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陽に群雲、月の風  作者: あつろ
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4-1.皇の赦し

 執務の合間に溜め息をつき、肘を突きながら視線を巡らせてきた藍の眼差しに、フォードは申し訳なくて思わず視線を反らした。


「まぁ、その反応で分からんではないが。鍛冶師はまだか」

「申し訳ございません、ただ今全力を上げて捜しているのですが」

「聞き飽きたな」


 多分嫌味ではなく本心から言っているのだろうそれに、フォードは恐縮して申し訳ございませんとますます頭を垂れた。


「でもさぁ、近衛の精鋭と俺のとこの部下の大半まで割いて捜してんだよ? この大陸にいるなら、そろそろ見つかってるはずじゃん。ひょっとしてどこかで死んでんじゃない?」

「しれっと不吉なことを言うな、お前は……」

「だっておかしいって。なぁ、フォード? 西の国に行ってりゃまぁ、見つけ難いのは分かるけどさ。それだっていい加減時間食ってるし、大体あそこで鍛冶師はあんまり歓迎されないじゃん」


 だよねと話を振られて、フォードも不審を覚えていたそれに頷いた。

 彼は手元の書類をつまらなさそうに投げ捨てながら、どういうことだと軽く首を傾げた。


「西で鍛冶師は歓迎されんのか」

「はい。以前にも申し上げました通り、あそこは精霊の守りがございますれば、武具をとって戦うことをあまり肯んじないのです」

「でも上のほうの僧侶・神官は戦いに出てこないから、下っ端は結局武器持って戦うんだ。それなのに扱いが蔑ろでさ。あそこの兵隊ほど、やってらんないもんないよ」


 給料安いしさぁと何故か切実にぼやきながら手にしていた書類の束を繰っていたシェルクは、めくった先の字に目を走らせて顔を顰めた。そのまま急いでぱらぱらと何枚か書類を繰り、どうしようと心細げに彼を上目遣いで見た。


「うっかり見落としてたけど、この報告って結構まじでまずいかも、陛下」

「何がだ」

「国境付近の街々で、西の兵の姿が頻繁に見受けられてるって。しかも何か、戦闘準備万端って感じにきな臭いみたいなんだけど」

「うっかりで見落とすな、そんな重大事!!」


 彼が呆れた様子で怒鳴りつけると、シェルクはごめんなさいと頭を抱えている。


「いやでも、陛下の命令って鍛冶師ラウス・ロクウェルの捜索だったし。ついでにまさかこんな重大事が報告されてるなんて思わなくて~」


 でも俺の部下って偉ーいと微妙な調子で呟いて乾いた声で笑うシェルクを、彼は鋭く睨みつけている。さすがにしゅんとしてそのまま言葉を失ったシェルクの手からフォードは書類を受け取って文字に目を走らせ、顔を顰めた。


「本気で戦争を仕掛けてくる気か……?」

「陛下の睨みは、対外的にも有効だと言ってなかったか。それをどうしてこんな時期に、戦争を売られることになるんだ」


 苛々したように彼がぼやいた言葉で、反省した風情で黙っていたシェルクが天井を見上げながらぽつりと呟く。


「陛下の様子が違うの、そろそろばれたかなー」

「俺の記憶がないのは今のところ極秘事項で、お前たちしか知らないんだろう? 西に身売りする奴でもいるのか」

「まさか、南にそんな命知らずな人間いないし。でもなぁ」

「でも何だ」


 積み上げられた書類を指先で叩きながら先を促した彼に、シェルクはちらりとフォードを窺ってきた。フォードもシェルクの言いたいところを把握して、軽く肩を竦めた。


「はっきり言え」

「陛下の変貌が知れ渡っていること自体は、さほど不思議はないかと存じます」

「うん、俺もそう思う。記憶がないとまではさすがに思ってないだろうけどさ、丸くなったってのは確実に伝わってるほうに、給料半年分賭けてもいいよ」

「どういうことだ」


 分からなさそうに眉を顰める彼に、フォードは躊躇いながらも事実と確信できるそれを口にする。


「ですから……、陛下が記憶を失われてから半月ほど経ちますが、その間誰も処分されてはいないではありませんか。その前に昏倒して運び込まれたことはどれだけ口止めしても伝わっているでしょうし、紅き鷹の不調、もしくは爪を折ったとあの老狐が確信しても不思議はないかと」

