第三十四話 「あー、はいはい」って顔またされた
転移魔法でシリルくんたちの待つ病室へ戻った。
鈴の音とともに帰還した俺はーーー口を開こうとして、凍りついたようにこちらを見つめたまま動かないシリルくんとエリザベータに思わず首を傾げた。
二人は俺のベットサイドで何やら話し込んでいた様子。
背後に現れた俺を見て言葉を忘れたように口を開けっ放し。
「どうしたの?」
がたっ、がたた
えー、はいこちらデニスです。
シリルくんとエリザベータが床に這いつくばりました。
困惑しつつも助けを求めようとあたりを見まわしーーー更なる惨状に気がついてしまった。
たまたま様子を見にきていたらしいナースと医者が扉の付近で白目を剥いて倒れていた。行き場を失った点滴チューブと往診用のファイルが床のタイルに転がっている。
ゆっくりと視線を戻した。
シリルくんとエリザベータの後頭部がよく見える。
ーーー二人の方は、震えていた。
まるで、化け物の前に差し出された生贄のように。
思考が停止した。
異常事態を生み出した原因がわかってしまって、一瞬だけ脳が拒否した。
「はは…」
乾いた笑いが口の端からこぼれ出た。
…そうか、始祖竜が怯えるくらいだもんな。
ようやく実感する。そうだ、俺は赤竜になったのだ。
それも、かなり力のある赤竜に。
「俺は…赤竜になったよ。今まで色々ありがとう」
もう人間の世界にはいられないな、と自然と思った。
どこに行こうか。人里離れた魔物の森とかがいいかな。
そう思いながら背を向けるとーーー「まって」と掠れるような声がした。
慌てて振り返る。
シリルくんが、まるで上から何かに押し付けられていて、でも抵抗したくてしょうがないみたいにこちらに這ってくる。
青ざめた顔で歯を食いしばって、全身をぶるぶると震わせながら数センチずつ進むシリルくんから、俺は一歩遠ざかった。
壊れやすい飴細工には触れられないだろう?
触ったら美しい光をあげて粉々になってしまうもの。
シリルくんの顔が僅かに顔を歪めた。
泣きそうに見えるのは気のせいだろうか。
俺はジリジリと後ずさって、トンっと背中が壁にぶつかった。
シリルくんは時間をかけながらも、ゆっくりと近寄ってくる。
壁にかけられた時計の秒針の音を聞きながら言葉を失っていると…永遠にも感じられる時間の後でシリルくんの右手が、痛いくらいの力で俺の右足首を掴んだ。
「ははーーーほっそ」
俺のせいで室内全員が昏倒しているという異常事態にもかかわらず、シリルくんは俺を捕まえて、挙げ句の果てに「ガリガリ」だなんて言ってくる。
ものすごくどうでもよくて、僅かに苛立ちを思えながら「シリルくん、何してんの?」と少し低い声が出た。
「離してよ」
言葉とは裏腹に俺は一ミリだって動けなかった。
「ーーーお前がいつ帰ってくるのか教えてくれたら離してやるよ」
シリルくんは一つ大きく息を吐き出すと、「引っ張って」と左手を出してきた。俺は答えることができなかった。触れたくなかった。自分の強さがまだわかりきっていない俺はシリルくんを壊さない自信がない。
いつまでも中に浮いた手は、軽い舌打ちの後で、俺がまとっていたシャツの裾にしがみつくことで終着した。
痛いほどに掴まれていた足首が解放されたと思えば、シリルくんは俺にしがみついたまま、震える体に鞭打つように、肘を立て腕を伸ばし身体を起こして…顔を上げた。
俺はシリルくんを支えたくて、でも触れていいのかわからなくて、ずっと黙って「支え棒」になってた。
真紅の瞳が俺を射抜く。眉間の皺が深いのもいつも通り。
いつでも不機嫌そうなシリルくんは、いつものボソボソとした話し方で言った。
「何がどうなったらいきなり赤竜になるんだよ。報連相が足りてねーよ」
俺は口を開きかけーーー視界の隅に写った倒れ伏す病院関係者二人の存在を思い出し、首を振った。
「説明してもいいけど、俺はここから離れるよ。ーーーシリルくんでも意識を保つのがギリギリでしょ?普通の魔法使いには俺の存在は毒だ」
「だから転移する」そう言った俺にシリルくんは頷きーーーなぜか背を向け、いまだに這いつくばったまま震えているエリザベータの襟首を掴むと、俺の方に顎をしゃくった。
…?
