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「――――花菱。ちゃんと進路は考えてるのか?」
目の前で白髪頭の気苦労が絶えないだろう初老の担任が眼鏡越しに眉を顰めてオレに問う。
「まあ、一応考えています」
オレは元々細く目つきの悪い目元を細めて素っ気なく答える。
「……ちゃんと進路希望を明確にしていないのはお前だけだぞ?もう三年生の期間も残り少ないんだ。進学するなり就職するなり準備は早いに越したことはない。今の時期は尚更……」
放課後の職員室、担任のオレの進路希望がまだ白紙なことに昨今の社会情勢について何度目かの溜め息を交えて長い道徳観溢れるありがたい説教話を聞かされながらオレは適当に相槌を打ちやり過ごす。
r――――失礼しました」
オレはコンテストがあれば上位に入るだろう綺麗に頭を斜め四十五度ピッタリ鋭角に下げ、職員室の扉を閉めて後にする。
人気のまばらな放課後の学校の廊下。
時折聴こえるは運動部の覇気ある掛け声、吹奏楽部の楽器の音色、たまに通り過ぎる教室内にまだ残る学生たちのたわいない会話。
廊下の窓辺から差し込む夕暮れの赤色の陽射しが、重い足取りで歩くオレの横顔を照らす。
オレは若干の眩しさに目つきの悪さに定評のあるツリ眼を細めて窓から此方を覗き長い影法師を作る夕陽を見る。
変わらない。
この世界の夕暮れの光りも輝きも。
「向こう側」で見た夕暮れの光りも輝きも。
ただ違うのは、もうオレには同じ夕日を見る隣り合う仲間たちがいないこと。
住むべき「世界」が違うこと。
そして、今のオレが「オレ」じゃないこと。
「……進路か。オレの前職は「勇者」、だった。ま、言っても誰も信じないだろうなぁ」
苦笑いしながらポツリと小さく呟く。
今から一年前、オレは「異世界転移」した。
放課後、特に用事もなく部活動にも所属していない遊ぶ親しい友達もいないボッチなオレは今と同じように人気の少ない校舎を家に帰るべくノロノロと歩いていた。
そしたら一歩踏み出した足先のリノリウムの廊下に唐突に幾何学模様の魔法陣が浮かび上がり、オレはそのまま世界から消失した。
次に気が付いたオレは異世界アルヴェキラに召喚されていた。
困惑するオレの周りにはオレを召喚した異世界の住人たちがいた。
オレを世界を救う英雄と呼び、魔王を討ち倒す勇者と口々に囃し立て揶揄する。
そして奇跡の聖女、麗しき巫女と。
は?
なんだ?英雄?勇者?
いや、待て。
何で聖女?巫女?誰が?オレが?
オレは自分を見た。
確認した。
着慣れた学ランを押し上げるデカくて重くぶら下がるふたつの膨らみで足元は見えない。
腰まで長く伸びたサラサラキラキラした滑らかな濡れ羽色のキューティクル感満載な綺麗な黒髪。
元々筋肉も大してなく細かった手足は更に細くなり、弛んだベルトが括れた腰回りを覆う。
そして違和感半端ない股間に有るべき長年の苦楽を共にした最愛の相棒がララバイサヨナラしている。
オレは「女」になっていた。