第十二話 ヘイト通りへ行こう
大きな図体を丸めるようにしててホットケーキの焼き具合を確かめているブランドン。
すぐ横でデニスはシンクに逆さにしてあったマグカップを三つひっくり返すと、インスタントコーヒーを入れるために頭上の戸棚を開けている。
大柄のマスキラ二人には手狭なキッチン。シンクとコンロの間を行ったり来たりして、それでもどこか息が合っているのは兄弟だからなのか。
ブランドンがパンケーキを二十枚積み上げ、デニスが湯気立つ陶器に並々と注がれたコーヒーに息を吹きかけているとーーー玄関付近で絶えず聞こえていた物音が止んだ。
トタトタと軽い足音。
静かだったキッチンに「うひゃー、ひどい目にあった」とソプラノが響く。
「ブランドンの料理美味しいから楽しみ」
フライパンを握るブランドンの手元を覗き込むように、自分で仕掛けた罠を抜け出してきた副官が顔を出した。
ブランドンを挟んで三人が並ぶと肩がぶつかる。
ブランドンとエリザベータの無言の押し合い。
「お前の分はない」
襟首を掴まれて、追い払われたエリザベータ。
不満げに口を尖らせているが、腹をすかせている彼女はちゃっかりと備え付けの冷蔵庫を開けている。
自炊習慣のないデニスの部屋の冷蔵庫は味気がない。
上段は横倒しになったミネラルウォーターが並び、下段はファンの子達からもらった差し入れで埋め尽くされている。
そのうちの一つであるえんじ色のリボンに包まれた菓子箱を見てエリザベータがきらりと瞳を輝かせた。
「だんちょー、バルンモンの猫舌ショコラ食べていいですか?」
一箱五千ポン近い有名ショップのロゴが入った箱を取り出したエリザベータ。
デニスは勝手に漁るなよと目を細めながらも止めることはしない。
「開けていいけど一個はよこせ」
包装紙を遠慮なく引きちぎったエリザベータがミント色の箱を開けると、図書館の本棚のように隙間なく整列したチョコレートが顔を出す。
半透明なフィルムを引っ張りショコラを取り出すエリザベータの横からデニスが手を伸ばした。
エリザベータがつまみ上げたショコラを乗せてやる。
「一個でいいんですか?」
「ん。甘いのそこまで好きじゃねえ」
ホロリと口で溶けたチョコレートはミルク感が強くデニスの好みの味だった。
たくさん食べたいとは思わないが。魔力の足しにならんし。
甘いものに目がないエリザベータは蕩けそうな顔をしている。デニスよりもエリザベータへの差し入れになっているが、デニス一人ではとても消費しきれないので致し方ない。
「できたーーーおい、暗殺者。椅子持ってこい」
命令を受けたエリザベータが「はーい」と間延びした返事とともに部屋の奥に消えた。家具の配置をしっかりと把握されていることにデニスは渋い顔になる。
ブランドンがエプロンを外しながら振り返り、不揃いだが狐色に焼き上がったホットケーキを机に置いた。
デニスは目の前の彼専用タワーを数えて「こんなに食い切れるかな」と苦笑している。
「お前の分はない」と言っていたエリザベータの分もあるようで、デニスの斜め右の皿に三枚ほどが取り分けている。
寝室から四つ足の椅子を運んできたエリザベータが着席し、二人の視線を受けたデニスが、手を合わせる。
「始祖竜様のお恵みに感謝して、全ての命をいただきます」
「「いただきます」」
顔ほどもある大きなホットケーキを大雑把に四等分したエリザベータ。フォークで串刺しにすると、豪快に口を開けて口いっぱいに頬張っている。
端からナイフでマナーよく切り分けていくブライヤーズ兄弟とは対照的だ。
大きな背中を丸めてメープルシロップをたっぷりとかけているブランドンがめちゃくちゃ熊っぽいなどとデニスが考えているとーーー
誰よりも早く食事を終え、腹をさすっていたエリザベータがそういえば、と口を開いた。
「デニス団長今日は姫のお守りはいいんですか?」
デニスは食事の手を止め、紙ナプキンで口を拭った。