「えっと、ついてくるの?」
「あたり前だろ、まだ事情聴取が終わってない」
「エリザベータは置いていったら?」
シリルくんでギリギリなら、エリザベータは俺のそばにいないほうがいいのでは…そう続けたかったのに、シリルくんはなぜか鼻で笑うようにエリザベータを揺らした。
「こいつはーーー大丈夫だ。自分の力を弱く見せてるだけ」
「え、それってどういうこと?」
シリルくんは愉快そうに片眉をあげーーーエリザベータの方に視線を落とした。
ずっと襟元が閉まっているようだが苦しくないのかな、なんて思いながら黙ってシリルくんの言葉を待つ。
たっぷりと間を置いた後でーーーシリルくんが「おい、エリザベータ。自分で立たないと置いてくぞ」と叱責するように言った。
「ーーー上からどんな命令が出てるのか知らないけど、今は緊急事態だろ。…見ないふりするから、早く」
シリルくんの言葉に、エリザベータはピクリと肩を揺らした。
そろそろと顔をあげる。桃色の髪が頬から滑り落ち、血色の悪い顔が伺うように俺を見た。
「デニス様もーーーこれから見せるものは他言無用だと約束してくださいますか?」
肯定も否定もせず無言で見つめ返すとーーーエリザベータはなぜか諦めたように首を一つふり「解除」とドイツ語で小さく呟いた。
エリザベータの魔力の質が一変し…俺とシリルくんは息を呑んだ。
シリルくんが思わず、「お前なんで転移…」と口を滑らせ、肘鉄を喰らって悶絶した。
驚きとともに、今ままでの不可解な点がいくつか解けた。
エリザベータは転移魔法が使えたのだ。
どうりで紬の離宮や俺の自室の侵入禁止の魔法陣を掻い潜れるはずだ。
屋内に転移し、そうでないと見せかけるために内側から解錠していたのだろう。
まあ、一番の謎である「エリザベータは何者なのか」という点に関しては一向に不明のままーーーむしろ謎が深まったと言ってもいいくらいなのだが。
エリザベータは質問を拒否するように口元を優雅にたわませ、「どちらに向かいますか?」と首を傾げる。
少し迷う。
問い詰めて口を割らせようか。
ーーー転移魔法を使える暗殺者がブリテン王宮に派遣されているなんて看破できる事態ではない。
思考を回転させながら、シリルくんとエリザベータを掴んだ俺は、プロイセン城のほど近くにある湖のほとりへと飛んだ。
どんよりとした曇り空の下、鎮座する大岩の上に二人を放った。
慌てたように身体強化する二人を見ながら、なんとなく地面にいる方が不自然な気がした俺は、スッと宙の魔素を蹴り上げた。
世界中の魔素が俺に構われたいみたいで、わざわざ浮遊魔法を使わなくても足場を作ってくれるから空中にとどまることができるのがすごく不思議な気がした。
驚いたように見上げてくるシリルくんが視界の端に映ったが、俺は無言でエリザベータに近寄った。
宙に浮いたまま目の前で静かに停止し、腕を組む。
俺と視線を合わせたエリザベータの体が僅かに強ばり、元から定められていたかのように片膝をついた。
見上げてくるオレンジの瞳に浮かぶ僅かな恐怖に気づいてないふりをして、俺は「エリザベータ」と名前を呼ぶ。
「お前は、ブリテンの敵か?本当に暗殺目的で来たのか」
「答えろ」と僅かに魔力密度を上げたらーーーエリザベータが口を開きかけ、すぐさま苦しそうに首元を押さえた。
湿った音をたてて咳き込むエリザベータ。
俺は彼女に巻きつく邪悪な魔力の気配に気がつき、思わず眉を顰めた。
時折彼女の咳に血が混じる。
口元を赤く染めながらも何かを語ろうとするエリザベータの姿を見て、小さくため息を吐いた。
