第十三話 あいつは絶対に許さない!絶対にだ!
アラームの電子音が静寂を切り裂く。
デニスが身体を起こすとスプリング軋んだ。実家の寝台と違って安物の汎用品なのでやや硬さを感じる。寮の方が静かなのはプラスだが。
まぶたを擦りながら魔力通話を開くと朝の六時だった。今日は午前中が騎士団の訓練で午後はジョシュアの執務の補佐を頼まれている。
寝巻きを脱ぎ捨ててベットへ放る。
クローゼットを開けて騎士団服のジャケットに袖を通しーーー
「…なんかいい匂いすんな」
はてと首を傾げて袖口のところを嗅いでみた。薔薇の匂いがする。
少し考えてみてピンときた。エリザベータの仕業だろう。
糊の効いたシワひとつない騎士団服、磨き上げられた床、冷蔵庫には朝食のBLTサンドまで入れてあった。
貼り付けられたメモ書きには几帳面そうな文字。
「魔石ばっかじゃ栄養が偏りますって…母親か」
暗殺者のくせに家政婦のような副官だ。
昨日も持ち帰った魔剣を眺めていたデニスに構わず、暗くなるまで居座っていたようだ。デニスは夕食も食べずに寝てしまったので何をしていたのか把握していない…がキッチンに来るまでで大体わかった。
冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出してキャップを捻る。副官お手製のBLTサンドは粒マスタードが効いていて美味かった。
三つあったサンドイッチをあっという間に平らげたデニスは、寂しそうにお腹に手を当てている。夕食を抜いたせいかまだ腹が満たされなかったようだ。
「どこ入れたっけ?」
冷蔵庫の横に置かれた空間魔法のボックスに手を突っ込む。
見慣れぬ感触のものがいくつか…ブランドンかエリザベータが勝手に何か足したようだ。知らぬ間に腐っては困るので後で確認しないと。
お目当てのブツを探してかき混ぜているとコツンとぶつかる感触があった。
これだ、とデニスは袋を引っ張り出す。
親指サイズの高濃度魔石が詰まった袋の口紐を解くと、中から三つほどの魔石を取り出した。
赤い宝石一粒で騎士一人の一月分の給金が払えると知って、それをデニスに食べさせようとしてくる国王陛下夫妻は頭がおかしいのかと思ったものだ。
今ではデニスも魔石を食べることに慣れてきたのだけど。徐々に魔力量も上がってきてるしな。
いちごのように真っ赤な魔石を腹の足しにいくつか口に放り込む。
弾けるような赤い魔素にぼんやりとしていた思考が覚醒してきた。
顔を洗って武器を選んでーーーデニスが準備を終えた時、時刻は六時半を指していた。
玄関で騎士団長のマントの金具を留めていると、部屋からカタカタと物音がした。
覗かなくても音の正体はわかっている。昨日手に入れた魔剣だ。自己主張が強くて困る。
駄々をこねるように震えている魔剣が可愛くないわけではないが、何しろあの魔剣、規格外だった。
昨日の裏通りからの帰り際、試しに振ってみたのだ。
結果、空き家がまるまるひとつ消し飛び、危うく大惨事だった。
デニスが普段相手取るのは人間だ。魔法士団のように魔獣相手だったらまだ考えなくもないが…一振りでこの寮を破壊できそうな威力のものを仕事場には持ち込めない。
デニスは大層早起きだが、騎士団の訓練開始は九時だ。
トップが早く着きすぎるとパワハラになるかもと考えているデニスは大体裏庭で時間を潰す。
できるだけ足音を立てないように階段を降りると、玄関口で待ち構えている騎士が二人いた。
「デニスくんおはようございます!」
「今日はテンポの取り方教えてください」
犬のような尻尾が見える。
「おはよ、ラキが早起きなんて珍しいな」
ラキと呼ばれたニュートはこの春騎士団に入団した新人だ。
いつもギリギリに訓練場に現れるイメージだったのだが。
若手頑張ってんな〜と和んでいるデニスは知らない。
独身寮に住む若手騎士たちがデニスに教えてもらう日を平等にするためにシフトを組んでいることなど。
