第十四話 逃げた
悲しげに顔を歪ませる紬の顔が見れない。
お願いだ、逃亡の許可をくれ。
デニスが内心大いに焦っているとーーー紬は手に持っていた扇をさっと広げて顔の前にかざした。
ちょっと待ってくださいまし、と震える声。
紬が涙を必死に堪えているのがわかった。
ーーーだめだ、完全にやらかしたっぽい。
デニスが捨て犬みたいな顔でレイモンドを仰いだ。
離れていたところに立っていたレイモンドがめちゃくちゃ呆れた顔をした。
ゆったりとした足取りで近寄ってきた彼は、紬の背中にそっと手を添えた。紬も側近たちもレイモンドを特に警戒もなく受け入れている。
レイモンドはこの短期間で信頼関係を築き上げたようだ。
ーーー泣かせた俺とのスキルの違いがひどい。レイモンドさんのジェントルマンシップを見習いたい。多分俺には無理だけど。
レイモンドはしばらく黙っていたがーーーデニスと視線があって、デニスがあまりに情けない顔をしていたせいか先輩の顔になって言った。
「デニス、お前は自分の立場を理解するべきだ」
レイモンドの言葉の意味がわからなかったデニスがキョトンとした顔になった。
本気でレイモンドが護衛に変わった方がいいと思って、そのまま口にしただけなのだ。デニスに悪気が一切ないことが付き合いが長いレイモンドにはわかるが…
「お前にもわかりやすく言うとーーー例えば、中等部の時代に外国の名門校に留学してその国で一番強い護衛をつけられたとしよう。なんで自分なんかに?いつも忙しそうだ、評判通りめちゃくちゃ強いし、イケメンだ。友達からも羨ましがられる」
レイモンドの例え話でーーーようやくデニスも状況が飲み込めてきた。
つまり、紬から見たデニスは「ただの五つ歳上の護衛騎士」では済まないのだ。
デニスが口を引き結んだのを見てレイモンドが目尻を下げた。しょうがないやつだな、とでも言いたげな顔。
「デニスの学生からの支持は凄まじいそうだぞ。小国の留学生なんて珍しくもないのに、お前が護衛だってだけで注目を集めるんだと。紬姫は知らんやつからよく話しかけられて困ってるそうだぞ…そんな、良くも悪くも有名なお前の護衛を解除される意味がわかっての発言なんだよな?史上最年少の騎士団長さん?」
もう黙るしかなかった。
え、俺っていつの間にそんな感じになった?
王宮の狸ジジイばっか相手にしてたからネガティブイメージ持たれてるって思っちゃってたけど…確かに、自分に置き換えてみるとゾッとする。
紬は何度も俺に魔法を教えて欲しいって頼んできた。身体強化もそう。
つまり、俺のことをちょっとは憧れてくれてるわけだ。
魔法大国の騎士団長に?
急に連絡がつかなくなって?
久々に顔を見せたと思ったら、「護衛を変えようか?」
…。
「俺、鬼じゃないっすか!」
冷や汗が止まらん。紬姫の顔も、まともに見れない…ごめんね、君に嫌われてると思ってたとはいえ言い方とタイミングが最悪すぎたね。
レイモンドが「これだから脳筋は」と首をさすっている。なんかすみません、教えてくれてありがとうございます、マジで…。
レイモンドさんと俺がくっちゃべってる間に紬姫も落ち着いたみたいだ。
表情を覆い隠していた扇子をパチンと閉じた。
仕切り直すみたいに咳払いする紬姫。
罪悪感マックスな俺は恐る恐る視線を向けてーーーちょっと安心。目尻は赤いけど泣いてはなかった。
レイモンドさんの服を掴んだまま、めちゃくちゃ睨まれてる。
…やっぱ嫌われてる気が。護衛変えた方がいいんじゃないですかね?
「私からデニス様を外していただくように頼むなんてあり得ませんわ…騎士団長様とのコネクションを自ら手放すほど愚かではないつもりです」
「ありえない」とか「愚か」とか。
そういう強い言葉を使ってくる子だったっけ?
