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当て馬騎士の逆転劇〜こいねがえば叶うはず〜  作者: 橘中の楽
第一章 最年少騎士団長
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第十七話 緊急開催!直轄隊昇格試験

紬の離宮を出てプレートへ向かうと、やはり自力で縄の拘束から抜け出したらしいエリザベータが胸に手を当てた姿勢で待機していた。


「団長、お供いたします」


当然のようにデニスのプレートの運転席に収まるエリザベータ。

淀みない手つきで動力魔石のカバー解除用の数字ボタンを押していき、動作制限を解除している。


ーーー俺のプレートなんだけど、なんで動力魔石の制限解除コード知ってるの?お前対策で三日前変えたばっかだし、12桁あるんだけど…。


這い上がってきた純粋な恐怖。

思わず腕をさするデニス。

しかし、一流暗殺者エリザベータのストーカーっぷりに慣れてきているデニスはため息一つでツッコミを放棄した。


「……お前、今日の訓練午前だっけ?」


動力魔石に手をかけていたエリザベータが顔だけこちらに向けた。


「午前は警備当番ですが、今の所うちの隊には出動要請が入ってないので団長と行動を共にしようと思います」


副官ですので!と微笑みを浮かべるエリザベータ。


…任務を疎かにしてるわけじゃないのか。


デニスは諦めたように「勝手にしろ」と肩をすくめた。


二人を乗せた赤いプレートは異国情緒豊かな離宮通りをあっという間に通り過ぎ、検問を顔パスで通過したあと、プラタナスの並木路へ飛び出した。

左手には石造りの噴水で有名な王宮前広場。

右手にはケンジントン宮殿。渡り廊下で繋がったウィンザー宮殿も寄り添うように並び立つ。ウィンザー宮殿にデニスが行くことはあまりない。どっかの羽の生えた王妃がわがままを言って、その相手が運悪く他国の要人だったりする今日の午後のような例外もあるわけだが。


「高度をあげます」「…運転変わるか?」「魔力量の心配ですか?お気遣いなく」


エリザベータの右手が淡く光ってプレートが3メータほど上空へ車線変更した。

城のメインストリートには朝の散歩をする近隣住民や仕事前の魔法使いたちが多数往来している。彼らと衝突しないよう、先を急ぐデニスたちの赤いプレートは魔力消費の多い上空の進路を選ばされるわけだ。

残暑が残る九月中旬。眼下にうつる通行人の額にも汗の玉が浮かんでいる。

プレートの上で風ではためくマントを抑えているデニス。

副官の魔力量を注視していた彼も暑さを感じたのだろうか。首元の留め金を一つ外し、魔力通話に表示される天気予報を目にして顔をしかめた。


「最高気温29度か…今日は水分補給の回数増やすかな」


「まだまだ暑いですね」


「ミーティアウィークが終わると魔素の色も変わってずいぶん涼しくなるよな」


ぽつぽつと会話をしつつ、人気の少ない路地へと右折。王宮から見て南東に位置する騎士団の訓練場へと向かう。


「…アップのメニューおわんないかも」


画面に表示されている時刻はすでに8時を回っている。

訓練開始は9時だ。

紬の離宮で想定以上に時間を食ってしまった。


…デニスは密かに訓練メニューを組み替えようと決意する。

基礎トレーニングの時間を増やそう。そして自分も参加するのだ。

いつもは6時からやっているメニューをフルコースでこなすにはこれしかない。

職権濫用?うるせえ、ライラが世界の中心だ。


「今日はブランドンがいる日だよな。父様とジュリアンはいない…2番隊、4番隊はいるから3チーム制で行くか」


察しの良すぎる副官はこのつぶやきだけでデニスのもくろみに気が付いたらしい。

「基礎トレーニングをやるなら私は団長のいる隊に入れてくださいね」とちゃっかりおねだりをしてきた。

ーーーちなみに、たとえ別部隊に配置しようが無視してデニスのチームへやってくることを重々承知しているのではじめから同じ部隊の予定だ。

実際に能力が高い彼女はデニスのトレーニングのペアとしても重宝するので、デニスも苦笑いしながらも「わかってる」と応じる。


「朝の密会はどうでしたか?」


ここに来ていたずらにプレートを寄せてきたやつらがいた。

白のローブに金地のラインーーー煽り操縦をしてくる魔法士団の連中をなめらかな手つきで避けつつ、デニスにも煽るような質問を投げかけてくるエリザベータ。


…騎士団と魔法士団の訓練場を向かいに立てた設計者は悪意があったとしか思えない。ふつう犬猿の仲のやつらを隣に住ませるか?


