16:【幕間】 クルノアン宰相と十八歳の女王
ラントとクロがブラント絵画工房を救ったのと同じ頃、ベルルスベル王国の実質的な権力者であるクルノアンは西の辺境についてとある計画を実行するべく動いていた・・・・・・
【登場人物】
ルーシア女王
:ベルルスベル王国現国王。フィルナ(クロ)の姉。
クルノアン
:ベルルスベル王国近衛騎士団長。「宰相」と呼ばれる執政者。
ベルルスベル王国の都はヴィシェフラドという。領民からは単に「王都」とか「都」と呼ばれることが多い。
【ヴィシェフラド《貴き城》】の名の通り、都は巨大な城と言っていい構造になっている。王宮を中心に環状の城壁が二重三重に建てられ、東西を流れる二本の河が自然の堀を形成している。
城の防御力と都市としての優位性から「王国が滅んでもこの都は滅びない」という妙な諺まである。あるいはそれは壮大なフラグなのかもしれない。
大小合わせて数百ある大東原の城塞都市の頂点に君臨するがヴィシェフラドなのだ。
城の中核部とも言うべき宮廷は高台にあり、断崖は全てレンガや石塀で固められている。断崖の周りには堀が流れていて、常緑樹が城の内部を見えずらくしている。ここが正式なヴィシェフラドなのだけれど、「都」と同じ様に人々は単に「王宮」と呼ぶことが多い。
王宮の廊下は白く輝く石が敷き詰められ、鏡の様に磨き込まれている。両側に並ぶ柱も白く、天井には植物をあしらった金細工が輝いている。大窓から差し込む朗らかな光も相まって、来賓者なら思わず息を吞む美しさだ。
いくつかの部屋が並んでいて、その先にルーシア女王の執務室はある。
ラントとクロがブラント絵画工房の危機を救ったのと同じ頃、執務室ではクルノアン宰相がルーシアに各書類の形式的な内容の説明と、捺印の催促をしている最中だった。
清楚な白い服を着たルーシアはクリーム色の柔らかい髪を束ねて、女王の証である銀のこぢんまりとしたティアラを載せている。母親譲りの美貌はどこか物憂げだ。
細腕を必要最小限に動かして印璽を押していく姿は、田舎で働く幸薄い少女のようにも見える。
「クルノアン卿、三ヶ月後は身罷られた母上の十五年忌ですが・・・・・・追悼記念の式はどうするのでか?」
全ての書類に印璽を押し終えたルーシアは、書類を束ねるクルノアンに半ば諦めた口調で聞いてみた。
「追悼記念ですか?」
クルノアンは口を小さく動かして、早口気味に言った。この話し方をされるとルーシアは物怖じしてしまう。
「陛下のお気持ちは重々承知しておりますが、畏れながら亡き王妃殿下の追悼記念式典は現在催すには不適切かと。報告が入っております通り、クナパッツやトスカンといった辺境の情勢は不安定ですので」
「・・・・・・しかし母上は皆に慕われたお方です。十五年の節目ですし、多少は偲びたいと・・・・・・」
段々と声が小さくなるルーシアに、クルノアンは言いつのる。
「もしどうしてもと仰るのでしたら、元老院と閣議で検討しますが?」
「・・・・・・いえ、結構です。言ってみただけだから。追悼式は一部の人たちで簡単に済ませます」
自分が何かをやりたいと言い出せば、それを支持する人、反対する人とで争いが起きる。
クルノアンにとっては更なる権力掌握の機会になりかねない。ルーシアはそれをよく分かっていた。
「恐れ入ります」
クルノアンは恭しく頭を下げると、機械的な動きできびすを返して、執務室を後にした。
――陛下は日に日に昔のことを気にするようになっているな。
クルノアンは女王であるルーシアを、若いからといって卑下しているわけではない。もちろん自分が王国を牛耳ろうなどとは全く思っていない。彼にとってそれはベルルスベル王国に再び繁栄をもたらすための副産物に過ぎないのだ。
王国を効率的に治めるためなら女王だろうが駒として扱うことも平気でできてしまう。もはや政治的変態と言っていいだろう。
機械的なクルノアンも、自分を権力の座から引きずり下ろそうとする輩には人間的な感情を少なからず
抱いている。
――誰のおかげで大壊乱を鎮められたと思ってるんだ?
