第十八話 ゴージャスな男
誰も昇格できなかった、果たして意味があったのかわからない昇格試験などを行いながらもつつがなく騎士団の訓練が終了した。
デニスは隣に立つ副官を見下ろして、少しだけアゴをしゃくる。
団長の意図を正しく理解したエリザベータがしょうがないですねと言いたげに笑って手を叩く。
「集合」
エリザベータの警笛のような命令を受け、訓練後の弛緩していた空気が少しだけ締まる。団員たちが駆け足でデニスとエリザベータの前に長方形の隊列を作った。
隊長と副隊長に並ぶ隊員たちの顔をデニスは回しみた。…汗だくで髪の毛やらシャツやらが乱れているものが多い気がする。もしかしなくてもやたら疲れて見えるのが昇格試験に参加したメンバーだろうか。
よく特別隊を希望するよなあ。俺の隊にいるとパブでのナンパ成功率は上がるかもしれないけど魔法士団から恨まれるし。フィメルやらパパラッチやらに四六時中監視される生活になるしで損ばっかだと思うんだが。
デニスの斜め前で「早くしやがれ」と眼光鋭く隊員たちを怯えさせていたエリザベータが、スピーチ前に気合を入れるように咳払いを一つした。
「それでは、団長の代理として、直轄隊に所属しています私の方から本日の総括を述べさせていただきますーーー」
「直轄隊に所属している」ことを話の最中で何度も強調するのは何への当てつけだ…?
一部の隊員から向けられる憎悪の眼差しを心地良さそうに受け止めるエリザベータ。ここでようやくデニスも自身の預かり知らぬところでいざこざがあったようだと悟る。だって、なぜか隊長たちの顔が呆れ顔なのだ。
おい、副官よ。なぜ団長直轄隊の人事を俺抜きで揉める?
デニスのことをストーキングしたりパーシヴァルの防御魔法を涼しい顔で突破したりと行動の奇怪さばかりが目立っているエリザベータだが、自称有能な副官として、淀みなく本日の反省事項などを述べていく。…デニスに最後の総括を任されることを予見していたとしか思えない。
このなんでもそつなくこなす器用さがエリザベータを彼女たらしめている要素なわけであって。…暗殺者という怪しさの塊なのにデニスが文句を言いつつも彼女を重用してしまっている原因だろう。「ヘイSiri!」とデニスが言わずともプレートの運転、(不法侵入の後に)カッターシャツのアイロンがけ、(不法侵入の後に)料理の作り置き、さらには訓練の終わりの挨拶(これは公認)までしてくれるなんて…文明の利器Siriにも圧勝だ。
「ーーーというわけで、本日は王妃様の御公務の関係でウィンザー宮殿が使用されますので、西区の午後の警備担当は細心の注意を払ってください。西区で魔法士団のボンクラどもがいざこざをふっかけてきたら叩き斬って大丈夫です。不審者や暴漢などは発見次第直轄隊に連絡を。…私からは以上ですが、各隊の隊長、連絡事項はありますか?」
エリザベータの問いかけに隊長、副隊長からは沈黙が返される。
エリザベータはひとつうなずき、すぐ後方のデニスへと振り向いた。
「では、最後にデニス団長、締めのお言葉お願いします」
後ろへ下がったエリザベータと入れ替わるようにして、名前を呼ばれたデニスが整列する団員たちに向けて一歩踏み出す。
だが、しかしである。
デニスの頭の中は午後のことでいっぱいだった。
ライラに会えるのだ。しかも非公式の場とはいえ護衛騎士として背中を守ることができる。
「このために、この数年に一回しかないライラ公式の護衛騎士を他のやつに渡したくなくて騎士団長になったんだよ」なわけである。
楽しみだなあ。
ーーーというテンションで締めの挨拶をしたところ、ちょっと笑顔の出力が上がりすぎてしまっていたみたいで隊長たちからは眩しそうな顔をされた。