「ちょっと待て、半月で誰も処分されていないからって理由は何だ!」

「何だって言っても、今までの陛下なら三日に一度くらいの間隔で何らかの処罰下してたもんな?」

「当時の近衛といえば、それは忙しいものでした」


 たった一月も前のことではないのに思わず遠い目をしてフォードが頷くと、彼は机に突っ伏したげに頭を抱えている。


「一体どんな風評が立っているんだ……」


 過去の自分に対して歯を噛み締めるようにしてぼやく彼に、シェルクはへらっと笑って指を立てた。


「この国限定で言うなら、陛下に触っただけで女性は妊娠するとか、気に食わなかったら半殺しは当たり前。逆鱗に触れたら一族郎党皆殺し、ついでに機嫌が悪かったらその地域一帯焼き滅ぼす等々」

「他国でしたら処断の呵責のなさと、その……、女性嫌いの同性愛趣向が一時期蔓延していたかと記憶しています」

「この際、処断の呵責のなさはさておくとしてだ。近寄ったら妊娠とか、同性愛趣向の噂が立つとはどういうことだ!?」


 それだけは納得いかんと怒鳴りつけてくる彼に、シェルクはすっかり調子を取り戻して語尾を楽しそうに上げている。


「えー、だって陛下ってば数年前まで荒みまくってて、日変わりで女性侍らせてたじゃん」

「しかも常に機嫌がお悪くいらして、選ばれた女性にすれば堪ったものではなかったかと」

「結局陛下も望まれなかったし子供はできなかったんだけど、無類の女好きってな悪評は簡単に立っちゃって」

「訂正するのも面倒だからと、気の効かない彼女たちに辟易しておられた陛下が今度は女性避けにその噂を使われたために、今なおそう吹聴されているとのことです」

「それでどうやって諸国には正反対の噂が流れるんだ」

「だって最近は陛下の側に女性いないし、いくら荒んでた時だって外遊に女性を連れて行かれることなんてなかったのに、フォードは近衛で常に控えてるじゃん。俺も外遊の警護でいつも側に侍ってるから、南の紅き鷹の寵愛は女性でなく男に注がれてるんじゃないかって」

「それはもう面白いほど諸国を駆け巡りまして、そのような風評が定着した、という次第です」


 二人して頷いて締め括ると、彼は今度こそ本気で机に突っ伏した。


「もういい、それは俺じゃない……。南の皇の風評なんぞ二度と聞かん」


 ぶつぶつと口の中で呪うように繰り返している彼に、フォードとシェルクは顔を見合わせて少し笑った。


「気分の悪い話はもういい、現実に戻れ。国境付近の様子は、具体的にはどうなんだ」

「えっと、今のところ国境付近に兵が集まってる最中、かな。最新の今日の報告でも兵が揃ったって話はないから。尤も、時間の問題だとは思うけど」

「ですがあの老狐でも、よほど何かのきっかけでもない限り無闇に攻め込めはしないでしょう。仮に紅き鷹が単に眠っていただけならば、手痛い報復を受けるのは承知のはずですから」

「どちらにしろ、こちらが兵を整えない理由はないな」


 うんざりしたように溜め息をついた彼は、物憂げな光を帯びた瞳でフォードたちを見据えながら命じる。


「西の国境周辺を中心に、鍛冶師の捜索人員を増加する。どのような事態にも対応できるように警戒態勢は常に整えておけ。それから聖職者を内海付近に呼び寄せろ。鍛冶師の行方について神託を受けるに、人魚の海は多少の加護を与えるだろうからな。必ず居場所を突き止めろ。国境近くの町付近には検問を張って、人が隠れられそうな馬車の類は一切の出国を禁じろ。多少町が混乱しても構わん、不審な馬車は全てをそこに留めおき、荷は全て押収しろ」


