35:鏡の中の女王
ソルグム大公に連れられてラントたちは【鏡の間】へと案内される。
鏡に映っていたのは、クロの姉であるルーシア女王と宰相クルノアン卿だった。
【登場人物】
【俺/ラント】
:傭兵騎士の少年。元貴族。
クロ、アトネと共にルーシア女王を救うための突破口を探るためトスカン州 の大公ソルグムを訪ねる ことに。
【クロ/フィルナ・ワインガルド】
:ラントの幼なじみの少女。ベルルスベル王国の元第二王女。
姉のルーシア国王を救うためにラント、アトネと共に旅をしている。
透明人間であることを隠すために黒づくめの格好をしていて、無表情なウサギの仮面を付けている。
【ルーシア女王】
:ベルルスベル王国の現役女王。クロ(フィルナ)の実の姉。クルノアンに権力を牛耳られている。
【クルノアン】
:ベルルスベル王国の近衛騎士団長。「宰相」と呼ばれていて、ルーシア女王をしのぐ権力を持ってい る。
【鏡の間】はそれほど広くない。
中央には円卓と二脚の椅子とが置かれていて、正面には例によって大きな鏡が張られている。窓が無いにもかかわらずあまり暗く感じないのは、鏡が照明の光を反射してくれているおかげだ。
分厚い垂れ幕を抜けて鏡の間に入ると「先客」が既に鏡の向こうで待っていた。
先客は二人いる。正面右側にルーシア女王、左側にクルノアン宰相が円いテーブルを挟んで座っている。
こうなることは来賓室に閉じ込められた時から、俺もなんとなく予想がついていた。ソルグム大公の立場になってみれば、厄介者である俺たちをどうするかは本国の責任者――つまりルーシア女王に対応を委ねるのが一番だということが想像できるだろう。
「座ってくれ給え」
思わず突っ立ったままだった俺とクロは、ソルグム大公に着席を催促された。
予想できた状況だとはいえ、いざ面と向かってとなると麻痺したように俺たちの動きはぎこちなくなってしまった。俺たちは中央の円卓から離れたところで立ち止まっている。悪戯をした子供が、怒られるのが恐くて親に近づけないというシーンに似てなくもない。
鏡の向こうに座る女王は何とも名状しがたい表情で、突っ立ったままでいる俺たちを見つめている。一方で女王の向かいに座るクルノアンは、俺たちが入ってきたのも気付いていないんじゃないかというような顔だ。数年ぶりに見たけれど、相変わらずのつっけんどんな態度だな。
「久しぶり・・・・・・っ」
ぎこちない挨拶をぎこちない微笑の声で繰り出したのはクロだった。それには応えず、女王の薄い唇が小さく動く。
「本当にフィルナなの?」
「ええっと・・・・・・傭兵騎士になったから、今はクロっていう名前」と言ったところで、クロはようやく円卓に着いた。遅れて俺も着席する。悪くない座り心地だ。
「この仮面、脱いだほうが良い?」
「・・・・・・宰相」
女王は是非を求めて、実質的な宰相の立場になるクルノアン近衛騎士団長に声を掛ける。
「そのままで構わないかと。声で分かりますので」
「そうですね・・・・・・あぁ、けどよかった・・・・・・生きててくれて・・・・・・っ」
女王は声を震わせてはいるものの、その立場故に感情を露出させるようなことは決してしない。口数が少なくてともすれば無愛想に見えるかもしれないルーシア女王だが、想像以上に繊細で起伏のある性格は、最後に会った五年前から変わっていないようだ。
「ねぇ・・・・・・あなたもしかしてラントくん?」
覚えてくだすっているとは光栄なことだ。「ご無沙汰しております」と、俺は軽く会釈をした。
「フィルナといっしょに、ここまで来てくれたの?」
「どういうわけだか、旅の途中でばったり出会ったもんですから」
貴族嫌いの俺だけれど、流石に現役の女王には厚顔無恥な態度は取れない。というか俺はルーシア女王を女王であるとう以前に年上のお姉さんとして尊敬しているのだ。子供の頃、色々とお世話になったからね。
「俺を呼んだのは陛下ですか?」
「陛下なんて止めてよ。・・・・・・うん。どんな人がフィルナを助けてくれたのか気になって」
女王の要望に応えてに推参つかまつるのはいいとして、クルノアンに面相を晒すことになってしまったのは文字通り致命傷と言うべき事態かもしれない。けれどもそんな問題はこの際後回しで構わない。幸いなことにクルノアンもそう思ったのか、
「懐かしんでいるところ恐れ入りますが、本題を」
クルノアンは深い海の底よりも冷えきった声で言った。
「ソルグム大公との協議の結果、諸君の身柄は女王陛下の意向で本国に送還されることになった」
クルノアンが鏡越しに言ってきたのは、かいつまんで言うとそのような内容だった。
特に「送還」という単語が俺の頭の中を旋回する。どういう経緯でそんなことになったんだ?
