表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
陽に群雲、月の風  作者: あつろ
11/17

5-1.月ならざる月

 どこか楽しんだような光の踊っている瞳は灰褐色で、褐色の肌の上に落ちかかっているのは漆黒の髪。闇の外套の下に覗くのは黒と銀を基調にした軍服らしく、膝までの焦げ茶の革靴には泥汚れ一つついていない。端整な顔立ちと、人を食ったような言葉を紡ぐ声はそれでも玲瓏としていて、もう少しまともに現れたのならば頭から敵愾心を燃やすことはなかっただろう。

 けれど招かれもせずおうの執務室にまで押しかけてきた男は、例え彼が見逃すと定めた後であったとしても排除すべきでしかなかった。シェルクが鞘に手をかけた時、男はちらりとシェルクに視線を変えて、やめておきなと笑った。


「我らが猊下の前で、他者の血は穢れだ。お前たちの国には別の法もあるだろうが、俺はそれに則り皇が前で血を流させる気はない。だが抜けば斬るしかなくなる、だからやめておけ」


 静かに、でもどこか笑うような忠告はシェルクの手を止めさせる何かがあった。フォードでさえ腰の剣に手をかけたまま、何故か微動だにできずにいる。それでも必死で動こうと努力していると、彼が苦笑するように声をかけてきた。


「フォード、シェルク。退け、用向きがあって訪れた者を剣で迎えるな」

「……陛下」


 動かなかった身体が、彼に声をかけられただけで呪縛から解けたようにふっと力が抜ける。

 多分それを理解しているのだろう、彼は滲むように笑って自分の隣まで下がるように視線だけで促してきた。シェルクは渋々といった様子で剣から手を離して彼の右に控える。フォードも月の片割れを名乗った男から目を離さないまま彼の左まで下がると、彼は男に視線を変えて目を眇めた。


「それで、望みの物とは何だ? 物によっては無礼を許そう」

「ご寛恕に感謝する。入れ」


 振り返り、まるで部屋の主が如く偉そうに男が言いつけると扉が開き、入ってくるのは見たことのある齢四十ほどの男だった。シェルクが、あ! と声を上げ、彼に小声で囁いている。


「陛下、ラウスだよ。ラウス・ロクウェル、例の鍛冶師だ!」

「……鍛冶師、ね」


 疑るように軽く語尾を上げて、彼は鍛冶師を眺めた。シェルクは気づいた風もなく、月の片割れを名乗った褐色の男と鍛冶師を見比べて、ちぇっと舌打ちした。


「あの男と一緒にいるってことは、禁忌の地に逃げ込んでたってことか。道理で大陸中を捜したっていないはずだよなぁ!」


 嫌味たらしく声を張ってぼやくシェルクにめげた様子もなく、鍛冶師は穏やかに彼の前に進み出ると鍛冶師らしからぬ優雅さで一礼した。


「お久し振りにございます、南の猛き鷹の皇」

「会ったことはない、と聞いていたが?」

「いいえ、確かに一度お会い致しました。お会いする前に剣を一振りと承ってはおりましたが、お会いできぬままでは皇の剣は打てませぬ」

「それでは、その皇が剣を納め誤ったことも覚えているだろうな」


 フォードが睨みつけて吐き捨てると、ラウスは勿論にございますとしれっと頷く。


「その命で贖いに赴いたか」

「まさか南の太陽ともあろう方が、月の剣を納めたことにより命を取られましょうか? さりとてそれをお望みとあらば、腕でも首でも差し出す所存にございます」

「いい覚悟じゃん、じゃあ利き腕で勘弁してやるから出せば」


 言うなり剣を抜いたシェルクに、黙って成り行きを見守っていた男が外套の下から抜き身の剣を出して突きつけている。


「ラウスを庇ってやる義理はないが、言ったろう? 皇が前で血を流させる気はないと。その物騒な物を、納めてはもらえんものかね」

森守もりまもり殿、嘘でも私の命も惜しんでもらえませんか」

「それこそ本当に嘘になることを、俺にしろと? 既に銀の剣は手にした。猊下に対する無礼もあることだから、お前の命自体は欠片ほども惜しくない。もう五十年近く生きてるんだ、そろそろ絶対神の御許に赴いてみるのも悪くなかろう」