ーーーどうやらエリザベータの「暗殺者」という身分は本物らしい。
少なくとも胸糞悪い制約魔法が彼女に「暗殺」を強いていることは明らかだった。
「あー、わかった、もういい。無理に聞き出さないから」
髪をかき混ぜる。
考えるのは苦手だった。エリザベータは、敵側の人間で、転移魔法が使えて…ということはプロイセン王族の直系のはずなのにシリルくんと面識がない。そして敵側の俺のことを身体を張って助けてくれる。
「ーーーだめだ、全然わからん」
シリルくんがいまだに咳き込んでいるエリザベータをチラリとみやり、「確かに」と小さく頷いた。「こいつに関しては何もわかんない」と。
「そんなことより、話を逸らすな」とシリル君にジト目を向けられた。
「で、説明しろよ。何があった?青竜様と白金竜様が病室に来たんだよな?そっから何がどうしたらライラよりも数倍、いや数十倍、いや数百倍強い始祖竜になって戻ってくんの?」
シリルくんのあまりの言い草に思わず笑ってしまう。
まあ確かに今の俺はライラよりもずっと強いけど。
俺が「青竜と話してたら覚醒したんだよ」と答えたら、シリルくんとエリザベータは怪訝な顔をした。
「その覚醒のきっかけというか…青竜様と何を話していたんですか?」
「何ってそりゃあ…」
ライラのことだよ、弱い自分に血管が切れそうなほど腹を立ててたら、記憶の蓋が開いたんだ。
そう、口に出そうとして、すぐにやめた。
馬鹿だな俺は。また俺の行動に彼女を巻き込む気か。
今までそばに縋り付いて、彼女の優しさに甘えてたくさん、たくさん迷惑をかけた。護衛騎士を解任されたのだ、それは、まあ、そういうことだろう。
もう、そばにいないでほしい、という彼女からの意思表示であろう。
これからも、きっと永遠に心の中で想うことはやめられないけど…俺の口から彼女の名前を出すことは、もうやめよう。
彼女の横にはもう、愛する人がいる。
俺の存在は、邪魔だ。ーーー優しすぎる二人は口にしないけど、どうしたって始祖竜と愛し子の前では、俺は部外者なのだ。
それに彼女は俺が張り付いていなきゃいけないほど弱くない。
嘘は苦手だ。
思ったことをなんでも口に出してそのまま実行してきたから。
だから不自然に言葉を切って黙り込んでしまった俺に向けてエリザベータが再度口を開いた。
「デニス様?」
ーーピロピロリン、ピロピロリン、ピロピロリン…♪
気の抜けるような音楽が鳴り出した。
しかめっつらをしていたシリルくんが肩を揺らし、ジャケットの内ポケットに手を突っ込んだ。
画面を見た瞬間、シリルくんが苦虫を噛み潰したような顔で「げ」と呟いた。
通話の主は誰なのだろうか。シリルくんはいまだに鳴り止まぬ着信音にしばし迷ったのちに、仕方なさそうに画面をタップし耳に当てた。
「はい、シリル…紬姫、御用件は」
予想外の名前が聞こえ、俺は思わず空中から落っこちた。
ギョッとしたようにエリザベータが手を差し出してきたが、俺は問題なく地面に落っこちると、若干のめり込んだ右足を引き抜きつつ、エリザベータに尋ねる。
「エリザベータ、なんで紬様からシリルくんに電話がかかってくるの?」
エリザベータは顔をくしゃくしゃにして「あの女のことなんてどうでも良くないですか?」とつれないことを言ってくれる。
紬様にあったのはずいぶん昔のことに感じる。実際はーーー三ヶ月くらい前か。俺の腹に穴が開けられる直前まで彼女と話してた気がする。
それから何があったんだろう。不気味な違和感が拭えない。