いっつも違うやつが来てすごいな、ではないのだ。デニスを邪魔したくはないけどギリギリ指導を受けられる人数を話し合った結果が一日二人のシフト制なのだ。
朝が弱いラキだって「今日デニスくん寮帰って来てる!」と昨夜連絡が来て必死に起きた。アラームを五つもかけたのだ、スヌーズ付きで。
それくらい、デニスはみんなの憧れだった。
…本人には今いち自覚がなさそうだが。
デニスはアップがわりに基本の足捌きを繰り返している。
ステップ、パス、スロープパスーーー小刻みに足を動かすデニスを見ていると、なんて簡単そうなんだろうと思ってしまうが、新人のうちはこれさえもうまくできない。
三つの足捌きは騎士道の基本なのだ。
単純に見えても侮るなかれ。
ラキが足をもつれさせているとーーー横を抜かしていったデニスが笑いながらアドバイスを送っている。
「ラキは足をまっすぐに伸ばしすぎなんだよ。膝は曲げて、背中はまっすぐな」
デニスから見て、ラキはぶっちゃけ運動神経が良くない。
今年はパスした騎士団の試験だって三回目の受験だった。
ドロップアウトしないように気をつけてみてやらなければと思っている新人の一人だ。
はじめはギクシャクとしていたが、先ほどよりは滑らかに動き出したラキを見てデニスは安堵する。
今デニスに戯れついてきているスクワートは若手有望株なんて言われているのでアップもスイスイこなしている。ちょっとお調子者だがデニスには良く懐いてくれている。
「デニスくん、この後ダガーのグリップ見てもらってもいいっすか?逆手か順手か迷ってて」
「俺も昔は迷ったよ」と頷いたデニスのポケットの魔力通話が鳴った。
表示された名前は「紬姫」。
珍しい相手にデニスは内心驚きながらも、「ちょっと待ってて」と言い残して日陰に向かう。
応答ボタンを押すとーーー電話口から、やや強ばったような紬の声が聞こえた。
[今、お電話して平気でしたか?]
「大丈夫だよ、どうかした?」
紬は今日か明日離宮へ来てほしいらしい。
平日なのだがデニスに課題を見てもらいたいと話す彼女。
デニスは困ったように頬をかいた。
「今日と明日は厳しいなあ。というかしばらく厳しい。…魔石が足りないとか?レイモンドさん伝いで届けようか?」
そうですかと呟いた紬の声は聞き取れなくなりそうなほどに細かった。歯切れ悪く「魔石は足りてるんですけど」とまごつく紬。
紬は言葉数こそ少ないがハキハキしゃべる印象の子だった。
デニスはますます珍しいなと思う。何かあったのだろうか?
「なんか元気ないね?ーーー俺は行けないけどレイモンドさんに相談したらいいかも。あの人も成績優秀だったよ」
デニスからするとフォローのつもりだったのだが…紬はますます落ち込んだように「いえ、大丈夫です」と固い声で告げた。
[お忙しいところ失礼しました]
デニスの返事を待つこともなく切れてしまった通話画面を見てデニスは苦い顔をした。5つ歳下のフィメルの情緒がわからない。
ガシガシと頭をかきながら忠犬のようにデニスを待っているスクワートの元へと戻る。スクワートが興味津々と言った風に覗き込んできた。
「痴話喧嘩っすか!?デニスくんモテモテですもんね!」
「ちげえ」とデニスは首を振る。しつこく食い下がってこようとするスクワートをラキが後ろから歯がい締めにしていた。
「団長は機密事項も多いんだよ、余計なこと聞くなよ」
「えー、こんな早朝にかけてくるのなんてプライベートじゃね?」
デニスが邪念を振り切るように腰から剣を抜いた。
オンサイドのフォームタークに構える。
デニスが思う一流の騎士は、動と静のメリハリがきっちりとしている。
本気でジョシュアに勝ちたいのなら無駄な時間は過ごせない。
素振りだろうがデニスは全力である。
構えの時は刃先を一ミリも動かさないように。
切り裂くときは、関節から動作点まで魔力の流れは淀みなく、重心移動は滑らかに。
真剣な顔で素振りを始めたデニスを見て、若手二人も自然と訓練に戻った。
