42:シャンベリス城【5】静かな夜と、これから日々について
毒に冒されたクルノアンをラントとクロは救助する。
その夜、クルノアンを看病しているラントのもとに女王がやってきた。
【登場人物】
【俺/ラント】
:傭兵騎士の少年。元貴族。
幼なじみの元王女クロとともに、ルーシア女王を宰相クルノアンの権勢から救うべくシャンベリス城に
やってきた。
【クロ/フィルナ・ワインガルド】
:ラントの幼なじみの少女。ベルルスベル王国の元第二王女。
姉のルーシア女王を救うためにラントたちと共に旅をしている。透明人間であることを隠すために黒づ くめの格好をしていて、無表情なウサギの仮面を付けている。
【ルーシア女王】
:ベルルスベル王国の現役女王。クロ(フィルナ)の実の姉。クルノアンに権力を牛耳られている。
【クルノアン】
:ベルルスベル王国の近衛騎士団長。「宰相」と呼ばれていて、ルーシア女王を凌ぐ権力を持っている。
「こんばんは・・・・・・」
ルーシア女王のこぢんまりとしたおじぎをぼうっと眺めていた俺は、すぐに立ち上がって礼に応えた。
「ど、どうも。・・・・・・どうしてこちらに?」
「クルノアン卿の回復を待っていたのですが、時間がかかりそうなので会談を再開していたのです。先程、無事に終了しました。宰相が満足する内容かは分かりませんが」
「そうだったんですか」
「あの、お邪魔でしたか?」
「え、いえいえとんでもありませんよ!」
ぶんぶんと手を振る俺。むしろ暇すぎて睡魔に襲われていたほどなのだ。刺激になることは大歓迎ですよ。
「そうですか。フィルナはどうしてますか? クルノアン卿の治療に集中していると聞きましたが」
「奥で寝てます。だいぶ体力と魔力を消耗しましたから」
そう言って俺は振り返りつつ、部屋の奥を指さした。闇だまりになっている床に、黒い小さな塊がのっぺりと横たわっている。
「さっきから時々いびきも聞こえますよ」
「そうですか」
「起こしますか?」
「いえ、いいんです。それより」
女王は机の上に寝かせられているクルノアンを一瞥して、すぐに眉をしかめた。
現在クルノアンの身体は暴れられないように四肢と腰部がベルトで固定されている。治療現場というよりは、まるで拷問現場か怪しい儀式の最中といった様子だ。夜の薄暗いランプしか置いていない部屋ではなおさらそう見えるだろう。
俺は女王の様子を察して声をかけた。「安静にしてもらわないといけないんですよ」
「つまり、助かるってことですか?」
「そうですね、峠は越えてます」
「・・・・・・刺さないんですか?」
「はい。ン?」
「ラントさん、腰に剣を差したままですよね? その気になれば、彼の息の根を止めることは簡単だと思うのですが」
俺は目をぱちくりしつつ、腰に差した剣と女王との間で視線を往復させた。女王はいたって真面目な表情でいる。
これは冗談のつもりなのか? どう切り返すのが最善の選択かが分からない。誰かいい言葉が思いつく人はいないだろうか。
「じょ、女王陛下からそんな物騒な言葉を聞くとは思わなかったですね」
とりあえず言ってみた。
「ふふ、それは買いかぶりです・・・・・・私も為政者として、たまには残酷なことを考えてしまうことががありますよ? むしろ妹の方が優しくて純粋だからこそ、現実主義的なクルノアン卿と反りが合わなかったのではないでしょうか」
「なるほど。俺もクロ、じゃなくてフィルナと同じような分類ですね。俺もフィルナも中途半端に優しいんです。そのせいで人のことを心から恨んだり、憎んだりする才能がないんですね」
危篤状態で横たわっているクルノアンを誅殺するなど、想像すらしていなかったことだ。
昼間のクルノアンの、凄まじい覚悟を目の当たりにしてしまった以上、彼を殊更に責め立てるつもりもない。フィルナも俺と同じ気持ちだと思う。
「しかし、この人にあなたたちの心情は関係無いでしょう。目が覚めたら再びあなたたちを迫害するかもしれませんが」
「それはない、と信じています。ルーシアさんが一番分かっていることなんじゃないですか?」
別に意地悪をしたつもりじゃないけれど、今度は女王が返事に困る番になった。
「そうならないように努力します」
どうやらこの人自身、まだ自分の意志が固まっていないようだ。
