37:【幕間】雨降る城の憂鬱
シャンベリス城での直接会談が数日後に迫っている。
罪人であるクロとラントの待遇を巡って、ルーシア女王とクルノアン宰相の思惑が王都の城で交錯していた。
【登場人物】
【俺/ラント】
:傭兵騎士の少年。元貴族。
クロ、アトネと共にルーシア女王を救うための突破口を探るためトスカン州 の大公ソルグムを訪ねる ことに。
【クロ/フィルナ・ワインガルド】
:ラントの幼なじみの少女。ベルルスベル王国の元第二王女。
姉のルーシア国王を救うためにラント、アトネと共に旅をしている。
透明人間であることを隠すために黒づくめの格好をしていて、無表情なウサギの仮面を付けている。
【ルーシア女王】
:ベルルスベル王国の現役女王。クロ(フィルナ)の実の姉。クルノアンに権力を牛耳られている。
【クルノアン】
:ベルルスベル王国の近衛騎士団長。「宰相」と呼ばれていて、ルーシア女王を凌ぐ権力を持っている。
王都は冷たい雨に濡れそぼっている。
昨夜から降り続けているこの雨は都だけでなく、とある地方のとある河川を氾濫させて人畜に被害をもたらしていた。氾濫の情報は王宮にいるクルノアンとルーシア女王の耳にも入っている。
ルーシアの執務室で開かれていた豪雨被害の対策会議は昼を過ぎた頃に解散された。無感情な表情を顔に貼り付けた関係者たちが執務室をぞろぞろと後にする。それと入れ替わるように、クルノアンが湿気を孕んだ薄暗い廊下を機械的な歩調で歩いてきた。不機嫌そうにしている理由はどんよりとした天気のせいではなさそうだ。
「・・・・・・」
クルノアンは苦悩している。
クロとラントの身柄を預かることが決定した会談から、幾日かが過ぎている。
会談が終わった直後から、王都ヴィシェフラドにいるクルノアンは元王女であるフィルナの処遇をめぐって苦悩していた。彼女を生かすも殺すも危険だという葛藤が彼の心の中でトゲのように突き刺さっていて、不快な痛みを生じさせている。
今、自分が女王から与えられている権勢を手放すわけにはいかない。そのためには女王の機嫌を損ねないことが肝要だ。女王の権威をどれだけ盾にできるかがクルノアンの権力の基板であり大前提になっているのだ。
フィルナを殺してしまうのはクルノアンにとってさほど労力のかかる仕事では無いだろう。しかし実行すれば、女王のクルノアンに対する態度は決定的に硬化してしまうという代償は避けられない。
妥協点を探りつつ、結論を出さなければけいない状況だ。
「酷い雨ですな」
一揖しつつ執務室に入ったクルノアンは、降り続ける雨の話を持ち出した。
クルノアンは驕慢で冷淡だが、王国内で起こった自然災害を決して無視はしていない。
彼はベルルスベル王国を庭で丁寧に育てた花のように自分が育成したと自負している。今度起こった洪水のせいで、せっかく育て上げた花を流されたらたまらないというような感情が静かに燃えている。
しかし今は雨よりも、トスカン州に亡命したフィルナとラントについての対応が優先される。その薄情ともいえる天秤の使い方もクルノアンの特徴だろう。今度も雨の話はそこそこに、「ところで」と言って話題を急に変えてしまった。
「あの二人をどうなさるのか、お考えは浮かんだのですか?」
シャンベリス城での直接会談は八日後に迫っている。
会談に間に合うべく、ルーシアとクルノアンは王都を明日の朝に発つことになっている。にもかかわらず、ルーシアはクロとラントの待遇をどうするかに悩んでいた。
執務室の窓から雨空を眺めるルーシアは、灰色の大気に呼応したような陰りを帯びている。ややあって口が小さく開いた。
「宰相はどう思うか分かりませんが・・・・・・フィルナは会談後、シャンベリス城にとどまらせるわけにはいきませんか」
「とどまらせる?」
「もちろん行動範囲は限定されますが」
「左様ですか」
クルノアンは、言いつつ腹の中で舌打ちをした。