 あくまでも鍛冶師の捜索を表向きにしながら、武器を収めた馬車を集結させて国境に兵を整えるよう言下に命じられたそれに、フォードはかつての彼の姿を見出して笑いそうな口許を隠すようにして頭を垂れた。


「周辺の町の人間はどうなさいますか」

「戒厳令を敷く。逆らうようならば即座に地域一帯の人間諸共、皇都に送還しろ」

「独断で送還途中の人間を勝手に処分した馬鹿はどうしようか、陛下?」

おうの意に背く者は全て処分する。くだらん略奪だの拷問だのの権利をやった覚えはない、そんな暇があれば鍛冶師を捜し出せ。鍛冶師及び町の人間が傷一つでも負っていようものなら、派遣した連隊全てに咎が及ぶと知れ」


 薄く笑って告げた彼に、シェルクは楽しそうにしたまま、御意! と声を弾ませた。


「忙しくなるなぁ。武器商人への連絡はフォードに任せる。俺は元帥を集めて陛下の御意を伝えておく。町々の駐留軍にも陛下の御意を浸透させないとなー。緊急時の体制も見直させて、割ける人員数把握しとかないと。必要な物資の点検、確保に……ああ、補給路も考えとかないと」

「皇都及び周辺の町に、国境の人間の受け入れ態勢を整えるよう命じるのも忘れるなよ、シェルク。陛下、神殿への出向命令はアレイネを向かわせます。往復の送還における警護隊は近衛から出しますが、よろしいですか」

「好きにやれ。しかし……、こうなっては本当に剣が惜しいな」


 交えるには向かないと言ったにも関わらず、肌身から離そうとしない藍の鞘に収まった剣に目をやって彼が呟くと、シェルクがちっちっと指を揺らした。


「だーかーら、鍛冶師を捜すんじゃん?」


 悪戯っぽく目を輝かせて笑うシェルクに、彼は少し目を瞠った後、声を立てて笑った。


「その通りだ。剣を納め間違えた鍛冶師は災難だな」

「陛下の御剣を間違うなど、許される所業ではございません。草の根を分けても捜し出してご覧に入れます」

「成る程、たまには愚昧も悪くない」


 楽しげに喉の奥で笑う彼に太陽を見出してフォードが目を細めた時、急にふっと日が翳った気がした。月の剣を抜いた時よりもずっと濃い夜の気配に反応して即座に立ち上がった彼が窓辺を振り返り、その後ろから窺うと後宮の一部に深い闇が押し寄せているのが分かった。


「アレイネの術か?」

「いえ。闇の女神の御力は計り知れず、よほどの業の持ち主でなければ操れません。アレイネはおろか、闇の女神に仕える聖職者でも制御は不可能と言われております」


 何事が起こったのかと不安を覚えながらフォードが答えると、シェルクが青褪めた顔で彼の袖を何度か引いた。


「あれって大皇太后陛下のご住まいじゃないの、陛下!?」


 シェルクが言い終わらない内から彼は踵を返し、鋭い陽光を秘めた夜の風は即座に執務室を出ていっていた。






 不穏な空気と評するにはどこか暖かい夜ような、闇の女神の腕に抱かれたような柔らかい闇が大皇太后の部屋を包み込んでいるのを見つけてフォードは思わず足を止めたが、先を行く彼は一瞬の躊躇も見せないでその闇の中に姿を消した。慌ててシェルクと同時に後を追うと、辿り着いた大皇太后の部屋には、彼女が横たわる寝台の傍らに不審な男が一人立っていた。

 即座に反応して抜刀したシェルクに続いてフォードが抜こうとすると、彼がそれを押し留めた。


「よせ、シェルク。引け」

「でも陛下、こんな見るからに怪しい奴、」

「シェルク」


 振り向きもしないで名前を呼ぶという行為だけで叱責した彼に、シェルクはびくりと身体を竦めると慌てて剣を鞘に収めた。彼の声に同じほど身体を竦めて反応したのは、寝台に頭を寄せて気を失っていたらしいアレイネ。はっと我に返ると慌てて起き上がったアレイネは、何より先に大皇太后を覗き込んでいる。


