<直観>
貼り紙事件から三日後の昼休み、緊急の職員会議が招集されました。事件を家に持ち帰った生徒たちが貼り紙の告発文やシャロットの乙女について親に、恐らくは多少脚色して打ち明け、それを聞いた親たちはその余りの内容に半信半疑ながらも学院の賢明で迅速な対策に期待し、しかし学院の沈黙に痺れを切らして甲高い抗議の電話を掛けまくり、それに突つかれて仕方なく重い腰を上げるまでに三日という時間を要したというわけです。
しかしながらその会議も活発な意見交換の場というには程遠く、教員らもみな口にこそ出さないものの、うるさい保護者たちに解決への意欲を見せるためだけに開かれた、形だけの対策会議であることを承知の上でした。
当然ながら決定した対策案も、具体性と即効性に欠けた官僚的な内容となったのです。生徒一人一人の態度や表情をよく観察し、変化が認められたらすぐに報告する。貼り紙事件による生徒たちの不安を鎮めるため、希望者にはカウンセラーとの面談の場を提供する。教師が定期的に(詳細な頻度はもちろん未決定)繁華街のパトロールに当たる──的確なようで微妙にずれているとしか言い様がありません。
とはいえ、代替の妙案があるわけでもなく、取り敢えず三つも対策案を出したのだからこれで保護者も納得してくれるに違いないとの楽観的空気の中で、会議は終了したのでした。
私自身は、表面上は会議の流れに迎合していたものの、実際は独自の糸を辿って勝手な推理を進めていました。まず何よりも、私は貼り紙が告発した『シャロットの乙女』の内情を疑っていました。
確かに小林美紅も柊薔子も生活態度をがらりと変えて、授業にも周りの友人にも関心を示さなくなりました。その頃には私が担任を受け持っているクラスにも、同様の症状を疑わせる生徒が二人、三人と目につき始めました。
でも私にはどうしても、それが薬物や性的放縦の反動で生じた弛緩、集中力欠如とは思えなかったのです。私が中庭で盗み見た柊薔子の微笑には、微笑みかける対象の確固たる存在を信じさせる自然な安定感がありました。
そう、彼女たちは周囲のことが目に入らず、何か一つのことに集中しているだけなのです。この症状はまるで、まるで──恋の病みたいだわ。
私は自分の思い付きを笑いました。少女趣味にも程がある、と。しかし、すぐに笑いは凍結しました。私は今まで、『シャロットの乙女』という呼称の由来について深く考えていなかった。どこかで耳にしたなあという浮薄な認識の段階で放ってありました。
でも、恋との関連で漸く思い出したのです。イギリスの詩人テニスンの作品に『シャロットの乙女』なる詩編があったはず。そして確か詩の中のシャロットは、ランスロット卿との恋に破れて、傷心に沈んで死んでしまったのではなかったか、と。
自宅に戻った私は早速、英文科時代の名残りを漁り、その中から埃で表紙がざらついた『テニスン初期詩集の研究』を探し出しました。目次から該当部分を見つけ、一読して分かったことは、私の記憶は中途半端なものだったということです。
シャロットは、ランスロットに失恋したから死んだのではなかった。シャロットはランスロットを“見た”から死んだのです。
孤島の城に一人で住むシャロットは、鏡に映った“影の世界”を眺め、その情景を織り込んだ妖しく美しいタペストリーを織り続けている。彼女には呪いがかけられており、振り返って自分の眼で直に窓の外の世界を見てしまったら、恐ろしい禍いが彼女の身に降り掛かるのだ。
ところが美しく雄々しい騎士ランスロットが颯爽と鏡の中を駆け抜けると、シャロットは思わず織物の手を止めて振り返り、彼を直接見てしまう。その瞬間呪いによって鏡はひび割れ、織物はばらばらに飛び散る。
シャロットは一人城を彷徨い出て、打ち捨てられた小舟に乗り、そのまま死の舟旅へ赴くのだった───
精読すれば分かるように、これはアーサー王に関連した題材を扱ってはいるけれど、物語詩ではありません。これは象徴詩です。では、その寓意的な意味は何なのか、私は考えました。
シャロットは現実に背を向けて、鏡に映る虚像だけを見てその風景を織り続けている。もし現実を見てしまったら呪いにより全てが壊れ……。
その時、意識の奥の方で何かがざわざわと騒ぎ始めました。突然の直観のようなものが手掛かりを見つけたぞと叫んでいたのかもしれませんが、結局、しっかり掴み取ることはできず、朦朧とした直観のまま消散してしまったのです。
それから私は、古い本を探したお陰でぐしゃぐしゃに乱れた本棚を収めるのですっかり草臥れてしまい、適当にシャワーを浴びてそのままベッドに倒れ込んでしまいました。だから、帰宅後の小百合がずっと口を噤んだままで、食事以外は私を避けるように部屋に籠りきりだったことに全く気付かなかったのです。




