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<蔓延>

 翌朝私は立ち慣れた教壇で、深刻な戦慄を反芻していました。血の気が引く、とはこういう心理状況を指すのでしょうか。


 始業前のホームルーム、クラス委員が今日の連絡事項を読み上げるのを聞き流しながら、私は喉の奥で別種の点呼をとっていました。今村さん、鹿嶋さん、山口さん、大里さん、春日さん……何ということでしょう、シャロットの乙女が一日で五人も増えたのです。


 私の思い込み、疑心暗鬼だと指摘されたならば、寧ろ喜んで肯定したかもしれません。しかし残念ながら彼女たちの表情には、『シャロットの乙女』の主症状が濃く深く刻まれていました。即ち、外への無関心と内への情熱が。テニスンの詩に準えるなら、彼女たちは現実に背を向けて鏡に映る虚像を凝視していたのです。


 私は自分の判断の確証を得るため、昼休みの教室をそっと覗きに行きました。案の定、朝ひそかに点呼をとった五人の姿はありません。私は忘れ物を取りに来たふりをして教室に入り、机を寄せてお弁当を広げているグループにさりげなく声を掛けました。あらどうしたの? 今日は鹿嶋さん一緒じゃないのね、と。


 問われた子たちはいじめや無視と看做されるのを恐れたのでしょう、過剰に眉根を寄せて不審な表情を拵え、鹿嶋さんは何も言わず、お弁当を持って一人で教室を出て行ったんですと、異口同音に答えました。


 この事態をどう処すべきか、私は決断を下しかねていました。このまま放っておくわけにはいかないでしょ、と自分に何度も言い聞かせましたが、別の声が、噂や匿名の告発文を理由に生活指導するのは行き過ぎだと訴えてもいました。


 結局、もう少し様子を見て、現実的な危機が出来したら、例えば進級に支障をきたすほど成績が落ちたとか、夜の繁華街で補導されたとか、その時は怯まずに『シャロットの乙女』の内部に力づくで踏み込んでみせようと、賢明と冷静を装った一時的逃避という微温い決断に落ち着きました。


 ところが、それを吹き飛ばすような驚くべき事態が、既に私の身辺で生じていたのです。


 その夜、自宅の食卓で妹と向き合った私は、教壇で味わった以上の恐慌に陥りました。目の前のものが信じられない。まさか、小百合にまで伝染するなんて。


 私は、まさかと何故の声なき声が充満する頭の中を撹拌するようにぶるぶると振りましたが、そんな姉の不審な振る舞いを気に掛ける様子もなく、小百合は粛々と料理を平らげていました。


 結局彼女は食事中ひと言も発することなく、ごちそうさまと呟いて部屋に戻ってしまいました。椅子から立ち上がった瞬間下から覗き込んだ妹の眼は、紛れもないシャロットの眼でした。

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