…団員たちからはうめき声だとか、赤くなったり青くなったりしてフラつくものまで出る始末だ。
まずい、俺の美貌がとどまることを知らない。
まあ、ちょっとテンションが上がりすぎてフェロモンならぬ魔力が滲み出ちゃってる自覚はあるさ。ーーー数人青ざめてるけど、若気の至りってことにしてほしいな。
冗談はさておき、さっさと訓練場から出よう。
奇妙な興奮に包まれた隊員たちにさっさと背を向けたデニス。カルガモの親に続く小ガモのように、弾むような足取りのブランドンとエリザベータが続いている。
「これは、噂のやつが見れるかもしれませんね?」
「ーーー俺もちゃんと見たことないんだよ、今日の会談の公用語は魔法英語か?」
BGMのように後ろ二人の会話を聞き流したデニスは胸ポケットの魔力通話を取り出した。
魔力通話が表示している時間はーーー12時3分。午後の面会開始時刻は14時だが、その前にライラたちと合流しなければいけない。
「ーーーあと、一時間ちょいしかねえな」
背中のうるさいふたり組を蒔きたいところだが口論する時間が惜しい。
ーーーこいつらちっとも俺のいうこと聞かないしな。
デニスはフーッと息を吐き出した。
そろそろ自分の中のバッテリーも溜まってきたしーーー王妃護衛としてのデニス=ブライヤーズを起動させよう。
スリー、ツー、ワン。
中心視野から周囲視野へ。
意図的に魔力の流れを早くする。
全身動作は速く静かに滑らかに。
言語のスイッチも切り替えだ。ーーー魔法英語を使うのは久々だ。ライラのお披露目式ぶりか?
エリザベータがいつもの調子で上にあるデニスの肩を叩く。
お昼どうします?と言いかけた彼女。
しかし、彼女の言葉は「おひ」で止まって口の中に戻ってしまった。
振り返ったデニス。背景に赤い薔薇の幻覚が見えた気がした。
普段快活に燃える緋色の瞳だが今は真逆だった。冬の湖のように静かな眼差しがエリザベータを柔く見返す。口元には微笑が浮かんでいた。
「I fancy having | lunch alone.Sorry.《悪いけど一人で食べるよ》」
雰囲気がまるで別人だったためだろう。エリザベータが手を引っ込めて、ぽかんと口を開けた。
実の兄であるブランドンでさえも、弟の変貌っぷりに目を見開いている。
まじまじと見られーーーデニスは照れ臭そうに頰をかいた。
二人して固まってるし…いや、これはチャンスか。
エリザベータも別に聞き取れなかったわけじゃないだろう。
魔法使いであれば魔法言語を話せるのなんて《《当たり前》》なのだ。
押し付けられる当たり前のために、言語がすこぶる苦手だったライラに発音を叩き込んだ懐かしい日々のことなんかを思い出しながら、デニスはシーユと手を振って自分のプレートに飛び乗ったのだった。
爆速で騎士団寮へと戻り、プロテインバーを三本ほど水とともに胃の中に流し込む。
シャワーを浴びて、自身の赤魔法で全身の瞬間乾燥を成し遂げたあと、スリッパを引っ掛け、半裸で全身鏡の前にスタンバイしたデニス。
手はじめにサイドテーブルから白のチューブを掴み、ワックスを手のひらにダバっと出した。
渇きたてでふわふわしている髪を全て後ろに流しつける。
おでこを出すと身が引き締まる気がするのは父の影響だろうか。デニスの父はいつもひとふさの乱れもないオールバックの髪型だ。
手のひらで余ったワックスをテッシュで拭うと、丸めたゴミをトラッシュボックスにスローインする。
次にデニスはクローゼットの扉を開き、ハンガーに吊るされた洋服を慣れた様子で身につけていく。
地竜から取れた黒の手袋とソックス。
耐魔加工のなされたカッターシャツ。
騎士団長の青と白の制服の上下。
ジョシュアから贈られた赤茶のベルト。