背中で毛先が揺れるポニーテールを引っ張ってやろうかと思ったが、苛立ちは再度プレートをぶつけにきていた魔法士団に赤の魔力球をお見舞いすることで発散する。

ハエでも払うように小さく振られたデニスの右手。

眩く光った赤魔法。

ニヤつき顔で近寄ってきていた白の制服の集団は何が起きたかわからなかったらしい。

一瞬で彼らの眼前へと迫り、火薬のように弾けた紅蓮の球。


「わあああ!避けろおお!」


のろまだ。

慌てるにしても遅すぎだろ。しかも流石に当てる気はないっつーの。


「おい、こらデニス=ブライヤーズ!あぶねえだろうが!」


腕を振り回すやつらにベッと舌を突き出していたらーーー目の前の桃色の頭がくるりと振り返った。

エリザベータと目が合う。かたまる。

なんだか怒ってる?


「だんちょうー?無視は傷つきますよ」


甘えた声を出しながら、「私たちのスイートタイムの邪魔をすんな可及的速やかにシネ」と赤魔力の矢を飛ばすエリザベータ。

このフィメル、無慈悲である。


「……おいおい、避けなかったら致命傷コースじゃなかった?向こうのプレートの上の奴ら怯えちゃってんじゃん」


魔法士団の連中のしつこさにはデニスも辟易としているが…これはやりすぎだろ。


「朝の密会はどうでしたか?」


あ、はい。

目が笑ってないですねエリザベータさん。

早く答えろって圧をひしひしと感じます。

俺の心の天秤は魔法士団の連中と不機嫌な副官の方の間で揺れて、あっという間に傾いた。魔法士団の知らない奴らよ、悪いけどまた来世で会おうな。


とはいえ、密会がどうなどと言われても…


「衣装の格をチェックして、色合いとかアクセサリーにちょっと意見を言ってきただけだよ」


エリザベータは恨めしそうに「私も団長に見てもらいたい…あの小娘ずるい」と半目になっている。

こっちじゃなくて前を見ろ。あぶねーだろうが。


自分も午後に面会についていきたいとまだごねているエリザベータ。

ライラの離宮に入れるのは無理だって何十回も言ってんのに懲りないやつだ。

文句を垂れながらもプレートを停めた彼女のご機嫌が少しでも上向くように、つむじにキスを落としておく。


「ーーー運転ありがとう」


座ったままの彼女の耳殻がじわじわと赤みを帯びていくのがおかしくって、笑い声が漏れた。

すげえぐいぐいくるのに、俺の方から何かするとすぐ照れるんだよな。


ほら早く行くぞと腕を引いてやれば、何故か悔しそうに「言われなくても行こうと思ってました!」と反論される。


左腕にコアラのように引っ付いたままのエリザベータをひきずるようにして入り口の魔法陣を解除し、訓練場に入るとーーー入り口の正面に仁王立ちのブランドンが待ち構えていた。