「まだ残ってる」と恨めしげな顔のブランドンに「ちゃんと食うって」と言い返しつつーーー
「離宮の前で門前払いくらった…今日は離宮の周りも安全だし帰ってきたわ」
珍しいですね、と目を丸くするエリザベータ。
「ストーカーまがいなことされて逃げてるのはよく見ますけど…避けられてるんです?何かしました?」
デニスは食事を再開しつつ「パーティーで俺に嫌気がさしたんじゃね?」とぞんざいに答えた。
エリザベータとブランドンが無言で視線を交わす。
代表して口を開いたのはブランドンだった。
「紬姫はデニスのことずっと心配そうに見てた。昨日の今日で嫌いになったりはしない気がする」
うなずくエリザベータを見てもデニスは疑わしそうな顔だ。
「でも宰相補佐のこと気持ち悪いって言ってたぜ?真面目な子だし俺とは合わなそうなとは思ってたけど…」
「秋から忙しくなって離宮に通う暇もなくなるし、手を引くのにはちょうどいいタイミングかもなあ」とデニスがやおらに構えていると、何がおかしかったのかエリザベータは瞳を三日月型にした。
「じゃあ、子守から解放されて騎士団の仕事に専念できますね」
「姫だかなんだか知らないけど団長に見放されてざまあないわ」と黒い笑みを浮かべるエリザベータ。デニスは「聞こえてんだよ」と半目になっていたが…ブランドンに苛立ったように小突かれた。
「はやく食べて、冷める」
「ウィッス」
メープルシロップ漬けにしようとしてくるブランドンを止めながらデニスが山盛りのホットケーキを食している間、頼んでもないのにエリザベータが紬の新たな護衛を手配しようとしていた。
「団長、姫の護衛代理はあの人でいいですよね?ほら、元は担当だったあの緑魔法の人」
えっと、エゲート殿下の元恋人で今は捨てられたーーーとレイモンドの傷を抉っていく副官。デニスは顔を覆った。なぜだろう、自分のことのように辛い。
「レイモンドさん、なーーー俺でも直前まで聞かされてなかった紬姫の護衛候補をなぜ知ってるのか色々聞きたいことはあるけど…」
「そこは諜報要因なので★」とウインクを飛ばしてくる。
機密情報も掴んでいそうな彼女の笑顔には薄ら寒いものがある。
「ーーーまあ、国王陛下夫妻に手を出さなきゃいいや」
「消されたくないのでそこは弁えてますよ」と舌を出すエリザベータ。
休日もこうして押しかけてくるあたり(暗殺のためかもしれないが)デニスたちに今すぐ牙を剥く気はないようなので、ため息をつくに留めておく。
「もしもし?レイモンドさんです?こちらデニス団長の副官エリザベータ。実はですねーーーいや、あなたの都合とか知らないんで、あ゛?」
何やら物騒な交渉になってるのは気のせいだろうか。通話口から漏れ聞こえる声からレイモンドの焦りを感じた。後で文句を言われるかもしれない。
「ーーーいやだからお前に拒否権はないんだよ!…はい、はい、ありがとうございまーす」
「レイモンドさん快く引き受けてくれましたよ」と笑うエリザベータ。
デニスは胡乱げな目で彼女を見やる。
「どうみても脅していただろう」
「気のせいですって、ちょっと揺すったりしましたけどあくまで話し合いの範疇ですから」
「ちょっと揺する…?」
副官の暴挙にデニスは王宮の方を見て手を合わせた。すまない気持ちだ、レイモンドに。しかも今日からじゃなくていいのに…。
「俺帰るわ。騎士団のシフトの前に一回家戻らないといけないし」
済ました顔でデニスたちのやりとりを見守っていたブランドンが腰を上げた。
座ったまま「じゃーね」と手をあげたデニスのつむじにキスを一つ落とす。
エリザベータが生ぬるい顔になっている。ブライヤーズ家的にはこれくらいのスキンシップは普通だ。
ブランドンは左手に丸めたエプロン、右脇にはフライパンとボウルを抱えたまま出て行った。
自分の空間魔法の鞄は持ってこなかったのだろうか。
「相変わらず距離感バグってるな〜ああ!おたま忘れてるし!」
ブランドンさーん!とエリザベータがおたま片手に部屋を走り出ていった。