銀の竜が浮かび上がる黒マント。
吸い付くようにフィットする黒のブーツに足を突っ込んで、革紐を縛る。
クローゼットの横には愛用の使い込まれたロングソードと黒の魔石がメレダイヤのように散りばめられたレイピアが立てかけられていたが、デニスはそれを両方とも掴むとベルトの金具に固定した。
最後にカナリーイエローのサークルストーンを胸に飾るーーー普段使いの赤いサークルストーンの二倍近くの大きさで、カッティングが精巧に施され、デニスが世界で一番好きな彼女の瞳と瓜二つの宝物だ。
鏡の前で一回転し、装いの乱れがないかチェックしたデニス。
ベットに放り出してあった魔力通話に手を伸ばす。
数回画面をタップしたあと聞こえてきたのはコール音。誰かに通話するようだ。
2コールでデニスの画面が切り替わる。
デニスは電話越しの相手へと笑い声を返していたがーーーそのうち、思いついたようにスピーカーからダイレクト通話へと音声を切り替えた。
まるで、彼女の声を近くで感じたくなったみたいにはにかむデニス。
シュア、シュアと繰り返していたがーーーやがて、デニスは通話越しの誰かに向けてイチゴジャムを煮詰めたように甘い瞳で微笑んだ。
「急かさないで、すぐに馳せ参じますよ。マイクイーン」
鈴のように笑う彼女の声を聞きながら、デニスは寮の部屋をあとにした。
ウィンザー宮殿は王宮の正門の南東に位置する。
デニスがしばしば呼びつけられるケンジントン宮殿のほど近くに位置し、中央広場から見るとやや奥まった場所にデーンと立っている。
ウィンザー宮殿はケンジントン宮殿よりもずいぶん大きいのだ。横も縦も大きい。
だから入ったことはなくてもみんな見たことはある。王城の敷地内ならウィンザー宮殿の一部がどこからでも見えるから。
そんな巨大な宮殿が有するラウンド・タワーだが…少しだけ今日はスペシャルだった。普段掲げられているブリテン国旗に代わって、飛翔する黒竜をあしらった旗がたなびいているのだ。城の主、ライラがいるときは旗を彼女のものに取り替える。警備的には最悪だが伝統とはそういうものだ。(とパーシヴァル様が面倒くさそうにこぼしていた)
伝統を守るために空でひらついているライラの旗だが、これまでの王妃が使ってきたものではない。黒竜である特別な王妃のためにジョシュアが新しく作らせた旗だ。
もしかすると明日のワイドショーあたりでウィンザー宮殿が放映されてるかもしれない。旗が変わったばかりだと思われる今は報道陣の姿は見えないけど…。
ブリテン国民はロイヤルファミリーのニュースが好きだからな。俺もうっかりカメラに映り込まないように注意しよう。
赤いプレートに乗ったデニスがウィンザー宮殿を囲む塀へと近寄っていくと、入り口付近にたむろっていた見物客の人だかりが割れた。
「え、デニス=ブライヤーズ!?本物!?」
赤ん坊を連れた三十歳くらいのフィメルが他己紹介をしてくれた。
ありがとう。
できればポケットから手を出して?盗撮はよくないよ。
旗の見物客が一瞬で自分の見物客へと変わったのを肌で感じ取りながら、デニスはできるだけ優雅にプレートを降りた。
イケメンだとかゴージャスだとかマーベラスだとか、見知らぬ魔法使いから贈られる賞賛を涼しい顔で聞き流しながら、デニスは伝統的なゴシック様式のウィンザー宮殿の入り口の扉を魔力を灯した手で叩いた。
デニスの魔力に反応した魔法陣が淡く発光し、ピッタリと閉じられていた重量のある扉がじわじわと開いていく。
観客のボルテージが上がり、デニスのストレスメーターも上がる。
以前も感じたが世界の反対ともタイムレスで繋がれるこの時代において、ウィンザー宮殿の入り口は開くのが遅すぎる。