「人生に飽いた時は自ら命も断ちましょうが、私はまだまだ未練がございます。七十年以上も生き飽いておられる森守り殿と一緒にしないで頂きたい」


 不愉快そうに眉を顰める鍛冶師に、男が反応する前にシェルクが思わず身を引いていた。


「げぇっ、七十!? 完全な爺様じゃん、若作りにも程あるって!」

「誰が爺様だ、誰がっ。俺はまだまだ二十四の男盛りだ、失敬なっ」


 叩き斬るぞお前と半ば本気の色を帯びて男が怒鳴りつけるが、シェルクはえーっと嫌そうな顔をしている。


「二十四ったら俺と変わんないじゃーん。明らかに若さが足りないって。七十の爺様が二十代を騙るのは、ちょっと無茶もいいとこだって」

「お前らの感覚で物を言うなっ! これだから大陸の奴らは嫌いなんだ」

「都合よく七十二と二十四を使い分けるからそうなるんですよ、森守り殿」


 うんうんとばかりに頷いている鍛冶師に男がひどく嫌そうに顔を顰めると、どうでもよさそうに肘を突いて斜めに眺めていた彼が溜め息をついた。


「もういいか? ここまで付き合わせて、くだらん用事だったなら叩き出すぞ」


 藍の瞳を冷たく眇めて嫌そうに彼が言うと、シェルクはごめんなさいと口の中で呟いて彼の隣にしゃがみ込み、これ以上いらない口を挟まないように口を覆っている。

 月の片割れを名乗った男も決まり悪げにした後、軽く両手を上げて謝罪に変えた。


「あー、猊下の伝言を預かっている。『が剣は我が手にあり、月が剣と換えに来られたし』、だ。俺が持ってこられなかった理由は、そこにいるラウスに聞いてくれ。そしてラウスだけでなく俺が伝言を携えてきた理由は、皇が国を空けた後の守りに、だ。一騎当千の働きは保証する──自称が気になるならば、これもラウスに聞け」

「どれほどの使い手かは存じ上げないが、得体の知れぬ者に国の守りを託す気はない。大体にして、陛下が国を空けられる理由が分からないだろう。交換したいと言われるならば、そちらからおいでになるのが筋ではないか?」


 あくまでも偉そうに、対等もしくはそれ以上だとでも言いたげに上から話してくる男が腹立たしく、フォードが突き放した。男は何度か頷いたものの、皮肉な色を浮かべて斜めに見てくると唇を歪めるようにして言う。


「確かに、猊下は月の剣を欲しておられる。が、皇とても陽の剣を望んでおられよう? どちらにとっても今その手にある剣は使えぬ物、つまりはガラクタだ」


 彼が提げているだろう剣に目をやって無礼にもそう言い放つ男に、ラウスはガラクタとは何事ですと憤然とした様子で呟いている。男は少し笑ってラウスを宥めてから彼に向き直ってきて、真っ直ぐに藍の瞳を見据える。


「陽の剣は猊下しか手にできず、猊下は彼の島から易々と出ることを許されておいでではない。月の剣もまた、皇以外の者が触れることは適わないだろう。ならば一度無断で足を踏み入れた無礼に対する謝罪も込めて、皇が猊下の御許に剣を運ぶは道理だろう?」