「それについては後で大公閣下から聞いていただこう。送還の行程についてだが、シャンベリス城で明け渡しということになった。諸君の身柄は我々が預かり、その後処遇を検討する」
どうやら俺たちの知らない間にトントン拍子で話は進んだようだ。クルノアンから聞いた話は決定事項が殆どだ・・・・・・いや待てよ。
「俺たちの身柄が明け渡される日時はいつなんですか」
「今後の協議次第だ。こちらも暇じゃないんでね。今日こうして会談の時間をとっているのは、諸君らが大公閣下のおっしゃる通り、実在するかを確かめるためだ」
で、実際に俺たちはこうしてトスカンにいるわけだ。
「ソルグム大公の嘘だと良かったですか?」と聞いたのはクロだった。どういうつもりなのか、皮肉で言っているようには聞こえない。
「・・・・・・別に喜びはしませんが、以外でしたな。てっきり犬死にしているものかと判断していたものですから。お見それをいたしました」
クロに向けられた挑発的な言葉を聞いて、姉のルーシア女王は抗議の視線でクルノアンを一瞥した。かと思うと表情を柔らかくして、病み上がりの人を気遣うように鏡を挟んで正面に座るクロに声をかける。
「どこも怪我してない? 無茶したらだめよ? トスカンまで来られただけでも運が良かったって思わないと・・・・・・」
「陛下、畏れながらそのような雑談は予定に入っておりません」
「えっ・・・・・・けれど積もる話が」
「お話をし出すと長くなりましょう。それに、今しかできない要件というわけでもございません。緊急の会談ゆえ、時間も押しておりますれば」
「・・・・・・わかりました」
ルーシア女王は「皆さん」と、トスカンにいる俺たちに呼びかける。「お見苦しいところを、失礼いたしました」
「いや、こちらこそ急な会談となり申し訳ない・・・・・・」
ソルグム大公は泰然としているものの、どこか気まずそうな受け答えをしていた。
会談もいよいよ終盤にさしかかっている。その時、幸か不幸か俺の中でむくりと頭をもたげた感情があった。
「クルノアン卿、一つお聞きしたいことがあるんですが」
「何だ」
「俺の親父を知っていますか」
俺の質問をどう捉えたのか、沈黙するクルノアンの表情がどうなっているのかは良く分からない。というのも俺が伏せ目がちになっているせいだ。面と向かって話すと感情的になってしまうかもしれな。
「知っているとも。ヴィヴァル卿は優秀な近衛兵だった。少し温和すぎるところがあったがね」
「死にましたよ、三年前に」
「そうか」
「何も思うことはないんですか」
「特に思いつかないが」
嘘つけこの野郎と、俺は思いっきり叫んでやりたかった。もちろん嘘じゃないかもしれないけれど、どっちにしたって無感想はあんまりだ。
軽くあしらわれているってことくらいは俺でも分かる。頭の出来も場数も違う。それならいっそのこと、腹くくってとことんあしらわれてやろうかと思った俺はクルノアンを睨み付けた。
「あなたの冷え切った心のせいで大勢の人が不幸になった。俺と親父もその中に含まれている。父母の墓の前で跪くくらいのことをしてもらわないと、俺の気がすまないんですよ」
それが出来ないのなら、ほんの少しでもいいから「悪かった」と言って欲しい。それすらできないのならもうどうしようもない。俺は何かに取り憑かれるかもしれないな。
俺とクルノアンの会話を遮る人はいなかった。クロは座ったまま、鏡を挟んではす向かいに座るクルノアンにウサギの仮面を向けている。ソルグム大公は屹立したままだろう。とんだとばっちりになってしまったことは申し訳ない。ルーシア女王は嵐の到来を心配する牧童のような面持ちだ。
「あぁ、そういうことなのか」
クルノアンは納得したように何度か頷いた。どこか嬉しそうにも見える理由が、俺にはよく分からなかった。