だっておかしいのだ。
漏れ聞こえてくる媚びるような高い声が記憶の中の紬様と重ならなすぎる。
誰だお前は、紬様はいつだってそっけなさが服を着て歩いているのが通常運転だっただろう。
無駄にいい耳が拾い上げる「デニス様はどこですかぁ?紬ずっと寂しいのに」などという猫撫で声に鳥肌が立ち…思わず頭を抱える。
寝ている間に護衛騎士を解任されて、しかも紬様までおかしくなっている。
「寝ている三ヶ月で何があったんだよ」
はあ、とため息をつくと…エリザベータが何故か嘲笑うようにして、「あの勘違い女」と口を開いた。
「デニス様が倒れてから気が狂ったのかーーーどこからか手に入れてきた連絡先から毎日のように電話がかかってくるわ、王族の立場を利用してプロイセンに乗り込んできたりで迷惑行動に手がつけられないって、シリル王が困ってますよ」
「気が狂った…?」
ちょっと信じられなかった。
紬様は俺が倒れたくらいでおかしくなるようなタイプだっただろうか?
腕を組んで必死に今までの紬様を思い出していた俺は、エリザベータの口元に一瞬だけ浮かんだ愉悦の笑みを見逃した。
「デニス様はたまたま期間限定の護衛騎士になったあんな勘違い女のこと気にしなくていいと思いますよ。ーーーそもそも興味なかったでしょう?」
まあ、それはそうなんだけど…。
騎士としての勘が何かがおかしいと告げていた。
でもエリザベータの「それに、あの女はなんでか知らないけどシリル王と黒竜様のお気に入りですから大丈夫でしょう」という言葉に「まあそうかも」と納得してしまった。
こちらに向けられた背中から「超面倒くせえ」と言いたげな気配を漂わせているシリルくん。でも、通話を切ることはしない。
…エリザベータのいう通りだ。シリルくんの元いた世界と紬姫の出身地「和国」は生活文化が非常に似ているらしい。シリルくんと、「彼女」は紬様と一緒にいるととても生き生きする。三人が楽しそうに和国の話をしたり、ゆかりの品を愛でたりする様子をフランク王国の別荘で三ヶ月前、しっかりと見た。
その時シリルくんがこちらに視線を向けてきた。
なんだろう。
「ーーーおい、デニス。紬様はお前と少しでいいから話したいってきかない」
弱った様子のシリルくんを見て、心に浮かんだのは「面倒だな」の一言だった。
俺にとってフィメル好きな騎士のキャラは演じたものだった。
寂しかったのは本当。
でも、ただの隠れ蓑でしかなかった。反逆者と情報収集、ヘイト管理…そういった「彼女」にとって有益なものを集めるための演じられたキャラクター。
もう捨てていい隠れ蓑だ。ーーー魔法も剣もろくに使えないフィメルに俺は興味はない。
「面倒くさい」と口にしかけて、弱り果てたシリルくんの様子を見て苦笑が浮かんだ。
シリルくんのフィメルへのフィメルへの苦手意識はちっとも改善していないらしい。きっと何度も断ったけど、紬様のあまりの推しの強さに負けてしまったのだろう。
仕方なく「いいよ、貸して」と手を差し出せばシリルくんはすまなそうな、でもほっとしたような顔で頷き、魔力通話を投げてきた。
「デニス様はまだですかぁ?」という耳障りな高音に「マジで誰だよ、お前」と言いたくなる内心をひた隠しにしつつ耳元に魔力通話を当てた。
「もしもし、デニスですが」と通話口に呼びかけるとーーー
「きゃあ!デニス様!やっとお話しできた!もうっ、わたくしのこと何ヶ月待たせますの?意識不明の重体だなんて、悪い冗談ばっかりニュースでやるんですもの。ねえ、会いにいっても宜しくて?今どこにいらっしゃるの?」