「無礼を言うなら、そっちだって陛下の記憶を奪っただろうが!」


 堪えきれずシェルクが激昂すると、月の片割れは馬鹿馬鹿しげに肩を竦めた。


「それで何か困ったのか?」


 有り得ないとばかりに聞き返され、シェルクは真っ赤になったまま言葉に詰まっている。

 言うべきはずの言葉を探して、探し出せずにいるシェルクに、男が笑うように目を細めた。


「自分の預かった恩恵をそうと知らず罵るな、阿呆が」

「っ、記憶奪っといて偉そうに……!」


 悔しいと歯噛みしながら涙目になるシェルクに代わって言葉を紡ごうとしたフォードは、気づいた彼の眼差しに気圧されて言葉を呑み込んだ。彼は目に見えるほど鮮やかな怒りを立ち上らせ、それだけで薄く笑っていた男までもを圧倒している。


「何をして恩恵と言うかは知らんが、俺の記憶の有無を他人に左右されるのは気に食わん。俺の臣下を罵れるほどに、お前は何を知っている?」


 ふざけるなと強く吐き捨てた彼に、男もさすがに僅かに身を引いた。そして引いたことを恥辱と受け止めて喧嘩腰で男が受けて立つ前に、鍛冶師が男を軽く抑えて進み出た。


「陛下、国皇こくおう陛下。あなたの臣下が常にあなたを崇拝するように、月が片割れは月に依りがちになるもの。月が御業を誇りにしているのみであり、決して皇に二心あってのことではございません。ご気分を害し奉ったことは幾重にもお詫び申し上げます、どうぞご容赦を」


 深く頭を垂れる鍛冶師の言葉に男も頭に上らせた血を少し下げたのか、小さく息を吐き出すと多分男にとって許される限りに頭を下げた。


「月が記憶を失えば、それが月の御為と言われても俺はきっと許せまい。今のは心無かった、申し訳ない」

「……構わん、月が御業は確かに誇れるものだろう。記憶に関することはともかく、祖母様の件に関しては感謝している。礼を言うのが遅れたな」


 男が頭を下げて素直に謝罪したのを受けて、彼は怒気を収めるとあっさりとこちらも頭を下げた。陛下とフォードが諌める声も聞かず、彼は軽く手を振って黙るように指示する。

 男は彼のその態度に何か珍しい物を見つけたように片方の眉を跳ね上げ、灰褐色の瞳に面白そうな色を踊らせた。


「翳りのない太陽が、月と並び称されるも分からんではないな──月が御業を見抜くだけの眼力があるのなら。皇の為に猊下が力を振るわれたと聞いた時は驚いたものだが、やっと合点がいった」


 目に見えていた棘を幾分和らげて頷いた男は、和やかに目を細めた。


「だが、謝辞ならばどうか我らが猊下に向けてくれ。俺は猊下の御力を伝えた媒介でしかない。皇が剣を悼まれ、慈悲をくだされたのは猊下だからな」

「ああ、ならそうしよう。遣いをご苦労だった」


 あっさりと頷いて男を労わりまでする彼に、鍛冶師はまるで我がことのように嬉しそうすると皇の前でようやく膝を突いた。


「南の猛き鷹の皇よ、どうぞ彼の月のまします島へ再びお渡りなさいませ。月が剣を持ちて、再び月に相見えられますように」


 恭しく言上する鍛冶師を彼が黙ったまま見下ろしていると、彼の隣にしゃがみ込んでいたシェルクは不安げな顔つきで彼の服の裾を引いた。


「陛下、陛下まさか行かないよね? 懲りたよね、一回記憶失ってさ。また俺のこと忘れたら、今度は本気で泣くよ、俺!!」

「別にあの地に足を踏み入れれば記憶が消えるわけではないだろうが」

「そんなの分かんないじゃん! 月の機嫌を損ねでもして、今度はもう根本から全部消されちゃったらどうするのさ!? 俺は陛下が陛下だったらそれでいいけど、陛下じゃない陛下は嫌だからね、絶対絶対嫌だからね!」


 必死になって言い募るシェルクに、彼は苦笑して宥めている。それで誤魔化してしまいそうな彼に、フォードも詰め寄って語気を強めた。


「私もシェルクと同意見です、もう二度と彼の地に足を踏み入れたりなさいませんように。今度こそ何をしても全力で阻止させて頂きます、絶対に皇宮よりもお出になられませんよう。大体にして、西と事を構えるかもしれないこの時期に皇が不在にされるなど、あってはなりません!」

