40:シャンベリス城【3】ルーシア女王の命令
西の辺境を巡る会談が始まった。その裏でラントとクロの身柄はトスカン州から本国に引き渡されることになっている。城の屋上庭園に連れ出された二人を待っていたのはクルノアン宰相だった。
クロはなぜ透明人間になったのか? クロとクルノアンの因縁を、ラントははじめて聞くことになる。
【登場人物】
【俺/ラント】
:傭兵騎士の少年。元貴族。
幼なじみの元王女クロとともに、ルーシア女王を宰相クルノアンの権勢から救うべくシャンベリス城に やってきた。
【クロ/フィルナ・ワインガルド】
:ラントの幼なじみの少女。ベルルスベル王国の元第二王女。
姉のルーシア女王を救うためにラントたちと共に旅をしている。
透明人間であることを隠すために黒づくめの格好をしていて、無表情なウサギの仮面を付けている。
【ルーシア女王】
:ベルルスベル王国の現役女王。クロ(フィルナ)の実の姉。クルノアンに権力を牛耳られている。
【クルノアン】
:ベルルスベル王国の近衛騎士団長。「宰相」と呼ばれていて、ルーシア女王を凌ぐ権力を持っている。
一年ちょっと前。
とある政務行事の締めくくりとして、閣僚達が集う宮中晩餐会が王宮で催されたことがあった。
ルーシア女王はもちろん、クロこと当時のフィルナ王女もクルノアン宰相も、料理が並ぶ長いテーブルを囲んでいた。
やがてフィルナとクルノアンの間に些細な諍いが発生した。激昂したフィルナは近くにあったバターナイフを相手に突き立ててしまった。クルノアンは胸元に迫る小さなナイフを避けず、いなそうともしなかった。クルノアンの胸に光る徽章は、バターでべっとりと汚されてしまった。
――以上の事柄はクロが語った「犯行当時」の状況だ。
「仕損じたけど、別に明確な殺意があったわけじゃないの。カッとなって」
「そのせいで捕まって、不可視の刑で透明人間になったってことか」
「うん。王国中央に対する反逆罪で。・・・・・・なにその目は。昔のことはいいでしょっ」
おっと。あまりに短絡的な犯行だったことを知って、俺の顔が知らず知らずのうちに引きつっていたらしい。
クロの告白を聞いたクルノアンは皮肉っぽくなじる。
「しかし、私のことを赦せないでいるのは変わりないでしょう」
「・・・・・・それはあなたの行動次第よ」
「残念だ。どうしても私の提案を受け入れてくださらないらしい。・・・・・・でしたら仕方がないですな」
クルノアンの意味深長な言葉を聞いて、四肢の神経に緊張が走った。魔術、剣術の玄人であるクルノアンを真正面から相手にはできない。隙を見て遁走してしまおうぜと俺の本能が囁いている。恐らくクロもそのつもりだろう。
しかしクルノアンの行動は予想に反して緩慢だった。ふらっと手をテーブルに伸ばしたかと思うと、「受け取っていただきたい」と言って、立てかけていた細い剣を鞘ぐるみ掴んでこちらに投げてきた。収穫した野菜をかごに投げ入れるような感じだ。
「今度はバターナイフではありませんよ」
クルノアンは口の端を緩めて微笑した。
「今なら一突きで私を仕留めることができます。私が最早この王国に必要ない存在であるというのならば、ここで果てましょう。いかがですか」
「・・・・・・」
相手の話がちゃんと頭に入っているのか、クロは投げ与えられた剣の鞘に視線を落としまま黙りこくっている。
どこに潜んでいたのか、俺たちをこの庭園に連れてきた近衛兵の四人も視界の外から飛び出してきた。
「手出しをするな」と、クルノアンは右手を挙げて制した。
心の中で、俺はクロに刃を下ろせと訴える。お前は言ってただろう。フェアな方法でお姉さんを助け出したいんだと。今の状況はは全くもってフェアとは言えないんじゃないか?