ーーー聞こえてくる、この媚びるようなフィメルは、本当に紬様なのだろうか。
思わず通話口からを顔から遠ざけ、呆然と電話の画面を見つめる俺の代わりに、やかましい声が聞こえ続けている魔力通話の切るボタンを「うるさすぎる」とこぼしながらエリザベータがタップしていた。静寂を取り戻りた室内ーーーに、再び鳴り響く着信。
半ば確信を持って画面を見た。紬姫からの再度の通話だった。
シリルくんに魔力通話を投げ返した。
シリルくんは深いため息のあとで魔力通話の電源を落とし、頭を抱えている。
「デニスどうしよう、また、考えなきゃいけないことが増えた。紬様が変だ。この三ヶ月間ずっとこんな調子なんだよ…」
「ほっとけばいいんですしょあんな女」と冷たく言い放ったエリザベータ。
お前は冷たすぎないか?そんなに嫌うほど接点あったか?
俺がエリザベータに「なんでお前そんなに紬様のこと嫌ってるの?」と口にした途端ーーー何故か、シリルくんとエリザベータ両方に残念なものを見るような目を向けられた。
「おお、さすが鈍さマックス」
「もはやこれでこそデニスって感じがする、いや、そのままでいてほしい、変わらないでいてくれた方が俺の心が癒される」
二人の呟きは小声だったがーーーだから聞こえてるんだよ!こちとら耳はいいんだよ!お前ら絶対馬鹿にしてんじゃねえか。
「おい!」と詰め寄った俺に、エリザベータは慈愛に満ちた笑みを向け、少し背伸びした後で優しく頭を撫でてくれた。
え?なんで?
エリザベータを見下ろしながら困惑していると、シリルくんは「よし」と小さくこぼして魔力通話をいじり出した。
「よし、紬がちょっとキャラチェンしたってことにしてしばらく放置しよう」
横目で見たが、着信拒否設定していた。これでひとまずは安心…なのか?
シリルくんが何か思い出したように「あ」と声を上げた。
今度はなんだ?また三ヶ月の間に何か起きたのか?
身構えた俺に向かってシリルくんが眉をハの字にした。
「そういえばデニスの魔力通話俺が壊しちゃってさ、謝らないとと思ってたんだよね」
ごめん、と頭を下げるシリルくんには悪いがーーーちょっとほっとした。
なんだそんなことか、といった感じだ。
むしろ好都合か、とさえ思う。
「別にいいーーー向こうでの交友関係は全て置いてきた。…俺はこれから赤竜として生きるよ」
「それはいいですね!ジョシュアや黒竜のことなんて忘れましょう!」と手を叩いて喜んでいるエリザベータには曖昧な笑みを返すしかなかった。
…ジョシュア様の命はなんとしてでも助けるし、「彼女」のことを忘れるなんて俺が生きてる限りあり得ないんだけどさ。
だから、と俺は続けた。
「だから、俺のことはもうデニスって呼ばないで。…その名前はどうしても向こうでの生活を思い出させるから」
ずっと口を一文字にして黙り込んでいるシリルくんだけでなく、エリザベータも何か言いかけてはやめるように口を開け閉めした。
「赤竜って呼んでほしい」
静かに告げた俺に、二人は頷いてくれた。
シリルくんは責めるようにこちらを見ていた。
まあ、そうだよな。同族のシリルくんにはバレてるだろう。「忘れる」ことができるほど器用だったらとっくの昔にそうしてきただろうって、赤い瞳が雄弁に語ってる。
俺が話を逸らすために「これから魔物の森に住むつもりなんだ〜」って言ったら血相を変えた二人に反対された。
それはもうめちゃくちゃ「ダメに決まってる、何考えてるんだ」って連呼された。
