9:古本屋で魔術の入門書を買おう!
前回までのあらすじ
透明人間のフィルナは傭兵騎士になり、名前をクロウサギ(クロ)に改名した。
宿場町として発展したこの町には、大して特徴がない。緩やかな丘に林立する墓標は壮観だけど、誰も誇りに思いはしないだろう。
「けど、どんな町にも良いアクセントが必ずあるもんだ」
少なくとも俺はそう思う。というわけで、俺たちは町の中心部に建つ鐘楼塔にやってきた。そこは町唯一のランドマークと言える場所だ。けれども積極的に売り込んでいるわけではなく、訪れる人も少ない。
くすんだ赤い土壁も珍しいポイントだ。夕陽に照らされると塔全体が幻想的に輝き、午後の鐘の音をより優雅に響かせる。
クロは塔を見上げて、首を傾げた。
「ここ?」
「結構高くて、珍しいんだよ」
クロはピンと来ないらしい。「この手の趣味」に興味が無いのだろう。
けれども土地柄や気候風土を味わうのも、傭兵騎士の旅の醍醐味というものだ。鐘楼塔に関して言うと、俺は六日前、町に来た初日に登っている。そして町を出て行くときも登りたいと思っていたのだ。
レンガ造りのこぢんまりとした門をくぐると、中庭をおじいさんが箒で掃除している。
「またあんたか、物好きなこった」
そう言いつつも言葉にトゲはない。おじいさんの視線は、俺の右に立つ死神のようなクロに移る。
「知り合いなんだよ、変わってるけど」
「そ、そうらしいの」
鐘楼塔の番人であるおじいさんに鍵を開けてもらって、俺とクロは塔の中に入った。
木組みの螺旋階段が頂上まで伸びている。
急な階段を登って頂上階に出ると、そこには青銅の大きな鐘が一つ屋根からぶら下がっている。
四隅の柱が尖塔の屋根を支えていて、空いた四方には落下防止の柵が巡らされている。
「わぁ・・・・・・」
クロの感嘆を聞いて、俺は人知れずほくそ笑んだ。
北の方角を臨むと、青空と丘陵がどこまでも続いているのを見ることができる。丘陵を区切るのは杉並木やレンガで積まれた土地の境界線だ。彼方には森も見えて、西の辺境にある黒い山脈も見渡せる。
「時祷書の挿絵みたい! こんな風景はじめてだなぁ。お城は高かったけど、周りは建物ばかりだったから」
クロは柵から乗り出す勢いでいる。
「危ないし、目立つとまずいから引っ込んだ方がいいぞ。・・・・・・あっちは俺が鉄針鼠狩りに失敗した森、その前に墓地が広がってる」
「クナパッツは?」
「ええっと、東北。こっちだな」
俺は腕を伸ばして指し示す。
「今日は良く晴れてるから遠くまで見えるな。あれはブラム山かな? 西の辺境でもかなり」
「ラント」
「標高が・・・・・・え?」
俺の地理解説は唐突に打ち切られた。
ウサギの仮面の、どこか滑稽な両目が俺を見ている。
「今日から、よろしくお願いします」
言いつつ、かしこまった態度でクロは頭を下げた。下げられた俺は目をぱちくりさせる。
「な、なんだよ急に」
「昨日まで、こんなことになるとは思わなかったでしょ? 久しぶりに会ったばかりなのに、いきなり騒動に巻き込んじゃって・・・・・・私、ラントが傭兵騎士になって、こんな大変な生活してるなんて知らなかった」
「大げさだな。クナパッツまで一ヶ月もあれば着くし、大公に会えさえすれば・・・・・・それまでの旅だよ」
なにより俺は、クナパッツに着いたら傭兵騎士を辞めるつもりだぜ! とまでは言えない。
俺にとってこの旅は、いわば再就職のための旅なのだ。
活動は一年ちょっとの間だったけど、その最後にフィルナと出会えて旅が出来るというのは、なんとなく胸に迫るものがある。
「一緒に旅をする以上は、俺もフィルナを護るからさ」
柄にもなくそう言ったのも、胸が熱くなっていたせいかもしれない。
「ラントって、そんなキャラだったっけ?」
「・・・・・・高い所で、雰囲気がいいからだな」
俺は言い訳をしつつクナパッツの方角を見据えた。青空の中に、曇天がシミのように広がっている。なんとなく嫌な予感がして、俺はすぐに目を逸らした。
俺たちが塔から降りると、おじさんは掃き掃除を終えて庭の剪定をしていた。
鍵を返すと、呆れたような顔をされた。
「昼間っからお熱いこったね」
――ん?