静寂を取り戻した室内で、デニスも席を立った。腹を満たして今度こそ寝ることにしたらしく、寝室へ向かった。
脱ぎ捨ててあった寝巻きを手に取るといそいそと着替え始める。
戻ってきたエリザベータが上半身裸のデニスに気付いて非難の声をあげた。
「待って、部屋着に着替えないで!」と、どさくさに紛れて身体に触ってくる副官。
目つきが怪しい彼女の手をデニスがはたき落とす。
あっという間にジャージに着替えてしまったデニス。
縋り付くようにしてエリザベータがプレゼンを始めた。
「昨日のプロイセン暗殺者会議で面白いこと聞いたんですよ!」
「字面が全然面白そうじゃない」と渋い顔をするデニス。
「絶対団長は気に入りますよ〜」
しつこく食い下がるエリザベータを面倒くさそうにしていたデニスだったが…
「暗器市がヘイト通りで開かれるみたいなんです!団長好きそうでしょ?ちゃんと合言葉も聞いてきましたから」
エリザベータはしっかりと見た。
デニスの赤い瞳に好奇心の色が宿ったのを。
もうひと推しでいけると勝利を確信したエリザベータは悪どい顔になって言った。
「しかも元イタリア王国の没落貴族の出典物が多く出されるんですって。これを逃したらもう手に入らないから絶対見てこいって上司にも言われましてーーー」
ぴくぴくと耳を動かしたデニスは、上がりかけた口元を隠すようにへの字にすると、重々しく頷いて見せる。
「それは、騎士団長として視察に行かないと行けないな?…あそこはわざと放置しているが、無法地帯にしたらまずいし」
デニスが素早くクローゼットの方へと向かったのを見てエリザベータはガッツポーズした。
いつもブランドものばかり身につけるデニスが、変装用に持っている廉価品を手に取っている。
「団長とのデート計画大成功!」
弾むようにして玄関へと向かったエリザベータ。すぐさまデニスが彼女の後ろを追いかける。
ドアノブに手をかけた彼女の小ぶりの頭へと手を伸ばし、デニスがやや乱暴な手つきでエリザベータの頭を撫でた。
「ありがとなーーー元気づけようとしてくれた?」
何のことです?と振り返らずに言う彼女の耳がやや赤くなってるのを見て、デニスは含み笑いをする。
素直じゃない子だと思う。でも、胸糞悪いパーティーに参加した後のデニスが落ち込んでるだろうからと喜びそうなものを見つけてきてくれたのだろう。
普通に提案してくるのではなく不法侵入して殺そうとするあたり、歪んでいるとしか言いようがないが。
目の前で桃色のポニーテールが揺れる。晒された白い首筋。
うなじに浮かび上がったフィメルの証をデニスがトンっとつつく。
予想していなかったのか、驚いた猫みたいに飛び上がったエリザベータ。
慌ててノブを捻って外へ飛び出すと、デニスから逃げるみたいに距離をとった。
「いっ、行きますよ!」
裏返った声からは隠しきれない動揺が透けて見える。
からかいがいがある。警戒した猫みたいだ。
肩を怒らせながら、寮の前のプレート置き場へと歩みを進め、当然のようにデニスのプレートの前に立ったエリザベータ。自分のプレートを出すという選択肢は存在しないらしい。
デニスが大人しくプレートを起動している間に、エリザベータはデニスに向けて何やら魔法を使っている。
モヤがかかったような感覚にデニスが眉を顰める。
「何してんの?」
グォオォ!と咆哮音を立てて発進したプレート。
「デニス団長のキラキラオーラを消してます!隠蔽の魔法ですよ!」
ーーーちなみに、隠蔽の魔法は対象から漏れ出す魔力と反対属性を重ねがけするという非常に難易度の高い魔法だ。
間違ってもお忍びでオーラを消すなどという目的で使うようなものではない。
こんなもんかな?と真剣な顔をして悩む副官に呆れるデニス。
「そんな気張らなくたって、騎士団服着てなきゃ俺だってバレねえよ」
王宮の入り口にプレートを預けると、徒歩で裏通りへと向かった二人。