「デニス様を一人で住ませたら寂しくて死んじゃいますよ」って、エリザベータは俺のことうさぎか何かだと思ってるのだろうか。
「お前は放っておくとすぐに死にかけるわ、赤竜になるわ、いなくなろうとするわで…目の届く場所に置いとくに決まってんだろ!」
「いや、どれもやむを得なかったっていうか、今後二度と起きないっていうかーーー」
「「うるさい(ですよ)」」
あ、はい。
あまりの剣幕に大人しく頷かざるを得なかった。
俺、最強になったけどね、この二人は違う意味で怖さがあるよね。
「善は急げだ!」と鼻息荒く権力を暴走させ始めたシリルくんは一流の建築魔法師を魔力通話にて十名ほど呼びつけた。
緊急招集などと言って残虐王に呼びつけられた哀れな魔法師たちは震えながらも「急に呼び出すなんて、いくら国王陛下といえど…」とシリルくんに食ってかかろうとしーーー
シリルくんが、そのタイミングで俺を指さした。(いや、なんで?)
シリルくんの誘導で、、彼らはその時初めて俺の存在に気がついたみたいだった。
目があったから無表情のまま手を振ったんだよね。
何故か皆、一様に固まった。
そして、命じられたかのように跪いてしまった。
魔法使いたちを威圧してしまわないように事前に自分に向けてバインドをかけていた俺は「あれ、魔法失敗して威圧しちゃってる?」とちょっと慌てた。
傍に立ち、腕を組んで満足げに頷いているエリザベータをせっつく。
「おい、お前がバインドちゃんとかかってるって言ったのに、全然ダメじゃん」
口を歪める俺の手を取って恭しく額に当てたエリザベータはーーー俺の「いや、それ騎士が貴婦人にやるやつ」という内心のツッコミはさておきーーーそれはもう楽しそうに、華やぐように笑った。
「彼らは威圧を受けたのではありません。ーーー赤竜様の存在に感謝し、ああして跪いているのです!」
え、何言ってんのこいつ?
背筋が寒くなってスッと手を引き抜いたら、エリザベータは拗ねたような顔をした。言いようのない疲れを感じて思わず首の後ろに手を回す。
そんな俺に追い討ちをかけるようにして、建築魔法師たちの「なんて美しいんだ、この世のものと思えないぞ」「赤竜様はいつの間に降臨されたのだ?」「ああ、あの瞳に一度でもうつれるなら、私なんだってできる」なんていう囁きが聞こえてくる。
シリルくんは「ーーーわかっただろう、赤竜様には新しい城が必要なんだよ。だからお前らに招集をかけた…文句あるやつは?」
「「「「「ないです!」」」」」
いや、あれよそこは。
今日中に完成させます、って跪かなくていいんだよ。
瞬く間に土台を完成させてるんじゃないよ…え、すごくない?プロイセンの建築魔法師すごすぎない?あ、ここ世界一と名高い魔法大国か〜。
日が沈む頃には、城と湖のほとりをつなぐ通路まで整備され、湖畔の中央に俺専用の城が建てられたいた。
なんか途中からは俺も諦めて見てるだけじゃ悪いから城の建築を普通に手伝った。
今の俺は魔素を比較的自由に操れるから「あの魔法を手伝ってあげて」って命令しただけなんだけどさ、急に魔力消費が無くなった建築魔法師たちから完全に神を見る目で崇められたのは忘れたい思い出だ。
「ーーーお前、急に最強になったな」
先代の赤竜様とも比較にならない、なんて他でもないシリルくんに言われてしまうと俺は頬をかくしかできない。
「ライ…黒竜さまは5年経っても成体になってないだろ?なんでお前は1日どころか数時間で完成しちゃってるの?」