紬は内気で薄幸な少女といった印象を抱いていたデニス。
柔和な雰囲気は変わりないが、王族らしからぬ臆病さがなくなって一皮剥けたなと思う。国のためを語れる子じゃなかったと思ったけど。
デニスは大変失礼いたしましたと膝を折る。
「それでは今まで通り、暇を見つけては姫の元に参上いたします」
仰々しく首を垂れたデニスを紬が見下ろす。
紬が見せた煩悶するような憂い顔は、デニスが面を上げた時にはすっかり消え去っていた。
重くなった空気を打ち消す話題を探すように視線を彷徨わせていた紬は、
「デニス様がいらっしゃらない間に私連れ戻されそうになってましたのよ」
と、そこそこ衝撃的な打ち明け話をした。
なんでも紬の初めての反抗が遠い祖国の父へと伝わったらしい。
「烈火のように怒るとはあのようなことを言うのですね…私はどこまでも未熟でした。自分の側近に父様の手の者がいることをちっとも分かっていなかった」
デニスが言葉に窮してると、紬がぎこちなく笑った。
「デニス様はどう思います?私が和国の王になること」
「紬様が一国の王…?」
「無理だろ」と馬鹿正直に言いはしなかった。「む」くらいまで口から出てたけど。
…というか「だんまり姫」に何があった?反抗期か?偉く抑圧されてたみたいだし、遅めの反抗期なのか?
デニスの瞳に否定的な色が映ったのが紬にはありありとわかったのだろう。
やや落ち込んだ様子で「やはり反対ですか」と目尻を下げた。
「父様に散々諭されましたからもうわかってはいるのですよ。男社会で女が成り上がることの難しさ。余計な反抗は民の命をいたずらに奪うと断じられました」
まさにデニスが感じたことを和国の王は紬本人に言い聞かせたようだ。
正しい、と思う。ジョシュアだって同じことを言うんじゃなかろうか。王族同士の争いは国力を落とすだけで何も生まない。
「私の言葉にはまだ人を説得させられる力はないんですね、わかってはいましたが今回のことで痛感しました。ーーーやっぱり、デニス様に憧れるのはまだ早かったかも」
突然自分の名前を出され、デニスの笑顔が固まった。
側近長と紬が「まさか紬様…やっぱり惚れ…「違うって言ってるでしょう!」と小声でやりとりをしている。
…聞こえてるんだよなぁ。こちとら耳はいいんだよなぁ!
冷や汗が止まらない。
というか、さっきあなたを泣かせかけたの俺なんですけど。好印象を持たれないように《《努めてきた》》。うまく行ってると思ってたんだけど?
「訳がわからないってお顔ですね。ーーー私は今まで感情を抑圧されてきたのだと思います。…ばあやにも言われましたから。『今までだったら父上の暴言にも黙って耐えていたのに』って」
ばあやというのはデニスの各種あまりよろしくない行動に眉毛を釣り上げて怒ってくるばあさんのことだよな?
ますます話の向かう方向がわからず固まるデニス。
「私にデニス様の言動は刺さりました。父様に言い返したくなったのなんて初めてでした。なんでかしばらく考えたけど…当たり前のことでした。あなたはすごい。ブリテンの人だけでなくて私の父上にまで認められていた。その若さでなかなかできることじゃないですよね。そういう人の言葉は私にも受け流せなかった」
罵倒されるのには不本意ながら慣れているがこういうまっすぐな感情はむず痒い。
やめてほしかった。俺なんかみたいにならないで。
デニスはやや早口でしゃべる、言い訳するみたいに。
「俺はそんなすごい人じゃないーーー鍛錬だってね、中等部入学までは手を抜いてる日も多かったです。三男坊だっていう自由さにかまけて何時間を無駄にしたんだろうって…今更後悔してもどうにもならないんですが」
デニスの主張とは真逆に紬はますます尊敬の色を表情に乗せてきた。
「何歳から鍛錬を?」って聞かれたから。
…三歳って言ったらみんな驚いてたけど。上に歳の離れた兄がいたっていうのが大きい。1人でだだっ広い家にいるのがつまんなかったみたいで背中をついて回ってた。うろ覚えなんだけどな。ブランドンの足にへばりついてた気はする。
「ブライヤーズ家の子供なんてそんなもんです、今も五歳のチビがいますが同じように棒切れ振り回してますよ」
自分にとっては当たり前だった家庭環境。他人からはよく英才教育だ!とか言われる。
長兄なんかは小さい頃は父親が怖かったとよく愚痴っているがーーーデニスには楽しい思い出だ。むしろ兄たちから剣を習うのが楽しみだった。長兄を鍛えるのに忙しかった父も末っ子には甘かったし。
ここでレイモンドが何故か「紬様、騙されないでください」と割り込んできた。なんだその言い草は。
「私はジュリアンさん…デニスの一番上の兄と話したことありますが、こいつの訓練の手を抜いてたっていうの嘘ですよ。中等部入学時には魔法剣術基本の型全部使いこなせてたそうです。同い年とやるより十二の弟との方が戦いたくないって本気で悩んでたらしいですから」
レイモンドさん!?あなたそっち側につくんですか?