今の兄にタイトルをつけるなら「浮気現場を目撃した夜に玄関前で待ち構える妻」とかじゃないかな。

まだ開始時間よりもだいぶ早いこともあり、他の団員の姿はまばらだ。

明らかに様子がおかしいブランドン以外の十人弱が、奥の日陰で談笑している。


デニスとエリザベータを見比べたブランドンが大股で近寄ってきた。

猫でも捕まえるようにエリザベータの襟首を掴み上げたブランドン。

エリザベータは必死に抵抗して腕にしがみついてきたが、頭を押してベリッと剥がしてやった。


「暗殺者!胸の脂肪をデニスに押し付けるな!」

「何その言い方!?セクハラで訴えるわよ?」


うんうん、今日も仲良いな。


デニスはじゃれ合う二人には構わず、観客席と競技場を隔てる壁にそって少し歩き、人気のない場所へと向かった。

…おかしいな、後ろの口喧嘩が一向に離れていかない。

二人もついてきているらしい。


入り口の同線から外れる位置までくるとーーーデニスは伸びをするように組み合わせた両手を天へと突き上げた。


「デニスって猫みたいだよな」

「ーーーわかります。動きがしなやかですよね」


伸びのあとは背中を丸め、体を折り畳むみたいにして両手で足首を掴む。

黒のマントのすそががふわりと風になびいた。

カーブ状になった背骨が浮き出て見える。上から引っ張られているかのようにおわん型にしなる背中。


「寝起きの猫だ」

「今のは犬っぽくないか?伸びて、縮むのよくやってるだろ」


ゆったりと上体を起こしたデニスはうんざりとしたように首筋を叩き、片眉を上げて兄と副官を見た。

息ぴったりに手を振ってくる二人。


「気が散るからあっち行って」

「我々にはお構いなく」

「だいじょうぶ。黙ってるから」


ーーーこいつらに何を言っても無駄か。


プイッと視線をそらしたデニスは準備体操をはじめた。

首、手首、足首、膝ーーー緩慢にも見える動作で関節を揺らしていく。


そして、どうやら右半身に違和感があったらしい。

芝生の上に座り込んだあとで、右手に赤魔力を灯して右の太ももとふくらはぎ上腕あたりを手のひらを使ってぐいぐいとマッサージを始めた。


「骨と関節のつなぎが凝ってると魔力の流れが悪くなんだよなあ」


手の平で感じる筋肉の反発がやや硬い。

今日はあんまりコンディション良くないかもしれないとデニスは内心落ち込む。


そのまま十分近くマッサージを続けるデニスと授業参観よろしくデニスを見守る兄と副官。

時折通り過ぎる団員たちが「この人たち何やってんだ?」と言いたげな顔で三人を見比べていく。


「…これが限界か」


デニスはやや不満げな顔で右太ももをたたいた。すぐに立ち上がると、今度は跳躍を始める。

振り子のように振られる両腕。

力強く地面を蹴り上げる両足。

跳躍はトランポリン選手のようにどんどん上へ上へ。


遠くで談笑していた団員たちもいつの間にかそばまで来ていたらしい。

「すげえ飛んでる」だとか「バネでもついてんの?」と言った囁き声が聞こえてくる。


跳ねるのをやめたデニスだが、息つく間もなく青緑の芝生にぺたんと座り込んだ。

180度開脚。

筋なんてないかのように地面へと長い足手足をめいいっぱい広げ、肩をまわしたり叩いたり。

デニスがまたもやマッサージに戻ったためか(今度は肩の関節をほぐすようだ)ブランドンが呆れ顔で団員たち数名へと振りむいた。


「お前らはもっと観察力を磨けよ。デニスは身体の使い方のセンスが抜群なの。バネみたいに見えるのは、着地の瞬間、どこに体重を乗せて、地面から跳ね返ってくる力をどうやって逃せばいいかが正確にコントロールされてるから。デニスの上段斬りからの次モーションが見えないくらい早いのも、体重移動のロスがほとんどないからだよ。ーーー動きが全部繋がってるんだ」


「わかった?」とブランドンが問いかけると、元気よく団員たちが首を縦に振った。本当に理解したのかは怪しい。ずいぶん調子がいい奴らである。


ーーー気が散るんだよなあ!


デニスは鼻の下がむずむずするような感覚に見舞われつつ、エリザベータに向けて「ラダーの場所わかる?」と問いかける。

エリザベータはうやうやしい手つきで胸に右手をそえた。


「とってまいります」


言葉通り、颯爽と裏口へと走っていく。

すぐさま戻ってきたエリザベータがデニスの横に梯子状の紐ーーーラダーを敷いた。


「ありがと」


足を開脚して地面に胸をつけたままの姿勢でお礼を言えば、副官からは機嫌の良さそうな笑みが返ってくる。


「どういたしまして。ーーー今日は全体訓練でもスプリント系のトレーニングを中心にしますか?」


デニスが立ち上がった。

両手でお尻についた芝生を払いながら思案するように視線を上へと飛ばす。


「んー、どうしよっかな。もうちょい考える」


わずかに歪みのあったラダーを右足の靴先でちょいちょいと位置を調節したデニスは、はじご状の紐の間を小刻みにステップを踏みながら走り抜ける。

行ったり来たりするデニスを指差したブランドンが「よくみろ!右足と左足をただ動かすんじゃなくて上体がやや前傾してるだろ?」などと余計なことを言う。


「背骨に重心を置きつつ、骨盤だけを使って両足を動かしてるんだ。ーーー軸がブレると動きに無駄が出るからな、ここ、めちゃくちゃ大事だぞ!」


「団長って改めてすげえ」と尊敬の眼差しを向けてくる団員たち。


ーーー首筋がゾワゾワするから俺のいないところでそういう話してもらってもいいですかね?