「西との戦争なら、しばらく時間が稼げるだろう。祖母様の葬儀は国を挙げて大々的に行なえ。神殿を前に出して祖母様の偉業を──この際、多少過大に表現して十日や二十日は泣いて喪に服していれば、神殿が力を持つ西の国としてはこれを機会にと乗り込んで来たりはできないだろう」


 違うかと問い返されれば、確かにそうかもしれないと思う。西の女王は領土拡大を狙いはしているものの、何より体面を気にした。南の皇が大皇太后を敬っていたのは知られているし、大々的に葬儀を行なえば人道的にも戦争は仕掛けてこられない可能性はある。


 だが、それだとて絶対ではない。南の国は彼のみで成り立っていると言っても過言ではないのだ。彼が頂点に絶対として君臨しているから、恐怖、尊敬、信頼、何れであれ兵は彼の命に従い、それが精霊の加護篤いとされている西の国とでも戦う。その彼が再び禁忌の地に赴き、帰らぬ間に攻めてこられるとなれば負けは目に見えていると言ってもよかった。


「陛下は存在だけでも重大なんだから、陛下がここにいないと兵の士気だってがた落ちで、どこと戦ったって負ける保証できるし!」

「そんなつまらん保証をする暇があれば、俺のいない間を少しでも長く国を保たせることを考えればどうだ。戦争を避ける方向で話を持っていくことなら、俺よりもフォードのほうが得意そうだろうが」

「ですから、私に外交手腕まで求められても困ります。何度も申しますが、私はただの近衛なのです。それに、絶対に有り得ませんが億が一にでも陛下が再びあの地に向かわれると仰せならば、私もついて参ります」

「お前まで国を空けてどうする」


 譲れない主張をするフォードに、彼は声に呆れた色を滲ませた。けれどシェルクは机の反対側で身を乗り出させ、俺も俺もと手を上げている。


「言っとくけど俺も行くからね! もう絶対陛下を一人で出歩かせないって決めたんだ」

「あのな……。子供か、俺は」

「子供より性質悪いじゃん、記憶失って帰ってくるなんてさ! 迷子のほうがまだ可愛げあるし」


 反論は許さないとばかりに言い切るシェルクに彼としても苦笑するしかできないのだろう、おざなりに頷いて肘を突きかえた。


「好きにしろ。確かに記憶がない以上、さほど強くも反論できん」


 やれやれとどこか楽しそうに言う彼にシェルクは嬉しそうにしているが、フォードは顔を顰めたまま彼を嫌そうに見下ろした。


「あくまでも仮定の話であり、陛下が国を空けられることを許容したのではないのだということをお間違いなく」

「はっ! そうそう、まず陛下が国を空けられないならそれですむ話なんだからねっ!」


 慌ててフォードの言葉に同意してシェルクが重々しく頷いていると、今まで黙って眺めていた月の片割れを名乗った男が楽しげに笑い出した。


「あんた方の掛け合いを見ているのも悪くはないんだが、どうも堂々巡りだな。俺としては猊下の御言葉に従い、どうしても皇に月が剣を届けてもらわねば困るんだが」

「今の話を聞いておられたのであれば、そのように無体なことを言い出されませんように」

「無体かね? 皇は月と相見えることを望んでおられようが?」


 揶揄するように灰褐色の瞳を細める男を、フォードは挑戦的に睨めつけた。


「月は易々と島を出られないと、先ほど言われましたね?」

「言ったな」

「それではなぜ、大皇太后陛下は月に会われたことがおありだったのです? 大皇太后陛下は皇に嫁いで来られて後、南の地を離れてはおられないはずです」

「易々とは、と言ったはずだぜ。幾つかの条件を満たせば叶うさ。あの時は猊下が御位にお就きになられた時であり、且つあの地を禁忌の地とするための報告を兼ねていた。あの地に一番近き皇に断りを入れておくが礼儀であり、義を重んじる猊下が御自らご挨拶に窺われた、というわけだ。それ以外に、この大陸ほど血の穢れの多き場所に猊下がお運びになられる正当な理由はなかろう」