軍備を増強し、浪費する騎士と貴族を減らし、商業、工業系のギルドには金をばらまいた。おかげで以前と比べれば治安は回復し、西の辺境や北の国境も徐々に平定しつつある。・・・・・・とクルノアンは思っている。
民衆の自由が多少犠牲になろうが、全体的な平和から見れば些細な問題だとクルノアンの機械的かつ
合理的な頭脳は判断しているのだ。
ちなみに「宰相」という位はベルルスベル王国には存在しない。クルノアンの現在の正式な役職は王国近衛騎士団騎士団長。ただそれだけだ。だから装いも白の制服にマント、黒のブーツ、そして腰には剣を差しているという出で立ちだ。
クルノアンがルーシアの執務室を出ると、近衛騎士団員の男が待っていたようにクルノアンの側に寄ってきた。白亜の廊下に、他に人は居ない。
「閣下、重要なお話が」
「なんだ」
「先程保安局から、フィルナ元王女が脱走したとの報告が入りました」
「・・・・・・馬鹿な」
あり得ないという意味と、なんて愚かなことを、という二つの意味でクルノアンは言った。
「追捕の令を出しますか」
「・・・・・・いや。放っておけ。こちらが下手な動きをすれば動揺が広がるだろう。一人でいても野垂れ死ぬだけだ。ただし護送を担当していた者は皆殺せ」
「既に一人もこの世におりません」
クルノアンは三日月のように口をにたりと広げて笑った。それも一瞬のことで、すぐにいつもの冷たい
表情に戻る。
「詳しい指示は後で出す。とにかくこの報告は他言無用だ。陛下になどもってのほかだ」
「御意」
「・・・・・・ちぃッ!」
クルノアンは白亜の床を踏みつけて悔しがった。透明人間になったあの元王女が一体どういう神経をしているのか、クルノアンの機械的頭脳では一つまみも理解できない。
「閣下、畏れながらもう一件ご報告が」
「なんだ」
「・・・・・・ソルグム卿が、治外法権を強要するような決議は容認できない。魔硝石の関税についても」
クルノアンは人差し指を一本立てて【硬直】の術式を瞬時に発動した。
「その先は聞きたくない」
男は瞬きを一回。「イエス」のサインを出した。
【硬直】を解かれた男は「失礼しました」と一歩下がって詫びた。
「ソルグム卿には、シャンベリスの話は無かったことになるぞと発破をかけねばな」
「よろしいのですか? トスカンが陥落すれば王都までの街道が」
「騎鬼族はそこまで利口じゃ無い。戦った私が一番よく知っている。だからこそ油断はできないこともな」
その他雑務について話した後、クルノアンは団員と別れた。
口ひげを伸ばすように弄りながら、クルノアンは廊下を早足気味に歩く。
――どいつもこいつも、なぜ私の権勢に抗うのだ? 抗わなければ誰も死なずに済むものを!
何年も前から時折頭に浮かぶ疑問。その答えは分からない。けれども分かる必要も無かった。
再び西の辺境に平和が訪れるためなら、立ちはだかる些細な問題や邪魔者は全て消し去るという絶対的な理念の塊がクルノアンの正体なのだ。
かつては王族や貴族の談笑が聞こえた白亜の廊下は、クルノアンがいなくなって再び静まりかえった。
フィルナがクロと名を変えてラントと出会い傭兵騎士になったこと、さらにはクルノアンに反旗を翻したことなど、ヴィシェフラドにいるルーシアとクルノアンには知る由もない。




