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陽に群雲、月の風  作者: あつろ
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1-3.大皇太后

 扉を見上げると、扉の上に白っぽい旗がかかっていた。中央に銀の剣に刺し抜かれた紅い鷹があり、物々しく見下ろしてくる鷹の瞳には本物の紅玉が使われているようだった。


「紅き鷹は南のおうの象徴じゃなかったか?」

「さようにございます」

「それなら、あの銀の剣は? 皇を刺し貫く旗のもとを皇が渡るのか」


 不思議そうに問いかけたそれに、呆れたように答えたのは中にいる人物だった。


「何を今更間抜けなことを聞いておいでか。初代王をその地位に貫き止めたるは王の奥──つまりは銀の剣。故に皇が下を潜る旗に銀の剣を描くは、古くからの慣わしであろう」


 私より先にぼけてどうするとどこか笑うように告げてくる人物に視線を変えると、多分玉座であろう場所のすぐ側に腰掛けている老女を見つけた。寄る年波に負けて腰こそ曲がっているものの、皺の少ない顔と見つめてくる瞳の深さはどこか高貴だった。


「……あれは?」

「大皇太后陛下にございます。もうおいででございましたとは、遅くなり申し訳ございません」


 扉の前で、フォードもシェルクまでもが慌てて跪いている。彼は大皇太后、と口の中で呟いて真っ直ぐ見つめてくる老女の瞳を見返した。


「大がついてるってことは、先々代の皇妃? 祖母様か」

「っ、陛下、陛下っ、さすがに大皇太后様に向かってその言葉遣いはっ!」


 できるだけ目立たない仕種で彼の服の裾を引っ張りながら、半泣きになってシェルクが諌めてくる。

 彼は不思議そうに肩を竦めて、とりあえず扉を潜って中に入っていった。続いてくるはずの二人が扉のところで跪いたままでいるのを振り返り、何をやってるんだろうと眉を顰める。


「入ってこないのか?」

「やれやれ、本当に大ぼけよの、セーティナ。皇に連なる者以外、皇旗の下を潜れようはずもあるまい」

「俺が皇だと言うならば、俺が許可すれば構わないだろうが」

「そういう問題じゃないって、陛下! っ、私どもはここに控えておりますれば、どうぞお気になさらずっ」


 大皇太后の眼差しに怯えたように言葉遣いを改めて、慌てて額を地に突けているシェルク。フォードも同じく頭を垂れたまま動こうともしないので、仕方なく大皇太后に向き直った。


「ここは皇以外の者が入れないのか?」

「皇に血の繋がりのある者以外はな。この扉の前まで来るも、本来ならば大それたことよ」


 大皇太后の言葉に、二人とも踵を返そうかどうかと僅かに膝を浮かせている。振り返って確認した彼は、構わんと鷹揚に許可を与える。


「二人とも、そこにいろ。今の俺は、お前たちがいないと何も分からんのだから仕方がない」

「……皇の仰せよ、控えておるがよい。それにしてもセーティナ、ほんに記憶を失くしたか」

「その、ルグラフト・セーティナーダ・ナヅクが俺の名前だと主張するならそうなんだろう。何もかもに覚えがないのだから」

「ほう、なれば誰ならば記憶がおありか?」


 僅かに赤めいた赤い瞳の大皇太后が、どこか面白がるように眉を跳ね上げると彼は言葉に詰まって瞳を見下ろすしかできない。


「──リーツィ。起きて思い出したのは、その呼び名だけだ。やはり俺は、皇ではないのではないか」

「皇ならざる者がこの部屋には入れぬと申しておるに、疑り深いお子よの。レフィン、従えてお入り」


 大皇太后が笑うように告げると、戸惑いながら控えている二人の後ろからアレイネが姿を現し、優雅に一礼してみせた。そうして右に控えているシェルクの肩をとんとんと指先で突つき、にっこりと笑う。


