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陽に群雲、月の風  作者: あつろ
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1-2.従妹と皇

 朝起きると、寝台の側で偉そうに仁王立ちになっている女性を見つけた。あまりにあからさまな敵意とその居丈高な態度に、彼は上身だけ起こしてがりがりと後ろ頭をかいた。


「ようやくお目覚めにございますか、陛下? まったく、勝手に禁忌の地へ足を踏み入れられたかと思えば勝手にぶっ倒れてお帰り遊ばして。一体何をお考えなのか、説明できるものならしてみやがれコンチクショウですわよ?」


 微妙に態度と容貌にそぐわない言葉遣いが交じっていた気もするが、彼はそれよりもまた知らない人間が増えたことに対して憤っていた。


(俺に記憶がないことを言い触らしておけば、誰だと問う手間も省けるだろうに……)


 微妙にずれた論点で心中で愚痴るように呟き、とりあえずその女性をまじまじと眺めた。


 背の中ほどまで届く焦げ茶の髪は綺麗に編み込まれ、高く結い上げてある。青玉のような鮮やかな瞳には侮蔑と嘲りと、それから僅かながら心配そうな色が浮かんでいる。少しだけ低めの、けれどすっと通った鼻梁、少し肉厚の唇には真紅の紅が刷かれている。自分の体型をよく知って引き立てる服を着たその女性は魅惑的な微笑を浮かべていればさぞや豪奢な花にも例えられそうだが、棘どころか毒があるに違いないと偏見に満ちて判断する。


「聞いておられますの、陛下。私がわざわざあなたの寝室にまで足を運んで聞いて差し上げてますのに、聞こえない振りをなさる気ですの? いい根性してやがられますこと、薬のかわりに靴を召し上がりたくなければさっさと返答なさったほうが身のためでしてよ!」


 言いながら痺れが切れたように詰め寄ってくる女性に視線を重ねたまま、彼は小さく息を吐き出した。


「誰だか知らないが、きぃきぃと耳許で喧しい。黙れ」


 優しく言葉を和らげる気力もなく本音を直球でぶつけると、女性は怒りと屈辱で言葉を探すように何度か口を開閉させた。彼が耳を塞ぐや否や、一層高くなった声で感情のまま怒鳴りつけられる。


「せっかくお見舞いに来て差し上げた私に対して何ですの、何なんですの、その態度! 信じられない、私の好意を何だと思ってやがられますの!」

「好意だと言うなら口を閉じろ。何度も言わせるな、喧しい」


 耳を塞いでいても十分に届く声に辟易して、斜めに見下ろすようにして睨みつけた。途端に彼女は怒りで顔を真っ赤にしながらも口を閉じて、ぎりぎりと歯噛みするに留める。

 成る程、国皇こくおうというのは強ち嘘でもないらしいと変なところで実感しながら、彼は寝台の上で胡座をかいて改めて女性に視線を変えた。


「それで、お前は誰だ」

「何かの冗談でしたら笑って差し上げるほど面白くありませんわよ、クソッタレ」

「冗談で朝っぱらから斬られたいか?」


 どうでもよさそうに彼が聞き返すと、女性は言葉に詰まって胡散臭げに彼をじろじろと見回した。


「フォード、この男ひょっとして本気で言ってやがられますの?」

「残念ながらそのようです。私も昨日、名乗らされましたので」


 いつの間に入ってきたのか、女性の側を通って近く歩み寄ってきた男性──確かスレイン・フォードと言ったように思う──は、目が合うと微笑んでおはようございますと頭を下げた。


「どうぞお召し替えを。今日こそは医師に看て頂き、何か召し上がって頂かなくては」

「別に異常はなさそうだから、さっさと食わしてくれたほうが嬉しいんだが」

「ご冗談を。陛下にこれ以上もしものことがあってはどうします」


 これ以上が微妙に強調されていた気がして彼は顔を顰めたが、すっかり存在を忘れられた感のある女性を思い出して顎先で示した。


「あれは誰だ」

「アレイネと申します。アレイネ、ご挨拶を」


 フォードが振り返って促すと、女性──アレイネは嫌味なほど優雅に一礼した。


「アレイネ・レフィン・ナヅクと申します、物忘れがお激しい陛下」


 哀れですこと、とそれはにっこり笑うアレイネを思わず目を細めて睨みつけながら、彼は記憶を辿って聞き覚えがあることを思い出した。


「アレイネもナヅクも、確か昨日に聞いたな」

「今では陛下の唯一に近い血縁者の従妹でございますれば。……別段、片っ端から記憶できないって状況でもあられないようですわね」

「今までのことをお忘れなだけでも十分だ」

「確かに。南の紅き鷹ともあろう方が無様ですこと。禁忌の地などに足を踏み入れられるからですわ。私があれほど忠告して差し上げましたのに」


 まったく馬鹿な陛下ですこと、とどこか寂しげに呟いて、アレイネはくるりと踵を返した。


「陛下の着替えなど見たくもございません、私はこれで失礼させて頂きますわ。全てが整われましたら、私見の間においでなさいませ。お祖母様がお会いしたいとの仰せです。お祖母様をあまりお待たせしないように! いいですわね?」