「騎士団長様よね?サインくださる?」
おっと。
ジェントルなスマイルで振り返ったデニスは若草色のカーディガンのマダムに向けて申し訳なさそうな顔を作る。
ソーリ。公務中なのでサインは受け付けられない。もう行かなくちゃ。
丁寧に聞こえるように、修飾語をつけて、めいいっぱい婉曲に。
今の俺は「王妃護衛」。ーーー魔法言語を喋る時は半端なことはしない。
そうこうするうちにますます人が増えてきている気がする。
まだか、扉はまだか。ーーーあの隙間じゃ俺は通れない。シリルくんならいけるかも。今だけシリルくん並みにスキニーになりたい。
繰り返すようだがウィンザー宮殿は王妃主催の公式な場でしか使われないちょっと特別な宮殿である。扉が開くのも普段はお目にかからないスペシャルな出来事なわけで、通行人の興味もひとしお。そこに有名なデニス=ブライヤーズ。テーマパークのキャラクターグリーティングハウスになりかけている。自分で言ってて虚しい。速く開け扉。
カタツムリのような速度で開く扉に制服のボタンが引っかからないジャストのタイミングで身体を滑り込ませたデニス。
すぐに内側から指先が一体化しそうな力でクローズのボタンを押す。今日はあんまり注目を集めたくなかったのに失敗したかもーーーいや、でもこの宮殿に裏口はない。つまり逃げ場はなかった。俺は悪くない。
お散歩中のご老人方が中心で年齢層が高めだったのでセーフだと思いたい。チラリと視界に入った魔法学園帰りと思われるフィメルの集団には気づかれたくなかった。確実に掲示板に拡散される気がする。
デニスがウィンザー宮殿へ入ったのは約二年ぶりだ。
必要最低限の部屋しか存在しないケンジントン宮殿と違って、ダンスしたりスコーンを食べるのに良さそうな部屋がわんさかある宮殿。
パパラッチから逃げるセレブリティの登場の仕方をしたデニスをエントランスで出迎えたのはジョシュアの秘書のアイリーンだった。
金髪碧眼の彼女はデニスと同じくジョシュアの側近でデニスの先輩にあたる。豪奢なブロンドを高い位置で一つに束ね、黒のピンヒールにホワイトのパンツスーツの出立ちだ。アクセサリーはジョシュアから魔力対策として支給される黒魔石のピアスだけ。
クローズボタンを連打した後でうなだれていたデニスの後頭部へ向けて、優雅に歩いてきたアイリーンは「お疲れ様です」と告げてくれた。
流暢なマジックイングリッシュ。呆れとねぎらいの混じった笑顔。
何も言わずとも状況を理解されている気がする…嬉しいような悲しいような。
「王妃様はウェイティングルームでお待ちよ」
ウェイティングルーム…それはどこだろう。
困惑するデニスの表情に気がついただろうに、さっさと歩き出したアイリーン。今から行くんだから説明は不要だろうという副音声が聞こえそうだ。無駄が嫌いそうな彼女の後ろにデニスも続く。
淀みない足取りの彼女は二階へと続く階段を無視して奥の扉を目指すようだ。
ライラは一階のどこかにいるらしい。選択肢となりそうな扉は三つ。右か正面か左。ーーーアイリーンさんの向いてる方向からしてたぶんアタリは正面方向だな。
それにしてもこの宮殿は広すぎる。空間魔法の気配がないのにどうなってるんだ。エントランスホールだけでも二十五メータくらいあると思う。スピリットトレーニングでもしたかったのだろうか?ここが建てられたのは建築魔法がない時代だ。この規模の城の建設にどれだけの労力がかかったのか考えると恐ろしい…。
うんびゃく年前の暇を持て余した王族のせいで、玄関から奥へとまっすぐ突っ切るだけでもそこそこ手間だった。アイリーンの歩みはデニスに比べれば遅かったのもあって(彼女なりに頑張ってるのは感じ取れた。ただ、コンパスの違いがありすぎるのだ)デニスは暇を持て余しているような気分になってくる。