 肩を竦めて何を今更と言わんばかりに言い放たれ、フォードは凶悪に目を細めた。


「我が陛下の御前には足を運べぬ、と?」


 答えによっては剣を抜くと言下に潜ませて告げたそれに、男は声を立てて笑った。


「そうは言ってない。俺にとって猊下は至上だが、月と太陽は対等に並び立つもの。猊下が足を運ばれて何らの支障もなかろう……、大陸の空気が御身に障ることを除けばな。猊下はそこにあられるだけで精霊の愛を勝ち得られる。けれどそれだけに、精霊の悲鳴が何より猊下の御身体に障るのだ。この地は己が役目を曲げられた精霊が多い──一度この地に足を運ばれただけで十日もお篭りになられるほど、猊下にとってこの地は禁忌なのだ。故に、よほどでない限り猊下は彼の地を離れられん」


 了承してくれ、と僅かに頭を下げて言う男にフォードも言葉に詰まった。


「じゃあまぁ、爺様のところの猊下がこっちに来られないのは分かったけど」

「ちょっと待て聞き捨てならん、爺様ってのは俺のことか!?」

「だって七十過ぎなんだろ? 爺様じゃん。もう、つまんないことで話の腰折らないでくんない」


 まだ文句を続けそうな男をぴらぴらと片手を振ってあしらい、シェルクは頭の後ろで腕を組みながら話を続ける。


「そうじゃなくてさ、こっちに来られないのは分かったけど、じゃあ何で陛下が直々に持って行かなきゃなんないのさって話じゃん。ああ、猊下とやらを馬鹿にしてるんじゃなくって、こっちは戦争間際だし、大皇太后陛下の葬儀も控えてるし。普通に考えて、陛下が今南を離れられないのは分かってもらえると思うけど」

「言い分は分からんでもないが、月が剣を皇以外は持てないと言ったろう?」

「でも、陛下に剣を渡したのは俺だよ? そうだろ、ラウス」


 剣を直接持つことができないのだとしても、彼に納められた時と同じように箱にさえ入れてしまえば持って行くぐらいはできそうではある。けれど話を振られた鍛冶師は、ゆっくりと頭を振った。


「あれは私が打ち、藍の鞘に手ずから収めて抜くことなく箱に収めたからこそ何方でも持つことが適ったのです。ですが皇が手により一度目覚めた月が剣は、主のみにしか持つことを許しません。下手をすれば創造主たる私でさえ、目覚めた月の力に負けるでしょう」

「ちょっ、そんな危険な物を陛下に渡したのかよ!?」


 色めきたって殴りかかりに行きかねないシェルクを、落ち着けと彼が宥めている。


「皇には持つことが適うなら、俺に危険はないんだろう。そうだな?」

「左様にございます。互いに空駆けることを許されておりますれば、月は陽を知り、陽は月を知り、それを主と並び立つ者として認めます」

「万が一、俺以外の者が触れればどうなる」

「触れる如きでは、気分が悪くなる程度でしょうが。長く持てば次第に剣は重みを増し、持つ者から逃れようとするでしょう。それを堪えきっても絶えず激しい頭痛に襲われ振るうこと適わず、最後には狂気に陥るかと」


 何だか昼食の献立を語るほどに軽い調子で鍛冶師が答えるなり、シェルクは嫌そうな顔をしながらも頭の中に地図を描き、彼がこの地を離れずにすむ方法を模索しているらしい。


「ここから禁忌の地に渡る街までは陛下に運び入れてもらって、馬車で運べば触らずにはすむよな。その町の港から禁忌の地まで……、陛下の旅程を考えたら十日もかからないはず。それぐらいなら、何とか堪えられるかも」