…というか初耳だ。ジュリアン兄ちゃん涼しい顔して俺のことひっくりかえしてたけど、内心そんなこと思ってたのか。
デニスが目を剥くと知らん顔された。口元の曲げ方がちょっとパーシヴァルに似ていると思ったのは秘密だ。言葉にして傷口に塩を塗り込むような真似はしない。
「いや、鍛錬に手を抜いてたのは本当で…」
そこまで言って。紬とレイモンドの目の色を見て「あ、もうやめよう」って思った。
ジョシュアと比べてデニスはまだまだだけど、各自が持ってる物差しは違う。
きっと理解されない。真の天才に並び立ちたいデニスが本気で自分の幼少期に戻ってやり直したいと後悔していることなんて。
世間から見ればデニスも「持っている」側の人間だ。
鍛錬のために家に来てた父の同僚やたまに手合わせしてくれる父親の口ぶりから自分が兄より器用なのかもと薄々は感じてたし。
「もうできたのか!」ってよく言われた気がするし。
…それに。
中等部入学以降、真摯に剣と向き合ってきたのは事実だ。目的のために無我夢中だったからといってそこは自分でも否定したくない。
侍女が運んできた紅茶の水面を静かに見下ろしている紬。穏やかな表情でまるで自分に言い聞かせるみたいに言葉を紡ぐ。
「私の話に戻りますね」
デニスのことがきっかけで初めて父親と会話する機会が与えられたと。
父親に理不尽に侮辱され、デニスが当然のように職人を褒めるのを聞いて、自分の国の価値観の歪みに気づいたと。
デニスに諭されて、絶対的な存在だった父親、まして同い年の兄が正しくないことだってあるのだと知ったのだと。
「デニス様からしたら何気ない言葉だったんでしょうが、私の閉じた世界をこじ開けたのは間違い無くあなたですーーーだから私の前からいなくならないでください」
いやいや、それって紬様本人の成長だよね?俺はやかましく言った観客Aくらいだと思うけど。
「ーーー俺のこと過大評価しない方がいいですよ?割とクズな人間ですし」
いつも通りのデニスの自虐にーーー静かにティーカップを置いた紬はピシリと扇を突きつけた。
「それです」
え?どれ?
「どうしてあなたは自分を過小評価するのですか?」
たじろいだデニス。紬は言い訳は許さないとばかりに席を立ち、膝をついているデニスに詰め寄った。
護衛長とレイモンドが後ろで「あれ止める?」と囁き合っている。
「パーティーの後で、私はデニス様に言いました。覚えていますか?『あなたは自分のことを軽んじすぎてると』」
…ごめん、全然覚えてない。フランクの留学生を可及的速やかにボコすことしか考えてなかった。
「もちろん覚えていますよ」
レイモンドとは目を合わせないようにした。視線は感じた。「絶対嘘だろ!」って思われてるに違いない。
紬はデニスをじっと見つめたまま、目尻を少しだけ下げた。
「デニス様は『俺はそれくらいでちょうどいい』と…私とても悲しかったです」
言ったかもしれない。ーーーというかよく覚えてますね…マジで俺のこと憧れなのか?