ブリテンの生活はもう忘れたい、そう言った俺に配慮してシリルくんは「黒竜さま」と呼んだ。俺の知る限りでは初めての呼び方だ。俺はシリルくんにちょっぴり感謝しながら、何も気にしていないような風を装う。
「いや、完成してないし、…なんか、こうちょいちょいって自分の体の魔素をいじって空気中から手当たり次第に取り込んだら行けた」と俺なりに説明したのに、シリルくんは見たことある「はいはい」って顔で頷いてた。
「まあ、お前人間の時からパーシヴァル倒したりとか只者じゃない感あったもんな、わかるわかる、天才ってやつね」
「いや…多分それシリルくんブーメランだよね?一人だけ固有魔法いくつも使える異世界人って十分只者じゃないよね?」
シリルくんと俺が無言で睨み合っていると、エリザベータが「デニス様」と袖をひいてきた。
何?と顔を向けると「質問なんですけど」と見上げてくる。
「なんでデニス様だけこんなにお強いんですか?あ、青竜様もお強いですけど」
俺が何も答えなかったからか、エリザベータはシリルくんに話の矛先を向けた。
赤竜と青竜どっちが強いか、なんて話題で盛り上がり出した二人には言えない。
頭に血が上って腹いせに青竜のこと締め上げてきましたなんて。
俺はまだ全然完全体になってないけど、確実に青竜より強いですなんて言えない。
賑やかさが夕焼け色に染まった湖畔に響いて、俺はなんとなく顔を上げた。
空を見上げてーーー星はどこにいても見えるよな、なんてセンチメンタルなことを思う。
シリルくんがエリザベータに向けて「あの建築魔法師たちの報酬交渉してこい」と命令した。
エリザベータが「なんで私が、あなたの部下じゃありませんけど」としかめっつらをする。
「俺が交渉するとビビられるか反対されるか失神されるか…ともかく、俺はここで待ってるから頼む」
エリザベータは国王とは思えないシリルくんの発言に何を思ったのか、ひどく見下すような顔でシリルくんを数秒見下ろし、シリルくんが眉間に青筋を受かべた所で恭しく腰をおって「イエス、マイロード」と完璧なマジックイングリッシュで答えた。
シリルくんの堪忍袋の尾が切れる前に、逃げ出すように駆けていったエリザベータの背中を見て思わず呆れ顔をしているとーーー
シリルくんが「あのさ」と風に消えそうな声で呼びかけてきた。
なんだろうと思って左に顔を向けるとーーー今にも泣き出しそうに眉を寄せたシリルくんと目があった。
「ど、どうしたの!?俺なんかした?」
慌て出した俺の肩を押さえつけるように、シリルくんが手を伸ばしてきた。
両肩に手を置かれて、強い視線に射抜かれた俺はおずおずと口を閉じた。
沈黙が流れ、俺はシリルくんの目から涙がこぼれ落ちるんじゃないかと思ってハラハラとしていた。
シリルくんはそんな俺を見てーーー無理やり、顔を歪めた。
笑おうとして、失敗したみたいだった。
「赤竜って呼んでほしいなんてーーーそんな切ないこと、なんでもない風に言えるお前の強さがどうしようもなく辛くて。キャラじゃないのにお前見てると泣きそうなんだよ、くそ。…ライラとお前は親友だもんな。何気ない瞬間にいろんな呼び方してきたんだろ、どうせ。…だからデニスは絶対にライラが呼んだことない『赤竜』で呼んでほしいのかなってーーーこれ、俺の勘違い?」
凍りついた俺の表情と、一瞬だけ燃え上がった赤の魔力を見て、シリルくんは自分の推測が間違ってなかったってわかってしまったらしい。
やっぱな、と目を細める彼が歳上だったと思い出す。