 あまり自信はなさそうだったが、それですむならとシェルクが呟くと鍛冶師はあっさりと無理でしょうなと肩を竦めた。


「もし仮に尋常ならざる精神の持ち主がするとしても、やはり無理だと申し上げます。月が剣だけでも先ほどのような状況になりますが、皇の御手から離れれば藍の鞘は皇の手に、剣は猊下の手に戻りたがりますので。相乗効果で半日も保たないかと」


 やっぱり淡々と、いっそどうでもよさそうに告げられた鍛冶師のそれにフォードは眩暈を覚えて力一杯怒鳴りつけた。


「どうしてそんな傍迷惑な物を打ったんだ!」

「待て、フォード。それほどの物を打てるのは、そこの銀細工師しかないだろう。陽が剣、俺のためだけに打たれた剣を望んだのが俺なのならば、そこで怒鳴るのは筋違いだ。──わざと納め違えたことは別だがな」


 どこか笑うように目を細めて鍛冶師を見遣った彼の言葉に、鍛冶師は恐縮した様子で頭を垂れた。


「そこまで見通されておいででしたか」

「まぁ、藍の鞘に月を収めたい気持ちは分からんではない。面白くはないがな」


 軽く肩を竦めて彼が言うなり、シェルクが目を輝かせて斬り捨てますかと声を弾ませている。


「だから簡単に斬り捨てようとするなっ。──いい加減にわざと聞いているだろう、お前」

「……まさかぁ。あ、それよりさ、陛下ってば今ラウスのこと鍛冶師って呼ばなかったよね? えと、銀細工師? どうしてまた、銀細工師って?」


 答える前の間を突っ込まれる前に話をすりかえるシェルクに、彼は片方の眉をぴくんと跳ね上げたが話に乗ることにしたらしかった。


「これ見よがしにつけている、あいつの左手の銀の腕輪はウェルだろう? ウェルを身につけているロクウェル姓なら、鍛冶師ではなく銀細工師と決まっている」

「ウェルと言うと、今なお高値で取引される最高の銀細工ですか!? 独立戦争時にリナリー島が唯一誇れた、あの」

「唯一とは聞き捨てなりません。リナリーは未だに大陸のどこよりも──東の国産出の宝石よりも、ずっと質も細工も良い物を作り上げております」


 少しばかり不愉快そうに言ったのは、どうやらリナリー島出身らしい鍛冶師──改め、銀細工師。シェルクはその銀細工師を眺めたまま、首を傾げつつ言う。


「でもさー、鍛冶師ならさておき銀細工師が打った剣って聞くと、何かこう、合わせただけですぐ折れそうな気がしない?」


 悪気はなさそうだが軽い悪意を持ってさらっと言ってのけるシェルクに銀細工師は眉間に皺を寄せ、月の片割れを名乗った男は楽しげに笑い出した。


「確かに、銀細工師の響きでは誰も剣を望もうとは思わんな!」

「失敬な。言わせてもらいますが、ウェルの始祖はルギ鋼の剣を打たせて右に出る者はありませんでしたぞ! 大体、銀細工師というのは銀の加工は元より、全ての鉱石の加工細工に長じた者を呼び習わした呼称です。鍛冶師の打つ剣と比べて何らの遜色もないどころか、より良い物なのだとご理解願いたいですな」