俺もジョシュア様に魔法見てもらった時のアドバイスとか全部覚えてるもんな。ーーーライラのは寝言でも覚えてるし。よく食いもんの名前言ってる。
「全然意味がわからなかったです。ちょうどよくないと思ったから言ってるのに。パーティーで大勢によってたかって嫌味を言われて…」
「私だったら嫌になってます」と何故か自分が浮かない顔をする紬。
ーーーパーティーからひと月ほど経ってるのにずっとひっかかってたのだろう。やたらと呼び出されてたのもそういうことだ。
仮にも尊敬…に近い感情を持ってる大人が虐げられていたら子供は不安に思うに決まっている。職務が忙しかったとはいえもっと早く足を運ぶべきだった。
ごめんね。姫様は優しいから俺のことを案じてくれるんだよね。
膝をついていたデニスはすくっと立ち上がった。
思わずといった調子で後ずさった紬の指先をそっと掴む。
聞いて。俺は本当に気にしてないんだよ。まして他人の君が抱え込むようなことじゃないんだ。
「紬様ーーー俺、どうでもいいやつに何を言われようが気にしないんです。響かないって言えばいいかな?」
紬は感心したように「デニス様は心もお強いんですね」と言ったがそうじゃない。
俺はある人に悪意との向き合い方を教わったんだ。
騎士団長って思ってた以上に有名人なんだよ。よく知らないやつの誹謗中傷に一喜一憂してたらとても身がもたない。
騎士団長の内定が出てすぐくらいの頃。まだ学生で、学校内でも騎士団内でも王宮でも色んな奴に話しかけられた。
他人にああだこうだ言われるのに疲れきってた時、ジョシュア様と側近が会話してるのを偶然聞いた。
「ジョシュア様、このフィメルの名前ご存知です?」
写真を差し出した秘書の言葉にジョシュアは凪いだ表情で首を振った。
「知らない。ーーー魔力の質が悪い者にどうしても興味が湧かない…」
心底困ったって顔でジョシュア様がそんなこと言うからさ、俺笑っちまった。
「覚えられない」じゃなくて「知らないし興味が湧かないって」。
あんまりな言い草だけどさ、この自分を貫いてぶれない価値観もジョシュア様の魅力なんだ。
秘書が退室したあと、俺は思わず相談してた。ジョシュア様なら変なやさしさを混じらせない本物のアドバイスをくれる気がしたから。
周囲の俺への好意的とは言い難い評判を聞いても、ジョシュア様はただただ不思議そうにしてた。
「私が認めてるんだから他の奴がとやかく言おうが関係ないだろうーーーデニス、お前は強いんだから彼らの矮小さを受け入れて守ってやれ」
私が認めてるんだからって自分で言うなよとか。
矮小ってあんまりじゃないかとか。
それでも守れって辺りがジョシュア様らしいなとか。
いろいろ思ったけど、一番気に入ったのはこの後の言葉だった。
「自分が好きな奴の言葉だけ聞けばいいんだ。自分は剣で語れ。私とかお前みたいなのはその方が向いてる」
人間と話してる時間より剣と魔法を使ってる時間の方が多いんだから合理的だろうって。無茶苦茶な理屈だけど、俺に剣で負ける奴に何も言われたくないって言うのはわかる。
逆に俺がなんだかんだジョシュア様のこと嫌いになれない理由もわかった。
この人強ええからだ。どれだけ鍛錬して酷使したらあれほど緻密で繊細な魔力操作をできるようになるんだろうって。マジで生きるお手本って感じ。
ジョシュア様に言われてすぐにできたわけじゃないけどさ、自分の好きなやつの言葉だけ聞くようにしたらびっくりするくらい楽になった。
そもそも剣とか魔法で上を目指してるやつほど俺のことを対等に見てくれるから舐めた態度を取ってきたりしないんだ。
つまり、何が言いたいかというとーーー
「あんな空調の効いた室内でふんぞり返ってる爺さん婆さんに何言われようがいいんです、俺の魔法剣が認められて騎士団長であることが大事。文句が言いたいなら剣で語れ」
陛下の受け売りですがと笑ったデニス。
紬は感心したように「シャーマナイト王はやはりかっこいいですね」と何度も頷いている。
…そういえば姫様陛下のファンだっけ?