性格上デニスが嫌がることなんてわかっているだろうに、ブランドンに続いてエリザベータまでもが団員たちに解説を始めた。


「手も見なきゃダメよ。右足を出すときはわざと左手を振り上げてるの。次の動作につながる動きね!」


いや、だから無意識でやってること分析されると恥ずいんだけど。


エリザベータの横で頷いていたブランドン。

面倒くさがり屋が服を着たような兄なのに。

後身指導なんて珍しいこともあるものだとデニスが思っていると、ブランドンが急に腕組みを解いた。

横にいた後輩の一人の腰を掴み上げーーーなんと、海老反りになることで地面に叩きつけたのだ。


杖をついたおばあちゃんにアッパーされたみたいに唖然とする人々。

頭を打ち付けられる寸前で受け身をとったらしい金髪の隊員がブランドンという存在そのものに怯えている。


「な、何するんですか!!」


涙目の彼に、身体を起こしたブランドンが「お前が悪いんだ」と言った。

何が起きたのか解説してほしい。

ウォーミングアップどころじゃない。

急にプロレスでも始まったのかと思った。


「お前デニスの真似ができると思うなんて何様だ!」


指をさされた隊員が情けない悲鳴をあげた。

やはりデニスの兄は自由人熊さんなのであるがーーー言動から察するに隊員の発言が気に入らなかったらしい。


「『俺たちも団長と同じトレーニングやってみるか』だって?いや、あれは完成系だから大抵のやつには真似さえできないね」


ーーーと悪魔のようなことを言ってのけるブランドン。


「え?」とショックを受けた団員たち。

こっちみんな。なんでじゃあさっき解説なんてしたんだって聞きたいのはわかるけど俺に助けを求めるな。

ブランドンはブラコンなんだ…度を超えたな!


ブランドンとブラコンって響きが似ているな、なんてくだらないことをデニスが考える間にも、今ははちみつ食べたくなさそうな熊さんのご機嫌は急降下していく。赤い魔素が揺らぎ立っているので一目瞭然なのだ。

叩きつけられた地面から起き上がることもなく、訓練前から悲壮な顔をしている不運な隊員がブランドンを見上げた。


「じゃ、じゃあ、えっと他の基礎トレーーー魔法剣の素振りでもします…?」


ブランドンの細面がぎゅっと強張る。

団員たちが萎縮してさらに縮こまる。


「自分の身体さえ満足に動かせないお前らが剣をデニスレベルで操るのはもっと無理だろうな」


どこまでも無慈悲なブランドン。

ああ、途中までは珍しくまともだと思ったのに台無しである。


水を飲んでいたデニスは思わず兄の顔を盗み見てしまった。

ーーー完全にアドバイスする雰囲気だったよな!なんで急に手のひら返した挙句そこまで不機嫌なの!?