アイリーンとの距離を詰めないようにゆっくりと足を動かすと、お仕着せ姿の使用人たちが働き蜂のように駆け回っているのが視界の端に映り込んでくる。
階段の手すりを磨く赤毛の少年たちや廊下に美化の魔法をかけている栗色の肌の少女。彼らの言葉はグレイト=ブリテンの公用語であるジャパニーズでもないし、魔法使いの使うマジカルイングリッシュでもない。…出稼ぎの若者だろうか。
和国から来た紬もそうだが、この国は最近外国の魔法使いが増えた。黒竜の誕生の余波は大きすぎて全容を掴むことなんてデニスには不可能だったけどおそらく異邦人の増加と無関係ではない。
ブリテンが発展していく。名前の通りグレイトリーに大きくなっていく。
騎士団長で王妃の筆頭護衛騎士で国王側近のデニスも当然他人事ではない。
他人事ではないのだが…どうしてだろう。自分だけ電車に乗れなかったみたいな、友達を追いかけていたら扉が自分の目の前で閉まったような。
たまにだけど…いや、結構しょっちゅうかな。今とかも、そう。
煌びやかな王宮内を歩いていると、途方もない孤独感を感じる。
「デニスには役割があるよ」ーーーブランドンの言葉がどうしてだか忘れられない。そんなものあるわけないって、役割をあてられるのが自分じゃないって俺が一番わかってるのに。
……………。
あー。やめだやめ。
今日はスペシャルデイなんだ。ブリリアントな日にするために、「いつものデニス=ブライヤーズ」は封印しよう。
こぼれそうになったため息を飲み込んで、デニスは顔を上げた…そして、降り注いできた光量の強さに目を細めざるを得なかった。
デニスたちがすすむエントランスホールは屋外のように明るい。白魔石でできたシャンデリアが天井の中心に吊るされていて、周りの魔力を吸ってまたたいていると教えてくれたのはジョシュアだった。肉眼で直視するのはお勧めしない。十代前の王妃が白魔石コレクターだったとかで、あのシャンデリアに込められた魔力が強力すぎるため、「見るな」の扱いが太陽と同じなのだ。
明るいというよりは眩しいと言った方が良さそうなエントランスを延々と歩き、アイリーンは黒い扉の金のノブを捻った。
デニスはアイリーンの頭の上から手を伸ばして重そうなドアを開けるのを手伝う。
アイリーンが少し驚いたようにデニスを見上げた。
「レディーファースト」
目があったので軽く微笑んだらいやそうな顔をされた…ちっともありがたそうじゃない顔で「サンキュー」
この先輩、あたりきついんだよな。美人なのもあってちょっと怖い。
俺たちは再び黙々とダークグリーンの絨毯をすすむ。
柔らかなオレンジ色の魔力灯に照らされながら歩き、三つ目の扉でアイリーンさんは急停止した。
デニスはアイリーンにぶつからないために慣性の法則に逆らわなければいけなかったーーー騎士団に所属していて心底良かったと思った瞬間だった。魔法士団みたいに身体強化の訓練が少ない部署だったらアイリーンの細身にぶつかっていただろう。そしてビリヤードの玉よろしく彼女の小柄な身体を吹っ飛ばしてしまっていただろう。サンキュー騎士団。
デニスが内心冷や汗をかきまくっている中で、涼しい顔をしたアイリーンはドアを三回ノックした。
中から歌うような声で「どうぞ〜」とマジカルイングリッシュが聞こえてくる。
どくんと胸がバウンドした。
初めから英語。イントネーションも公務用。ここまでそろえば間違いない、ライラは私的な場とはいえかなり本格的な接待をする気らしい。
一昨日の打ち合わせと話が違うじゃないかとか色々言いたいことはあるが…まあいい。
紬姫が衣装決めにこだわっていたがーーーあの判断は正解だ。これは本気のやつが来る。