声をかけるのも躊躇うほどの集中を見せるデニスに流石のスクワートも黙ってダガーを振っていた。
デニスは素振り百回を終えるとふっと息を吐いた。
すかさずスクワートが駆け寄っていく。
ラキが羨ましそうな顔をしたが、こういうのは早い者勝ちなのだ。
デニスは首にかけたタオルで汗を拭いながら「グリップだっけ?」と首を傾げた。
「…デニスくんってマジで爽やかイケメンっすよね。俺、男の汗が綺麗だと思ったの初めてっす」
どこか悔しそうに言ったスクワート。デニスはお前は何を言ってるんだ、と呆れている。
「馬鹿なこと言ってないで振ってみろ」
顎で促されたスクワートがダガーを高く構えた。ハイオンサイドの構えだ。
本人がしきりに気にしているグリップは逆手持ちだった。
ダガーの注意点はそう多くない。
大振りしないこと、マルチアタックすること。
スクワートは器用なのだろう。どちらも問題なさそうだった。グリップも悩んでる割に違和感がない。
しばらくしてデニスがスクワートを止めた。
「別にそんなに悪くないな。ーーー何がダメだと思うの?」
スクワートは眉をハの字にした。
「先輩との模擬戦にちっとも勝てないんです。ーーー早く一番隊に行きたいのに」
ムウっと口を尖らせたスクワート。デニスは内心苦笑いだ。
スクワートは高等部を卒業後、すぐさま騎士団に入団したはず。
まだ入団から二年目。体幹も筋力も足りていない。長年訓練をこなした先輩騎士に勝てないのは当然だろう。
ーーーって事実を言うだけじゃ、騎士団長としてはダメだよなあ。
デニスは腕を組んで必死に頭を働かせた。しかし、意外にもラキが口を挟んできた。
「スクワートはうっすいもん。ちょっと魔力が多いからってゴリゴリに鍛えてる先輩たちに勝てるわけないでしょ」
ムッとしたように立ち上がってラキを睨みつけるスクワート。デニスは内心拍手していた。そう、まさにその通りだ。
しかし、取っ組み合いでも始めそうな二人を放っておくわけにもいかない。
なんとか捻り出したアドバイスはーーー
「ラキが言った通り、基礎トレーニングも大事だな。後は、俺は戦いのテンポを意識してるよ。連撃のテンポを少しずらすだけでも相手からすれば嫌だろ」
デニスからすると、急に親が来たけど特にもてなす気もないし残り物で野菜炒めを作りました…みたいなアドバイスだったのだが、若手二人の胸を打つことには成功したらしい。感激したように見上げてくる二人の頭をよしよしと撫でておいた。そのまま純粋に育ってくれ。ラキとか歳上だけどな。
ワンコ二匹…ではなく若手の面倒を見てやった後はそのまま一緒に訓練場に行った。デニスのセンターオブジプレートに乗ってはしゃぐ二人を見ていると弟ができた気分になる。デニスは末っ子なので新鮮だった。
騎士団の訓練中に「昨日ったら団長すぐ寝ちゃって、疲れてたんですか?」と自ら誤解を招きにいってるとしか思えない悪質な彼女面をしてくる副官。
面倒な彼女を適当にあしらいつつ、特に問題もなく午前の訓練を終える。
昼食を終えて王宮の中心部にある執務室へ向かうと、魔法陣の入室制限が外されていた。
奇妙に思いつつもデニスが扉を押し開けるとーーー執務室の中は人でごった返していた。どうやら来客が多すぎて対応しきれないために魔法陣の入室制限を外したらしい。
魔法士団の制服である金色のラインが入ったローブのマスキラが目の前に立ちはだかっていた。
ジョシュアの側近であるオズワルドに何かを熱弁している様子。
デニスはそっと魔法士団のマスキラを避けたがーーーその先で今度は騎士にぶつかりそうになった。
気弱そうな騎士はデニスに気付くと申し訳なさそうに肩をすくめた。
ジョシュア様の護衛にこんなやついたっけ?と記憶をひっくり返すがやはり担当にしていない気がする。
訝しがりながらも白と青の制服の合間を縫って部屋の奥へと進んでいくと、見慣れたパンツスーツのフィメルがデニスにも見えた。来客対応中の様子。