人通りの多い屋台が連なるメイン通りを素通りし、脇道へと逸れる。
デニスは自分でも浮かれているのがわかった。ヘイト通りにはあまり行かないようにしているしーーー販売許可のない流民の溜まり場なので、騎士団としては取り締まらないといけないーーー暗器自体もあんまり見たことがない。毒が塗ってあったりするのだろうか。歯が飛び出すような仕掛けがあっても面白い。
店番に立つ老夫婦に指さされたりしているのだが、デニスはちっとも気にしていなさそうだ。エリザベータとしては落ち着かなかったようで、無駄に目立つ赤髪の男に恨めしげな視線を向けている。
「ーーー人がせっかくかけた隠蔽魔法打ち破ってイケメンるのやめてもらえます?」
イケメンるって何だとはにかんだデニス。
「ご機嫌で可愛いですね」とからかわれようが構わない。まだ見ぬ武器との出会いに心弾ませるデニスを止めることなどできないのだ。
魔煙片手に意味ありげな視線を送ってくる夜の町で働いていそうなフィメルたちが微笑の流れ弾を喰らって頬を染めている。
「そういうとこ!」と地団駄をふむエリザベータを無視して鼻歌混じりに寂れた路地裏を進んでいくデニス。
袋小路になっている赤茶糸の土壁の前で止まるとエリザベータを振り返った。
「今の呪文知らねーや」
壁際に逸れたデニスに代わってエリザベータが指先に赤の魔力を灯す。
「バビデダビデ金なし憲兵お断り」
蝋燭を吹き消すようにエリザベータの魔力が消え、代わりに目の前のパカリと壁が開いた。長身のデニスは潜るようにして抜けていく。
現れた小道は、両脇のレンガ作りの家の影になっているせいか、晴れていても薄暗い。安っぽいトタン屋根で覆われた通路を進むと、そこはもう我欲の渦巻くヘイト通りだ。
行き交う人々の多くは日に焼けた手足を晒し、つぎはぎがある服を着ている。周囲の人間に興味がないのか、視線をやや下げて足早に通り過ぎていく。
裏の匂いがした。汗が据えたような濁った悪臭と埃っぽい空気にエリザベータが顔をしかめる。
「うお!めちゃくちゃ種類あるじゃん!」
少年のように顔を輝かせて目についた露天へと走り出したデニスの襟首を捕まえるエリザベータ。騎士団長がうんぬんとかの建前はどうしたと言いたくなる。放り投げるのが早すぎはしないか。
…ともかく、世間知らずなおぼっちゃまのデニスとここで逸れるのは避けたい。
「こういうとこ来ると団長が二十歳だったって思い出します」
笑いを含んだエリザベータの言葉だが、好物を目の前にしたデニスは聞いちゃいない。
ブルーシートの上に乱雑に並べられた暗器に興味津々のようで、しゃがみ込んだまま毒に手を伸ばして慌てられたり、「おにーさん、ウチで安くするよ」などと薄暗いテントの中へ連れて行かれたりしている。
中でもデニスが目を留めたのは今にも崩れそうな平家の店だった。
一個1000ポンと書かれた軒先の武具たちを一瞥するとうっとりとした顔になる。
「これまさかバイキングの時代物か?ハルバードのレプリカに…この穂先の翼はスペトゥムか。渋いな!」
「ごめんくださーい」と薄暗い店内へと入っていったデニスの背中を黙ってエリザベータが追う。一瞬たりとも目を離せない。ヘイト通りの相場を知らないデニスはつい先ほども違法なまでに高額で武器を売りつけられそうになっていた。
店内は壁一面にガラス窓の戸棚があり、小型の武具がみっちりと押し込まれている。中央には大きな長方形の机が置かれ、禍々しい雰囲気を放つ大型の槍や大剣が陳列されていた。
客の姿はない。唯一、右奥の丸椅子に座る人物がこの店の主人だろう。
その背中は不自然なまでに湾曲している。
シミのついたローブを頭からすっぽりとかぶった小柄な店主はデニスを一瞥すると、すぐに手元の新聞へと興味を戻した。
デニスは戸棚をぐるりと見て回った後、中央のテーブルの前で立ち止まった。
竜の頭がついた金属製の杖がお気に召したようで、「これ触っていいでしょうか?」と無関心を貫く店主に呼びかけた。