「お祖母様、……お祖母様!?」

「逝かせてやれ。もはや声をかけることができるは皇のみ、お前の声では届かんよ」


 宥めるようにアレイネに声をかけたのはその不審な男で、灰褐色の瞳で彼らを一瞥すると褐色の肌をした男はどこかの軍服の上に纏っていた闇色の外套を翻し、さっと彼の傍を通り抜けた。


「陛下、どうしてその男を捕らえてくださいませんの、お祖母様が……!」


 ちらりと視線をやっただけで捕まえようともしない彼に、アレイネは悲鳴みたいに怒鳴りつけて振り返ってくる。しかし彼は後を追う気もないのかフォードにも何も命じないまま大皇太后に歩み寄り、離れようとしないアレイネの髪を撫でるようにして柔らかく押し退けた。そのまま大皇太后の顔を覗き込むように顔を寄せ、静かな眼差しで見下ろした。


「祖母様、何か言うべきことがあるだろう。言ってから逝け」

「陛下!?」


 不吉なことをと噛みつこうとしたアレイネは、彼の顔を見ると気圧されたように黙り込んだ。


 大皇太后は遠く窺っているだけでも、もう目を開けるのも億劫な様子だった。それでも彼の声に促されて何とか目を開けると、悪戯を暴かれた子供のような頼りなげな表情を浮かべて彼を見上げている。

 彼はその大皇太后を、眼差しを反らすことなく見据えながら傲然と一つ頷いた。


「聞いてやる。言いたい全てを置いていけ」

「皇が……、負担を増やすのみ。私には申せませぬ……」

「その俺が聞いてやると言った。心配せずとも記憶もない、祖母様の罪の全てを俺は知らんよ」


 記憶がないことを逆手にとって偉そうに言いつけた彼に、大皇太后は泣いてもう一度目を伏せた。


「私の力が足りないばかりに、太陽の輝かしきを血で覆ってしまいました。セーティナ一人に重い荷を負わせたまま、何もしてやれず……!」


 許しておくれと嘆くように謝罪した大皇太后のそれは、きっと彼にとっては負担でしかないだろう。何を今更と怒号が降りかかっても仕方のないところだろうに、彼は徐々に薄れていく闇の中、太陽さながらに微笑んだ。


「赦す」


 たった一言それだけを言って彼はまるで子供にそうするように、大皇太后の皺の深い、それでも秀でた額にそっと手を当てた。


「皇よ……、太陽よ」

「気に病むな。陽光は憂いを打ち払うために投げかけられるものだ。祖母様の上にも等しく投げかけてやろう。絶対神が御許に赴く途を違えぬよう、見守っててやる」


 何も気にするなと、かつての皇では有り得ないのに誰よりも皇たる彼の許しに、大皇太后はほっとしたように息をついた。そのまま彼以外の誰も聞き取れないほど小さな声で何かを囁き、そのまま眠るように目を閉じた。


 誰も何も言えないで立ち竦んだまま見守っていると、しばらくして彼が彼女の額から手を退けた。途端に僅かに残っていた闇は夜明けの光に押し戻された夜の如くその身を引いて、彼に場を譲り渡すように消え失せた。


「お祖母様……、お祖母様は?」

「眠らせてやれ。ようやく全てから解放されて、皇の御許に還ったのだから」


 彼が静かに言い聞かせたそれに、アレイネはその場で泣き崩れた。


「お前も自身を許してやれ」


 焦げ茶の頭を見下ろして彼が呟くように言うと、アレイネははっとした様子で顔を上げた。そのまま食い入るように彼を見つめるアレイネに、彼は苦く、どこか寂しそうに笑った。


「祖母様の最期の言葉だ。叶えてやれ」


 言って彼はアレイネの頭をそうっと撫でて、未だに立ち竦んでいるフォードたちの傍を通り抜けた。

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