来客はボリュームのあるドレスに身を包んだ貴婦人。
明らかに王族っぽい彼女の姿にデニスはなるほど、と納得した。やたらと騎士が多いと思ったらこのフィメルの護衛か。
オズモンドと同じくジョシュアの秘書であるアイリーンも傍系王族のフィメルに捕まっているらしい。
甲高い声で喚き散らす護衛対象の背中をうんざりとした顔で見守っている騎士に軽く会釈して横を素通りする。
ジョシュアの執務机の周りはぽっかりと空いていた。彼の魔力に慣れていないと近づけない、の間違いかもしれないが。
ゆったりと歩くデニスの前を小走りの役人が通り過ぎていき、ジョシュアの書類の山をさらに追加している。
書類を持ってきた丸メガネのフィメルは、執務室に湧き上がった人だかりを見て、わかりやすく鬱陶しそうな顔をしている。
書類を運んできた彼女と同じモノトーンの制服を着ているのは城の文官だ。ひっきりなしに奥の部屋から出たり入ったりしている。
働きアリみたいだなんてデニスは考えながら、この雑踏の中でも一人だけ清涼な空気を醸し出しているジョシュアの元へとたどり着いた。
「すごい人っすね」
急に現れたデニスを見てもジョシュアは眉一つ動かさない。彫刻のように整った顔のまま、「そうだな」とひとつ頷いた。
「デニスもミーティアウィークのために力を貸して欲しい」
ジョシュアは手元にあった一枚の紙をデニスの目の前に差し出した。
「去年壊滅させた南部で暴動が起こってるんだ。魔法師団を向かわせる予定だが、王都の守りに何人くらい残せばいいと思う?」
ジョシュアの夜空のような瞳から視線を外し、デニスは顎に手をやる。
王都に危険が迫る状況などさほど多くもないがーーー
「私の副官が言うにはプロイセンの情勢も危ういみたいです。矛先がうちへと向いた時のために最低二つの師団は残した方がいいでしょう」
ジョシュアが「そうか、あの時の侵入者はまだ我が国にいるのだな」と少しだけ意外そうに言った。
デニスからすると忘れないでほしい。エリザベータが居座ってるのはジョシュアが追い出さなかったからだ。そこんとこしっかりして。
「シリルとの連絡もとってほしい。ーーー兵力全体の動かし方、お前に任せてもいいか?」
「結構面倒そうなこと頼まれたな」と内心うんざりしつつ。
デニスが了承の意味を込めて胸で十字を切ったのを確認し、ジョシュアはすぐさま書類に目を通す作業に戻っている。
ジョシュアの直命とあれば断る選択肢などないわけだがーーー魔法士団とのやりとりは想像するだけでデニスを憂鬱にさせた。
魔法士団の連中は、なぜお前が仕切るんだといちゃもんをつけてくるに違いない。
ーーー根回しがいるなあ。ミシェーラちゃんあたりの名前を借りれればちょっとは楽か?
デニスは情報を仕入れるためにオズモンドと話したかったのだがーーー入り口付近で、未だに先ほどのマスキラがオズモンドに向かって両腕を振り回しているのを見て、しばらくかかりそうだと吐息をつく。
八月も終わりかけだ。
今週末にミーティアウィークで魔力壁をあえて薄くする場所を決める会議がある。(魔力壁は千年くらい前に前代の黒竜様が作ったものな。黒魔法にしか反応しないトンデモ仕様のシロモノだ)
黒竜団、魔法士団、騎士団をはじめとした関係各所、自分の支持者たちから王族への口利きを頼まれているのだ。
何しろ防御壁を抜けて魔石が降ってくると、周囲一体クレーターができて壊滅する。シールドを貼れない白の人は死ぬしかないし、魔法使いだって魔力総量との命懸けの勝負だ。
毎年やってくるミーティアウィーク。
年に一度の天災を防げる防御壁を起動できるのは王族だけ。今年から先王は完全に表舞台から退いたことを考えると、今の王族で黒魔力の主力は実質二名だ。
うちの一人であるパーシヴァルが地方視察に出払ってしまっているともなれば、ジョシュアの元におべっかを使う連中が溢れるのも無理はない。