「シェルク、片腕を犠牲にお出し」

「げぇっ、俺!? 俺なの、陛下ー!!」

「喧しいわよ。いいからちゃっちゃと入りなさい、ちゃっちゃと!」


 言うなり、慌てふためいているシェルクを問答無用で蹴り飛ばしてアレイネは高笑う。

 あっとフォードが声を上げた時にはシェルクの燃えるような赤い髪は扉を越し、音さえ立てて本当に燃え始めた。


「っぎゃあぁあぁぁっ、ひ、ひ、火ぃついたって、火ぃついてるってぇっ!!」


 何とか完全に扉を越してしまう前に態勢を戻しつつ、シェルクは消えない火をつけられたまま走り回って叫んでいる。彼が思わずそちらに向かいかけると、大皇太后が多分に彼女には必要ないだろう杖を出して押し留めてきた。


「待たれ。セーティナが手出ししたところで、あの火は消えぬよ」

「分かっててさせたのか!?」

「セーティナが証を求めたからであろう。レフィン、助けておやり」

「お祖母様の仰せの通りに」


 もう一度優美に一礼したアレイネは、走り回っているシェルクの足を引っかけて転ばせると燃え盛る炎へと無造作に手を伸ばした。真紅に燃え上がる炎はアレイネの手を包み込み、彼女の唇から零れる聞き慣れない言葉に鎮められたようにゆっくりと姿を消していった。


「……? 今のは」

「皇に仇なす者には精霊の炎が宿る。それを消せるは精霊のしるしを持つ者のみ。この皇宮にありて精霊を手繰ることができるは、レフィンただ一人だ」

「じゃあ何か、あいつがいないとシェルクは燃えっぱなしか」

「そうなるの。まぁ、それもじきに慣れようほどに。精霊の炎は悪しき心のみを燃し尽くす。故に皇に対する二心がなければ、それは火の形をした幻にすぎぬ」

「害がなくても、見た目怖すぎるから嫌だよぅ」


 確かに傷一つ負っていないシェルクは、それでも髪の先などを確認しながら溜め息をついてぼやいている。


「日頃の行いに疚しいところがあるのね」


 ほほほほほと楽しそうに高笑ったアレイネは、恨めしげな目つきをしているシェルクの側を通って扉を潜って中に入ってくると、大皇太后の前で膝を屈して頭を垂れた。


「お久し振りにございます、大皇太后陛下。御出座しになられてご覧になれるものが馬鹿な皇だとは恥ずかしい限りにございますが、お祖母様にはお変わりなきご様子。心よりお慶び申し上げます」

「堅苦しい挨拶はよい。私は既に身を引いておるのだから」

「ということは、いつもはいないのか、祖母様」


 何気なく問う彼に、無礼者と怒鳴りつけてくるアレイネを上から見下ろすように睨みつけて黙らせたものの、フォードとシェルクまでが悲鳴じみた声を揃えてくる。


「陛下、やめてってば、無礼者発言ばっかりすんのはーっ!」

「大皇太后陛下に置かれましては既に政治から手を引かれ、滅多と御出座しにならないものの、陛下が皇の地位にお就きになられる時に後ろ盾となってくださったのが大皇太后陛下です。さすがの陛下も大皇太后陛下にはお逆らいになられませんでした、どうぞ頭を垂れてくださいますようにっ」


 必死の体で言ってくるフォードに、彼は分からなさそうに首を傾げた。


「大皇太后といえど皇には従うものだろう。世話になった恩を覚えている間ならまだしも、俺にはその覚えもない。形ばかり頭を下げられて何か嬉しいか、祖母様」


 言葉を繕う努力もしないで彼は大皇太后を振り返り、この馬鹿ー! と叫んで殴りかかってくるアレイネを小さな動作で避ける。アレイネは懲りずに何度も無礼者とか恩知らずなどとかかってきたが、煩げに手を振って睨みつけた。