行動範囲うんぬんの問題ではなく、シャンベリスはトスカン州と地理的に近い地域だ。そこにフィルナを収監するというのは得策とは思えない。
「畏れながら、私は賛同しかねます」
「そうですか」
否定されたルーシアは驚かない。もはや慣れていることだ。
クルノアンはシャンベリス城の代わりに、フィルナが元々護送されるはずだった土地の名を言った。その土地はトスカン州の遙か南にある。ルーシアがどんな提案をしようが、クルノアンはそう言うつもりでいた。にもかかわらずルーシアに意見を宣わらせたのは、クルノアンからすれば女王と宰相という上下関係の形式的なやりとりのためでもあったし、ルーシアのガス抜きのためでもあった。
「そもそもなぜフィルナ王女が透明人間になったのか、陛下もお忘れではないはずです」
クルノアンは淡々と言う。
「あれは・・・・・・宰相からすれば災難だったかもしれませんが、事故のようなものです」
「事故かどうかは言葉の問題であって本質ではありません。フィルナ前王女は【あの行動で】罪人となりました。よってしかるべき場所に行っていただく。それが当然ではございませんか」
むしろ殺されないだけでもありがたく思えと、クルノアンは声に出したい思いがした。
「それでも陛下は、シャンベリスにフィルナ王女を収監する方が王国のためになるとお考えなのですか」
「あそこは王国の直轄領で城主も定まっていません・・・・・・緊張状態が続く地域の城にソルグム大公の知り合いであるフィルナたちが入れば、緊張を中和してくれるのではないでしょうか」
たどたどしく主張する女王は、しかしどこか自信なげだ。
なるほど。フィルナがあの城に入ればトスカン州とのいざこざは回避できそうに思える。しかし彼女等は私を敵視し続けるのではないだろうか? ――そう思うと、クルノアンの陰惨な防衛本能は獣のように反応する。
「遺憾ながらフィルナ王女は私を恨んでおります。シャンベリス城に隠遁されるにしても、我らに対して何らかの行動を計画する危険性がある。そうなれば、やがて治安が乱れることは必定です」
「宰相は、フィルナを畏れているのですか」
まだあどけなさの抜けない両目がクルノアンを不思議そうに見上げた。
「まさか・・・・・・私が恐れるのは、大壊乱のような混沌が再び世を覆うことです。そうならないためにも、彼らをシャンベリス城に置くわけにはいきません」
いつもは輝きを宿さないクルノアンの双眸に、怪しい光が走った。ややあって稲妻の裂くような音がヴィシェフラドの城に轟いた。
クロとラントの身柄は「基本的な方針として」別の地方に移送されることになった。クルノアンの案がほぼ認められた形だが、ルーシアの提案も完全に撤廃されたわけではなく変更の可能性が残った。
クルノアンは既に執務室を出て、高い天井が続く廊下を歩いている。燭台の火が揺れて、時折雷の光が照らした。
「フィルナを畏れているのか」とルーシアはクルノアンに聞いた。クルノアンにそんなつもりは毛ほどもない。むしろそんな質問をくり出したルーシア女王に対して、クルノアンは看過できない変異を感じている。なぜならルーシアの信頼と信任がクルノアンからフィルナに傾けば、クルノアンは押し出されるようにして今の絶対的な地位から脱落してしまうのだ。
「そもそも彼女等が生きていることがおかしい・・・・・・」
罪人として透明人間になったフィルナが犬死にすることなく、トスカンに亡命までして行動しているという認めたくない事実。しかもルーシアは、そのフィルナ前王女を積極的に助ける気でいるのだ。
ルーシアの塞がれていた自我が沸々と表出してきている・・・・・・若い女王の成長をクルノアンはここ数日の間にまざまざと思い知らされた。
「身の振り方を考えるべきか」
撤退の許されない野戦指揮官のようなまなざしで雨を眺めながら、クルノアンは小さく呟いた。声は窓を叩く雨の音にかき消された。