それにクルノアンが俺たちを生かすのには訳がある。恐らくルーシア女王の信頼を保つためだろう。ならここでクルノアンを斃して王国を混乱させるよりも、捕縛されたままのほうが現実的じゃないか。クルノアンは良くも悪くも王国の頭脳中枢だ。欠損させるのはかえってルーシア女王の迷惑にも繋がる。
ここまで考えている俺は、しかし叫んだりはしない。行動するのはクロだ。
クロがクルノアンへの殺人未遂やら反逆罪やらで透明人間にされたのは分かった。初耳だった。いや、俺は仄かに気付いていたのかもしれない。ただクロに聞くのがいやだったのだ。
猥雑な気分が底を抜けても、俺はじっと拳を握って耐えるしか無い。
「刺した後の言い訳を考えているのですかな? それなら私が自分で貫いたということにしておけばよろしいでしょう」
間延びした時間にじれたのか、クルノアンはクロを突き放すような口調で挑発してきた。なんだか妙な言い草だ。まるで今すぐ自分を刺して欲しいというようにも聞こえる。
「宰相、あなたは」
「まって」
クロの声に被せるように女性の声が庭園のむこうから聞こえた。俺もクロも、クルノアンもそちらへと向き直る。会談に出席してるはずのルーシア女王が、青空の下に浮かぶ陽炎のように屹立していた。
「お姉様」
「・・・・・・剣を捨てて」
クロは短い逡巡のあと、力なく剣を地面に落とした。それが合図だったかのようにクルノアンは、
「なぜここへおいでに」
「ソルグム大公との会談を抜け出してきたのです」
「終わるには早すぎるようですが」
「・・・・・・それよりも宰相、これはどういう状況なのですか?」
「ほんの戯れでございますれば」
クルノアンは俺たちの方へ静かに手を差し出した。知人を紹介するような動きだ。
「フィルナ様は南に降ることについてご不満があるご様子。どうか陛下からお諫め願います」
「クルノアン宰相、あなたのこれまでの采配には感謝しています」
落ち着き払っていたクルノアンの表情が波立つように歪んだのを俺は見た。瞳は狭窄して、輝きさえも失って見える。
「どういうおつもりですか」
「王の名において、主命を変更いたします」
女王は女王で、今までに無い朗々たる声色だ。
「前王女フィルナをシャンベリス城の城代に任じます。ヴィヴァル卿は彼女の侍従としてこれからも仕えること」
「まさか・・・・・・反乱因子をトスカン州との境にあたるこの城に置くというのですか。それが王国にとってどれだけ危険なことか」
女王は、しかし力なく首を振った。
「大壊乱が終わって人々はもう疲れているのです。もはや王国の中で戦いを起こす理由もありませんし、戦いを起こしても流通は破壊されて人々が苦しむだけです。宰相のような人の言い方をすれば、利益と損失が釣り合わないのです。そんな時代にこの二人をシャンベリス城に置いても、今更反乱を起こす理由がないでしょう。そもそもこれは貴方の権勢が強すぎるために発生した恐怖が原因なのです。貴方ほどの人なら、それくらいのことは分かっていたはずです」
「・・・・・・いつからそのような事を考えるようになったのですか」
「ずっと前からです。こうして赤裸々に話すとは思いませんでしたけど、ソルグム大公が立派な女性だったから、あてられたのかもしれませんね」
「成程、私とは対照的ですからな」
うなずきつつ、クルノアンは話に飽きたようにベンチに座った。驚いた表情はなく平静を取り戻している。俺たちのことなど眼中に無さそうだ。
思い出したようにベンチから立ち上がると、クルノアンは茶葉をつぎ足してお湯を注ぎなおした。見かけ以上に気が動転しているのかもしれない。
「恐怖するからこそ人は権力を求める。しかし同時に覚悟も必要になる」
柄にも無く格言めいたことを言うと茶を一口。毅然と立つ女王を見やった。
「立派になられた」
風が吹いて花の香りが散った。俺はここが屋上だということを実感した。
吹き去った風にゆらりと押されたようにクルノアンの身体がよろめいた。まるで役目を終えたカカシのように、クルノアンの身体は折れるようにして地面に倒れた。