魔力の質的に「興味ない」にカテゴライズされてることは黙っておこう。
「私もデニス様やシャーマナイト王のように強い心を持った人間になりたいです」
紬姫はまだ浮かない顔をしてた。深い事情を知らないけどこの子にもいろいろあるんだろうな…父親がらみか?揉めてるっぽいし。
でも、これ以上俺に言えることはない。悩んで苦しんで、そうやって心は丈夫になってくんだ。
仮にも「王になりたい」って言うなら早めに頑張った方が良さげではあるけど。今まで聞いた感じでは和国陰湿そうだし…。
静まり返った離宮。…紬様の話は以上っぽい?
「えっとー紬様、今日は俺に聞きたいような課題はありますか?」
「いえ、ーーーえっと、うーん…な、ないわね」
じゃあ帰っていいですか!…なんか今日の姫様センチメンタルな感じなんでちょっと帰りたい。拗らせてる少女の相手とてもきつい。
「でも、」と何かを言いかけている紬の細い指先をとって。
デニスは固有スキル、「女人ウケするスマイルと手の甲へのキス」を発動した。
「久々にお話しできて良かったです。ーーー俺はもう行きますが、お利口に過ごしてくださいね」
芝居がかった仕草でウインクすれば完璧だ。演技指導シャロンである。
これで一分くらいは相手を錯乱状態にできるんだからすごい。紬のようにマスキラ慣れしていない初心な子には特に効果は抜群だ。
この隙に逃げよう。
流れるように逃亡を計るデニスの背中を…何故かレイモンドまでが追いかけてきた。
ちょっと待て。姫が1人になったじゃないか。それなら俺は残ったぞ。
「レイモンドさんなんで付いて来てるんです?紬様の護衛は?」
昼休憩だとレイモンドは言った。「逃げたわけじゃない」と半目で言われた。デニスの行動の真意などお見通しらしい。
「デニスと違って俺はメインの仕事が姫の護衛になってる。お前は休めよ、どうせ休日返上で来てんだろ?」
ありがたい先輩の言葉にデニスは肩をすくめた。どうせ暇になったらライラの離宮か訓練場に行くのだ。勤務日とやってることはあまり変わらない。
二人はそれぞれのプレートに乗った。グォォオオという咆哮のようなエンジン音で一斉に注目が集まった。
真っ赤なジーゴ社製のプレートに乗る騎士二人に気付き、近くを散歩していた老夫婦に手を振られた。デニスは軽く会釈する。
「なあデニス、ちょっと二人で話そうぜ。お前どうせ暇なんだろ。昼の金までに戻ればいいから俺も時間はある」
レイモンドはそれだけ言うと滑るように行ってしまった。
慌てて追いかける、話ってなんだろう?
ドキドキしながらついて行くと、レイモンドはデニスが普段の職務では来ないような小道へと進んで行った。昼間だと言うのに人通りはほぼない。
ーーーこの辺って愛人とかが住む区域だよな?