 むっとして言い募る銀細工師に、男ははいはいと適当に頷いている。


「それよりもその銀細工師が最高を自負する剣の話に戻るが、皇よ。月が御許に剣を届けては貰えるか、否か?」

「だめだめだめ、爺様、ちゃんと俺らの話聞いてた!? 陛下は絶対南から出さないってば!」

「爺様と呼ぶな、無礼者がっ。それにお前も、ちゃんとこっちの話を聞いていたのか? ちゃんと順序立てて、できない理由と招く理由を並べたろうが!」


 何だか同じく子供のように張り合って睨み合っている男とシェルクに、彼は大仰に溜め息をついてォー

ドを見上げてきた。記憶の有無に関わらず、ずっと彼を見上げ続けてきたフォードは彼が何を言い出そうとしているか察して、思い切り顔を顰めた。


「なりません、認めません」

「──まだ何も言ってないだろうが」

「仰られようとしていることの見当ならばつきます、絶対になりません。仮に陛下が仰ったように、葬儀の間は西が攻めてこないとしましょう。それでも葬儀に皇のお姿がなくて誰が納得するというのです」

「そのくらい、背格好の似た人間に深い黒を纏わせて消沈したように俯かせていれば、三四日は誤魔化せるだろうが」

「陛下が消沈したように俯くなんて、ないない。余計に怪しいって」


 男と睨み合ったまま突っ込んでくるシェルクにフォードも然りと頷くと、彼は相変わらずうんざりしたように頭を抱えた。

 そのまま彼が口の中で何かぼやいた言葉が聞き取れなかったのは、ひょっとしたら僥倖なのかもしれない。などとフォードがつまらないことを考えていると、彼は小さな溜め息をついて顔を上げた。そこに浮かぶ色を見つけて、フォードは絶望の溜め息をついた。彼が言い出すのが絶対の命令だと、経験で知っていたから。


「月が剣を届けに行く。戦争が始まるなら尚更、俺には剣が必要だ」

「待って、待ってってば、陛下! 確かに剣は必要だけど、陛下がいない間に戦争が始まったらどうすんのさ!?」

「その時はその時だ」

「そんな、陛下がいないと負けるって、本当に!!」


 青褪めまでして机をばんばんと叩くシェルクに、彼は煩げに苦笑した。


「別に構わんだろうが。負けたところでウォリスという国名が滅びて、頭が挿げ変わるだけだ。生き延びるためだけなら西に屈するのも一つの手だろう。国という単位を考えずに、生きていくだけなら簡単だ」


 あっさりと見捨てるかのような発言をする彼にシェルクは不安げに眉根を寄せるが、彼は確実に民が生き延びられる方法を見据えている。


 領土拡大を目的にしている西の女王は、戦争に勝ったからといって別にこの地にある民を虐げることはないだろう。彼の呵責ないことを責め立てて戦争を仕掛ける大義名分にしている女王が、彼よりも容赦のない統治をしてついていく者があるはずがない。多少税金が上がるなどの不自由は出るだろうが、聖職者が高い地位を得る西の国が治めるにあたり、命を失うことまではないはず。


 それを思うとできる反論も少なくてフォードが黙ったままでいると、シェルクはおろおろと視線を彷徨わせながら言葉を探している。


「でも陛下、待ってよ、よく考えてってば! だから……、だから、」


 必死で言葉を探していたシェルクは、部屋中に巡らせていた視線の先にまだそこにいる銀細工師を見つけてぱっと顔を輝かせた。


「そう、行って帰ってくる時間考えたら、ラウスにもう一本同じの打たせたらいいじゃん! ね、解決だろっ?!」


 そうだよなとシェルクが縋るように銀細工師に振り返ると、ふらりと銀細工師の視線が逃げた。


「その……、申し訳ありません。二度と同じ物は作れないのです。特に、そこにまだ月と陽の剣がある限りは」


 さすがに申し訳なさそうに呟くように謝罪した銀細工師に、シェルクは顔色を失くして立ち竦むと唇を戦慄かせて、叫んだ。


「っ──この、……この、役立たずーっっ!!」


 全身で怒鳴りつけたシェルクの言葉は、フォードの心情もそっくり代弁していた。

 銀細工師は恐縮した風に身体を縮込め、隣で男は声を上げてひたすら笑い転げている。


 人の気も知らないでと恨めしく男を一瞥したフォードは、しかし彼に視線を変えると諦めたように溜め息をつくしかできなかった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