「喧しい、黙ってろ。俺は祖母様と話をしてるんだ、誰がお前に意見を求めた」

「皇と言えど記憶を失うような間抜けな男風情が、よくもそこまで偉そうに言えますこと! お祖母様に対する無礼な物言いを、お改めなさいませ!」


 必死になって噛みついてくるアレイネの主張は分からないではなかったが、いい加減に煩くて叩き斬ってやろうかと物騒なことを考えていると、大皇太后が声を上げて笑い出した。


「よい、レフィン、セーティナの申す通りよ。国において上に立つ者は二人と要らぬ、常に皇のみが太陽でおわすは当たり前であろう。記憶を失ったりとはいえ、皇のご自覚があられるはよいことよ」

「いや、皇の自覚は別にないんだが。皇が誰かに膝を屈するのは、自分の妃だけでいいだろうと思っただけだ」


 大皇太后の取り成しに感謝さえなく軽く肩を竦めると、扉の外の二人は揃って頭を抱えている。


「まともになったと思ったのに、変なとこだけ陛下のまんまだよぉっ」

「確かに皇たる者は膝を屈せずとはいえ、大皇太后様にまで逆らわれるとは……。ああ、在りし日の陛下は一体どこへ」

「死んだみたいに言うなっ!!」


 不吉な奴らめと彼が顔を顰めると、大皇太后は楽しそうに笑いながら玉座を勧めてきた。


「とりあえず座っておくれ、セーティナ。年寄りをいつまでも立たせておくものではないな」

「ああ、じゃあ祖母様は座ればいい。俺はあれに座る気はないからな」


 玉座を一瞥して興味なさそうに頭を振った彼に、アレイネがまた口を開こうとしたのを止めたのは大皇太后だった。


「レフィン、およし。私はお言葉に甘えさせてもらおう、手を貸しておくれ」

「お祖母様……、はい」


 彼女の手から杖を受け取り、そのまま手を貸して座らせたアレイネは気遣わしげに大皇太后を覗き込んでいる。彼は立ったままその様子を見ていたが、ふと首を傾げた。


「祖母様、どこか悪いのか」

「年を取ると身体のあちこちが弱くなるものさ、気におしでないよ。それよりもセーティナ、本題に入ろうかね」


 本題ねと小さく呟いて、彼は肩を竦めた。


「何が聞きたいのかは知らないが、記憶のない俺に何を尋ねる」

「禁忌の地へほんに赴いたかどうか……、まずはそれが知りたかったが」


 言って大皇太后は目を細め、知るかとばかりに顔を顰めている彼を見て笑いながら頷いた。


「セーティナには覚えはなかろうが、きっとお前はあの地へと入り込んだであろうよ」

「なぜ」

「リーツィ、の呼び名だ」


 どうでもよさそうに答えた大皇太后は、気を効かせてアレイネが持ってきた琥珀色の液体の入った洋杯へと視線を変えた。手渡されるそれに彼女は懐かしそうに目を伏せて、ゆっくりと頷いた。


「太陽を神霊文字にて発音すれば、リーツィの音が一番似通うておる。今時、神霊文字を使うは彼の禁忌の地しかあるまい」

「ですがお祖母様、皇を太陽と呼ぶのは我が国の、しかも皇宮にあるごく一部の者のみです。何故に禁忌の地で、このろくでなしが太陽と呼ばわれますの?」


 不思議そうに問いかけるアレイネの言葉に引っ掛かってとりあえず蹴飛ばしたものの、答えが気になって大皇太后を見下ろすと彼女は滲むように微笑った。


「セーティナは南の国の皇である前に、太陽だからの。太陽とは月に焦がれ、追い求める者。月を守る為に存在する者を指す」

「月……?」


 不審げにシェルクが呟き、聞き咎めて視線を向けた大皇太后に脅えて口を押さえてふるふると頭を振っている。大皇太后は特に気にした様子は見せず、問いに答えてぽつりと溢した。