昼間、ルーシア女王は屋上庭園に突然現れて俺とフィルナに対するクルノアンの左遷命令を帳消しにした。さらには俺たちにシャンベリス城に残れとまで言ったのだ。クルノアンの抵抗も顧みずに。
それは権力を握られていた女王にとって一か八かの「挑戦」だったのだろう。よほど強い意志が芽生えないかぎりできる行動じゃない。
「そもそもなんであの場で、クルノアン卿に反抗する気になったんですか?」
「簡単なことです。簡単すぎて他の人が聞いたら笑われるくらい」
笑いませんよと、俺はきっぱり宣言する。
「ありがとうございます。これ以上、後悔したくないと思ったんです。一年前に私の勅命によってクロが透明人間になってしまったとき、もっと私に主張する力があればと悔やみました。その時の後悔の気持ちが化膿したような状態で私はシャンベリス城に来たんですね。これが最後だと覚悟して、私はクルノアン卿のシナリオを拒絶したんです」
俺は笑わなかったけれど、正直意外でもあった。
まさかルーシア女王が、言ってしまえばそんな単純な動機だけでクルノアンにぶつかる気になっていたとは思わなかった。
人が何かを成し遂げたい時には一つの動機や理由だけが発動力にはならない。もっと複雑な事情で人間は動くだろう。だがしかし、どうやら例外もあるらしい。ルーシア女王とフィルナの姉妹がそれなのだ。
「それで会談を飛び出したんですか?」
「いえ、実はソルグム大公にもだいぶ背中を押して貰ったというか・・・・・・そういえば大公はラントさんに感謝していましたよ。それに度胸があると言っていました」
「度胸ですか、はは・・・・・・」
「あと、あの心配性なひと」
「アトネさんですか」
「あぁその人です」
女王は嬉しそうに瞳を輝かせた。
アトネさんはソルグムさんの紹介でルーシア女王にお目通りがかなったらしい。どぎまぎしつつ拝謁するベテラン女騎士は、女王から見てもかなり印象的だったようだ。
「なにか伝言はありますかと聞くと、女王を通信役に使うなどもってのほかと言ってきかなかったんですよ」
まぁそうだろう。アトネさんじゃなくても引くかもしれない。
「だから、今は女王ではなくて、フィルナの姉という立場で私を見てほしいと言ったんです。そしたら話してくれました。二人との旅が楽しかったです。色々迷惑をかけてすみませんでした。ありがとうございました。とのことです」
そのままの伝言を、俺は一語一句違わずそっくりアトネさんに返そうじゃないか。それはともかく、アトネさんは妙なことを言うな。その気になればまた明日にでも会えるのに。
「それがトスカン州の人たちは、先ほどシャンベリス城から全員引き上げてしまったのです」
「え!?」
なんでですかと俺が言う前に、「警備上の理由らしいです」と、女王は教えてくれた。
考えてみれば当然な行動だ。クルノアンが原因不明の疾病で倒れてしまった。まさか誰かが暗殺しようとして失敗したのではないか? そう疑われても仕方が無い。トスカン側としては本国との緊張を更に高める前に、さっさと退場してしまおうと考えたのだろう。
いえいえ実は本人が自ら毒をあおったんですよ、なんて言えないからな。
ということは石蔵で交錯したあのときが、アトネさんとのお別れの挨拶になってしまったわけか。緊急だったとはいえ、殆ど言葉を交わせなかったことが心残りだ。
しゅんとしていた俺を察してくれたのか、女王は「また会えますよ」と励ましてくれた。
もちろんだとも。そうでなきゃ人生残酷すぎる。
俺と女王はしばしトスカン州の人たちやソルグム大公の人柄について話して盛り上がった。できればそういった話で終わりたかった。けれど最後の最後に、俺は切り出さずにはいられない質問があった。
「あの、このあとクルノアン卿をどうするつもりなんですか」
「どうするつもりか・・・・・・」
女王は人差し指を唇にあてている。市場で新鮮な野菜を吟味するような物腰だ。それにしても指が白くて長い。楽器を始めたらきっと上達するだろうな。
「色々考えているのですが・・・・・・大きく分けて二通りです。要するに引退して貰うか、それとも現役で宰相を続けて貰うか」
「げ、現役は無理なんじゃないですか。出来るか出来ないかじゃなくて、もうこの人に宰相を続ける気はないと思いますよ」