 それでは失礼、と勢いよく扉を閉めて出ていくアレイネに、彼は思わず溜め息をついた。


「あれが俺の従妹だと?」

「さようです。喧嘩ばかりなさっておいででしたが、ご兄弟を始末された時もあの方だけはお手許に置いておかれました」

「──皇は、本当に自分の兄弟を始末したのか」

「そうしなければならないお立場にあられましたから」


 陽光の加減で僅かに金味が強くなっている気がする鳶色の瞳が静かに見つめて答えたそれに、そうかとだけ呟いた。


「それよりも陛下、お召し替えを。医師に看て頂き、お食事を取られましたら私見の間にご案内させて頂きます。ですが何よりお早く執務に戻って頂きますように。アレイネでは処理しきれなかった執務が山積みとなっております」

「……記憶のない俺に、何をどうさせようって?」

「近衛隊しか治めておらぬ者に、そのようなこと問われますな」


 困りますと小さく肩を竦めるフォードに、苦虫を噛み潰す以外の術はなかった。






 医師に診察されている間も、異常なしと診断されてごく軽い食事を取っている間も、私見の間とやらに連れて行かれる間も、側に寄ってくるのはずっと側に侍っているフォードと、見かけて走り寄ってきたシェルク以外には誰もなかった。


 人がいないわけではなく、そこここに勤める者の姿なら見かけたのだが、到底声をかけられる雰囲気ではなかった。彼を見かければ全員が慌てて地に額を突けるように頭を伏せ、多分どう声をかけても頭を上げてくることはなさそうだった。

 いかにも怖れているらしいその姿に、皇に対して眉を顰める。


(一体何をしたらここまで怖れられるんだ?)


 どうしても自分と重ねられない皇に問いかけながら何とか溜め息を噛み殺していると、皇宮の警護が役目であるはずなのにずっとついてくるシェルクが、どこか嬉しそうに尋ねてくる。


「それより陛下、何か思い出した?」

「御陰様で何にも」

「ふぅん、そっかぁ。でもさ、陛下が忘れてるのって陛下に関することだけ? この国のこととか周りの情勢とか、後は習慣なんかも忘れた?」


 尋ねられて思わず考え込むが、何を忘れていて何を覚えているのかが分からない。


 例えば皇宮で見かける全ての人物は初めて見る顔だが、歩く食べる話すなどの日常生活に関することは覚えている。ただどうやら両利きらしくどちらも利き手のように使えるが、それは左利きなのに右利きに矯正したからだ、といったことはフォードに聞いて初めて知った。


「それじゃあ日常生活に困らない程度の記憶はあるけど、どうやって覚えたかってことは記憶にないんだ。ふぅん……、便利な忘れ方でよかったね、陛下」


 それは嫌味かと思わず捻くれて考えてみるものの、シェルクが何だか嬉しそうにしているので突っ込むのはやめておいた。


「でもそうすると、国のこととかは覚えてない?」

「──東西南北に四つの大国があって、四人の王皇おうがこの大陸を治めている。その程度のことなら覚えているが、もっと詳しくとなると何を知っていたのかが分からん。尋ねられれば答えられることはあるだろうがな」

「じゃあ、西の国を治める王は誰かってことは?」

「……クォフの女王、だろう」

「当たり! 性格は?」

「俺が知るか、そんな会ったこともない婆様、」


 知らないと言葉が先をついたが、ふぅと浮かんできた白髪の老女がひょっとして西の女王なのかもしれない。


「白髪の、陰険そうな顔をした小狭そうな婆さんか?」

「そうそう! なぁんだ、覚えてんじゃん!」

「覚えてる内には入らんだろう、顔が出てきただけだ」

「それでは覚えておかれますように、西の女王は狐です。貪欲で高慢で、南の豊かなる大地をつけ狙う老狐は常に抜け目なくこちらを見張っております。決してご油断なさいませんように」


 少し前を行くフォードが吐き捨てるようにした警告に、そこまで言うかといった感想は抱いたが逆らわずに何度か頷いた。


「まさか、何度か戦争を……?」

「戦争って称するほど他国や民を巻き込まなかったけど兵を交えたことはあるよ、内海セピテナの辺で。陛下は南に踏み入られるよりも人魚の海を汚すのを嫌ったから、セピテナ近くの国境で兵を整えて迎え撃って、セピテナからは火矢を射かけて西に追い返したんだ。一人もセピテナに入れるなって命じた陛下の言葉を今もって守らない者はいないよ。足の先でも入られたなら、あの海域の守護を命じられた兵たちは家族ごと皆殺しだからねー」


 楽しそうに聞きたくないことまで教えてくれるシェルクに、彼は眩暈を感じて額を押さえた。


「皇の機嫌を損ねただけで一族郎党皆殺しが法律か!? そんな国がどこにある!」

「ここ?」


 何を言っているのだろうとばかりに首を傾げつつ答えたシェルクに、また頭を抱えたい気分になる。いくら自分のことだと説明されても信じられない──信じたくない、というのが本音だった。


 勿論、皇には皇で何か理由があって行動していたのだろう。けれど皇となってから──否、皇となる以前からの記憶がすっぽり抜けている彼にとって、その非情さは信じ難かった。


「よくそんなことで国が立ち行くな……」

「陛下は非情ではあられても、非道ではあられませんから。情に流されるは、皇の役目にはございませんでしょう」


 思わず呟いた言葉にどこか誇らしげに笑って答え、フォードは分厚い樫の木の二枚扉の前で足を止めた。そのまま片方を開き、彼の入室を促して頭を垂れる。


紅鷹帝こうようていが私見の間にございます。南の皇にのみ許された、紅き鷹のもとをどうぞ」

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