入る前からゾクゾクする。全部好きだけど、一番好きな彼女がみれる。
ライラのマジカルイングリッシュ。
王妃に就任後、初めて回った外交で拙い英語をバカにされて。
ジョシュア様は気にしないでいいって言った。
でも、ライラは悔しかったみたい。
忙しいジョシュア様に代わって、俺が彼女の練習相手になれたんだ。
ブリテン王妃らしい優雅なアクセントを身につけようって先代のニューイヤースピーチを何百回とリピートして、アクセントを真似たんだよな。
だんだんキングスイングリッシュを話すようになる彼女がマイナイトって俺を呼ぶ声を何度だって聞きたくなったっけ。
デニスはゆっくりと瞬きした。
自然と鼓動が早まる。背筋が伸びる。
王妃として輝くライラが好きだ。
子供ができないだとか英語が拙いだとかーーー正直、黒竜の偉大さを持ってすれば細事なんじゃないかって思うけど。
どうでもいいって割り切れない、不器用で、真っ直ぐなところも全部俺にとってはファンシーだ。
なんの変哲もないベージュの扉が開く。
グリーンの家具でまとめられたウェイティングルームは九月の陽光で満たされていた。窓から差し込む午後の日差しが、暖炉とかティーセットのコレクションだとか油絵の絵の具だとかを白くけぶらせていて、デニスは自分が光の国に迷い込んだのかと思った。
踵が弾むような足取りのデニスはアイリーンに続いて室内へ入ると、彼女の手を取って軽くキスをした。
「案内ありがとうございます」
機械的にアイリーンが頷いたのを確認しーーーやや性急な足取りで奥へと歩きだす。
すぐにワゴンを押していた銀髪の使用人と目があって、微笑んだら愉快そうに笑われてーーー少し冷静になる。
落ち着け、俺。
今日は王妃筆頭護衛騎士だ。
…うん、もうちょっとゆっくり歩こう。
ゆったりとした歩調に変わり、両手を軽く広げーーー奥の一人がけソファでいつもより控えめにはにかむライラへと芝居がかった仕草で近寄っていくデニス。
本日は十五歳くらいの見た目のライラ。
ゆったりと編み込まれた黒髪がサイドに流され、さらされた耳元にはハート形にカッティングされた大振りの黒魔石。背中に翼のための穴があいたピンキッシュオレンジの襟付きワンピースに身を包み、エキゾチックな紫の翼を揺らす妖精は紅茶のティーカップ片手に微笑んでいた。
翼を除けばどこにでもいそうなティータイム中の王族の少女だった。
…この姿が当たり前に見えるようになるまで、いっぱい頑張ったよな。
「マイクイーン…私の心はいつだってあなたにとらえられています。ーーー女神ジューノウであろうともあなたの輝きを賞賛するに違いありません。ゴージャスです、あなたは褒め言葉が陳腐に聞こえるほどに美しい」
かっこいいよ。最高にかわいいよ。と何度も念じながら。
TPOに合わせて飾り立てた言葉はすべてデニスの本心なのだがーーーわざと冗談めかして言ってやれば、ライラはくすくすと可憐に笑ってくれる。
「お馬鹿さん」
ああ。かわいいなあ。
IQ1くらいの思考力で、微笑むライラに見惚れながら身体が覚えている動作でひざまずき、レイピアを立てて、首を垂れてーーー
赤魔法の最終ギアをオンにするために、デニスはいつもの口上を述べる。
「騎士に授けられる剣、それはアダムの原罪を背負いし主人が孤独に焼かれた大樹の象徴である。故に騎士は、その剣によって大樹の敵を打ち砕く責務を負う。騎士とは正義の維持のための存在だからこそ、その構える剣は両刃である。騎士道と正義。その二つを護持せんがためーーー命に代えてもお守りします。マイクイーン」
ひりつきそうなほどに燃え上がったデニスの赤魔力を見てーーーライラは口元を綻ばせたのだった。