普段の素行がアレで有名なデニスはともかく、レイモンドがここにいるのは意外な感じがした。
レイモンドのプレートは迷いなく進み、こじんまりとした白い煉瓦造りのコテージの前で止まった。
誰の管轄だろう?洒落た雰囲気からパーシヴァル様かジョーハンナ様あたりのものっぽいが。
デニスがコテージを見上げたまま固まっているとーーーレイモンドが振り返った。
「プレートは裏手に繋いでくれ」
慣れた様子で門を潜って家の脇へと歩いていくレイモンド。
彼はよくここに来るらしい。
レイモンドに言われるがままプレートを繋いで、玄関からコテージに入った。
ーーー扉を開けて瞬間、何も言われなくてもわかったよね。だって内装が、これ、完全にパーシヴァル様の趣味だ。
ジョシュアの側近としてパーシヴァルと共に行動することも多いデニス。
だからこそ、戸棚にしまってあるマグカップとか、クッションとかでわかってしまうのが嫌だった。
…この家を用意したのはパーシヴァル様だ。ウエッジウッドのティーカップとか確実にレイモンドさんの趣味じゃねえ。
パーシヴァルとミシェーラの婚約が決まって、密かに疑問ではあった。
パーシヴァルの離宮に住んでいたレイモンドから王城の住宅補助の申請が無かったのだ。寮にも戻ってないのに。
ーーーレイモンドは王宮ではなく、ここに住んでいるのだ。パーシヴァルが用意したに違いない。王族じゃないレイモンドはこの端の区画にしか住まわせられなかったのだろう。
パーシヴァルがレイモンドを何から隠したかったのかはわからない。
大方の予想はつくが。
複雑な心境のデニスに、レイモンドはコーヒーを入れてくれた。
豆を挽いて、カップを温めつつサラダとパスタを作って…魔法を存分に使って平行作業を行なっていく。
右手にフライパンを持ったまま、左手から放出した魔力で自家製のトマトのプラントの完熟度合いまであげるレイモンドさんは器用だ。(得意魔法が緑魔法だから植物に干渉できる)
とても騎士には見えない。
ーーー学生の頃からパーシヴァル様の使用人みたいなことしてたもんな。
一足先に用意されたブラックコーヒー。
目に入ったメーカーのラベルがパーシヴァルが好きな銘柄で、デニスには、コーヒーがもっと苦く感じられた。
十分足らずで積み立てのバジルとトマトがふんだんに使われたパスタの大皿が目の前に置かれた。1.5人前はありそうだ。
「どうせお前のことだ。ーーー朝だってろくに食ってねえんだろ」
よく見れば、レイモンドの皿は普通盛りだった。デニスにたくさん食べさせようと多めに作ったのだという。
さらにデニスがチーズが好きなことを覚えていたレイモンドが粉チーズをボトルごと差し出してくれる。
「ーーーレイモンドさん、彼氏スキルハンパないっすね」
「なんだそれ」とレイモンドは笑っていたが…。さすがは怠惰の権化のパーシヴァル様を甘やかし続けた人だ。人嫌いなわがまま王子を一人で支えてきた男は伊達じゃない。
黙々と食べる二人に会話はなかった。でも、レイモンドが作る料理は見た目を裏切らずめちゃくちゃ美味しかった。
これぜってえレトルトじゃねえ。素材の味するもん。ぶっちゃけ母ちゃんよりよっぽど上手い。
ミートソースに入ったひき肉も残さず掬い上げて、存分に腹を満たしたデニスがフォークを置いたところでーーーレイモンドがカタンと音を立ててカップを置いた。
「パーシヴァル様はマスキラ化したか?」
ずきん。
ああ、そうだよな。気になるよな。紬様の護衛してたってことは王宮にほぼ出入りしてないってことだろ?
「マスキラ化してませんよ」
できるだけ何気なさを装ったけど…レイモンドさんがふと顔を伏せた。
ぐるぐると考える。答え方間違えたか?…でも嘘言ってもしょうがねえよな。というか、レイモンドさんにとってはマスキラ化してない方がいいよな?
「そっか…まだしてないのか」
意外だった。レイモンドとパーシヴァルは仕事以外で一切連絡を取り合っていないらしい。
デニスは結婚後もライラの元へとほぼ毎日通っているのでちょっと信じられなかった。
そのまま顔に出てたみたいでデコピンされる。いてえ。
「お前はちゃんと『王妃様の護衛』っていう任務を勝ち取ってんじゃねえか。俺とはちげえよ」
騎士団長モードしてない時の俺は基本的に思ったことが口から出る。
「レイモンドさんもパーシヴァル様の護衛をしたらいいんじゃないすか?」ーーーって言ってからめちゃくちゃ後悔した。レイモンドさんが泣きそうな顔で「断った」って笑うから。
ーーーああ、だめだ。俺にはわかんないやつだ。レイモンドさん諦めた人の顔してる。