「ーーープロテクションレベル5が使えないと腕がなくなるよ」
脅すように響く低い声。
しかしデニスは無邪気な笑顔で「了解っす」と笑っている。
デニスがグッと拳を握りこむと、商品の杖に向かってかざすように開いた。
雪が降るみたいに優しく赤い煌めきが杖に振り注ぐ。
怪訝な顔をしたエリザベータが楽しげなデニスの腕を引く。
「団長?それ増幅の魔法でしょ?店主の話聞いてた?」
デニスはいたずらっ子のように笑った。手の平からは相変わらず魔力が降り注いでいる。
「店主さんはああ言ったけど、この店の売り物全部防御魔法かかってるし。ーーー逆にさ、気になるじゃん?このコの本来の姿」
デニスの言葉を聞いて、初めて店主が動いた。
意外にも機敏な動きで椅子から降りると、デニスの真横へと移動してくる。
赤くぼやける杖を凝視しーーー均一に広がった魔力の膜を見てニタアと笑った。
「ただのデート中の色男かと思いきや、やり手だな。ーーーどれ、プロテクションを外しちゃる」
元イタリアの騎士団で働いていたという店主とデニスはどちらも得意武器がロングソードだということもあり、馬があったらしい。
「お前さんの動きは素人じゃなさそうだな。普段はお犬様でもしてそうだと言えばいいかーーー暗号を変えたのはつい先日のはずだが、なんで裏に入れた?」
探るような店主の視線に、デニスは芝居がかった様子で肩をすくめた。
「それは秘密かなあ。ね、エリザベータ」
「そうですね。お互いに名乗らぬ方が身のためでしょう」
「ねえ、フィオーレさん?」と笑ったエリザベータが意味するところはわからないが、店主が警戒するような色を見せたので何かの隠語なのだろう。
「お前まさかプロイセンの犬か?なんでこんな場所に」
店主はやや怯えた顔つきになってデニスとエリザベータを見比べた。
しかし、意味深に笑うエリザベータとは対照的に、プロテクションの解かれた杖に釘付けなデニス。
彼が紅蓮の瞳をキラキラと輝かせているのを見て、毒気を抜かれたらしい。
店主は視線を下げると、短く息を吐き出した。
「握ってみるか?」
デニスはすぐさま頷く。
ペンでもつまみ上げるようなデニスの動きを見て店主が前歯のかけた口を開ける。
「なってねえな。ほれ、貸してみろ」
「こうするんだよ」と杖を低く構えた店主は、斬りかかるような動きを見せる。
標的にされたエリザベータが慌てた様子で身を翻した。
「あぶな!」
店主はエリザベータの抗議を無視して、デニスに杖を投げ渡す。
受け取ったデニスが店主を真似て背中に隠すように杖を構えた。「どう?」と店主に問いかけて悪くねえ、というコメントをもらっている。
一度見ただけで様になっているあたりが彼の戦闘センスを示しているだろう。
「お上品なにいちゃんは知らねえかもしれねえけどな、杖っていうのは恐ろしい武器なんだぜ?」
デニスは煽るような口調をさらりと受け流しつつ、杖を明かりにかざすようにして眺めながら人懐こい笑みを浮かべる。
「俺も知ってるよ、杖って言えばバーティツだけど、格闘技の色合いが強いから体術の技能が試されるよな。…これ、魔力量いくつまで仕込める?」
確かめるようにコツンコツンと竜の頭を叩いているデニスを見て、嘲るような笑みを浮かべた店主。
「イタリア式の測定で三万は入る。ーーーまず心配するような値じゃねえよ」
店主の言葉にーーーデニスは表情を曇らせた。エリザベータも苦笑いだ。
「イタリア式で三万かあ。ーーーこの魔石濃度的にそんなもんな気はしたけど。…流石に容量不足だな」
「残念ですね、気に入ったんでしょう?」
二人の会話を聞いていた店主は不審な顔になった。だってそれではまるでーーー
「ま、まさか、にいちゃんの魔力量は三万を超えてるっていうのか?」
なんの冗談だ?と笑おうとして店主は失敗した。
デニスが空間魔法の鞄から取り出した魔法剣。柄に嵌め込まれた魔石にギッチリと詰められた赤い魔力を見て、技術屋である彼は悟ってしまったのだ。