ーーーまあ、後ろ暗いことしてる連中はパーシヴァル様とミシェーラちゃんが抑えてるし、ジョシュア様のとこに来たって意味ないんだけどな。
オズワルドを待つデニスが暇そうに見えたのか、狐みたいな顔をした魔法士団のマスキラが近づいてきた。
「これはこれは、デニス騎士団長じゃないですか」
やけに馴れ馴れしいマスキラの名前をデニスが思い出せずにいるとーーー狐の尻尾のように結いた豊かな髪の毛を引っ張りながら、魔力通話の画面を開いて一枚の写真を見せてきた。
「ほら、別嬪さんでしょう?ーーー嫁にどうです?」
娘可愛さに狐目を細めるマスキラには悪いがデニスに結婚願望はない。
「私に家庭を持てるとは思えませんので」
判でも押したようにいつも同じ回答のデニスだがーーー残念な様子を見せながらも笑顔を消さなかった狐男の切り返しはデニスにも予想外なものだった。
「ほーう、残念ですが…やはり、あの噂は本当なのですな」
意味深に笑うマスキラ。
無性に腹が立ってこいつ張り倒したいという衝動になんとか耐えた。
デニスのしかめっ面にもめげずにニヤニヤと笑うマスキラは、声を落とす。
「ほら、ブライヤーズ家の呪いは発動しているのでしょう?…デニス様が王妃様のお相手を務めるのではと最近の噂ですよ」
ブライヤーズの呪いの話は有名なのかと眉を寄せていたデニスはーーー続いた言葉が初め理解できなかった。
王妃のお相手…え、それ俺の話なの?
ニヤニヤとしている狐男が滑稽でーーーデニスは思わず吹き出してしまった。
「有り得るわけないでしょう?王妃様に他のマスキラが近寄るなど、陛下がお許しになるはずがない」
デニスが狐男は取り合わなかったことが不満だったようだ。初めて顔を歪ませて「脳筋は何も知らんのか」と吐き捨てた。
デニスは呆れ顔になって「脳筋ですがわかることもありますよ」と肩をすくめる。
ちなみに脳筋というのはデニスをはじめとした騎士団員を誹る言葉だ。飛竜に向けて大規模魔法をぶっ放してる魔法師団の方がよほど脳筋だと思うのはデニスだけだろうか。
王宮の警備と侵入者への対応、自国だけでなく諸外国含めた王族護衛の手配、パーシヴァルへの援助人員の派遣…など挙げていけばキリがない通常の騎士団長としての職務をこなしつつ。
デニスがよほど気に食わないのか一向に編成表を提出してこない魔法師団に乗り込んだり、ライラに付き添って王宮の魔道具に魔力を注いでいたりと目まぐるしい日々を過ごしていたらーーーあっという間に九月も半ばになっていた。
女遊びも控えざるを得なかったせいで週刊誌には「愛の貴公子に本命登場か!?」と書かれていたらしい。心底放っておけよと思った。真面目に実家に帰っているのに記事になるとは何事か。
そんなわけでひと月弱の間、紬の「魔法を教えてくれ」といった類の依頼を断り続けていたデニス。
九月に入ってからは連絡さえ来なくなった。
たまに顔を合わせるレイモンドから聞く限りでは元気にやっているらしい。
ただ、彼が言うには「拗らせてるから一度紬様に会いに行け」とのことだった。
「拗らせてるとか聞くと行きたくなくなるんすけど」
顔をしかめたデニスの肩をレイモンドがポンポンと叩いた。「わかる」だって。そうだよね、若い子の悩みとかちょっと荷が重いよね。
などと言いつつ、誘いを断り続ける罪悪感があったデニスは、約ひと月ぶりの休日を潰して離宮へと向かっていた。デニス自身はワーカホリックなので当然のように思っていそうだが。
ミーティアウィークが始まる10月1日まであと二週間。地方視察に出ていたパーシヴァルが帰還したことでようやく忙しさにも終わりが見えたのだ。
久々に離宮通りを抜けて紬の離宮へ向かう。すれ違うフィメルたちの衣装が秋物へと変わっていて、デニスは思わず腹に手をやった。
…朝食をろくに食べなかったせいか、美味しそうだと思ったのだ。
全体的に芋や栗っぽい。怒られそうなので口にしたりはしないが。
モスク調の紬の離宮に着くと、イチョウの大木にプレートを魔法で縛り付ける。
