赤いゴンドラ
とあるアパートの一室。
2人の男が盤上に向かい合っていた。
片方はプロの棋士で、「竜王」の最高位段位を持つ男。
もう片方は、クロキと呼ばれるアマチュアの棋士。
一見何の変哲もない勝負だが、裏では三千万という大金が賭けられていた。
(全財産の三千万、これは、人生を賭けた勝負だ!)
クロキは、追い詰められる程指し手が冴えるという、常識外れの習性も持っていた。
「……王手」
「……!」
後一手をしくじれば負ける、という局面にも関わらず、正確な読みでかいくぐり、今度はミスの許されない二択を相手に迫る。
「……負けました」
勝ったのは、クロキであった。
「いやあ、参りました。 プロの将棋界にも、あなたに勝る人はいないでしょう。 なぜプロにならないのです?」
扇子を扇ぎながら、竜王が尋ねた。
「……俺には、ああいう華やかな舞台は似合わないですよ。 それに、今までずっと賭け将棋をしてきたんだ。 誰かにチクられた時点で終わりです」
だが、それ以外にも理由があった。
クロキは、ある種の賭け狂いで、負ければ破滅、という勝負でなければ本気になれなかった。
「それより、知り合いにもっと大きな勝負を受けてくれる知人はいませんか?」
クロキに尋ねられ、竜王は腕を組んだ。
これ以上大きな勝負を受けてくれる相手など、もはやプロの世界にも存在しない。
「……」
しかし、それ以外なら、心当たりがあった。
「……生きている人間以外なら、紹介できます」
この回答に、さすがのクロキも戸惑う。
「……どういうことですか?」
「私も噂でしか知らないのですが、裏野ドリームランドという、今は廃園した遊園地があるのですが、そこの観覧車に、昔閉じ込められて死んでしまった少年の幽霊がいる、という話です」
クロキも裏野ドリームランドのことは知っていた。
整備不良など、不祥事が相次いだ為、閉園となった遊園地だ。
しかし、観覧車のことは初耳だった。
「赤い13番のゴンドラ、その中に血文字で、詰め将棋の後が描かれているそうです。 興味本意でそのゴンドラに乗り込んだ棋士が、何人も行方不明になっているそうなんですよ」
……真相は不明だが、クロキはその話に興味を持った。
時刻は深夜。
クロキは裏野ドリームランドを訪れた。
「ここか……」
薄暗い、不気味な雰囲気の園内に足を踏み入れる。
小高い丘の上にある、例の観覧車までやって来た。
「13番の、赤いゴンドラだったな」
クロキが目線を走らせた瞬間、観覧車が軋んだ音を立てて動き出した。
「……!」
目の前にゴンドラが止まる。
(赤い、ゴンドラだ……)
クロキがドアを開けて中へと入ると、扉が閉まり、再び動き出す。
「……」
ゴンドラの床面を見ると、何やら赤い擦れた文字で、マス目が書かれていた。
そして、耳元で声がする。
「勝負二勝ッタラ、出シテアゲル……」
驚いて、クロキは顔を上げた。
目の前に、半透明の少年が立っていた。
少年は手に駒を持っており、そこから、助けて、苦しい、などといううめき声が聞こえた。
(負けたら、将棋の駒にされちまうのか……)
盤上に、血文字で駒が浮かび上がる。
(これは…… 詰め将棋か!)
制限時間の説明は無いが、恐らくこの観覧車が一周する間であることは察しがついた。
そして、この詰め将棋、25手詰めという、超難問であった。
クロキの額に汗が滲む。
しかし、この命のかかった勝負で、クロキの勘は冴え渡った。
「……」
観覧車が一周する直前で、問題を解き終える。
「どうだ?」
「……アリガトウ」
少年の霊は、笑みを浮かべながら、消えていった。
どうやら、クロキの解答は正しかったらしい。
全身が脱力する。
こんな充実した勝負は、人生で始めてかも知れなかった。
ところが、満足感に浸る間もなく、異変に気が付いた。
「……って、観覧車も止まっちまったじゃねーか!」
クソ、と言いながらスマホを取り出す。
「……!」
圏外であった。
終わり