「これが俺の相棒…プロイセンの職人に仕上げてもらってさ、五十万…イタリア式で百万は入るんだけど、正直もうちょい欲しい」
金魚のように口を開け閉めする店主。
ようやく気づいたようだ。デニスがそんじょそこらの騎士ではないということを。
店主は嫌でも思い出した。燃えるような髪の色男ーーーとても有名な奴がいるじゃないかと。
顔立ちが印象とやや異なるのは隠蔽魔法のせいだと彼の経験が告げてくる。
黙り込んだ店主を見てデニスとエリザベータは顔を見合わせた。
どうやら身元がバレてしまったと悟ったらしい。
「やっぱりごまかせてないじゃないですか!」
「えー、エリザベータの隠蔽魔法のせいじゃない?」
「違うでしょ!その規格外さのせいでしょ!」
店主が突然笑い出したのはその時だった。
心底おかしそうに肩を震わせる。
困惑する二人に向かって「ちょっと待ってろ」と言い残し店の奥へと消えてしまった。
程なくして戻ってきた店主の両手には黒飛竜の手袋が嵌められていた。
彼が運んできたのは、魔力を通さない最高素材でなければ触れられない代物だった。
店主は黙ってデニスにそれを差し出した。赤い柄のついた刃渡り1メータほどの両刃剣。
デニスは躊躇なく素手で剣の刃に指を滑らせると、魔石でできた柄を握り込んだ。
一瞬にして、甘美な感覚がデニスの全身を包み込んだ。
ーーー驚くほどに手に馴染む。今まで手にしてきた剣とは比べ物にならない…。
魔力が急激に吸われていく。
この剣はデニスの魔力を渇望していた。
いいよ、どんどん吸えよ…そんな気分でデニスが魔力を与え続けていると、全体の半量くらいでようやく吸引が止まった。
満足げに光った両刃を見てデニスがほのかに笑う。ミルクを飲んでお腹がいっぱいになった赤ん坊みたいだった。
「ーーーやはり、ついさっき開かずの宝箱が壊れたからおかしいとは思ったんだ。にいちゃんの魔力に気付いたのかもな…魔剣は主人を選ぶなんて御伽噺だと思ってたわい」
店主は感激したように目を細めた。
現世に強い未練を残した魔法使いが死に際に生み出すと言われる都市伝説のような武器が、魔武器だった。
なんの変哲もないロングソードが魔法使いの最期の命の爆発を閉じ込め、稀に魔剣へと変貌を遂げるのだ。
「これは…どこで?」
エリザベータの問いに店主は黙って首を振った。
なんとなく察した。きっと、これは店主の元主人の遺品なのではないかと。
デニスは騎士として考えざるを得なかった。
祖国を失って他国で落ちぶれた武器屋の店主の心境を推し量るとーーーやりきれなさばかりが募る。
ーーーうわあ、めちゃくちゃ欲しいけど流石に言えねえや。
デニスが後ろ髪引かれつつも剣を突き返すーーーが、店主は魔剣を受け取らなかった。
「もらっとけ。ーーーそれで、もし監査が入っても、この店の取りつぶしは見逃してくれ」
頑なに首を縦に振らない店主と、怒ったように点滅する魔剣を見て先に白旗を上げたのはデニスの方だった。
そもそも珍しい武器に目がないデニス。曰く付きの魔剣なんて、喉から手が出るほど欲しい品だった。
…最近の魔石大食らいが効いたのかな、なんて内心ほくそ笑みつつ。
「オーケー。これがお題ってことで」
デニスが店主に向けて放ったのは、出店許可証なんかよりもずっと価値があるものだった。
「黒魔石つきのコイン!?こんなものもらっていいのか?」
デニスは答えの代わりに目尻を下げた。
また来るとでもいうようにひらりと手を振って踵を返す。
店から出たところで、魔剣に頬擦りしているデニスを見てエリザベータは呆れ顔になった…が、エリザベータの華奢な身体はすぐさまデニスに抱え込まれてしまった。
「エリザベータありがとう。こんな素敵な剣に出会えるなんて、俺を連れ出してくれた君のおかげだ」
小柄な彼女を籠に閉じ込めて、顔にキスを降らしてくるデニスをエリザベータは必死に押しのけた。
「目立ってるから!やめろこの剣バカ!」