血も涙もない宣言に、エリザベータまでもが便乗する。

そこは宥めるんじゃないのか。このカオスを深めにいくのか。


「団長みたいになるなんて生まれ直さないと無理よ!ここのブランドンさんも含めてブライヤーズ家直系の運動センスは異常!中でも団長は宇宙人レベル!」


「俺ら、遺伝子レベルでダメだったのか…」


うなだれる団員たちを「今更わかったのか!」などと叱咤するブランドンとエリザベータ。


もうやめてやれよ…。

告白してもないのに振られた奴の顔になってるぞ、あいつら…。


ゴーン!と城の鐘がなった。

…どうやら9時になったらしい。


「はい、時間だから解散!」


小気味よく手を打ちつけたエリザベータ。

逃げるように散っていった団員たち。


「デニス、アップはおわったか?」


柔和な顔で問いかけてくる兄はすっかりいつもの様子だ。

デニスは脱力した。


「ーーー気が散ってそれどころじゃなかったよ。…今日はなんか調子が悪い気がするのにどうしよう」


口を引き結んだデニスをつま先から天辺まで見たブランドン。


「別に調子が悪そうには見えないけど?いつも通り魔力の巡りも流麗だし」


りゅうれい…と奇妙な顔でブランドンを見あげたエリザベータがつぶやいた。

デニスを見て納得したように頷いているが、なんだよ流麗って。

マスキラに使う単語じゃないと思うんだけど。


この違和感は見てとれるほどのものじゃないとわかって少し安心したらしいデニスは強張っていた表情を少し和らげた。

エリザベータがやや呆れたように付け加える。


「団長って王妃様の護衛につく日、絶対に調子悪いって言いますよね。ーーーだいじょうぶですよ。団長はいつだって強いです」


副官の思いがけぬ指摘にデニスは確認するようにブランドンを見た。

小さく返ってくるうなずき。

ーーーどうやらエリザベータの勘違いというわけでもなさそうだ。

つまり、そういうことで…はちゃめちゃだせえな、俺。


デニスが照れ臭そうにほおをかく。


「俺、柄にもなく緊張してんのかな。ーーー訓練はじめっか」


はにかんだデニスを見て、エリザベータが誰にも気づかないくらいの刹那、眩しそうな顔をした。

「はい」と頷いた部下二人に背を向け、秩序なく暴れまわっている騎士団員たちにデニスが号令をかける。


「始めるぞー」


団長と副団長を先頭に、隊ごと並んでいく騎士団服を眺めながら、「でもやっぱりアップはやろう」と考えるデニスはやはり右半身を気にしているようだ。時折ふくらはぎあたりを拳で叩いたりしている。

程なくして、デニスの直轄隊、2番隊、4番隊という順番で綺麗な長方形に整列した隊員たち。

エリザベータを後ろに控えさせて前に立ったデニスが一歩進み出た。

今日は基礎メニューを中心にやるぞと彼が宣言する。

ーーーつまらない訓練のイメージがあるのだろうか。大半の人間が少し嫌そうな顔になった。


「今日の訓練は俺も参加するから飲み込んでくれ」


「こっちの都合でこのメニューに変えさせてもらうし苦情は受け付けない」と平坦に言ったつもりのデニスだったがーーーいつもは指導しか行わないデニスの参加宣言に隊員たちがはっきりとざわめいた。


あちこちから「今日あの日か」「団長そわそわしてるもんな」などという失礼な囁き声が聞こえてくる。

デニスのまぶたがピクピクと震える。

横にいたエリザベータが笑いを堪えるように斜め下を向いた。


「文句あんならはっきり言え!」


怒鳴るように言っても、誰もが息を合わせたように首を振るばかり。

「マシュマロモード」とか聞こえてくるのはなんのことだ?見当もつかないんだけど。


「お前ら、あんまりデニス団長をからかうな。ーーーほら、団長もバカの相手しないでいいんですよ?ちゃっちゃとはじめましょうや」


3番隊の隊長に促されたデニスは隊員たちをひと睨みしたあとで、トレーニングメニューの説明を始めるべく右手を上げた。

魔法とは便利なもので、ホワイトボードなんていらない。

指先一つで空中に文字が書けてしまうのだ。

もちろん、魔力に余裕があればという前置きが来るのだが、あいにくそれもできないような魔法使いは騎士団にはいない。

デニスは右手に灯した赤魔力で「本日の訓練メニュー」と力強い筆跡で書いた。


「いつも通り、ファーストプライオリティは自分で決めろ。…全体を能力別に三つに分けてーーー」


デニスの歳のわりに落ち着きのある低音が訓練場に響く。

赤い魔力で空中に描かれていく箇条書きを真剣な眼差しで見つめていた隊員たちだがーーー説明が途切れたタイミングで、エリザベータが「そういえば」と右手を上げた。

デニスが指先の魔力の光を消して顎をしゃくった。

話せということらしい。

注目を集めたエリザベータがかしこまったように姿勢を正す。


「直轄隊の入れ替え試験をやってほしいっていう要望が寄せられてるんですがーーーメニューの間にやらせていただいても構いませんか?」


デニスは「初耳だけど」と首を傾げた。

静寂が訓練場を包む。

静かに見つめ合う…いや、牽制し合うふたり。

デニスは結構頑固者だ。

自分の決めたメニューに従わない提案、普段であれば面倒臭いと一蹴してしまいそうなものだが、やはり機嫌がいいのかもしれない。

あっさりと「いいよ」と許可を出した。


その瞬間、隊員たちの目の色が変わった。

魔力濃度が目に見えて上がったことにデニスは口元を引き攣らせる。


まさかほぼ全員がデニスの直轄隊への昇進を希望しているなどとは夢にも思わなかったらしい。


ーーー早まったか?


