨウキャってなんだろう。ヨウキャの塊ってくらいだから魔力とかかな。
「元気出せよ、わかってもらえたじゃん、最終的には。次は王子も聞いてくれるよ」
ーーーとソファに寝転びながら雑に慰めの言葉をかけてみたのだが…なぜか恨めしそうに見下ろされた。
「ハインリヒ王子が俺の言葉を聞くわけないだろ?…俺と違って皆に好かれるローゼシエにはわからないかもしれませんがね、人間っていうのは信じたい人の言葉を信じるんですよ。俺の言葉をあいつは信じないって決めてる。姉様が死んだのは俺のせいって連呼するけど、その前からあいつは俺を目の敵にしてた。大体反王政派の心臓部に大切な人を行かせる方が悪いんだよ、危ないに決まってんだろ馬鹿野郎。あいつは俺を嫌いになるために理由をどっからでも見つけてくる。だから何を言っても無駄。今日だってあなたが俺の言葉に同意した、そこだけをあいつは受け止めたんです。ローゼシエがみて許可するのであれば問題ないだろうってね。ーーーやってられるかよこんなの」
ここまでノンブレスである。
よく喋るなあと思って見上げていれば…バツが悪そうに「八つ当たりしました、俺が悪いってわかってます。頭冷やしてきます」と駆けて行ってしまった。
ーーー嵐のようである。
「荒れてますね」といつの間にか闇堕ちモードから帰還していたらしいエリザベータがつぶやいた。
その通りだ、めっちゃ荒れてる。
「必死なんですよね。ローゼシエが早く国外に出れるようにってずっと働いてますもん。寝不足過労ストレス…全部溜まってると思いますよ」
え?
「あの人ローゼシエの足りない魔力を少しでも補いたいって自分の魔素がほぼ空になるまで北の魔獣を倒して、帰還したら魔素の回復時間で魔法陣を書き換えてます。それで寝不足でフラつきながら『他の国の魔法陣は空気中の魔素に依存してるのにこの国だけ始祖竜頼りだ、だから赤竜様に負担がかかりすぎてる』っていっつもぼやいてます」
へ、へえ…。
プロイセンだけが、守りの魔法陣をそのまま赤竜に繋いでるんだ。
ブリテンとかは空気中の魔素を使ってるんだ…ぜったいそっちの方がいいじゃん!!だから他の始祖竜は気軽に移動できるのね!
なんで俺だけ移動できないの?なんで赤竜が10年弱いないだけでここまで空気中の魔素すっからかんなの?って若干疑問だったんだけど始祖竜の描いた魔法陣の問題なのね。
「ローゼシエ自ら描き換えちゃえばいいんじゃないですか?」
うん。まあ、そうなんだけどね?
シリル君に説明されるまで守りの魔法陣を観にも行ってなかった時点で察してほしいよね。
「…俺は、あの魔法陣を書き換えるどころかなんて描いてあったのかさえわかんなかった。多分シリル君も俺の役に立たなさをわかってるから一人でやってる」
エリザベータがチベットスナギツネみたいな顔になった。
「ーーーローゼシエ…確かに戦い方も魔力で殴ってくスタイルですよね…」
そんな目で見るなよ!
可愛いですよって頭撫でようとすんな!
傘で反撃してやったわ!
そうだよ!脳筋って呼ばれてきたんだよ!
先代赤竜の行動原理すごい理解しちゃってるからな?
魔法陣ややこしくてよくわかんないし、空気中の魔素と繋げるとか全属性でしょ?しかも変な記号みたいなのいっぱい描かないとダメでしょ?間違ったらやばいから自分に繋げとけ!ってなりそうだもん。自分がいなくなることのことなんて考えてなかったんだろうな。二代揃って脳筋だぜ…。
じゃねえんだよ、頼んでもないのに何やってんのあいつ!!!