異世界に誘拐されて家族と引き離され、どん底で出会った最愛の人も失い、無理やり即位させられた後には幾度となく裏切られーーー今も必死に歯を食いしばっているであろう彼は、きっと今どうしようもなくボロボロな俺の心が人より少し理解できるのだ。
「俺は、強くないよ。ーーーただ、振られた惨めな記憶を思い出したくないだけ」
俯いて小さくこぼした俺の髪を、撫でるというよりは触れるような軽さでシリルくんは手を滑らせる。
「うん」
こんなに優しい「うん」を俺は聞いたことがなかった。
「赤竜にお願いがあるんだ」
なんだろう、改めて。
シリルくんの真剣な面持ちに、少し鼓動がはやくなった。
「俺の前からいなくならないで。…俺は、多分お前の愛し子じゃないよ。先代の時も思ったけど、俺は赤竜に愛されない愛し子なんだ」
「これは本題じゃないけど」と眉間に皺を寄せたシリルくんを可哀想に思うのに、「違うよ、そんなことないよ」と言ってあげることはできない。
ごめんね、シリルくん。「愛しい」という言葉を俺が使えるのは「彼女」だけなんだ。
無言で見返せばシリルくんは「そんな顔すんな、言われなくても勘違いしない」と不思議な言い回しをした。勘違いってなんだろうか。
「俺は愛し子だと思われてないことは置いておいてさーーー今、この国の魔素のバランスは俺と赤竜、あなたにかかってる。だから、俺たち人間を気遣ってどこかに行ってしまったりしないでほしい。赤竜と俺が一緒にいることがとても大事だからーーー俺が生きてる数十年の間だけ、あなたの時間を、この国にください。その後は好きにしてもらっていいよ…その間にきっと赤竜の加護は安定するから」
あんまりな言い方に、俺まで泣きたくなってきた。
どうしてシリルくんは自分を蔑ろにするような言い回しを選ぶのだろう。
ーーーいや、わかってるけどね。
この世界はシリルくんにあんまりにも厳しくって、この強いけど繊細な人は自信を無くしてしまってるのだ。
ちょっと反省する。
さっき、シリルくんやエリザベータが俺の魔力に耐えられないのを見て、確かに俺は動揺した。遠くへ行こうとした。
赤竜になった以上、プロイセンを見捨てる気なんてさらさらなかったけど…シリルくんはそうは思わなかったのだろう。
そりゃあそうだ。俺はずっと「彼女」のために生きてきた。
シリルくんが赤竜がいなくなると思ってもなんら不思議ではない。
俺が「赤竜なんだからいなくならないよ」と繰り返し言っても、シリルくんは不安そうな顔のままだった。
シリルくんの要求してきたことは全然難しいことじゃないのに。「おうちに帰ってきなさいよ」さえ守れない子だと思われているのだろうか、俺は。
苦笑いしつつもーーーそっとシリルくんの肩を手から外した。
右手、左手、両方とも丁寧にシリルくんの両脇に戻してあげたらすごい不機嫌そうな顔で「そういうとこだぞ」って怒られた。振り払ったら折りそうだったからやったのに理不尽である。
舌打ちを繰り返しているシリルくんにーーーこれ以上の不幸が舞い降りないように、俺は迷っていた行動の優先順位を決めた。
まずはーーー
「黄色竜を見つけ出して、シリルくんを幸せにしてあげる」
パチンとわざとらしいウインク付きで言ってやれば、ボンっと茹で蛸のようになったシリルくん。顔を覆って「もうやだ」ってしゃがみ込む…え、これ効くんだ。覚えとこ。
いつの間に戻ってきたのか、俺に向けて魔力通話を構えたまま「シリル王邪魔だな、アングルに入ってくるな」とひどいことを言っているエリザベータの片腕と、うずくまっているシリルくんの襟首を掴んで転移する。
新居を探検するなら大勢の方が楽しいからね。