一瞬思考が固まってしまったけれど、すぐに顔が熱くなった。
「ち、違うって!」
俺は逃げるように塔から出た。後ろにクロがついてくる。
全身が黒のローブ姿なのに、中身が女性だということは存外分かるらしい。
「変な誤解されちゃったなっ。わりぃ・・・・・・」
「い、いぃの」
なんだか奇妙な声の返事だった。
男女の二人旅なのだ。モンスターとの戦闘と同様、こういった誤解やアクシデントも覚悟しなくてはいけないのだ!
――しばらく気まずいなぁと思って歩いていると、
「お?」
俺はある店に目を引かれた。小さな骨董品屋で、簡単な魔術装具や古書物も扱っているらしい。
ごちゃごちゃした店内を物色して、俺はクロが魔術を勉強できるように入門書を買うことを思いついた。
手に取った書物の表紙には『治癒魔術完成のための七つのステップ』と書かれている。治癒師を目指すクロにはぴったりだ。
「・・・・・・えっっ、五千五百ベール!?」
値札を見て、俺はつい呟いてしまった。古書のくせに、俺の一週間分の食費にあたる値段だ。
銀狼退治で手に入れた報酬もほとんど吹っ飛んでしまう。
――まぁ薄い入門書でも、魔術書ならそれくらいするか・・・・・・。
「ねぇ、無理しなくても」
案の定、クロに気を使われた。
「いーんだよ、子供の頃に迷惑かけたから。なんなら今でもタメ口だし」
「それはお互い様でしょ」
「とにかく、先輩のおごりってことでいいだろ」
クロは渋々納得してくれた。
魔術書を手に入れた後、俺たちは鍛冶屋に足を運んだ。短剣を鍛え直してもらうためだ。
鍛冶屋はどこでも、だいたい三つのコースから選べる。俺は最も安価かつ時短のパインコースを選んだ。せいぜいこびりついたモンスターの血や脂を落として貰う程度だ。
因みにパイン、バンブー、プラムの順で高くなるのだが、プラムコースだと研磨などに三日はかかってしまう。
仕上がるまで少々時間ができたので、少し離れた空き地で手に入れた魔術書を読んでみることにした。
「ふんふん、古代モンテ語ね・・・・・・傷の治癒、骨折の治癒、毒抜き、麻痺解消・・・・・・」
「お、さすが。魔術師じゃなくてもスラスラ読めるんだな」
「あったり前でしょー? 魔術も少しなら扱えるし、腐っても王女なんだから」
自分で言うのか・・・・・・。腐ってと言うか、透明人間なんだが。
「ラント、どこか痛いトコない?」
「昨日、寝る前に回復薬を飲んだからさほどは・・・・・・強いて言うなら右腕の傷がまだ痛むかな」
銀狼の鋭い爪で引っ掻かれた傷だ。回復が遅く、今は包帯を巻いている。
「見せてみて?」
俺は袖をまくって包帯を解いた。そして軟膏が塗りこまれた傷を露出させる。
「う、結構深いのね・・・・・・」
眉をひそめながら、クロは本を開いて詠唱をはじめた。
「ええっと・・・・・・風よ、痛みに耐える者の苦痛を運び去れ! 【外傷治癒】!」
クロの広げた右手から、薄い翠色の光が広がって俺の右腕を包んだ。ほのかに傷が温かくなり、血肉が蠢くように感じる。
――お? 良い感じっぽい?
と思ったけれど、光はやがて弱くなり、傷の爛れが少し塞がるに収まった。
「まだまだ不完全みたいだな」
「んー、もう一回!
「もう一回って・・・・・・」
俺は本をちらっと見た。
『失敗した場合、被術者の身体を更に傷つける場合あり。初心者は無闇に施術をするべからず』
冷や汗が俄に出てきた。
「い、いや、もう十分だから、ありがとう」
治療と言っても、要するに実験体なのだ。
短剣が仕上がるまで、俺とクロは入門書を読んで時間をつぶした。皮鎧も直したかったけれど、高いから次の町に着いたら考えよう。
町を離れてしばらく歩いていると、リンゴンと鳴り響く鐘の音が聞こえてきた。おじさんが鳴らしているのだろう。俺たちの旅を鐘の音が祝福してくれているような気がして、俺の気分は幾分和らいだ。