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楓〈前編〉

風もいくらか冷たくなり、木々も少しずつ色づき始めた。

日曜日。

俺はいつものように、バイト先から家に通じる道を自転車で走り、途中にある公園に立ち寄る。

辺りを見回すが、あの人はまだ来ていないようだ。

時計を見ると、四時を少し回ったところ。あと十分もすれば来るだろう。

俺はベンチに座り、時間を潰す為に携帯電話を取り出した。




少し前までは、どこにでもあるようなこんな小さな公園に興味を示したことはなかった。

でも夏の暑さも和らいできたあの日、いつもは誰もいない公園に人がいることに気が付いた。長い髪が印象的なその人は、次の週もその次の週も、同じ時間にそこにいた。

何となく彼女が気になった俺は、ある時公園に足を踏み入れた。

彼女はベンチに座って、本を読んでいた。

俺はなるべく彼女に気付かれないようにと少し離れたベンチに座り、彼女を観察し始めた。

少し地味目な服装からして、歳は二十代半ばから後半といったところか。何処かに行ってきた後なのか、横に大きめの荷物が置いてある。

しばらくの間彼女は集中して本を読んでいるようだったが、俺の視線に気付いたらしく、ふと顔上げた。

初めてまともに見た彼女の顔立ちは、想像以上に綺麗で、思わず目が離せなくなる。長いストレートヘアに黒目がちな瞳。正直好みのタイプかもしれない。二十代後半だなんて、なんて失礼なことを思ったのかという思いも出てきたが、それ以上に、なんでそんな地味な格好をしているのかという気持ちが大きかった。


彼女は俺に気付くと、持っていた本を置き、なぜか慌しくその場を去っていった。

声を掛ける気はなかったがもう少し彼女を見ていたかった俺は、少し残念な気持ちになった。

家に帰ろうと立ち上がった時、彼女が忘れたらしき文庫本に気が付いた。俺はそれを手にし、その次の日曜日、再び公園に立ち寄った。

小説と思わしきこの本は、文字だらけで挿し絵など全くなく、こんなことでもなければ俺が手にするなどまずありえない類のものだ。

先週と同じように本を読んでいた彼女に、無言でそれを差し出す。その瞬間、彼女の肩がビクッと震えた。そして、恐る恐るといった感じで顔を上げる。

「この前忘れてったでしょ。」

彼女は少し震えた手でそれを受け取り、しおりが挟まっているページを開くと、安堵の表情を浮かべた。どうやら彼女の物で間違いなさそうだ。

とりあえず用事は済んだし、ここにいてもする事はない。今日はこれで帰ろうと彼女に背を向けた時、

「あ、あの…。」

俺を呼び止める小さな声が聞こえた。

振り向くと、何故か彼女は俺から目を逸らし、俯き加減で

「…ありがとうございました。」

とだけ言った。

「別に…。」

目を逸らされたことに不満を感じながらも一応言葉を返して、俺は自転車に乗った。


彼女の態度に不満を抱いたにもかかわらず、その次の週も俺は公園に寄ってしまった。

彼女は俺に気付くと軽く会釈をし、

「この前はありがとうございました。」

と、今度は俺の顔を見て言った。やや目が泳いでいるようにも感じるが、まあよしとしよう。

俺も軽く頭を下げ、少し離れたベンチに座り携帯電話を取り出す。そして、メールを打つふりをしながら、彼女の様子を伺った。

彼女は凛としていながら温かみがあるような独特の雰囲気をもっている。それは今までに俺が会ったことのある人達の中にはなかったもので…。

言葉を交わす訳でもなくお互い自分の好きなことをしている、それだけなのに、彼女と共有しているこの空間に、俺はいつの間にか心地よさを憶えていた。

それから何度か顔を合わせるうち、日曜日にこの公園で会うのは当たり前の事のようになってきた。挨拶も会釈から言葉を伴うものとなり、多少の会話もするようになっていた。




「こんにちは。」

俺の予想通り、彼女が来たのはあれから十分程経った頃だった。彼女の来る時間は、多少のズレはあるが、四時から四時半の間と決まっている。

「ども」

「大分寒くなってきましたね。」

「そーっすね。」

ほんの一言だけ会話を交わし、彼女はいつもの様にベンチに座り本を開いた。俺も再び携帯をいじり始める。

だがいい加減携帯にも飽きた俺は、本に集中し始めた彼女に声を掛けた。

「ねえ、そんなに本読んでて飽きない?」

今までの会話で、彼女が“羽田めぐみ”という名前であることと、小さな会社で事務をしている事を知ってる。しかし“さん”付けで名前を呼ぶことに抵抗を感じ、ついつい“ねえ”と呼び掛けてしまう。ちなみに彼女は高校生で年下の俺を“友哉君”と呼ぶ。