玄関の魔法陣に魔力を流すと久々に聞いたチャイムの音が鳴った。
事前連絡を入れてあったので、出迎える方にも特に動揺はないだろう。
人が動く気配がして、デニスの予想通りすぐに扉は開いた。
「ご機嫌よう、デニス様」
久々に見た紬は穏やかに笑っていてーーーデニスの目には特に変わりないように見えた。
いきなり泣かれたらどうしようなどと身構えていたデニスはそっと肩の力を抜く。
「なかなか来れなくて申し訳ございませんでした。元気にお過ごしでしたか?」
紬は控えめに頷きデニスを離宮の中に招き入れてくれた。
中にはレイモンドがいた。デニスが敬礼をするとレイモンドはいつも通り嫌そうな顔をした。
また、「お前が上官なんだからやめろ」とか思っているに違いない。
パーシヴァルの側近であるレイモンドはデニスと同位置だと思うのだが…レイモンドはそうは捉えていないらしい。
めざとく二人のやりとりを見ていたらしい紬は「仲がよろしいんですね」と意外そうに言った。
「レイモンドさんの口からはデニス様のお話出てこなかったので知りませんでしたわ」
デニスがへえええとからかうような顔になったのを見て、レイモンドがはっきりと顔をしかめた。
「レイモンド《《さん》》は中等部からの付き合いなんです」
わざとらしく「さん」づけを強調するデニスにレイモンドは目尻を釣り上げた。
だって、春から護衛を務めるデニスは未だに「様」なのに一月足らずでレイモンドはさん付けだ。
随分懐かれてるじゃないか。いいなとは思わないけど。
ーーーこれ、もうレイモンドさんに護衛代わって貰えばいいんじゃね?
デニスの内心を知ってか知らずか、紅茶のティーカップを優雅に傾けつつ…斜め前に立つデニスをおずおずと見上げる紬。
「なんですか?」と首を傾げたデニスにーーー
「その、エリザベータ様との仲は順調ですの?」
デニスはピシリと固まった。
レイモンドは首に手をやりつつ「結局直球で聞くんだ」と首を振っている。
ロボットのようにぎこちない動きでデニスがレイモンドを見た。
その視線が笑ってないのに気付いてレイモンドが俺じゃないとばかりにバッテンを作る。
デニスは「じゃあエリザベータ本人か」と吐き捨てた。
無表情になったデニスに紬が怯えている。デニスは慌てて笑顔の仮面を被り直した。
「あの、姫様、どこの誰が何を言ったのかわかりませんが、大きな誤解をされているように思います。私とエリザベータは恋仲ではありません」
紬は口に手を当てつつ疑惑の目を向けてきた。
デニスの言葉を全然信じていなそうである。
ーーー見えてきたぞ、きっとレイモンドさんが言い聞かせても聞かなかったに違いない。
エリザベータよ、お前は何を言ったんだとデニスが内心怒り狂っていると…
「では、デニス様は恋仲でもない相手と下町デートをして、お家でお料理や家事をやっていただくんですの?」
デニスは頭を抱えた。
そういうことか、あいつ絶対に許さない。
デニスが疲れたように下町デートが闇市の視察であったことや、デニスを殺すべく勝手に家の魔法陣を突破して上がり込んでくることを説明するとーーー紬はようやく自分が大きな誤解をしていたことに気づいてくれたらしい。
恥ずかしそうに頬を染めて「早とちりして申し訳ございません」と瞳を伏せた。
…あなたは悪くないよ。悪いのはあの頭桃色オンナだ。
「確かに、この離宮にもふらりと現れるので変わった方だなとは思っておりましたわ」
デニスが青筋を浮かべた。
パーシヴァルが作ったこの離宮にまで侵入していたらしい。エリザベータにはお灸を据える必要がありそうだ。
ようやく誤解が解けたことで朗らかに笑い合ったデニスたち。
だからデニスは胸の内にあった提案を紬にしたのだ。
「ーーー離宮にろくに来れない私ではなく、レイモンドさんに護衛を正式に代えましょうか?…紬様もその方がよろしいでしょう?」
紬の顔が強張ったのを見て、デニスは自分の失言を悟った。
あれ、違った?俺外した?