「いや、人間なのにそんな過重労働したら死ぬぞ!?馬鹿なの、シリル君は!」
エリザベータはですよね、と頷いた。
「口止めされてましたが本当に最近倒れそうなので報告しました。シリル王に八つ当たりされたら助けてください」
…助けてくださいって言われてもなあ。
さっき一人にしてって言われたしな。
うん、明日でいいや。
俺が再びカウチに横になろうとしたら「赤竜様!!また寝るんですか!?」と悲鳴を上げられた。
頭に響くような高い声に俺は思わず両手で耳を塞ぐ。
必死に縋り付いてこようとするエリザベータを浮遊魔法で遠ざけながら大きく口を開けてあくびした。
…うーん、やっぱり眠いなあ。
俺の考えは顔に出てたらしく、エリザベータに「ダメです」って大きく首を振られた。
「何千年を生きるあなた様からすればちょっと昼寝のつもりかもしれませんが、あの女に会うためだったら赤竜さまは一年とか眠りだしそうですもん。…というか始祖竜って睡眠必要だったんですか?」
まあ本来ならいらないんだけどね。
「魔素が足りないんだよ。俺も、この国も」
エリザベータは「この国も、」とゆっくり繰り返した。
そう、俺とこの国は魔法陣を通して繋がってるからな。
…さっきのでよくわかった。あの魔法陣が満タンになるまで俺はずっと眠たいんだろう。
「いつ魔力が満ちますか?」と聞かれたので正直に、
「500年後くらいかな?」
と答えた。
エリザベータはゆっくりと瞬きした後で、頭を抱えてた。
「それって、ブリテンで何が起きても赤竜様はこの国から出られないってことじゃないですか…そりゃあシリル王も焦るはずね」
ーーーん?なんで突然ブリテン?
「…ブリテンで何かあったか?」
平坦に言ったつもりだったけど、少しだけ赤い魔力が漏れた。
エリザベータがしまった、という顔になりーーー俺の魔力の揺らぎを見て、慌てて口を開いた。
…うん、うっかり魔力を暴発させる前に口を開いてほしいね。
「…実は、ジョシュア王に第二夫人を推す動きがありまして」
ーーーーは?
「保守派が強引に手続きを進めたせいで書類上はすでに婚姻関係が結ばれているんですがーーー」
怒りで目の前が真っ赤になる、そういう経験を俺は久々にした。
…エリザベータが壁に叩きつけられた後、血を吐いて崩れ落ちたので我に返ったけど。
血が滲むほど握りしめてた拳を開く。
赤い魔素が湯気のように全身から立ち上っていることに気づく。
パチパチと火花をあげてるのは俺の髪の毛か。
感情に左右される赤魔力が怒りで暴走してるのか。
…落ち着け。
いや、無理だ。
あまりに腹立たしい。
ライラ…「彼女」を手に入れておいて他のフィメルと婚姻した?
それ、彼女は知ってるのか?
俺はバカか、俺が知ってるんだ、彼女が知らないわけがない。
エリザベータが這うようにして近寄ってくる。
もう来なければいいのに。今の俺は自分をコントロールできてないんだよ。
ああ、どれだけ、傷ついたんだろう。
ジョシュア様と第二夫人に笑顔で接した後で部屋の隅でうずくまってる彼女を想像しーーー自分の想像の中の光景に違和感を覚える。
いや、待てよ。少し腑に落ちない。
ジョシュア様は抜けてるけど、始祖竜の彼女には一途だ。
しかも保守派がいくら暗躍しようが国王との婚姻は、国王か王妃が認めないと成立しないはずだ。
ジョシュア様が第二妃との婚姻にサインするか?
…ちょっと信じられない。
じゃあどうやって保守派派手続きを進めたんだ?
え、まさかーーーいや、でもあいつならやるかもしれない。
「まさかとは思うけどーーー王妃自ら承認した…?」
一歩分ほど離れた場所で、なんとか体を起こしたエリザベータは口元の血を手の甲で拭った後、長いまつ毛をそっと伏せた。
「さすが、よくブリテン王妃をご理解されていますね」
ーーーどこか嘲るような色を含んだ声でエリザベータは吐き捨てた。
「あの女はーーーデニス様の手は決して取ろうとしなかったくせに、青竜様が『残された時間の少ないジョシュア王の子を産むのにに相応しい相手だ』と一言言っただけで書類にサインした。ーーー信じられますか?」
残された時間が少ない、と来たか。
青竜は黒竜をわざと揺さぶって楽しんでいるのだろうか。
俺が寝ている時にやってる点といい、本当にいい性格をしてやがる。
「ローゼシエ…もうあの女に関わるのはやめませんか?追い出されただけじゃ足りませんか?ーーーあなたがいくら影で助けの手を差し伸べても、返ってくるのはこんな仕打ちばかりです」
エリザベータは俺をわざと刺すような言葉を選んで使ってる。
うん、わかってるけどーーーわかってるけど、言わないでほしいかな。
しっかりと傷ついてしまい、目を伏せた俺を見て、エリザベータはなぜかうっそりと微笑んでいた。
…うすら寒い笑みだった。
思わず問うてしまう。
「ーーー何を、笑ってる?」
エリザベータは笑ってない瞳で「だっておかしいでしょう?」と囁くようにこぼした。
「叶わない恋を追い続けるあなたが、暗殺者の言葉を一ミリも疑わないあなたがーーーー愚かで愛おしくて笑っています」