いわば一度死んだようなものなのだ。目を開けたときのクルノアン卿は、これまでの彼とは別人だと思っていいだろう。
俺の言葉を聞いて、女王の双眸に影が落ちた。まるで落胆しているかのように見える・・・・・・
「なんでそんなにクルノアン卿の肩を持つんですか? どちらかと言うと、あなたは手のひらの上で」
という所まで言って俺は息を遮断した。「あっ」と言葉にならない声が出た。
「っし、失礼しました。言い過ぎました」
「いいんですよ、ラントさんが思っていることは事実です。けれど正直、クルノアン卿ほどこの王国を溺愛した人はいなかったと思うのです。きっと私よりも。もちろん権勢の犠牲になった人も多く居ます。けれどもその反面、この人は大壊乱の頃の清冽な精神を保っていると思うのです。その精神に、私は牛耳られながらも憧れていたんでしょうね」
「それは、危ない倒錯ですね」
「私もそう思います。けれども今日で、歪な主従関係も終わりです」
どのように終わって、何が始まるのかはまだ曖昧でいる。けれどもそんなことは些末だとでも言いたげに、女王の瞳には灯籠の光が湛えられて揺れていた。
やがて女王は朗々とした足取りで宿直室を出て行った。
昏睡状態だったクルノアンが覚醒したのは翌日の昼過ぎだった。看病していたクロの予想よりもずっと早い。どうやらクロの治癒魔術が功を奏したようだ。
宿直室には、相変わらず俺とクロしかいない。
起きて直ぐのクルノアンはまるで狼狽える様子もなく、短い昼寝から醒めたかのようにすました顔でいた。
しかしクルノアンがポーカーフェイスだからこそ、俺たちはその異変にすぐには気がつ
かなかった。
机上から床に降りたかと思うと、クルノアンは徐に歩き出した。何をする気なんだと思って眺めていると、棚から紙とペンとを取り出してきた。
『声が出ない』
流麗な筆致で書かれた簡潔な一文だった。
俺とクロは顔を見合わせた。
「毒の後遺症ね。治るかどうかは分からない」と、クロはあくまで冷たくクルノアンに伝えた。全快は無理であろうことは予想していたことだから、俺たちが慌てることは無い。
クロの「診断」を聞いたクルノアンは再び筆を動かす。
『構わない』
続けてもう一文。
『なぜ私を助けたのか』
おそらくクロに向かって書いたのだろう。クロの治癒魔術がなければクルノアンは簡単に息絶えていたのだ。しかしその運命を、クロの意志はねじ曲げた。
「なぜなら私が治癒師だからってこともあるけど、要するに未熟だからかな」
クルノアンにはその意味が通じなかったらしく、口端を上げて眉を広げた。
「他にも理由はあるけれど、どれもぱっとしない理由だし。これだっていう理由が思い浮かばないの。もしかしたら雰囲気で助けてしまったのかも」
だから未熟というわけだ。もしくはクロの照れ隠しと捉えるべきか?
「ラントもそう思うでしょ?」
そうだな・・・・・・遠からずって感じだ。けれども俺は己の未熟さについては全く気にしていけどな。未完成な部分があったほうが人間らしいだろ。
俺の持論を聞いたクルノアンはどこか満足げな笑みを浮かべた。もしかしたら俺の見間違いだったかもしれない。
――城代としてシャンベリス城に住まうことになった俺たちは、傭兵騎士である必要がなくなった。
女王達がシャンベリス城を去るときに、俺とクロは傭兵騎士であることを示すスタンプ帳をクルノアン卿に返納した。俺の一年半の傭兵騎士生活に幕が下りたわけだ。
後悔はしていない。けれども成り行きによるところが大きいので、未だに現状が掴めきれていないもどかしさがある。トスカン州に入った頃には、こんなことになるなんて思いもよらなかったことなのだ。
まぁ、行き当たりばったりの生活を続けてきたから何を今更という感は否めないけれど。
そして新たに、傭兵騎士を辞めたことによって新しい日々が森に囲まれたこの古城で始まろうとしているのである。ルーシア女王は去り際にこう言っていた。
「城代の委任状は準備ができ次第送ります。どういった業務かはこの城に詰めている部隊の人に聞いておいて下さい。決して便利な環境とは言えませんけど・・・・・・。
確かに周りは森、林、そして渓谷ですからね。
不安げに眉をハの字に寄せる俺を見て、女王はこう付け足してくれた。
「ご、ごはんは美味しいと思いますよ!」
次週、ついに最終話です。