「飽きませんよ。色々な種類のお話があって面白いし…。」

俺が年下だと知っても、彼女はいつまで経っても敬語のままだ。

「いい加減敬語やめれば?」

俺の方は会った時からタメ口で、彼女が本当に年上だと知ってもそれは変わらない。

「この話し方に慣れてるから…。」

「ふうん」

彼女が極度の人見知りだということは、少し前に聞いていた。今まで俺に見せた態度もそのせいだと。恐らく彼女の中では、まだ何か俺に一線引いているものがあるのかもしれない。

それを無理に壊したところで何の意味もなく、それどころか今より更に会話が減るような気がして、俺はそれ以上言うのをやめた。

「そんな事より、携帯ばかりいじってて飽きません?」

今度は彼女が俺に問い掛けてきた。

「…まあ」

「良かったらこれ読んでみませんか?」

そういって、彼女は鞄から一冊の本を取り出した。

「でも俺、本とか全然読まねえし。」

「大丈夫。高校生が主人公のお話だから、友哉君も感情移入しやすいと思います。」

彼女があまりにも勧めるので、俺は渋々ベンチから立ち上がり、本を受け取った。

「どうぞ。」

すると彼女はベンチの左側に寄り、俺が座るスペースを作った。俺は少し戸惑いながらもそれがばれないように、なにも言わず初めてとなる彼女の隣に座った。

彼女からほのかにいい香りが漂う。なにか香水でもつけているのだろうか。妙に意識してしまい彼女の方に顔を向けることができず、横目でちらっと彼女を伺った。

彼女は俺が座ったのを見届けるとまた少し横にずれ、自分が持っていた本に目を移した。

微妙にあいている距離が、なんだかもどかしい。

仕方なく彼女から受け取った本を開いた。小さな文字が書き綴られていて、頭がクラクラしてきそうだ。いくら高校生が主人公の本だといっても、これを読むことは俺にとって相当な苦難だ。

それでもなんとか二、三ページ読み、主人公がどのような状態でいるのかが少し解りかけてきた。しかし…。

「ねえ、これなんて読むの?」

俺は解らない漢字を見つける度、横にいる彼女に聞く。

「で、どういう意味?」

あまりの質問の多さに、とうとう彼女も苦笑いし始めた。

「友哉君って、国語の成績あまり良くないほうでしょう。」

「あまりっつーか…。」

口籠もる俺を見て、再び苦笑い。

「なんだよ。…俺は理数系の人間なんだよ。」

「でも、さすがに少し困りません?」

「別に。」

「今は良くても、これから大学へ進学したり、社会にでた時に、多少の国語力って必要になりますよ。論文書いたりとか、企画書作成したりとか…。今はパソコンや携帯で勝手に漢字を変換してくれるけど、複数の候補があった時に、意味がわからないと選択出来ないじゃないですか。」

言われると、そんなものなのかと思うが、正直将来とか考えてないし、大学に行くか(というより、行けるか)も微妙だ。

黙ってしまった俺を覗き込んで彼女が言ったのは、全く想像もしていなかった言葉だった。

「もし良かったら、教えましょうか?」


正直、勉強なんて面倒だしやりたいとは思わない。学校でも、興味のある授業以外は携帯をいじったり寝ていたりで、真面目に聞いていたことなどほとんどない。日々勉強なんてやらなくても、真面目に授業を受けている奴のノートを、テストの何日か前に見ておけば、赤点を取る程にはならない。

しかし、彼女に言われたことが気にならない訳ではないし、何より、勉強を教わることで彼女ともっと近付くことが出来るのではないか。そう考えた俺は、彼女の申し出を受けることにした。

「別にやってもいいけど。」

下心を隠す為、思わず生意気な言い方になってしまったが、何故か彼女は嬉しそうに微笑んだ。

「じゃあ決まりですね。折角なので、教科書はその本にしましょう。ちょっと貸して貰えますか?」

俺の持っていた本を受け取ると、彼女はページをパラパラと捲り、あるページに栞を置いた。

「とりあえず次回までに、そのページまで読んできてください。」

「え…、読んできてって言われても…。」

「辞書ありますよね?解らない漢字は辞書で調べてくださいね。」

そう言って彼女はにっこりと笑った。



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