眉を寄せて「足手まといは困るから慎重に選べよ」とデニスが遅まきながら釘を刺すも、心得ていますと微笑みさえ浮かべてみせるエリザベータ。


「団長のお役に立つ人材ーーースピード中心、今の我々に不足している青と黄色魔力の高い団員であればベスト」


そうですよねと質問しておきながら、自分の正解を確信している様子のエリザベータ。

さすがは頼んでもないのにデニスの1番の理解者を名乗る副官である。

まさにデニスが危惧していたポイントを抑えている。

直属隊のメイン火力はデニス、ブランドン、エリザベータ…揃いも揃って赤の魔法使い。バランスがいいとは言い難い状況なのだ。

でもーーー


何か言いかけたデニスに向けて、エリザベータが団員たちには見えない角度で毒のある笑みを浮かべた。


「ーーーわたしに、お任せいただけませんか」


まあ、この腹に毒蛇でも飼ってそうな副官がどうしてもやりたいと主張するのならば、とデニスは判断したようだ。


パチンと指を鳴らして目の前の魔力の文字を消した。

気怠げに頭をかきつつ、団員たちをぐるりと見回した。


「えーっと、入れ替え試験に参加するやつは後から合流してこい。そうじゃないやつは俺に続いて」


揃った敬礼が返される。

エリザベータにアイコンタクトをした後でゆるりと歩き出しーーーついてきた人数の少なさに目を剥いた。


1、2、3ーーーついてきているのは十人しかいなかった。


団長と副団長、ほかははっきり俺のことが嫌いそうな数名。これ以外全員参加してんの!?

あいつら、直轄隊の危険さわかってんのか?

暗殺者とまともにやりあうのなんて俺の隊くらいだぞ…1〜4番隊の城内見回りの方が圧倒的に危険度低いだろうが。


「黒の粉が裏にあるから取ってきなさい!計算得意な子は距離測って」


エリザベータの指示で青緑色の芝生の上に黒い平行線がひかれていく。

長い直線ーーー続いて半円…どうやらトラックを作っているようだ。

デニスが入れ替え試験の様子を気にする素振りを見せながらも、二番隊の隊長をタックルで転倒させたところでーーーぱん!と軽い破裂音が響いた。


デニスだけでなくレスリングをやっていた全員が右手方向ーーー入れかえ試験をやっている隊員たちを見た。


デニスが一番に指定した「スピード」の能力を見極めるべく、わかりやすく徒競走をさせることにしたようだ。

エリザベータの合図に合わせて飛び出した第一走者の隊員たちが歯を食いしばりながらコーナーを曲がっていく。


一人だけ飛び抜けて早いのがいた。見覚えのある金髪だ。


ひゅう、とデニスに倒されたまま地面に座り込んでいた隊長が口笛を吹く。


「やっぱり直轄隊ははええな。ーーー入れ替わるやついなそう」


二番隊隊長の言葉を聞いてデニスも苦笑いした。

ーーーそうなのだ。能力的に上から選んだ数名しか直轄隊に入れていない。

なぜか問題児ばかり集まっているので誤解されがちだが、たびたび任務で消えるデニスがいなくても襲撃者と渡り合う生え抜き集団なのだ。


そのあとのデニスは自分の訓練に集中した。

レスリングの後はスピリット。

独走の後勝利の雄叫びを挙げていたブランドンを呼び寄せ、軽い打ち合いをしている間にどうやら全員が走り終えたようだ。

手元の用紙に全員の名前とタイムを書き連ねていたエリザベータの弾んだような声が聞こえてきた。


「ーーーはい、というわけで上位八名は全員直轄隊なので、入れ替えはなしです!」


…どうやら直轄隊のメンバー全員が徒競走で勝利したらしい。


第一種目で終了というあっけない結果に終わった入れ替え戦だが、意外にも不満の声は上がっていなかった。

悲しげに「やっぱりか」なんて声が聞こえるあたり、直轄隊と他のヒラの隊員の実力差は誰の目にも明らかだったのかもしれない。


普段から見慣れた顔つきが円陣を組んで飛び跳ねているのが見えた。

嬉しそうで何よりだ…直轄隊に入っているだけで危険な任務を任されるのになぜそこまで喜ぶのかデニスは理解に苦しむのだが。


ちょうど真後ろにいた四十歳くらいのマスキラが憎々しげに吐き捨てる。


「お遊びじゃねえんだっつーの。ーーーアイドルの追っかけフィメルかよ、ちょっと団長の顔がいいからって浮き足立ちやがって」


短い舌打ちが聞こえ、デニスはわずかに眉を寄せた。

ーーーまあ、わかってはいるさ。俺の容姿が大衆ウケすることくらい。

見てくればっかりで判断されて、剣技は二の次なのかなって考えるとちょっと寂しいけど。

顔で判断されないようにーーー


「もっと強くならないとな」


タイミングよく剣を弾き飛ばされたブランドン。

放物線を描いて飛んでいった自身の剣を視線で追いながら「すでに十分強い」と寂しげに肩を落としていた。


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