「月とは世界。この世界の全て」

「んまぁっ、陛下、南の地だけでなく大陸全土をも支配しようとお考えですの? この業突く張り」


 汚らわしいものでも見るかのように吐き捨てるアレイネに本気で腰に提げた剣を抜こうかと考えた時、大皇太后が笑いながら頭を振った。


「レフィン、精霊の徴を持つ者が何故に知らぬのかのう? 月はこの世界の全て。絶対神と七柱の女神に愛されし者。その容姿、月の如く麗らかにして怜悧。その声、全ての楽を重ねるほどに優麗。その瞳が映すもの全てに喜びと惑いを与える、夜の空、昼の空にも君臨せし者。世界の全てを従えることも可能なる、月の名を持つは世界に愛されし者」


 歌うように告げる大皇太后の声は月を語る時だけ若々しく、焦がれるように張り詰めて、聞く者の心をも震わせるようだった。

 彼は大皇太后を見下ろしたまま、ぽつりと呟いた。


「祖母様は月を見たんだな」


 可哀想にとでも続きそうな調子で彼が呟くと、大皇太后は顔を歪めるようにして笑った。


「ああ、見ることが叶うたよ。年老わず、美しきその姿のまま千年も生きると言われる彼の月を……。あまりにも美しく、儚く、届かぬ想いに焦がれもしたの……」

「お祖母様! まぁ、だって、お祖父様とは愛し愛されて嫁いでこられたと、」


 少しだけ憤慨したようにアレイネが言うと、大皇太后は揺れるように頷いた。幾分赤みを帯びた青い瞳は、もう誰のことも見ないで遠く月に焦がれて宙を彷徨っている。


「皇に嫁いで後、一度だけ見ることが叶うたのだ。南の皇を祝福し、禁忌の地を統べることを告げに参られた。誰も足を踏み入れることを禁ず、と」


 美しくあらせられた、と熱に浮かされたように呟いて大皇太后は顔を覆った。皇に仕え、皇が死して後は長く皇宮の主として君臨し続けてきた高貴なる皇の剣の姿はそこになく、ただの老女が昔を懐かしんで泣き濡れている。


「それでは禁を犯して禁忌の地に足を踏み入れられたからこそ、陛下は月に記憶を奪われてしまわれたのですか?」


 誰にともなく呟くように問いかけたフォードに、シェルクが引き攣った笑顔で答える。


「まさか……、その全てを統べる月とやらに逆らったとかって、この国まで滅んじゃったりとかしない……よねぇ、まさか」


 まさかねと繰り返して笑うシェルクの声は、やけに虚しくその部屋に広がった気がした。

 何となく黙り込んでしまった部屋の中、大皇太后がようやく頭を上げてアレイネの齎した琥珀色の液体に口をつけた。そうして息を整えてから、彼女は立ち竦んでいる彼を見上げて目を細めた。


「太陽の皇よ、月を見たろうか? 禁忌の月を求め、叶わず、その記憶を自ら封じたか?」

「────」

「それとも月にその記憶を奪われたか? その姿を長く留めるを能わず、と? どちらにしろ、お前は禁忌の地に踏み入った。皇を為そうと辞そうと、また何れ……お前はあの地へと赴くであろうな。火に焦がれ、夜の闇に紛れてその火に身を投げる、羽あるもののように」


 哀れむような予言めいた言葉を残し、大皇太后は億劫そうに椅子から立ち上がった。


「皇よ、セーティナよ。何れ辞そうと、ここはお前の国だ。私の皇と、息子が統べ、お前にと譲られた皇位をどうしようと私は構わぬよ。ただこれだけは覚えておおき、お前をお前というカタチに育んだも、やはりこの国だということを」


 大皇太后はゆっくりと微笑んでそう告げた。

 それは月に焦がれて泣いていた老女でも、長く皇の奥であった高貴なる剣でもなく、確かに彼の祖母だという気がした。


「──祖母様の忠告は胸に留めておく。無理をしないで下がっていろ、この国を滅ぼす時は真っ先に知らせてやる」


 彼が静かに告げたそれに、大皇太后はどこかほっとしたように微笑った。

 そのままアレイネに手を借りて、二人が控えている扉とは別の扉から出ていった彼女の背中を見送って、彼は知らず握り締めていた拳を解いていた。

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